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日本文化防衛戦II 南京大虐殺の告発者よ挙証責任はとれるのか

(『正論』2000年12月号)

竹本忠雄

「アウシュヴィッツ=南京」の幻術

南京間題の重要性は南京間題でそれが終わらないところにある。

今年一月、私は本誌に筆をとり、対日賠償総額一兆ドルの要求書を振りかざして来襲した国際軍団に警鐘を鳴らして、守るべきはけっきょく日本文化なのだとの論を展開した。アメリカを主舞台に国際的「鶴翼の陣」を展開して中国が執拗に繰り出してくる攻撃は、「背徳者日本」の焼印を世界の面前で押し当て、訴訟世界アメリカの正義感とビジネス化を煽る両面作戦の上から成り立っている、と。

そうである以上、南京間題は必ずユダヤ人問題とも関連し、次はこれで揺さぶりをかけてくるだろうとも予告しておいた。「杉原千畝」の名を冠したユダヤ人問題である。果たせるかな、今年は「世界の義人スギハラ」の生誕百年ということで、俄然、新手の国際キャンペーンが繰り出されてきた。

杉原は「日本政府に背いて」ユダヤ人を救済した英雄なり、とのテーゼである。日独同罪論を恫喝の根拠に据えてきた内外勢力からすれば、むしろ当然の戦法といっていい。彼らにとって、一九三〇年代の日本政府がユダヤ人難民に対して、ヒットラーに逆らってまで「非差別扱い」の方針を打ち出したなど、口が裂けても認めるわけにいかない道理だからである。「アウシュヴィッツ=南京」の呪文をとなえることで日本永久断罪の幻術をはたらかせてきた以上は──。「南京カード」を失わないためには、したがって「杉原カード」を使い、これに別の色づけをすれぱいい。反権力の英雄という色づけで、それがどんな色かは、この一年来、如何なる陣営の手で染められきたかをみれば自明であろう。

西暦一九〇〇年一月元旦生まれの杉原千畝は、次世紀に向かう二十世紀の顔として格好だ。顕彰行事があちこちで生まれて不思議はない。だが、いちはやく名乗りを挙げた《杉原千畝生誕百年記念事業委員会》とは、これは何者なのか。かねて杉原幸子夫人と、ロサンゼルスのホロコースト博物館のクーパー師と、創価学会とが一緒になってアメリカで活動しているという噂を聞いて私は何事か感ずるところがあったが、この事業委員会の顔ぶれを見て納得がいった。委員長に「学会」色の強い明石康氏を据え、委員の一人にクーパー師が収まっている。趣意書を見れば旗幟は鮮明だった。「当時の本国政府の意向に反して自らの判断で通過ビザを発給し…」と、のっけから謳ってあったのだ。

続いて「人権がキーワードとなる二十一世紀…」「日本の『正』の遺産としての杉原千畝氏の人道精神…」「二〇〇八年オリンピック誘致をすすめる国際人権都市大阪…」などの文言が踊っている。この理念にそって、すでに今年八月に大阪で写真展が行われ、来る十二月には記念式典などの「国際イベーント」が開催されるであろうと予告している。予想したとおりの考えの筋道で、「日本の『負』の遺産」は「南京のレイプ」であり、杉原の行為はそれを贖っている、との認識、強調なのであろう。だが、在リトアニア代理公使は、「人権」のために身を張ったのだろうか。

この記念事業委員会が大阪で写真展を主催した八月は、岩波書店の『世界』九月号が松浦寛氏の杉原反政府論を掲げた月であり、同時に中国が南京大虐殺遭難同胞記念館で《「アウシュヴィッツ・南京」絵画展》を催した月であった。『世界』の論文は『捏造される杉原千畝像』と題されている。いまどき珍しい、冷戦後生き残りの左翼教条主義の典型である。が、「捏造」は、どっちか。飽きもせずに、「南京=ホロコースト」を繰りかえしているが、杉原像を諭ずる以前に、本当にこの等式が成り立つかどうかを「科学的に」検証するほうが先ではないのか。ちょうど良い時期だから、我々の『再審「南京大虐殺」』の一読を薦めておきたい。

私としては、フランスの有名なレジスタンス活動のヒーロー、アルフレッド・スムラーが、アウシュヴィッツから九死に一生を得て帰還したのちに書き記した言葉を思い出さずにいられない。独軍占領下、フランス共産党はソ連と手を結び、むしろレジスタンス戦士を弾圧していた。それが後になって「反ファシズム闘争」などと言い出したのは許しがたい、と。スムラー、いま世にありせぱ、こう言うであろう。《杉原千畝を今風の「人権」の守護神に仕立てたいなら、南京ではなくチベットでやれ》と。

杉原「反政府」英雄論を駁す

インターナショナリズムの名で運動するのはよい。杉原を看板に、明石氏が事務次長であった「国運」の名と、「人権」「大阪オリンピック」とを結びつける戦法も、まあ、いいとしよう。何やら奇妙な三題噺ではあるが。問題なのは、杉原を「日本の『正』の遺産」の象徴として祀りあげ、本来の日本の意志がどうであったかを葬ってしまっていいのかということである。そこには、いま、国民の誇りを泥まみれにしたまま中国と北朝鮮に膨大な援助を続ける我が国政府の姿勢と基本的に共通のものがありはしないか──私はこう問いたいのである。

つまり、日本の伝統の高貴を、したがって名誉を守ろうとする意志が感じられないということである。何かを、何らかの利害を守ろうとはしている。だが、それは全く別の何物かなのだ。

瀬島龍三氏を名誉会長とする同会経済懇話会が《ホロコーストからユダヤ人を救った日本》のテーマで第一回シンポジウムを東京で開いたのは、こうした状況のなかで特に意義深いものであった。懇話会が大きな社会的影響力をもった陸士出身の財界人連合であり、政府方針の伝達にかかわった生き証人をもそのなかに含むところから、日本陸軍の正当の声が初めて公然と挙げられるであろうことが期待され、結果はまさにそのようになった。この集いを取りまとめた懇話会の常任幹事、野地二見氏によれば、この会議において特に次の三点が確認された。

一、周知のごとく、有名な《五相会議》の決定は、これに先立って昭和上二年(一九三八)一月、関東軍司令部が提出した『対ユダヤ民族施策要領』によるところが大きい。この『要領』が規定した、対ユダヤ活動はユダヤ資本との迎合姿勢の厳禁と我が国本来の「民族協和、八紘一字ノ精神」に基づいて行わるべしとは、陸軍の主張の根本姿勢にほかならなかったものである。日独協定は防共協定であってユダヤ対応協定ではなかった。

二、右『要領』と、主に陸軍主導のユダヤ人対策委員会との活動に基づいて、同年十二月六日に近衛文庭内閣の《五相会議》が開かれ、ドイツとの盟邦関係にもかかわらずユダヤ人を極端に排斥することは「帝国ノ多年主張シ来ダレル人種平等ノ精神二合致セサル」ゆえにこれを止めよとの決定がなされた。即ち、歴史的な『ユダヤ人対策要綱』である。この決定をなさしめた主要人脈は、関東軍関係者と、陸士二十一期グループ、並びに安江仙私大佐の活動を支援した新発田連隊の将校団であった(庄司潤一郎パネリスト)。決定は、その翌日、訓令として外務省からただちに在外大公使館に、また陸海軍から全軍司令官に下達される。さらに翌昭和十四年二月、第七十四回議会において田淵勝次議員の質問に答えて有田八郎外相がその内容を確認して「ユダヤ人なるがゆえに入国を制限することはない」と明言している。ナチス・ドイツの猛威が吹き荒れるあの時期、建国の理念にもとづいて日本政府が、ドイツが如何なる迫害をアブラハムの子孫に加えようと、我は敢然と人種非差別の道を行くと宣言したことは、世界史上画期的なことと誇ってしかるべきもので、いささかも無視賭下されるべきことではない。

三、杉原千畝がリトアニアの在カウナス代理公便として着任するのは、『要綱』通達後八カ月目、昭和十四年八月二十八日のことで、そのときには外交官として当然その内容は熟知していた。押し寄せるユダヤ難民に対して、杉原ばかりでなく、非差別の原則に従って在欧の日本人公使たちはみなヴィザを発給したのである。杉原の苦悩と勇気は、ヴィザ発給の要件を満たさない難民に対して、どうこれを処理するかを外務省と応酬しつつ、これをも断固救済したことにあった。すでに戦時態勢下で食料も逼迫した当時の日本にとっては大量の難民を受け入れることは困難で、行く先が明瞭で日本を通過していく人にはヴィザ発給するが、難民として日本に在留する人には発給を差し止めるよう指示されていたことは事実で、日本政府の方針ならびに外務省訓令として、これはむしろ当然の処置というべきであろう。しかし、この点について正確な知識を欠くために、「日本政府はドイツと組んで全ユダヤ人にヴィザ発給を止めていた」とか、「杉原のヴィザ発給は全て彼個人の人道主義から出たものである」といった俗論が横行し、これを煽りつつ反日運動家が杉原を「反政府の英雄」に仕立てつつあると言わなければならない(白石仁章パネリスト)。

同会経済懇話会主催の会議結論は、ざっとかくのごときであった。

万事いまや明瞭ではなかろうか。日本が人種非差別を国是とする立場から対ユダヤ人政策をかくも明白に宣言したことを認めることは、杉原代理公使の更に敢然たる行為をいささかも低めることになるまい。いかにも彼は「諸国民のなかの義人賞」に値する英雄だった。だが、日本人でなかったら、そうふるまえなかったであろう。

この日本人であること、その誇り、その名誉を無視することで、現在の我が国の政治、外交は成り立っているかにみえる。反日諸勢力と奇妙にも野合して。「国際国家日本」、ああ!なにゆえスギハラは、日本は、あのような義挙に出られたのかと問うて、これを日本文化の伝統に求めたのは、ユダヤ人自身の側からだった。ヒレル・レヴィン博士は『千畝』を書いて乃木将軍、さらには赤穂義士の武士道へと潮り、ベン・アミ・シロニー博士は一連の卓抜な日本論で天皇の存在へと的を絞っている。このシロニー博士を中心とする五人のユダヤ人学者を迎えて東京の倫理研究所本部で国際シンポジウムが開かれたのは、これまた如何なる暗合か、右の同会経済懇話会の集いの日を挟んでのことだった。ただし、《ユダヤ教文化と神道文化の対話》と題されたこの会議のほうは、何ら政治性のない純粋に学術的なもので、深い究明を欠いた浅薄なユダヤ人論の横行するこんにち、必須の基礎研究ともいうべきものであったろう。私は懇話会冒頭の挨拶を終えてからこちらの会場へ掛けもちでパネリストとして飛んで帰ったのだが、日本はナチス・ドイツと全く立場を異にしているとのユダヤ人学者陣の共通認識に改めて深い感銘を受けた。内外反日勢力の怒号と何たる違いであろう。

期して我々は弾着を見守る

いかにも、「南京カード」から「杉原カード」へと、対日プレッシャーが奇妙な展開を見せはじめている。この拙文を纏めつつある折しも、十月、来日中の朱鎔基中国首相の相も変わらぬ「謝罪」要求の発言、さらには中学歴史教科書の次期検定への中国政府の干渉などが明らかとなり、これと並行して、事もあろうに現職の河野外務大臣自身の面妖なる表明がなされたごとき、それである。

同月十一日付朝日新聞によれば河野外相は、その前日、杉原千畝に対する戦後外務省の扱いが冷淡にすぎたことを遺族に詫び、「杉原氏は、外務省の指示に反して独断で約六千人のユダヤ人を救った」と言ったという。外相は、自らの先輩外交官たちの誇るべき対ユダヤ人非差別政策実施を知らないはずはないのだから、とすれば、なにゆえの、殊更なるこの自虐的発言であろう。「反日諸勢力との野合」と先に私が呼んだのは、まさにこれなのだ。

南京問題をめぐって私は何人かの政府と外務省の要人士会ってきた。そのなかの最大実力者の一人から、従来どおり沈黙を通しますと聞かされたときには本当に驚いた。「全米で南京虐殺を知っている人は五パーセントにすぎない。一年以内に噂は消えるだろう」というのである。私はこう答えた。「しかし、この五パーセントはマスコミでは一〇〇%なんですよ。そのために日本の主張は出版もできないのです!」

要するに、日本に、国の名誉を守ろうとする政治はないのであろうか。それが結局は我々の弱さなのだと、どれほどの国民がいま感じさせられていることか。だからこそ、これ以上黙っていてはなるまい。「反ファシズム」の名で結んだ共産主義中国と民主主義国アメリカの仮祝言にしても、どこまで関係が続くだろうか。この関係がいかにも強力であるとみせかけることで日本を永久断罪するうえにおいて、中国の南京作戦は成り立っている。

こう我々は見抜いたればこそ、真実の日本を守るとともに、アメリカ国民を覚醒せしめて、戦前と同じ日米分断の罠に陥らせてはならないとの思いから、今回の出版の断行に至ったのである。その意味で、翻訳に協力してくださった元在日米軍将校や米人教授たちの反応は興味深かった。ナンキンと聞くと当初は尻ごみした人々もあったが、テクストを一読するや、態度一変に至ったからである。そのなかの一人がこう手紙をくれたのがまことに心強かった。

「アイリス・チャンがどんなにでたらめか分かりました。アメリカの同胞も、これを読めばきっと意見が変わるでしょう…」

しかし、両断されてならないのは、何よりも我々日本人自身である。国滅びるときは分裂によって亡びる。それこそは日本を締めつける内外群狼集団の狙いなのだ。官民も離れてはならない。一年前、新規渡米赴任される柳井大使に会って、固くその手を握って私は言ったものだった。「武器なくして戦いはできません。我々がそれを──ドキュメントを作って応援いたします。思う存分戦ってください…」いま、その約束を果たす時が来た。反撃第一号の砲身を、幕末の会場のそれのように海上に向け、期して我々はその着弾を見守っている。

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