Make your own free website on Tripod.com

立宗750年「日蓮」というDNAを捨てた「創価学会」の悲劇

(『週刊新潮』5月15日号)

宗教学者 島田裕巳

日蓮聖人の立宗宣言は今から750年前の1253年4月28日。この過激な開祖の遺伝子を強く受け継いでいたのが創価学会だが、最近、日蓮のDNAを捨てようという動きが出ている。宗祖の教えに背く巨大宗教団体にいかなる悲劇が待ち構えているのか――。 宗教学者の島田裕巳氏が鋭く分析する。

創価学会は、日本で最大の宗教団体である。創価学会の場合、信者を世帯単位で数えており、その数は、公称で821万世帯にも及ぶ。日本全体の世帯数が4700万ほどだから、およそ6分の1は創価学会だということになる。

ただし、選挙得票数などから考えると、実数は1千万人前後ではないだろうか。それでも日本人全体の10分の1は学会員なのである。(RC:F票〔フレンド票〕を考慮していない。いわゆる「舎衛の三億」の原理を考えていない。これは釈迦の教えの広まり具合を意味する仏教用語を現代に置き換えたもので、日本の人口の3分の1を学会員、3分の1をフレンドにして過半数を制することである。また、3分の2を制することで憲法改正すら可能である。)

しかも、創価学会の組織した公明党は、政権の一翼を担っている。諸外国では、宗教政党はめずらしくないが、日本では、有力な宗教政党は公明党だけである。自民党も、政権にとどまるために、確実な集票能力をもつ公明党をあてにせざるを得なくなっている。

創価学会の前身である創価教育学会が発会式を開いたのは、昭和12年のことで、発会式に参加した会員の数は、わずか60余名だった。それから66年が経ち、創価学会は巨大教団に成長した。しかも、急成長したのは戦後の1950年代半ばになってからのことで、昭和26年の時点でも、会員は3千世帯にすぎなかった。それから20年も経たない昭和44年には、公称7百万世帯を誇るまでになる。これだけ短期間に急成長した教団は、世界にも類を見ないのではないだろうか。

なぜ、それほど驚異的な急拡大が可能だったのだろうか。そこには、学会員たちの信奉する日蓮のDNAの働きがある。

◆◆

日蓮のDNAを伝えてきたものが、曼荼羅であり、遺文である。

日蓮自筆の曼荼羅は、120余幅残されているが、それは、南無妙法蓮華経の題目を中心に、法華経に登場する諸仏や諸菩薩、天照大神や八幡大菩薩といった日本の神名を書きつらねた字による曼荼羅である。この曼荼羅は、創価学会に限らず、日蓮宗全体において本尊として位置づけられ、曼荼羅本尊と呼ばれている。

私はこれまで、その実物を見たことがなかった。初めてそれを見たのは、今年はじめ東京国立博物館で開催された「大日蓮展」においてだった。神奈川の妙本寺のものが出展されたが、10枚の紙を貼り継いだその大きさもさることながら、渾身の力を込めて書かれた日蓮の迫力ある字に、圧倒された。その曼荼羅の前だけでは、見学者が手を合わせていた。それは通常の展覧会ではあまり見かけない光景だった。

この曼荼羅こそが、日蓮のもつエネルギーの源泉なのだ。これを前にしては、国宝も重要文化財も色あせてくる。この本尊があるからこそ、日蓮を信奉する人々は、自らの命を犠牲にしてでも、信仰を守ろうとしてきた。私は、日蓮の秘密をさらには創価学会の秘密を垣間見た気がした。

創価学会は、現在では日蓮正宗とは訣別関係にあるが、日蓮正宗では、本山である大石寺に安置された板曼荼羅を本尊としてきた。これは、日蓮の書いたものを楠の板に書き写したものとされている。学会の二代会長、戸田城聖はこれを幸福製造機と呼んだ。創価学会では、その本尊を大石寺二十六世日寛が書写したものを複製して、各家庭に配ってきた。創価学会が世帯単位で全員を数えてきたのも、配布した本尊をもとにしてきたからである。(RC:信心の二字の中にしか、本尊はないんです。本門戒壇・板御本尊、なんだ! 寛尊は「信心の中にしか本尊はない」と。ただの物です! 〔平成五年九月七日・本部幹部会〕での池田発言。現在、学会員が祈っているものも、ただの紙切れかもしれない。)

もう一つのDNAが、遺文である。日蓮の遺文のなかには、「立正安国論」や「観心本尊抄」といった著作のほかに、多数の手紙が含まれる。「立正安国論」は、前執権北条時頼に上呈するために書かれたもので、手紙であったとも言える。鎌倉仏教の開祖のなかで、日蓮ほど多くの手紙がのこされている例はない。

そうした手紙を読むことで、日蓮の肉声にふれることができる。日蓮を信奉する者たちは、かつて仲間の間で日蓮の手紙を音読したことであろう。学会員たちも教学試験のために遺文を学んでいる。遺文を読むとき、日蓮はその場に蘇り、自らの声で信徒たちに語りかけてきたはずである。

◆◆

日蓮は、自らを「法華経の行者」と規定した法華経至上主義者である。ただし、日蓮本人は、日蓮宗という新たな宗派を起こそうとしたわけではない。

日蓮は若い頃に一時、比叡山で学んだと考えられている。比叡山は、最澄が開いた天台宗の総本山である。鎌倉仏教の開祖たちが、皆、一度は比叡山で学んでいることにも示されているように、比叡山では、浄土宗や禅や密教といった仏教のさまざまな流れを学び、修行することができた。

なかでも中国天台宗の開祖である智(ちぎ)が、法華経を最上の教典としていたことから、天台宗のなかで、法華経がもっとも重視されてきた。日蓮は、この天台教学に忠実であろうとし自らをあくまで天台僧としてとらえていた。

日蓮が天台教学を学んだ時代においては、法然の浄土教が流行していた。日蓮は、法然浄土教が、天台の教えを歪めていると批判し、そのためにさまざまな災厄が引き起こされているのだと解釈した。当時、地震や飢餓、疫病、風水害がくり返されていた。日蓮は、その原因となった法然浄土教を仏法から逸脱した謗法(ほうぼう)と非難し、謗法を改めさせる手立てとして、摂受(しょうじゅ)と折伏(しゃくぶく)という二つの方法を勧めた。

高度経済成長の鬼っ子

摂受とは、相手の教えを受け入れた上で穏やかに説得する方法である。これに対して折伏は、あくまで相手の教えを論破しようとする過激な布教の方法である。日蓮は折伏の立場を捨てなかったため、流罪にあい、浄土教徒に襲われた。逮捕され、鎌倉の町を引き回され、あわや首をはねられそうになったこともあった。

日蓮は、そうした迫害にもめげず、時の執権に対して、法然浄土教を禁圧するよう何度も進言している。日蓮の行為は、諫暁(かんぎょう)とよばれるが、禁圧しなければ、内乱が起こり、他国から侵略されると予言した。この予言は蒙古の来襲によって的中することになる。

こうした日蓮の姿は、そのDNAを受け継いだ創価学会と重なって見えてくる。創価学会は、「折伏大行進」のスローガンを掲げて、他の宗教や宗派に対して強引な折伏をしかけた。その際には、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」という日蓮の四箇格言を拠り所にした。学会は、「折伏教典」というマニュアルを作り、他の宗教や宗派をどのように攻撃し、折伏したらいいかを、会員に教えた。また、新しい会員に対しては、それまでの信仰を捨てたことを示させるために、お札や神棚、他宗派の仏壇などを取り払い、それを焼却する、謗法払いを実践させた。

強引な布教方法をとったために、創価学会は、他の宗教や宗派から批判を受けた。まさに日蓮と同じである。また、1969年に起こった言論弾圧事件を契機に、マスコミメディアから厳しい批判を受けるようになる。

日蓮にとって、迫害は法難として、自己の信仰の正しさを証明するものととらえられた。しかし、創価学会は、言論弾圧事件を正当化できず、強引な折伏の停止、公明党との政教分離を余儀なくされた。さらに、創価学会が外護(げご)していた日蓮正宗を国教とする国立戒壇建立の試みは破棄せざるを得なくなった。

これは、創価学会にとって、発足以来最大の危機となった。象徴的なのは、言論弾圧事件が起こった時期には、高度経済成長に翳りが見えはじめていた点である。創価学会は、高度経済成長の申し子であり、鬼っ子だった。経済成長にブレーキがかかったとき、創価学会の拡大にもブレーキがかからざるを得なかったのだ。

◆◆

創価学会が急成長したのは、高度経済成長の真っ盛りの時代だった。その時代には、産業構造の転換にともなって、大都市部への人口の大量移動が起こった。創価学会の会員になったのは、地方から大都市へ出てきたばかりの人間たちだった。彼らは、村落共同体の人間関係のネットワークから切り離され、根無し草の状態にあった。そんな彼らに新たな人間関係のネットワークを提供したのが、創価学会という宗教団体だったのである。

高度経済成長の時代に、大都市部に出てきた人間のなかには、農家の二、三男が多かった。彼らは、祭祀の継承者ではなかったので、仏壇ももたずに、大都市に出てきた。創価学会では、謗法払いを行った後、本尊を祀るための仏壇を購入することを勧めた。創価学会の運動は、仏壇をもたない家庭に仏壇を祀らせる運動でもあった。

実家の仏壇では、先祖の位牌が祀られていた。しかし、新たな学会員となった人々の場合、祀るべき祖先の位牌はない。学会員の仏壇は文字通り仏壇であり、それは先祖供養のためのものではなく、南無妙法連蓮経の題目を上げるための信仰の対象だったのである。

謗法払いという過激な方法が受け入れられたのも、多くの会員たちは、神棚も仏壇も祀っていなかったからである。彼らは、伝統的な信仰の世界から隔絶され、疎外されていた。

大都市の中の巨大な村

ただし、都市住民を信者に取り込むことは、創価学会の専売特許ではなく、日蓮宗の伝統でもあった。

鎌倉時代から室町時代にかけて、日蓮宗の信仰は、京都の町衆の間に広まった。町衆たちは、法華一揆を組織し、比叡山や浄土真宗の一向一揆にも対抗した。また、江戸時代になると、江戸の民衆の間にも浸透していく。今でも、池上本門寺や雑司が谷鬼子母神などの御会式(おえしき)は、盛大に営まれている。御会式は、江戸の庶民から、「お祖師様」として慕われた日蓮の年忌法要のための行事である。

日蓮宗が都市部の庶民に受け入れられたのも、来世への往生よりも、現世における利益の実現を強調したからだった。日蓮宗には、密教の影響があり、祈祷を重視することによって、現世利益をもたらす信仰として、受け入れやすかったのだ。

浄土宗や浄土真宗といった浄土教系の宗派は、先祖供養を核とする村落共同体の信仰にはマッチするが、都市の庶民の信仰にはそぐわない。都市には、現世利益を追求する日蓮宗の信仰の方がはるかにマッチする。創価学会が下町で強いのも、そこには庶民の多く住む世界だからである。

学会のなかでは、エリートは必ずしも歓迎されない。今、学会では幹部会を通信衛星を使って各支部に放送している。そのハイライトは、池田大作名誉会長が、幹部たちを叱責する場面である。そのため、幹部たちは、支部に帰っても偉そうな顔が出来ない。東大卒のエリート学会員が、組織のなかで優遇されず、そのためにノイローゼになったという話を聞いたことがある。日蓮は、自らのことを、「海人(あま)が子」「民が子」「賤民が子」と呼んだ。その点で創価学会は、日蓮のDNAをそのまま受け継いでいるのである。(RC:上尾地区には約100世帯の創価学会信者がいるが、これを束ねるのが「地区部長」。宮本容疑者は部長を補佐するナンバー2の「地区幹事」だった。「ご本人は土、日も病院が忙しく、あまり学会の活動には熱心でなかったが、多額の寄附金をしていたようです。幹事に昇格したのも、寄附金額が多かったからでしょう(『週刊現代』2003.5.10・17 のP.58 から)。

◆◆

創価学会は、巨大教団に発展していくにつれて、相互扶助組織としての性格をもつようになった。学会に留まっていれば、縁談や就職など便宜をはかってもらえる。中小企業なら、仕事を回してもらったり、融資の便宜を期待できる。行政の力を借りる必要があれば、公明党の議員がその実現のために奔走してくれる。まさに創価学会は、現世利益を実現してくれる集団となった。要するに創価学会は、大都市のなかに生まれた巨大な村なのである(母娘2人夜逃げ、路上生活までしたサラ金地獄 「キャベツ食べ信心しろ」と創価学会員)。

村を維持していくためには、後継者を確保することが必須である。言論弾圧事件以降の創価学会は、会員の二世や三世を組織のなかに引き留めることに力を入れるようになった。その重要な手段となったのが、1981年からはじまった世界平和文化祭である。その目玉となったのが、大規模で統制のとれたマスゲームであった。二世や三世の若い学会員たちは、このマスゲームに精力を傾けた。この戦略は成功を収め、創価学会は、今や代々受け継がれていく家の宗教となった。(RC:マスゲーム 北朝鮮にマスゲームやカードセレクションのやり方を最初に指導したのは、日本の宗教団体だったという。北朝鮮では、それをさらに大規模なものにした。金日成主席の生誕記念日をはじめとする大きな行事の時に、マスゲームが行われる。このマスゲームのために、数ヵ月前から練習が行われる。職場や学校から選抜され、市内の広場などで毎日練習が行われる。 かつて、日本の社会党の政治家などは北朝鮮のマスゲームを見て感激したり、権力のすごさに驚き、一時は韓国でもやってみようとしたが、うまくいかなかった。民主国家になればなるほど、こうした集団行動は難しくなる(『最新・北朝鮮データブック』講談社現代親書 1636 重村智計[しげむらとしみつ] 2002年)。

巨大な村のなかに生きてきた人間が、その外に出ることは容易なことではない。創価学会から抜けることは、人間関係のネットワークをすべて失うことにもつながる。家族や親戚、友人が、すべて学会員だったりもするのだ。

政権入りの矛盾

学会の外に出ても、それにかわる巨大な村を見いだすことは不可能である。とくに、今のような不況下では、相互扶助組織としての機能はより重要なものになっている。

しかし学会は、その巨大な村としての側面を強く打ち出すことで、組織の維持運営を計ろうとしてきた結果、その姿勢はかなり保守的なものになってきた。日蓮は本来、体制の誤りを果敢に告発する諫暁の人であり、反体制的で、野党的な立場に身を置いてきた。その日蓮のDNAを受け継いできた組織が、政権の一翼を担うということには、大きな矛盾がある。

実際、与党のなかに入った公明党は、居心地が悪そうに見える。現在では、政権内部野党を標榜したり、生活与党をうたったりしているが、どうもおさまりが悪い。

◆◆

最近の創価学会では、日蓮の四箇格言を見直そうという動きを見せている。池田名誉会長は、法然浄土教を評価する発言さえしている。これまで池田名誉会長は、他の宗教との対話を行っており、それが四箇格言という言い方は、日蓮自身のものではなく、後世に作られたものだが、遺文のなかで、日蓮は、それに近い言い方をしている。創価学会は、いわば日蓮の遺伝子組み換えを目指していることになる。

しかし、遺伝子組み換えに対する反対が根強いように、開祖の教えから離れてしまえば、さまざまな批判を覚悟しなければならない。実際、顕正会(妙信講)や正信会といった反対勢力がすでに生まれている。これから、日蓮の遺伝子組み換えに反対して、新たな分派が生まれないともかぎらない。

巨大な相互扶助組織である点が、これまで分派の発生を抑制してきた。その点は、これからも簡単に変わらない。ポスト池田の問題が言われているが、相互扶助組織としての機能に衰えが見えるかどうかの方が、はるかに重要だろう。

日蓮はその遺文のなかで、他の宗教や宗派に妥協することを徹底して戒める言葉を吐いている。たとえ巨大教団であっても、その事実を改めることだけは出来ない。遺伝子は利己的で、それが宿る個体ではなく、遺伝子自身を残そうとするという説がある。日蓮のDNAも、また利己的で、新たな宿主を探そうとしないともかぎらない。創価学会にとって、今一番厄介なものは、日蓮のDNAそのものかもしらないのである。

Copyright(C)2002- 「日本専門」情報機関(日本の情報の収集と保存)