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平和と人権を捨てた公明党と創価学会(抜粋)

(週刊金曜日 030613)

本誌取材班

自自連立政権に参加した1999年、公明党は「平和と人権の党」を誓った。しかし、その誓いとは裏腹に、ひたすら権力を追い求めるのが今の公明党の姿だ。国政・地方の選挙や重要法案成立の舞台裏で、自民党に恩を売りながら自己保身と拡大を続けている。日本を戦争のできる国に導くのが自民党なら、その舞台づくりに一役買っているのが公明党、その最大の支持母体である「創価学会」、そして学会トップの池田大作名誉会長といえるのではないだろうか。

<分岐点だった1999年>

振り返れば、公明党が与党入りを決めたこの99年は、後世に悔いを残すことになった日本の政治の分岐点になったと言えるのではないか。

この年に今の「自公保」連立政権の原型となる、衆院で7割を超える巨大与党「自自公」が誕生したのだ。

悲願の与党入りを果たした公明党とその支持母体である創価学会は、与党という「現実」と池田名誉会長の掲げる「平和・人権」という理想との間で揺れつつも、組織防衛を優先させながらその「仮面」を少しずつはいでいく。その成果が、成立した「有事法制」と、小泉降ろしの政局に絡んで提出が決まった「イラク特措法案」への対応に如実に現れている。

<野中広務氏の誤算>

公明党を連立与党に引き入れた「立役者」は他ならぬ野中氏だ。99年当時、小渕恵三政権下で官房長官を務めていた野中氏は「悪魔と手を組んででも」と恩讐を超えて自由党の小沢一郎党首にひざまずき、まずは「自自連立」を成し遂げる。

そして、参院で自民党が過半数割れしている現状を打開するため、今度は公明党に触手を伸ばす。自民党の「補完勢力」として参院の不足分を公明党に埋めてもらうのが目的だったが、このとき野中氏には「公明党を連立与党内の歯止め役」として位置づけようという、もう1つの狙いがあった。

自由党が連立政権内に入ることで、必然的に政策は右傾化する。だが、平和・人権を掲げる公明党に、それを阻止する役回りを担わせようとたくらんだ。だが、皮肉なことに野中氏の意に反して公明党は今や自民党以上にタカ派色を強めている。

また、防衛庁を「省」に格上げする防衛省設置法案も公明党の賛成で決まりそうな気配だ。同法案は2001年6月に議員立法で国会提出れて以来、1度も審議されていない。基本政策に「防衛省」実現を掲げ、法案提出を主導した保守新党は、有事法制の成立が確実になったことや、イラク特措法の検討で自衛隊の海外派兵が可能になりつつあることを「追い風」と判断、近く自民、公明両党に審議開始を強く申し入れる。

昨年12月に2003年度税制改正をめぐり自民、公明両党が対立した際に、保守党が仲介し、その「見返り」として保守党の求めに応じて、与党三党の幹事長が「有事法制成立後に防衛庁の『省』昇格の間題を最優先の課題として取り組む」と文書で確認した経緯がある。

ここで言う2003年度税制改正の「影のテーマ」こそ宗教法人への課税だったと言われている。つまり、公明党はここでも「宗教法人法改正で自らが課税されるくらいなら、右傾化の道を受け入れる」との自己保身に走ったわけだ。

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