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史料紹介・米国の外交文書が語る日中国交正常化の舞台裏

(2002年9月1日)

黒崎輝

以下で紹介するのは、1972年7月26日にワシントンで行われた牛場信彦駐米大使とU・アレクシス・ジョンソン国務次官の会談の内容を報告するため、国務省が在日米大使館に打電した「最高機密」電文である。この文書が注目されるのは、7月7日に田中角栄を首班とする新内閣が発足し、日中国交正常化の気運が高まるなかで行われた7月22日の大平正芳外相と孫平化の会談や、田中訪中および日中国交正常化に関する当時の大平や外務省の考えについて、これまで知られていなかった貴重な事実を明らかにしているからである。従来の文献は、同年9月の田中訪中と日中国交正常化に至る経緯を論述する際に、日本の与野党関係者を通じた日中間の非正式接触ルートに焦点を合わせ、意外なほど日中政府間の初の公式会談となった大平・孫会談には関心を払ってこなかったのであるが、同文書は日中国交正常化交渉における同会談の意義や周外交を再評価する上で重要な史料となるように思われる。その要点をまとめると次のようになろう。

・上海舞劇団団長として7月10日に来日した孫平化は、周恩来からのメッセージを日本政府に伝えるという重要な使命を帯びていた。大平・孫会談で、孫が周恩来からの田中首相に対する正式の招請を伝えたことは周知の事実であるが、この周メッセージには実は、中国側の「復交三原則」に関する提案も含まれていた。

・大平・孫会談以前、中国側は、@中国はただ一つであり、中華人民協和国政府は中国人民を代表する唯一の合法政府である、A台湾は中国の一つの省であり、中国領土の不可分の一部であって、台湾問題は中国の内政問題である、B日台条約は不法であり、破棄されなければならない、という「復交三原則」を日中国交正常化の前提条件としており、これが日中間の大きな障害となっていたが、周メッセージは、日本側が「復交三原則」を受け入れることを国交正常化の前提条件とはしない、という中国側の意向を伝えるものであった。他方、こうした中国側の態度の変化から、大平外相は「復交三原則」を「棚上げ」にして国交正常化を進めることが可能であるとの感触を得ていた。

・大平・孫会談後、日本政府は国交正常化を進めるための態勢づくりに取りかかることを決定した。ただし、対中外交を日本政府内で取り仕切り、田中総理の助言者役を任されていた大平は、中国側の姿勢が大きく変化していることを認識しつつも、自民党内のコンセンサスづくりや同盟諸国との協議の必要上、日中国交正常化に向けた交渉を慎重に進めようとしていた。国交正常化のタイミングについて、田中が総選挙を行った後でも遅くはない、というのが大平の認識であった。

・周メッセージを受け、大平は「復交三原則」に関して、@日本は中華人民共和国を中国の唯一の正当な政府と認める、A台湾が中国の不可分の一部であるかという問題に関して、日本は北京の見解を「理解し、尊重する」、B日台条約は国交正常化の時点で失効するが、同条約が最初から無効であったとする中国側の主張は受け入れられない、という立場で中国との交渉を進める考えを持っていた。ちなみに、7月24日に開かれた自民党の日中国交正常化協議会の全体会議で、大平とともに同会議に出席した田中首相は「正常化を実現する機は熟した。中国側が提唱している平和五原則に異存はなく、復交三原則は理解できる」と国交正常化に取り組む決意を語っているが、そこには、そのような大平の考えが色濃く反映されていたと推察できよう。

ただし、ここで取り上げた文書は日本政府からの報告を米国側が記録したものであり、そこから汲み取れる情報は間接的かつ断片的である。しかし、2002年9月で田中訪中および日中国交正常化から30年が経過することになるが、日中両国政府の国交正常化への取り組みや外交を検証するために必要な日中両国側の一次資料にはいまだに大きな制約があり、同文書が明らかにしている情報は貴重である。また、そのような新しい情報を既知の事実と組み合わせることで、日中国交正常化をめぐる政治・外交過程について興味深い仮説を立てたり、田中首相のリーダーシップやいわゆる「竹入メモ」の意味合いを再評価することも可能であろう。その意味で、同文書の史料的価値は決して小さくなく、日中関係史研究の進展に少なからず寄与することができるのではないかと期待している。

[付記]

情報公開法に基づき、筆者は大平・孫会談に関する記録の開示を外務省に請求したが、2002年8月16日付で「不開示」の通知をもらった。「保有していない」ことが、その理由である。

主な参考文献

古川万太郎『日中戦後関係史』原書房、1988年。
田中明彦『日中関係 1945−1990』東京大学出版会、1991年。
林代昭(渡邊英雄訳)『戦後中日関係史』柏書房、1997年。

[史料(仮訳)]

1972年7月27日

国務長官、ワシントンDC 発
在日米大使館 宛
機密(Top Secret) 国務省136204

主題:日中関係:ニクソン・田中会議

1.7月26日、牛場日本大使がジョンソン国務次官を訪れた。中華人民共和国(PRC)との国交正常化に関して日本側の意図を報告することが主な目的であった。牛場は、田中内閣が発足して以来、日本に対する中国の態度が突然変化したことに特に言及し、同内閣が田中総理大臣による北京訪問や、ともすればPRCとの早期国交正常化にもつながる交渉を注意深く進めることを決定したところである、と述べた。

2.牛場は、大平および法眼*1ら外務省官吏との会談に基づいて説明を行い、対中関係に関しては大平がかなり掌握しているとの印象を与えた。牛場は手書きのメモの束から読み取りながら、日本政府指導部は中国政府との取引において最も考慮すべきは米日関係であると考えており、日本政府は相互安全保障条約の重要性を認識し、これに関する問題を中国と議論しないし、安全保障関係の有効性に影響を及ぼすような議論をさせることもない、と何度か強調した。

3.牛場は、7月22日に行われた大平と孫平化*2ならびに肖向前*3の会合に出席した法眼ら外務省官吏が次のように会合の様子を説明したと述べた。:孫は、周恩来から田中に宛てた、前提条件なしで田中の北京訪問を歓迎するという趣旨のメッセージを伝えるために特別に東京へ派遣された。孫が伝えたメッセージは以下のとおりである。:

A.周は北京を訪問するよう田中を招待し、そこにいる間、田中を困らせるようなことはしない。

B.PRCは日本に謝罪(apology)を要求せず、過去を忘れて、将来に目を向けたいと思う。

C.PRCは、以前中国政府が国交正常化交渉の前提条件として引き合いに出していた三原則を受け入れるよう日本に迫ることはしない。PRCは同原則を「当然」と考えている。しかしながら、それはある時点で解決されるべきものであると感じている。

4.こうした中国側の態度に基づいて、日本政府は、今や世論の強い圧力に応えて、国交正常化に向って進むことができるとの結論を下した。中国側の態度は国交正常化が実現するまでは中国の三原則が「棚上げ」されうることをおそらく意味している、と大平は感じている。もしそうならば、国交正常化はかなり急速に実現され得るだろう。国交正常化の時点で、台湾との外交関係が停止するのは当然である.しかし、大平は、二つの問題について中国側の意向をそれとなく探ることを慎重に望んでいる。それは、「台湾」の地位および日台平和条約である。もしPRCが、台湾は中国の不可分の一部であり、日台条約が最初から無効であったと認めるよう日本に迫れば、交渉は長引くだろう。

5.牛場は国務次官の質問に答えて、台湾を中国の不可分の一部として認める問題に関して、田中内閣の立場は前内閣と本質的に違っていないと述べた。牛場は前政権が「その方向を向いていた」ことを認めた。しかし、その趣旨のことをはっきりと言明はしなかっただろうと述べた。

6.続けて牛場は、招待に満足しているかと孫が尋ねたとき、大平は日本政府の慎重な取り組み姿勢を反映した仕方で応答したと述べた。周のメッセージに感謝しているが、返答を先送りにしたい、と大平は孫に述べた。大平はこうした議論を行うことで自分と田中が政治的命運に対する重大な危険を冒していることを中国側に思い起こさせ、まずは中国側への返答に関する彼の考えに自民党から了承を得て、同盟諸国と立場を確認したい、と述べた。大平は、8月12日に孫が北京に帰る前に彼と会う際に了承された立場を伝えるだろう。(牛場は、2回目の会合が早い時期に開催され、おそらく来週になると感じている。)それから、この立場に対する中国側の返答に基づいて、大平は田中に北京訪問を勧めるかどうかを決定するだろう。中国側は日本側の対応がよくないことに落胆の意を表明したが、大平は、日本側の返答は政府だけでなく、党にも承認された立場に基づかねばならないことを力説した。こうした取り組み態度をとることで大平は日本側の言質を与えることは一切しなかった、と牛場は述べた。しかしながら、大平は肖と在京中国貿易使節が意思疎通のルートとして利用されることを決めた。

7.牛場は、大平が彼との討議において前述の説明を確認したと述べた。大平は、周恩来が日本社会党の佐々木*4に対し、日本政府は自民党から了承を得、他の諸国と協議しなければならないので、日本が中国の招待に応じる際に時間をかけるのは当然であると述べたことから、中国側は日本側の慎重な態度を予想していた、と付け加えた。それ故に大平は、「詳細に立ち入ることなく」、周と田中の間の「何らかの暗黙の了解」によって中国政府との関係を確立することは可能かもしれない、と感じていた。

8.大平は牛場に述べたところによれば、以下が、三原則に関して日本政府が中国政府に申し出可能な最大限の立場に関する彼の考えである。

A.日本はPRCを中国の唯一の正当な政府と認める。

B.台湾が中国の不可分の一部であるかという問題に関して、日本は北京の見解を「理解し、尊重する(  understands and respects)」としかいえない。しかし、日本は中国の立場を公然と明示的に受け入れるこ とはできない。(牛場は「understands and respects」は日本声「take note」と同じことを意味すると主張 した。)

C.日本と台湾の平和条約は国交正常化の時点で失効するが、日本側は同条約が最初から無効であったとする中国側の主張を受け入れることはできない。

9.もし中国側が日本政府の立場を受け入れるなら、その後かなり早い時期に田中の北京訪問は行われるだろう、と大平は考えていた。会合の結果、国交正常化を発表し、日本の中華民国(GRC)承認を撤回する宣言が出され得ると日本側は考えるだろう。細部に及ぶ交渉において、様々な問題が結果として起こり、新しい平和条約を結ぶ段階に到達するまでにはいくらか時間がかかるかもしれないが、主な目的は達成されるだろう。しかしながら、もし中国側が三原則に関する日本側の立場を受け入れようとしないなら、大平は田中に訪問を勧めず、交渉は長引き、国交正常化は無期限に遅延するだろう。

10.大平は、とりわけ日本が安全保障条約の維持に関心を持っており、同条約に対して台湾が持つ重要性に中国が干渉することを許しはしないことを強調していた。牛場は、日本は中国が台湾を攻撃するとは考えていないと述べ、日本の意図を正しく解釈すれば、中国政府と国交正常化することによって、台湾防衛のために在日米軍を使用する可能性を閉ざすつもりは日本側にはない、と言えることに同意した。

11.日本が国交正常化後も台湾と非政府レベルの関係を続けたい、と大平は述べた。国交正常化後、外交関係が解消され、GRCとの平和条約が失効することは避けられないが、日本政府は長年にわたる「台湾との商業・文化関係」の継続を確保しなければならならず、台湾で不必要な混乱があってはならない。直接的な政府間の結びつきはありえないかもしれず、それ故に直接的な政府借款は停止されるだろう。しかし、日本政府は台湾に対して販売を行う日本企業に対する輸出入銀行融資を継続し、日本企業による通常の商業慣行を維持する方針を明確にするつもりである。牛場は諸国際通貨機関におけるGRCの地位に関する国務次官の質問に答え、日本は台湾の加盟国としての地位を引き続き支持すると思うと述べた。

12.牛場は、日本の取り組み姿勢の慎重な性格や、中国が扱いにくいとわかれば、田中が北京から何も合意も持たずに帰ってくる可能性を改めて強調した。牛場は、田中が総選挙を施行するまで、北京との国交正常化は必要ないと大平や橋本*5自民党幹事長は感じている、と述べた。世論調査は、日本国民が慎重な取り組み姿勢を圧倒的に支持しており、選挙目的には見せかけの活動で十分であることを示している。日本に対する中国の態度が突然変化したのは、日本の交渉上の立場の強さを証明していることに牛場は同意し、中国が日本に関心を持つ理由の1つは、中国側が経済成長を直ちに改善する必要を認識し、日本が技術と資本の主な供給源とならねばならないことを認識したからである、と日本政府関係者は感じていると述べた。

13.中国側の接近に関して提案されている日本側の立場や方法に対する受け止め方を牛場が尋ねた際、国務次官は、日本側のやり方が非常に整然としていることに米国側は喜んでおり、満足していると述べた。国務次官は、米国の取り組み姿勢の法的基礎に関して最近行われたインガソル*6と法眼のやりとりを牛場に思い起こさせ、我々が法的考慮ではなく、政治的考慮に基づいて北京に申し入れを行ったことを強調した。

14.中国、経済諸問題、そして日米両国の安全保障上の結びつきが大統領と総理大臣のホノルルでの会議の主な議題になることに合意した上で、国務次官は、日本側が貿易諸問題に関して、大統領を大いに助けるような、劇的な発表を行うことに希望を表明した。牛場は、田中が閣議でいつでも個人的に関与する意思を述べて以来、日本が進む方向ははっきりしているが、これが具体的な数字にいかに反映されるかははっきりしていない、と答えた。牛場は、ホノルルで貿易に関して詳細な交渉を行う意図が米国政府にあるのか熱心に問い質し、田中は諸閣僚を彼と大平から離れずに列席させることを希望していると述べた。国務次官は、我々は貿易交渉を考えていないと述べ、劇的な日本側の発表の必要を繰り返し述べた。

15.牛場は、ホノルル会議とは関係なく、田中が日本の新総理大臣の「ルーティン」である、ワシントンへの公式訪問を行いたいと考えており、ホノルルで天皇訪米の日取りを確定したがっている、と述べた。国務次官は言質を与えなかった。

16.牛場は日本の国内政治に関する短い報告において、田中はよいスタートを切り、政府は日本国民の大多数の支持を享受している、と述べた。総理大臣は今年中に選挙を行う意思はないと言っているが、一旦国会が予算会期のために開会したら、彼は少なくとも4月まで待たなければならないので、1月の通常国会会期前に選挙を施行するだろう、と牛場は述べた。ただ、福田*7は自民党選挙の第一回投票時に立候補するとの約束を中曽根*8が破ったことに怒っている。というのは、その結果、第一回投票で田中が優勢になり、勢いを得たと福田は感じているからである。三木*9は事実上、政府活動の中心から排除されており、中国側が権力を持たない旧友とはもはや話をしたいとも思わないという事実の最たる犠牲者である。ホノルル会議にちょうどよい時に外務省では東郷*10が安川*11に代わって外務審議官となり、北京との交渉の事務レベルの責任を持つことになろう。牛場は最後にインガソル大使を大いに称揚した。 ロジャーズ*12

Deptel 136204, SecState to Tokyo, “Japan/PRC Relations: Nixon/Tanaka Meeting,” July 27, 1972, JAPAN June 13, 1972 -, Box 102, Country Files - Far East, Henry A. Kissinger Office Files, National Security Files, Nixon Presidential Materials, National Archives at College Park, Maryland.

訳者註

*1 法眼晋作。外務事務次官。
*2 中日友好協会秘書長。
*3 備忘録貿易弁事処駐東京弁事処前代表。
*4 佐々木更三。元社会党委員長。
*5 橋本登美三郎。
*6 ロバート・S・インガソル駐日米大使。
*7 福田赳夫。
*8 中曽根康弘。通産相。
*9 三木武夫。
*10 東郷文彦。1972年8月15日から外務審議官(1974年2月19日まで)。
*11 安川壮。1972年4月14日まで外務審議官。
*12 ウィリアム・ロジャーズ国務長官。

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