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解剖 チャイナスクール(5)

(産経新聞朝刊 2002/05/23)

【贖罪外交】空疎な「友好ごっこ」

北京の盧溝橋の中国人民抗日戦争記念館の一部は「日本軍暴行館」と呼ばれる。

暴行館は日清、日露の戦争から台湾併合、第一次、第二次両大戦まで日本の近代の対外軌跡をすべて「侵略と残虐」と定義づけ、どぎつい展示を飾りたてる。

「南京大虐殺三十万人」とか「日本軍将校百人斬り競争」など根拠の不明な記述のほかに、日本ではすでに虚偽と認定された「残虐」写真類までが並ぶ。

この時系列の展示の最終部分に村山富市氏がうつむいて筆を執る巨大なカラー写真が飾られている。一九九五年五月、現職の首相として初めて抗日戦争記念館を訪れた村山氏が展示をみたあと、「歴史を直視する」という揮毫(きごう)文を書く光景である。その村山氏のすぐ隣に胸をはって立つのが外務省チャイナスクールの槙田邦彦氏(現シンガポール大使)だった。

槙田氏は当時、外務省から出向し、村山首相の秘書官を務めていた。だがこの写真では胸をはる槙田氏と、うつむく村山氏と、いかにも対中外交のベテランの前者が素人の後者を導き、仕切るという構図がにじみ出ていた。

槙田氏はアジア大洋州局長として昨年春の李登輝氏訪日でウソまでついて首相らに造反し、中国の意を体する形で最後まで訪日に反対したことについて、橋本派の野中広務氏ら政治家の指示に従ってそうしたのだと示唆する。他のチャイナスクール外交官もよく「官僚だけで対中外交を動かせるはずがない」と述べる。

だが槙田氏が村山首相の対中贖罪(しょくざい)外交で果たした役割の軌跡をたどると、チャイナスクール官僚が政治家を親中、媚中の方向に導くことも少なくないという実態が浮かんでくる。チャイナスクールと政治家が中国への媚(こび)やへつらいの相乗効果を発揮しあうというケースが多いことも明白となる。

村山首相は九五年八月、日本が「遠くない過去、植民地支配と侵略によってアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えたことに心からのおわびを表明する」という談話を発表した。この談話は日本の近代の対外活動をすべて悪として否定するに等しく、「歴史の教訓を学び、未来を望む」という表現を使った点で中国の意向をそのまま反映していた。

だが槙田氏はこの村山談話の発表を自分の外務官僚としての輝ける実績として周囲に誇っている。いくら中国傾斜の旧社会党の村山氏とはいえ、チャイナスクール秘書官あっての対中叩頭外交の実行なのである。

だがこの種の媚中外交の決定的な欠陥は肝心の中国側からその趣旨を認められないことだろう。

謝れば中国側もそれに対応し、どぎつい日本叩(たた)きなどを抑えてくれるだろうという期待は空疎にすぎない。「日本はいまも過去の中国侵略をまったく認めず、謝罪を一切、拒んでいる」(中国政府の王雲翔サンフランシスコ総領事の四月二十二日の言明)と一蹴(いっしゅう)されるのだ。その点、村山談話は悲喜劇なのである。

槙田氏のようなチャイナスクールは結局、対中関係はまずなによりも「友好」ありきとし、摩擦や対立から目をそむけ、口を閉ざす。対立の現実があたかも存在しないかのようにふるまう点では彼らの対中態度は「友好ごっこ」に過ぎないのである。(前中国総局長 古森義久)

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