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解剖 チャイナスクール(6)

(産経新聞朝刊 2002/05/24)

【国家主権意識】対中なれ合いで希薄

ソ連邦解体前のロシアスクールは、チャイナスクールと好一対の特殊なムラだった。ともに巨大な全体主義国家を相手に、前者は「対抗」、後者は「対話」を基本路線にし、いがみ合った。一方が「中国に迎合し、中国の言いなりじゃないか」と言えば、他方は「ソ連を罵倒(ばとう)し続け、島(北方領土)の一つでも返ってきたか」と切り返す、といった調子だ。

両者の路線は、そのときどきの国際情勢に対応した政府の方針に基づいている。例えば、ソ連が解体した後、日本の対露外交は「対話」に転換、ロシアスクールは、チャンネルの開拓に努め、その過程で鈴木宗男氏の介入を招いた。

チャイナスクールにしても一九七二(昭和四十七)年九月の国交回復前は、中国敵視政策に従っていたが、今日批判されている「迎合」姿勢が顕著になったのは、日中の摩擦が相次いだ八〇年代以降のことだ。

国交回復後初代の駐中国大使を務めた故小川平四郎氏は四年余り在任、その間、難航した日中平和友好条約締結交渉を除けば、日中関係はほぼ平穏だった。それが八〇年代には歴史教科書、閣僚の靖国神社参拝、日台関係、防衛問題、閣僚らの発言などをめぐり、今日も絶えない中国側の圧力が始まる。

中国側の圧力には内政干渉じみたものまであったが、その都度、日本側は、謝罪や釈明をしたり、要求を受け入れたりすることを繰り返した。そこで問題は、摩擦の処理の多くに関与したチャイナスクールの役割だ。

ある中堅外交官はこう話す。「チャイナスクールは中国とのトラブル処理を繰り返すうちに、相手の受け入れる解決策は何かから発想するようになるようだ。迎合的になるのは当然だ」

つまり、日本の立場よりも、中国の立場を先に考えるというわけだ。これは何もチャイナスクールに限らない。

現在の阿南惟茂氏まで歴代十人の駐中国大使のうち、純粋なチャイナスクールは阿南氏と前任の谷野作太郎氏の二人だけ。畑の違う中江要介、国広道彦、佐藤嘉恭各氏ら中国大使経験者は退任して民間企業に就職した後も中国の肩を持つ発言を繰り返している。

チャイナスクールの特殊性は、仲間意識の強さにあるといわれる。これは中国側との接触に語学力を求められるために、キャリア組でも中国勤務を二度、三度と繰り返し接点が多いことによる。その結果、中国側との人的なつながりも深くなり、意思疎通や情報入手にプラスになる面がある。

北京の日本大使公邸ほど、中国側との接触の場に使われている公邸はあるまい。今春の全国人民代表大会期間中には、十数省の代表団を個別に食事に招いた。普段から中国政府高官の訪問も多く親しい関係になる。

在瀋陽日本総領事館の亡命者連行事件の後、日本側が頭を痛めたのは、唐家●(=王へんに旋)外相も王毅外務次官も外遊中だったことだ。阿南大使が二人とのパイプを生かせなかったからだが、国家主権がかかった今回のケースでは、人的関係に頼りすぎる危うさもあった。

瀋陽事件で暴露されたのは外交官の主権意識の希薄さや危機管理能力の欠如だった。総領事館は地元警備当局となれ合いの関係だったとの証言もある。中国側と友好的に付き合い、事を起こすことを嫌う習性がそこに見える。(中国総局長 伊藤正)=おわり

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