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米機密文書詳報3

(産経新聞朝刊 2002年5月2日)

中国スパイ網の実像

▽五三年三月十七日、在日米軍第四四一防諜部隊所属、ロバート・ガンビーノ特務員報告書

日本国内にH2機関と呼ばれる中国の対日工作網が設置された。

H2機関はソ連情報機関の指導で設立された革命闘争前線委員会の支配下にあり、H2機関本部は香港に存在する。

香港本部トップは李平凡だ。H2機関は日本国内に六つの支部を持ち、活動目的は米軍などに関する情報収集とともに「中日合作指導部」を通じた日本共産党への指導と監視にある。

同指導部は五〇年ごろに設置されたとみられる。

▽在日米軍第四四一防諜部隊佐世保支部所属、ジョン・マゾーラ特務員報告書

中国対日工作グループについて次のような情報がI58によってもたらされた。

このグループは中国からの帰還者で作られたもので「一〇一機関」、あるいは「中共帰国者情報機関」と呼ばれている。最上部組織は「中共政治華東局」で、その下に「対日人民工作軍政人員訓練団」が設けられた。

訓練所は旅順・大連地区▽広東地区▽天津地区の三カ所に設置され、旅順・大連地区にはさらに東京担当、北九州担当、武器密輸担当の三グループがある。

東京地区グループのリーダーは陳で、北九州地区は周だが、二人とも北京大出身の中国人でありながら中国からの帰還者第二陣に紛れて五三年に日本に潜入した。

任務は日本におけるスパイ活動のほか日本共産党員に資金と武器を提供し革命を奨励することにある。

一九五四年二月後半、周は長崎県平戸市周辺に二千丁の拳銃を密輸しようとして失敗している。近く中国紅十字総会の代表と中国新民主主義青年団の廖承志が友好を理由に当地を訪問するが、目的は日共党員との連絡とみられる。

▽六七年八月二十六日、在日米軍第七〇四情報部隊所属、ウィリアム・ルビー特務員報告書

日中友好協会にいる米側情報源によると、LT貿易(日中間の準政府協定に基づく貿易)に従事するS(報告書では中国名)は一九六七年四月、中国に呼び戻され、元日共メンバーの組織化失敗を強く叱責(しっせき)された。

このため失脚が予想されたが、対日工作に戦術的変更があり、Sが再び反日共グループ組織化の責任者として派遣されることになった。

新戦術は次の通り。

(1)「毛沢東思想の研究」出版をこれまでの「毛沢東思想研究会」ではなく新たにつくる「合同産業会社」に委ねる。さらに販売は「日本出版販売会社」で行う

(2)「毛沢東思想研究会」の元日共中央委メンバー、N(報告書では実名)を運営資金不正流用の疑いで左遷する。代わりに元日共メンバーで親中派のHらを任命する

(3)新日本共産党の旗揚げを準備し、初代党首には西園寺公一を迎える

(4)すべての親中派メンバーは日共の戦術を見習いそれぞれの組織にとどまって日共分子追放を目指す−など。

▽六八年四月、在日米軍第七〇四情報部隊所属、デビッド・トヤマ特務員報告書

六八年一月から三月にかけて入手された情報によると、中華料理店「A(報告書は実名)飯店」を中心にした中国スパイ網は、日本の警視庁が青島グループと呼んで監視するグループと重なり、さらに「チェン・グループ」の活動にも深くかかわっていることがわかった。

A飯店は山東省出身のS(報告書は中国名)が経営しており、Sは第二次大戦中、青島で三井物産に雇われていた経緯がある。しかし、その後、Sは四八年から四九年にかけて日本に密航した中国スパイとわかった。Sは違法に外国人登録を行った。

この情報を裏付けたのは(佐藤訪米やプエブロ号事件で情報収集を行ったチェン・グループ一員で米側スパイでもある)RU12で、別の報告書で「チェン・グループ」関西方面責任者とされた同志社大のT(報告書は日本名)教授はこの報告書にも登場している。

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