Make your own free website on Tripod.com

解剖 チャイナスクール(1)

(産経新聞朝刊 2002/05/19)

【独善意識】対中弱腰外交の元凶

職員の不祥事に加え、本業の外交でも失態を演じる外務省。

中国・瀋陽の亡命者連行事件で浮き彫りになったのは、長年にわたり日本のアジア、対中政策に大きな影響を与えてきた外務省内の中国専門家集団「チャイナスクール」の存在だ。

親中派議員ともつながって外務省内で主導権を握ろうとし、「対中弱腰外交の元凶」(自民党若手)といった批判も集めてきた。省内には英米、ロシア、フランスなど他の「スクール」も存在するが、排他性は突出している。

今回の事件で、中国が高飛車な態度に出る背景には、チャイナスクール主導のこれまでの外交の積み重ねがあるのではないか。

◇「いったい、どうなっているんだ」

阿南惟茂駐中国大使が北朝鮮の亡命希望者を「追い返せ」と発言していた問題が報道された十五日朝。外務省幹部会で、服部則夫外務報道官がアジア大洋州局の幹部を怒鳴りあげた。

亡命者連行事件に関する調査報告の公表後も、日替わりで新事実が相次いで発覚。そのたびにアジア大洋州局が追認、否定を繰り返すことへのいらだちで、服部氏も怒りを抑え切れなかった。調査のために現地へ飛んだ小野正昭領事移住部長の報告は、アジア大洋州局の中国課が精査し、公表内容について事実上の決定権を持っていた。

阿南氏は、昭和四十二年入省でチャイナスクールの重鎮の一人。一期下に槙田邦彦元アジア大洋州局長(現シンガポール大使)がいる。前任の谷野作太郎大使(現外務省参与)は三十五年入省で、阿南氏とは年次で七年の開きがある。

谷野氏の後任には同じチャイナスクールの池田維・駐オランダ大使(三十七年入省)の起用が固まっていたが、池田氏を飛び越えた逆転人事だった。阿南氏の抜擢(ばってき)にあたっては、阿南氏に近い橋本龍太郎元首相や野中広務元自民党幹事長らが当時の森喜朗首相に推薦した経緯があったとされる。

平成九年にアジア局長になった阿南氏は、北朝鮮による日本人拉致問題を否定するような発言で物議をかもしたこともある。民主党幹部は「拉致事件を否定、軽視するような、許しがたいウソを国民に言っていた」と指摘。今回の事件で阿南大使の証人喚問を求める場合には、その理由の一つに加える考えだ。

◇「文化大革命には胸躍るものがあった。やっていることすべてが輝いてみえた」

一九六六年(昭和四十一年)から七七年(五十二年)まで中国全土を席巻した文化大革命時代に入省し、中国で語学研修を受けたチャイナスクールの幹部は、中国への思い入れをこう語る。その時代に外交官としてスタートを切った彼ら“文革世代”に共通するキーワードは、閉鎖性ゆえの「独善意識」(外務省筋)だという指摘がある。

外務省で、入省後に受ける研修で専攻する語学ごとに作られるのが「スクール」。縦割りで各分野の専門家を育成するねらいだ。特に中国語やロシア語は、欧米関係の他のスクールに比べて専門性が高く、人事面で硬直的、閉鎖的になりやすいとの弊害が指摘されてきた。

専門家集団として政策面で断固とした主張を展開するが、それはともすると独善的な判断に傾きがちだ。

台湾の李登輝前総統への査証(ビザ)発給問題で、アジア大洋州局長だった槙田氏が当時の森首相や川島裕事務次官が発給を了承したにもかかわらず、その指示を無視して抵抗したのは典型的なケースだ。

日中国交正常化を成し遂げた交渉の苦労を語り継いできたチャイナスクール出身者らには「摩擦を極度に嫌う体質」(政府筋)があるといわれ、そこに「中国外交部との主従関係」を指摘される素地が生まれる。(外務省問題取材班)

Copyright(C)2002- 「日本専門」情報機関(日本の情報の収集と保存)