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「一つの中国」:原則と国際法

(「一つの中国」:原則と国際法)

6月5日付の人民日報は、「一つの中国」及び「台湾は中国の一部であること」を国際法の立場から論証しようとする「一つの中国の原則と国際法」と題する署名論文を発表した。よく論考された文章であるので、筆者のコメントを適宜交えながら、主な内容を紹介する。

1.「一つの中国」の国際法上の含意

国際法上、国家としての中国の地位は、領土、その領土に居住する人民、国家の内外事務を所掌する政府(筆者注:論文はさらに対内外主権を加える)という要素から決定される。

論文が指摘するとおり、この点で考慮されるのは二つの問題である。まず、国号の変化はその国家の国際法の地位に何らかの影響を与えるか、という点だ。この点につき論文は、「大清帝国」、「中華民国」、「中華人民共和国」というように国家の名称が変わることは中国という国際法主体の地位に影響を与えるものではないことを、他国の例や国際法学者・ケルゼンの指摘も加えながら結論づける(筆者注:論文の指摘は、国際法上も公認されている)。

国際法上今ひとつ考慮されるのは、国家の中で革命が起こって政府が変更される場合である。論文は、この場合もその国家の国際法上の地位は何らの影響も受けないことは国際法において肯定された原則であると、国際法学者・オッペンハイムや台湾の学者の著書をも引用しながら指摘する(筆者注:これも論文の指摘どおりで誤りはない。論文が正当に指摘するとおり、国際法的に結論として言えることは、中華人民共和国は新しい国家ではなく、元来からある中国の継続であり、国際法の主体としての国家・中国という存在は、国家の名称の変化及び政府の交替によって何らの影響も受けないということである。)

2.「台湾は中国の領土の一部」とする国際法上の根拠

(1)国際法上の根拠

19世紀末にいたるまで、中国の歴代政府は、台湾に対して有効な管轄を行っていたが、日清戦争の結果としての下関条約によって、日本は台湾を占領した。論文は、1937年に日本が中国に全面的な侵略戦争を発動したのに対し、中国政府は1941年12月9日の対日宣戦布告において、下関条約をふくむ中日間の全ての条約を廃棄する旨、世界に対して明らかにしたとし、これにより下関条約に基づく日本の台湾支配の根拠は失われたとする(筆者注:この解釈の妥当性については疑問がある)。

1943年に中米英3国はカイロ宣言を発表し、対日戦争の目的は「日本が盗取した満州、台湾、ホウコ諸島などの中国の領土を中華民国に帰属させることにある」(筆者注:中国語表現をそのまま訳している)と宣言した。論文は、同宣言は台湾の地位に関する国際法上の文件であり、法律的に日本が台湾を侵略占領したことの不法性を明らかにした、と説く。また論文は、1945年のポツダム宣言第8項も「カイロ宣言の条件は必ず実施されるべきだ」(筆者注:中国語のまま訳している)としているので、カイロ宣言の国際法上の拘束力については疑問の余地がないとも付け加えている(筆者注:カイロ宣言の英文版では、これらの領土について「返還されるべきだ(should be restored)」となっており、かつ、同宣言及びポツダム宣言が国際法上正式な法律的文件と言えるかどうかについても、論文が指摘するとおりか否かについては疑問が残る)。

(2)1945年以後の事態

論文が説得力を持つのは、特に以下の部分においてである。論文はまず、中国政府がカイロ宣言の規定に基づき1945年10月25日に正式に台湾、ホウコ諸島を接収し、台湾に対する主権行使を回復した事を明らかにする(筆者注:この行為に対して当時アメリカ以下各国は異論をとなえていない)。

また論文は、カイロ及びポツダム両宣言の当事国であるイギリス及びアメリカがとった行動を詳細に紹介する。まずイギリス政府に関しては、1949年11月21日に外務次官が、「カイロ宣言に基づき、中国当局は日本が投降した時に台湾に対する管轄を行い、それ以降一貫して管轄している」と述べたこと、また1951年4月11日に政府声明として、「台湾に関しては、政府は、カイロ宣言及びポツダム宣言の(台湾を中国に返還することを要求した)束縛を受けていると認識する」と述べたことが紹介されている。

論文は、アメリカ政府についてはもっと明確な発言があったとする。まず1950年1月5日にトルーマン大統領が「過去4年来、アメリカ及び他の同盟国は中国が台湾に対して主権を行使していることを承認している」と述べ、同日アチソン国務長官も、「中国人民はすでに台湾を4年間統治しており、アメリカその他いずれの同盟国もその権力及び占領に対して何らの疑問をもったこともない。台湾が中国の1省とされたとき、何人も法律上の疑義を提起したことはない」と述べた。同年2月には国務省も、台湾は1945年に日本が投降して以来中国によって管轄されており、「台湾はすでに中国の中で1省となった」とし、対日戦争に参加した同盟国がこれについて疑問を持っていないのは「明らかにカイロで行い、ポツダムで再確認したコミットメントに合致しているからである」、「換言すれば、アメリカをふくむ同盟国は、過去4年間台湾が中国の一部であると認識してきた」と指摘している(筆者注:英米両国責任者の上記発言は公知の事実である)。

(3)アメリカの態度変更と「未決」論

論文は、朝鮮戦争勃発以後、アメリカ政府が上記立場を突如としてひっくり返したと指摘する。即ちトルーマン大統領は、1950年6月27日に、「台湾の将来の地位の決定は、太平洋の安全が回復し、対日平和条約の署名または国連における考慮を待たなければならない」と述べた。しかも日本問題に関する諸々の国際約束に違反して、中国の出席を排除して1951年に勝手に対日平和条約を結び、カイロ及びポツダム宣言に違反して、日本に対して「台湾及びホウコ諸島に対する一切の権利…を放棄する」ことのみを要求した。

論文は、両宣言にいう「返還」と対日平和条約にある「放棄」との間には法律的にまったく異なる意味が含まれるとする。つまり、「放棄」という文言を使用したことによって、「台湾の地位は未定」という主張、「日本がこれらの地域を放棄したあとは、これらの地域は他のいかなる国家にも移譲されていない」など、台湾が中国の一部であることを否定しようとする様々な怪しげな主張を生み出す原因になったという(筆者注:この部分の論文の指摘はまったく正鵠を射ている)。

(4)その後の事態

論文は、台湾の地位は「未定」という問題は、1972年の日中国交正常化によってやっと真の解決が得られたと指摘している。即ち日中共同声明において、日本は台湾が中華人民共和国の不可分な一部であるという中国政府の立場を理解し、尊重し、ポツダム宣言第8項の立場を堅持するとした、という(筆者注:日中共同声明に関する論文の理解は、日本政府が維持している立場とは根本的に異なる。日本政府の国際法上の立場は、あくまでも対日平和条約で台湾などに対する領有権を放棄したということ、したがって台湾の帰属問題については日本は発言する立場にはない、というに尽きる。共同声明でポツダム宣言第8項に言及した趣旨は、同条項が、前にも述べたとおり、台湾を中国に「返還せらるべし(should be restored)としており、「返還される」と明確には述べていないことを、日本としては「遵守する」といっているに過ぎないという立場なのだ」。

論文はさらに、注目を要する論点を指摘している。カイロ宣言では満州、台湾及びホウコ諸島などの日本に「盗取」せられた領土を中国に返還するべきだといっており、台湾及びホウコ諸島と東北(満州)の法律上の地位には何の区別もないはずだ、としている点である。論文の趣旨は、「盗取」されたということは日本に不法行為があったということであり、国際法上、不法行為によって権利は取得できない以上、日本が敗戦後「盗取」した東北地方と同様、台湾やホウコ諸島を中国領土として中国に返還するのは当たり前のことであって、そもそも日本との間に「平和条約」を締結する必要はない、ということにある。

論文はこの点について、ルーズベルト大統領が1943年12月24日にカイロ宣言の原則に触れて、「これらの原則は簡単で基本的なものであり、盗んだ財産は本来の主人に返還することが含まれる」と述べたことを紹介する。また論文は、1950年1月5日にアチソン国務長官が、「我々は朝鮮問題で条約を待っているわけではない。千島問題で条約を待っているわけではない。…」と述べたことも紹介している。さらに論文は、第2次世界大戦が終結してから仏独間に平和条約が締結されるまでに7年かかったが、フランスが対独勝利後直ちに失地を回復したことについて何らの影響をも及ぼさなかったことも紹介している(筆者注:以上の論点は、筆者もこれまで気づかなかった点であり、中国側の主張・立場を強化する)。

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論文にはさらに「中国の主権と領土保全を分裂させることを許さない」という章が付いているが、国際法上の論点に絞ったこの小文では省略する。我々としては、細かい点ではこの論文にも難点があるが、台湾の領土的帰属という重要な国際法上の論点では強い説得力のある文章であることを確認しておきたい。

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