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戦後日本の恐るべき真実・日本亡国の大陰謀  スターリン命令と松本治一郎

(スターリン命令と松本治一郎(3))

第三章 社会の奥底を探る

3−1.学校に日章旗を掲げる

スターリンの命令に沿ってその後どういうふうにしたか。

先ず教育改革ですね。つまり教育基本法というのができましてね。徹底的に皇祖皇宗を駄目にする。つまり日本精神を破壊するというのはこれに盛られているんですよ。各学校に共産主義を入れて、先生をメロメロにする。

私のせがれが中学校のときなんだ。私はPTAの副会長になったんです。つまり、日教組があんなんだから、PTAの前任の人たちが

「末安さん、あなたがPTAの役員になると、日教組の先生に抑えがきくから、どうしても役員を受けてくれ」

ということでした。

息子は学校へ入ったことだし、それじゃってお受けしたんですよ。3回に1回顔を出す、それでもいいって言うんです。

それで、PTAの役員になったはじめての仕事として、

「校長先生。今度の運動会に国旗掲揚台がある。あれに国旗をあげましょう」と。

その頃は国旗は絶対にあげてはならんのですが、そういって提案したんです。

そしたら職員にその話が伝わって3回会議があったんですよ。校長、教頭、それから生え抜きの日教組の先生、あとはみんな女の先生やら年配の先生だ。

国旗掲揚はいっさいならんと。それを私はどうしても折尾中学校はこの運動会から国旗を掲揚すると主張したんです。

そのときに、大田という強烈な反対者がいて徹底的に議論しました。この人の叔父は中尉で戦死しまして大尉なんです。文武両道に優れた男なんです。それが甥は日教組の精鋭じゃないか、

「大田先生。叔父さんは大田仁太郎さん?」

「はい。私の叔父でございます」

「私と小学校一緒だった。一つ上だったけど一緒のようなものだ。靖国神社のあんたの叔父さんやら先祖が泣いているよ」

と、先生の前で激しく言ったんです。そしてら急におとなしゅうなって、シーンとなったんですよ。

その光景を見て

「校長、国旗掲揚にきめましたよ。決定。解散」

ってやったんです。

そして運動会の当日、私は約1時間前に学校に行った。そしたら私より一足先に校長が掲揚台の下で国旗を持っているんです。二人でこうあげましたな。そしたらそれから先生、父兄が来た。生徒も来て

「あ、国旗があがっている」と。

このことから北九州の中学校のあちこちで、国旗掲揚が始まったんです。私はいいことをしたなと思いましたよ。

日本の日の丸は大宇宙の実相を宇宙生命の根源、真理を描いているのです。国家のシンボルとしてだけではなく、立派な意味があるのです。

3−2.リクルートと事件のうら

それでちょっと話は変わりますが、リクルートの問題を。質問が出なかったから。

リクルートは連中の仕掛けなんですよ。いいですか。

中曾根さんが305議席までとったでしょう。あれが310になったら憲法改正になるんですよ。それをさせたらいかんということでうまく江副を使って・・江副は社会党の連中と通じているから。

そしてダーッと、僅か1千万か2千万の株を自民党から公明党から社会党から、そして新聞社の重役から、ありとあらゆる分野の名士に配分した。

中曾根政権が崩壊したのは江副からです。そこをいよいよ桧舞台で楢崎弥之助が爆弾宣言して、とうとう潰れたでしょう。江副をうまく操った男が、松本治一郎の二女の婿、楢崎弥之助です。私はそう観ています。

3−3.太宰府天満宮の秘密

それから私は終戦直後に、日本の神様に関して、重大な事を感じたのです。

福岡に菅原道真の太宰府天満宮があるでしょう。あそこの前の宮司さんは西高辻信貞さんといって、私と同じ年なんですよ。あの人は慶應を出て、伊勢の皇学館を出て、そして菅原道真の直系ときている名門です。

ところが戦後ロックフェラーが天満宮の顧問になったんです。それで宮司をアメリカに呼んだんです。宮司がアメリカから帰ってきて、そのときに地元の神社の宮司が何と言っていたかというと、

「やっぱり偉いものだ。天満宮はロックフェラーが顧問になっている」と。

そのとき私は松本治一郎とスターリンの関係を知っているから、ピーンときたんです。

ソ連からもアメリカのロックフェラーからも、日本の神様は滅ぼされようとしている。これはエラいことになったなあと。

天満宮は学問の神様といってもてはやされているが、前の宮司の西高辻信貞さんは金に弱いんです。それから女と酒に弱い。三拍子揃っている。この三つをうまく使って、ロックフェラーは何を彼に植えつけたかというと。

「あんたのところは学問の神様と徹底的に契約しなさい」

という悪知恵をさずけたわけです。

だから今では天満宮は学問の神様。学業の神様と崇められている。神様のいちばんのポイントは徳育ですよ。だから菅原道真によって、日本の神様は浮いてしまったんです。神様というのは徳なんです。道徳の起源が神様なんです。あらゆるものの正気が神様なんですね。

それを一帰化人、菅原道真を学問の神様というから日本の本来の神様は浮いてしまった。

ですからこの前も湯島天神を航空撮影でHNKがパーッとやってるんですよ。東大の横に学問の神様の森があると。10万人の人出があったとそういって報道しているんです。NHKまでが学問の神様と徹底的に報じている。

神様の本分は学問じゃないんですよ。徳育ですよ。ですから私は歴代の天皇様はみんな神様だと。昭和天皇様はもう神様としたら最高なんです。近年において、あの方ほど徳をもたれた方はいないんですよ。

3−4.世間は吾が有、衆生は吾が子

つまり、世の中の出来事は全て自分の責任である。生きとし生ける者は全て自分の子供であるという、天地宇宙の心を自分の心とされた尊い人です。こんな心をもった政治家が、今の日本にいるでしょうか。

ところが菅原道真、あの人は帰化人系ですから。朝鮮から来た文化人の子供なんです。あの人の父上は文化人としてみえたんです。そして大阪の貴族となった。

それまでの仁徳天皇は大阪の御所だったのが奈良に移り、大津に移って京都御所ができた。そのころ大阪は商業の町として税金を納めるほうなんです。

そこに菅原道真の先祖が文化人として迎えられたんです。昔の文化人というのは詩を作ったんです。読み書きをやったんです。あるいは技術を持っているのはみんな文化人です。

そして天皇家からの命令で大阪の貴族のお嫁さんをもらった。その子供が菅原道真です。彼は頭がよく、サーッと彗星のごとく現れて、右大臣まで出世したわけなんです。

だから浪速の人は浪速から出た道真公によって、また将来、遷都して、大阪に帰ってくるんじゃないかと、そういう楽しみを持っていた。それを藤原家が、祀り行事に菅原と藤原じゃうまくないからといって、彼を太宰府の鎮守府に左遷したわけです。

そういうわけで期待していた大阪の人たちは裏切られた。それじゃなくても税金を納める方だから、京都に対する反感というものは強いわけです。

そこへ期待した菅原道真が左遷されてきた。松明でお出迎えしたんですね。それがいまの大阪の夏祭の始めなんです。こうして大阪でお迎えして、それから太宰府にめざして行くのに3年かかったんですよ。

行くところ、行くところにすべてのお料理を出して歓待するわけなんです。人々は娘さんを提供したり、奥さんを提供したりして何不自由なく太宰府まで下って行かれた。毎日入れ代わり女性に恵まれて。

その間にいちばんナニしたのは、山口県に長府ってあるでしょう。長府天満宮。あのいまの宮司は菅原道真の直系なんです。あそこに子孫が残って長府天満宮と。そういうふうにして太宰府に下ってきた。ちょうど梅の種を持ってきたから植えたのが飛び梅になったわけなんですよ。

ところが、それよりもっと怖いことは、彼が京都を追われて西に向かった途端に、京都のあちこちから火が出たんです。放火ですよ。これは日本史における放火の第1号。そのために放火した連中が、菅原道真の崇りといってバーッとフイてまわったんです。だから時の天皇は菅原道真は神様だなどいって恐れた。神様に祭れという勅命を受けて、それから天神様として祭られたわけです。

我が国の宣伝の第1号が大阪人の天満宮なんです。宣伝法のスタートは菅原道真に起源し、そして宣伝の元祖は大阪なんです。

さっきのロックフェラー・・日本占領には、軍人、政治家、法律関係者やら経済関係者がみんな来ましたよ。ところがどっこいロックフェラーのそういう大きな思惑は誰も知らない。おおらかにうまーく。日本人を、だれ気付かぬ深みから、少しずつ崩していく。宣伝の名人です。

だから大阪の宣伝元祖はユダヤに匹敵するんです。拝金主義のユダヤも共産主義者も、日本の神さまが一番いやなわけです。

(参考)天満宮とロックフェラーの問題については、馬野周二博士の「秀真伝講解 巻二 古代史の謎<53> 菅原道真とロックフェラー(頒布No.2-026)」もご参照下さい。

3−5.社会党綱領の造作者

この間まで生きていた向坂逸郎さんという、九大の学者がいたでしょう。あの人が社会党左派の綱領を作ったわけです。

歴代の社会党の委員長はみんなその綱領にしたがったんです。憲法改正とか。その中に土井たか子やらいまの委員長あたりが、その頃の優等生でいま出てきているわけなんです。

スターリンのこの『命令』を日本に適用する細かい具体策を作ったのは向坂氏です。これはひどい。世界一のマルクス文献を持っている男。本人はもう死んでいないけどね。この人の思想は今でも立派に生きていますよ。

今日怪しげな動きをする政治家たち、かれらのバイブルはこれです。だから自分たちは右派だ左派だというが、いまの社会党は左派も右派もないんですよ。みんな左派なんですよ。社会党のもともとの右派は民社党なんです。

3−6.新自由クラブと社民連

何度も申し上げますが、いまの社会党は左派も右派もないんですよ。みんな左派なんですよ。右派は民社党なんです。民社党はどんどん選挙ごとに減っている。

さらに塚本がリクルートで政治生命を捨てたわけです。そのあとにいまの大内がかわりに出たわけです。社民連はもう大攻勢。だから細川総理は楢崎弥之助に勲一等旭日瑞宝章を渡したんです。そして左派の土井たか子は衆議院議長でしょう。

だから田英夫さん気分が悪いですよ。本物は田さんとあとわずか。楢崎は松本治一郎の二番目の娘婿なんですよ。

その楢崎は頭も切れるし弁が立つでしょう。だから社会党の中でやるよりも、別行動隊としてやった方がいいわけです。だが、社会党はもう社民連を用済にした。捨てたんですな。その後の社会党のグラグラしたダラケさ加減を見ればすべては良くわかるというものです。

ところが自民党を脱退した山口敏夫、それから以前の新自由クラブ、あの5人もこれと同じようなことでかつて別行動をとったけれども、腰のない人ばっかりだからいつのまにかまた昔の自民党に復帰したでしょう。

田川誠一だけが残ったでしょう。だから田川誠一が本物です。あとはみんな出たり入ったり。そしてまた出たり。

だけどあの社民連の5人衆が民社党を完全に崩壊にもっていったんだから、この功績は大きいですよ。だからいまの社会党の中で、恰好よく「私は右派でございます」と。そうじゃない。みんな社会主義者だ。いまさら右派とか何とか気のきいたことを言うが、みんな向坂綱領のいう通りに動いているんです。

でも田さんは本物です。だから社会党を離れた。私は田さんの気持ちが10年前からよく分かっていた。田さんともあろう人が、なんで楢崎弥之助、江田五月あたりと行動を共にするのか・・・。やっと今になって、利用されていることに気がついたのだが、そのときはもうすでに遅いわけ。やっとこれで彼らと手を切る、んじゃなくて放り出されたのです。

こういう例が面白いことには、社会党にもう一人いるんですよ。亡くなった伊藤卯四郎さん、この人は西尾末広氏と一緒に民社党を作った人です。

いわゆる社会主義運動の労働組合の発祥地は八幡製鉄所なんでしすよ。製鉄所の労働組合なんですよ。浅原健三が始めてストやったでしょう。溶鉱炉の火は消えたりってね。あの浅原健三がね。

3−7.九州政界と八幡製鉄

浅原健三というのはもともと職工なんです。あの頃、八幡製鉄(現新日本製鐵)は官営でしょう。ですから全体的にのんびりしていて、昼休みになると卑猥な話ばっかりするんです。ところが面白いことに上の人の悪口をいうことは、軍隊でも同じやけど、話が合うわけだ。

その中心が浅原やった。それがだんだんと広がってとうとうストライキをやった。八幡製鉄所はそれまで官営でのんびりしたところがあったわけだが、あのストライキで目がさめた。

それで製鉄は守衛にちから入れたんです。コレが限定法なんです。つまり守衛、これに絶対的な権力を与えたんです。そして労働組合をちゃんと抑えたんです。守衛さんに就職を斡旋する権利を与えた。それでそのころからこの守衛さんが毎年の就職に力を持ち守衛が紹介するとだいたい人事課はOKなんです。

そうすると、その人たちが選挙のとき「あの人いいよ」と言ったら100%聞くわけです。そういうふうで守衛に偉大な力を与えた。復員軍人、兵役を終えた将校だとか曹長だとか軍曹とか、海軍のいいとこなどが、帰ってくるでしょう。そうすると守衛になる。製鉄の守衛はみんな軍人上がり。だから非常に迫力あるわけ。抑えがきくわけです。

これが何万の職工たちをグッと握った。そして製鉄は溶鉱炉に火を止めるなというちゃんとした管理法を作った。職工(労組)に入る人は、守衛さんやらその他の紹介者が入れる。東大出とか専門学校を出た人は中央で人事をきめるわけです。これは日本の企業でいちばん充実した労務管理だった。これを真似したのが大手の各企業です。

そんなことで身許のはっきりした人が入りますね。ところがいつのまにか八幡製鉄の浅原健三に選挙の票が入るようになった。そこで浅原勢力に対抗するために亀井さんといって神奈川県から大学の先生をよんだわけだ。この人が民社党のはしりなんです。

この人と浅原健三とはものが違うために格差をもって浅原が落ちて、亀井氏が当選した。そのときの一人の弟子が伊藤卯四郎さんだ。この伊藤さんは終戦後一貫して製鉄の、いわゆる左派を除いた票をガチッと握ってトップ当選をいつもやっていた人です。

ところがこの伊藤さんの同じ選挙区の戸畑市に、明治鉱業の松本七郎さんという慶應出の大学教授がいた。この人は、世は猫も杓子も社会党の時代だから、戦後の最初のインテリとして社会党を希望したんです。

この人が松本治一郎のところに、いちばんに行った。松本治一郎がヒョイと見たら、相手は松本七郎でしょう。

「ははあ、こいつうまいこと社会党から出て、当選したら自民党に鞍替えする」

と思って松本治一郎が断ったんですよ。

だから七郎さんは、行き場がないから同じ選挙区の八幡の伊藤卯四郎さんのところに尋ねて行った。それが12月の暮。そのときにちょうど、たまたま伊藤さんがおられたんです。

3−8.当選者を横取りする

そして中央で西尾末広、片山哲。地元の伊藤さんの力で松本七郎さんの公認を取った。そしたら松本七郎は伊藤さんの次の得票で当選したんですよ。

伊藤さんは製鉄の票と、それから炭鉱に強い票を持っていた。それと、酒屋のおやじとか、一般の商売人がいるでしょう。この人たちに伊藤さんは人気があったわけです。そういう個人的な人気と、それから製鉄、そういう方面と関連企業。そういったキチッとした基盤があるわけなのです。

だからどんなものが隣にこようが、同じ選挙区でこようが、微動だもせんという見通しをつけておられた。同じ選挙区に、一方は小学校しか出てないけれども、労働組合で芯からたたき上げた真の労働者、働く者の味方、製鉄の方の指示をも受けているのが、左派の浅原健三。

しかし浅原健三はもう落選して、今度はあとがまに青野武一、ところがこの青野武一先生が、初めて当選して・・・ちょうど私が松本治一郎に会った後ですよ。東京でタクシーの運転手を殴ったんですよ。それで青野はパー。「この野郎」ってポーンと殴った。それが新聞にでて次の選挙で落選したんです。

その後、製鉄の票は減るけれども、他の票で当選できるということを伊藤さんがちゃんと計算に入れてたから、松本さんの公認を取ってあげたんです。

そして当選したでしょう。そしたらこんどは松本治一郎が、同じ松本姓でしょう。これはいいわということで自分の側近に入れたんですよ。だからいつのまにか、松本七郎さんはこんどは伊藤卯四郎さんの敵になったわけです。同じ社会党だけどこっちは左派だから。左派の系統やから。こっちは右派の系統やから。ウマが合わないんだから。将来別れたけれど。

そしてその後の票の戦いは、こんどは伊藤さんとの直接対決になったんです。それで伊藤さんの奥さんが言うんですよ。

「まあ末安さん聞いてください。私は松本七郎が、先生一つお願いしますといってきましたから、私は寒い中、市場に肉を買いにいって、野菜と肉と豆腐をいっぱい買ってきて、そして鍋を囲んですきやきをしながら、初対面で、これからの社会党はあなたのような毛並みのいい、教養のあるといって、お互いに意気投合して一杯飲んだのは、うちのここですよ」と。

その七郎が当選したら松本治一郎の子分になったというんですね。それで奥さんがムクれるんですよ。

そして彼は国際局長までなったんです。だが、それから上がらない。弥之助とウマが合わない。年齢が同じぐらいだから。それであの人はとうとう社会党の中におって、継子扱いされて、選挙には8回か10回ぐらい当選したんじゃないですか。

二期三期は非常によかったが、だんだん今度は弥之助とライバルになった。そして首脳部から外されましてね。それだからといっていまさら自民党から出馬するわけにもいかんし。

私は末路のころ七郎さんと会いましてね。元気がなかったですね。顔色も悪くて。利用されるだけ利用されたんです。

あの人は民社党のときに伊藤さんと一緒に出馬すればよかったんですが、松本治一郎が離さないんです。その時点までは側近だった。本来ならば伊藤さんが民社党を作られたときに一緒に民社党にいくべきなんです。そういったところで、七郎さんの人間性が失われたわけ。

そしてとうとう末路哀れやったですね。松本治一郎からも捨てられ、弥之助あたりからも捨てられて。本来だったら順調にいったら書記長になる人なんですよ。委員長になる人なんです。それがとうとう中途半端で哀れな末路やったですね。

この弥之助にうまーく利用されて追い出された。松本七郎、田英夫、みんな毛並みがいいし、一般のウケがいい。田さんは男爵ですからね。なんであの人が社会党から出なければならんのか、それは社会党のイメージをよくするためです。

お坊ちゃんだから利用される。議会の楢崎は、爆弾男でしょう。そういう異名を取っている。だが、彼は心ではなく、頭からものを見ている。だから人は高く評価しているけれども、弥之助がいちばん困るのがこの論文ですよ。

おわりに

この論文の真実を知っている者は、国会議員では楢崎弥之助氏、ただ一人しか残っていません。勲一等旭日章の楢崎代議士の革命的野望を封じるため、恐るべき真実を国民に訴えるのがこの対談の目的です。

終わり

末安(すえやす)宏國
日本を良くする会(『輝神』発行)主幹

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