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解剖 チャイナスクール(4)

(産経新聞朝刊 2002/05/22)

【「媚中派」の原点】人事崩されトラウマ  

日中国交回復から二年目の一九七四(昭和四十九)年、在日中国大使館から外務省中国課の若き課員だった阿南惟茂氏のスピーチに対する抗議が突然、寄せられた。阿南氏は外務省に入って七年、チャイナスクールとしての前途洋々たる外交官の花道を歩み始めたところだった。

「中国での文化大革命をジャリ革命などと呼ぶ阿南氏の言辞は中国を侮辱しています。しかるべく措置をとることを求めます」

中国側の抗議はこんな趣旨だった。その少し前、阿南氏は九州での小さな会合で中国について講演をしていた。そのなかで評論家の大宅壮一氏が当時まだ造反の大旋風で中国全土を荒れ果てさせていた文化大革命を指し、紅衛兵が先頭に立つところから子供ばかりの「ジャリ革命」と呼んだのをまねして、そんな表現を使っていた。

だがこの講演会に中国大使館の関係者が出ていて、講演をテープにとり、日本の外務省への抗議の材料としたのだった。

外務省はこの抗議を事実上、受け入れ、間もなく北京の日本大使館の書記官として勤務することが内定していた阿南氏の人事をキャンセルしてしまった。国交樹立から間もない時期に、初めて北京に在勤になるという見通しに張り切っていた阿南氏にとっては意外な懲罰だった。当時の同氏は大変なショックを受け、しょげこんでしまったという。

この話は古い外交官たちの間では、チャイナスクールがなぜ中国におもねり、そのご機嫌を伺うようになるかを解き明かす一種の寓話(ぐうわ)として語り継がれてきた。同じチャイナスクールのなかでも阿南氏がとくに中国の機嫌を損なわないよう、中国への配慮を媚(こ)びるほどに重視する「媚中派」となってしまったかの説明だともいう。

中国の抗議をすべて受け入れる外務省も外務省である。だが中国がいやがることは決して述べず、さからわず、中国との対立や摩擦を起こすようなことはとにかく絶対に避けるという阿南氏の媚中傾向は、この往時の懲罰を受けた体験によって頭に植え込まれてしまった、というのだ。

だから昨年四月の台湾前総統、李登輝氏の訪日に先だって阿南氏が北京駐在の大使として本省に送り続けた訪日反対論が中国当局の意向をオウム返しにした内容だったのも、媚中という共通項で簡単に説明できることとなる。

「もし李登輝訪日が実現すると、中国が反発して、日中関係は十年分ほど後退してしまう」

「李登輝氏はすでにすませた英国訪問では政治的活動の自粛など英国政府への事前の約束を破ったので、訪日でも同様の違反が予測される」

外務省幹部らによると、阿南大使はこうした趣旨を本省に伝え、李氏の訪日を認めないよう熱心に進言していたという。当時の森喜朗首相やそのあとをついだ小泉純一郎首相がすでに訪日を認める意向を明らかにした後も、もう一人のチャイナスクールの媚中派の槙田邦彦アジア大洋州局長(当時)と外務省の組織内部でもほぼ唯一のタッグを組んでの反対の表明だった。

だが阿南大使のこうした李氏訪日反対の「理由」は中国当局の主張をそのまま忠実に繰り返すだけの内容にすぎず、客観性のある論拠とはならなかったことは、李氏訪日後の実際の日中関係の展開や中国自体の態度によって証明されてしまった。(前中国総局長 古森義久)

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