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戦後日本の恐るべき真実・日本亡国の大陰謀  スターリン命令と松本治一郎

(「輝神」 平成13年1月1日号)

馬野 周二

スターリン命令と松本治一郎(解説)

末安証言の極重要性

辱知じょくち末安宏國氏に初めて面晤めんごしたのは5年前の日本協会の会合においてであった。そのとき私は前会長故西村旺城氏の依頼で講演したが、話ののち数名の有志が立ち、おのがじじの発言があった。それらはすべて忘却したが、ただ一人、和装、美髯の紳士の話は痛切に私の興味を引いた。

それは松本治一郎とスターリンの会談に関する件であった。戦後間もないころ末安氏は松本(当時参議院副議長)と図らずも邂逅かいこうし、じつに重大極まる話を聞いたというのである。末安談話は短いものではあったが、それは私の頭と心に強く染み入った。

以来このことは私の心に固着していたのであるが、昨年(平成5年)同じく日本協会の会合に末安氏が出席され、さらに同主旨の話をされた。

ここにおいて私は、他に得ることの全く不可能な戦中・戦後史(世界および日本)の極重大な証言、ソ連邦最高首脳の直話、を十分な時間をかけて聴取、記録しておく必要があると判断し、同氏を招き数時間をかけてこれを実行した。

以下に提供するのはこの際の談話の正確な復元である。ここに提供する末安発言にはなんら加除、修正、作為を加えていない。

末安氏は抜群かつ特異な記憶力の所持者で、本件以外にも過去遙かな遭遇事を克明、正確に記憶しておられる。しかしながら慎重に事を図るため、当日の天候、松本、楢崎邸の動静などについて前後の新聞に当たり、会場場所の建物、内部の様相、同席した人たちの様子の図面での再現をお願いし、それらを精細に検討した結果、その証言には齟齬そごするところはなく、内容は完璧かんぺきに正確であると認められた。

松本・末安会談は真に千歳にして一隅の刹那であって、天籟てんらいの活機あるいは殺機としか考える事は出来ない底のものである。この機会はまったくこの両氏にして初めて出来した空前にして絶後の歴史的事件であると言えよう。

故松本治一郎氏は人も知る一群の大領袖であり、もとより尋常の人物ではない。運命の子だ。この人が末安氏と図らずも出会った前日にスターリンとの会見から帰来していたことは、まことに天命と言う他はあるまい。

末安氏の生い立ちについては詳細に伺っているが此処には書かない。しかしこの人もまた運命の子であると思わざるをえない。

松・末出会いの2月15日は釈迦生誕の日だった。当日末安氏が無心に向かった「清正公さま」とは、釈迦牟尼佛を祀る仏教寺院芝白金覚林寺で、その開基は可観院日延上人と言い、その前身は加藤清正が朝鮮から連れ帰った李朝の王子であった。

清正の守護佛は釈迦牟尼佛である。清正公は自分の代わりに松本に会えと幽明の裏から末安氏を導かれたのかもしれない。そんなことを考えるほどこの出会いは尋常でない機縁に取り巻かれている。

蛇足を加えるとすれば、清正と日延ともに朝鮮半島に関係している。末安氏は北九州の、松本氏は筑紫郡加川村の出身である。いずれも古代から列島と大陸の接触点である。このことにも何かの機縁を考えさせる。

松本氏が末安氏に語った「スターリン命令」の内容の核心は次のようである。すなわちソ連政府は社会党左派のなかに陰謀中核を設しつらえ、これを通じて隠微に日本社会の潰変を図ると、つまり日露再戦の手段として武器は使えないから、今度は人心と社会の破壊で行き、いずれソ連=ロシアの属国に落とす。

スターリン談話のなかで他に特段に重要なのはヤルタ会談の真実暴露である。この内容はすでに欧米の歴史修正学派の論著にすべて明らかにされている(末尾小著参照)。だがスターリン大元帥自身のこの発言は史上稀有の証言である。ソ連軍が北海道上陸出来なかった事情について今まで全く分かっていなかった。

現在の我々が深く注意すべきは、チャーチル、ルーズベルト、スターリン、蒋介石とその背後にあった者の関係で、これは今日も同様に欧米ロ中の背後に存在していると見なければなるまい。

末安証言は、スターリンによって置かれた日本潰変の陰謀組織の、その後を追求すべきこと、この証言の鏡に照らして現在の世界および国内の情勢を見定めるべきことを教えている。

幸いに同憂の諸君におかれては、末安宏國氏の本証言を世に出される非常なる決意を汲まれ、日々潰変して行くわが国の状況に思いを深められんことを、節に願うものである。

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