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宇宙生命論とストア派は同一である?

創価学会は、教学の説明に、西洋哲学を引用することが少なくない。しかし、それは背景を無視しているがゆえに、メチャクチャな解釈になってしまう。

“足下を掘れ、そこに泉あり”

創価学会『法華経の智慧』第3巻

「本来、仏教は、生きとし生けるものを、ひとつの黄金の大生命の個々の現れと観る。それが釈尊の悟りです。それを「縁起」とも言い、「空」とも言い、「妙法」とも言うのです。」
「「仏とは何か」を追求し抜いて、仏とはほかならぬ自分のことであり、宇宙の大生命であり、それらは一体であるとわかった。“足下を掘れ、そこに泉あり”という言葉は有名だが、自身の根源を堀り下げていく時、そこに万人に共通する生命の基盤が現れてきた。それが永遠の宇宙生命です。」

マルクス・アウレリウス『自省録』

「自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、この泉は君がたえず掘り下げさえすれば、たえず湧き出るであろう」

*『自省録』(τα εισ εαυτον、直訳は「自分自身に」)は、折々に綴られた手記であり、公刊を意図されたものではない。断片的な文章や多くの反復的な文章を含む。すべては原子から生じ原子へ還るというストア派的世界観に基づいた生の儚さを基調とし、そのような生ならば名声や富に執着せず、あらゆることに心乱されず、常に死の到来を念頭に生きることが大切であり、行為にあたっては世界市民として適切であるべきことなどを自らに説くストア派的な倫理の書。同書の成立事情は不明。

釈尊は否定している

おそらく『自省録』の視点から、法華経を解釈しようとしたのだろう。これでは既にバイアスを通して見ていることになってしまう。だからウパニシャッド哲学の「梵我一如」と同じ構造を持っていることに気がつかないのだ。

大宇宙(梵)と小宇宙(我)の融合合一、宇宙即我・我即宇宙は、バラモン思想の主流となるヴェーダーンタ思想へ発展した。釈尊がバラモン思想を否定したことを考えれば、宇宙即我・我即宇宙が仏教ではないという説が成立する。

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