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広布基金・財務について

広布基金・財務とは、創価学会員が、創価学会本部に対する寄付である。この広布基金・財務について考えてみたい。

広布基金・財務の歴史

財務部員制度が、昭和26年7月の臨時総会で、創設された。この年の5月に、戸田が第二代会長に就任し、生涯の願業として「75万世帯の達成」を掲げている。戸田は、会長就任を前後して、聖教新聞の創刊、婦人部の強化、青年部の結成、「折伏教典」の発刊など、誓願達成をめざし次々と布石を打っているが、その一環として、財務の整備を図ったのだ。

なお創価学会は、翌27年8月、日蓮正宗の許可を得て宗教法人として発足した。

当時の創価学会は、会員数5千人余の弱小教団で、その活動資金は、牧口時代から戸田自身の個人資産によって賄われていた。しかし戸田は、昭和25年、事業を破綻し、理事長を辞任した。戸田の個人資産を当てに出来なくなったのである。

そこで有志がお金を出し合って活動の便宜を図ったりしていたが、それらを全て禁止・廃止し、新たに財務部員制度として設けることになったというわけだ。戸田に会長職に専念して貰うという考えがあったと言われている。

創価学会は、こうして財務部員制度が確立し、「賽銭箱(喜捨・寄付)のない宗教」を“売り”に強勢拡大=「折伏大行進」を邁進していったのだ。

ところで財務部員は、信心がしっかりと篤く、身元がはっきりしており、一定の職業に就き、経済的に余裕のある会員に限られ、推薦を受け面接し審査を経て任命された。それだけに「病人と貧乏人の集まり」といわれた学会にあって、財務部員であることは、会内において間違いなくステータスであった。財務部員のバッチがあったくらいである。

このような経緯から創設された財務制度であったので、当初から収支報告はなかった。財務部員の要件を満たす者が、不平不満を言うとは思われないので、収支報告についての検討・話題は出てこなかったのだろう。

納金額は、昭和40年代は、1回1000円で。年4回計4000円の定額制だった。

また戸田は、本山整備と寺院建立を掲げており、この場合は目的を明示して供養の呼び掛けを行っている。一方で、創価学会の経費については必要最小限度にとどめ、無理な金集めはしていない。

会合も、正宗寺院や公共施設で開催し、専従職員もほとんどおらず、自前の旧・学会本部を取得したのも28年11月で、関西本部は30年12月だった。

戸田の死後も、本幹や総会などの大きな会合は、日大講堂や武道館、公設の体育館などで行っており、地方の拠点会館も民家を改造したものや建て増したものだった。

こうした方針が転換されたのは、正本堂建立後のことである。

まず、「これが最後のご供養」と語り、集めた正本堂建立御供養の金額の大きさに、池田をはじめ創価学会幹部が驚いたのだろう。“創価学会員は金を持っている。呼びかければ金は集まる”と認識したのだ。

なお、正本堂建立に並行して、創価大学開学の寄付集めもあり、結構多数の会員が寄付している。創価大学は、池田の個人資産で開学したのではないのだ。その上、創価学会からの資金流用もあったのである。この創価大学開学に加えて、創価文化会館や聖教新聞新社屋の建設があり、この頃の創価学会は経済的に逼迫していた。

そこで、財政状況を立て直しが必要となったのだ。昭和47年の路線変更=「広布第二章」を開始すると、寺院に変わる儀式施設の建設を意図しつつ、「それぞれの地域に相応しい会館を建てる」との名目で特別財務が実施された(49年)。この特別財務により、各地に立派な中心会館や研修道場、墓苑が建てられていった。

特別財務は、在家でも供養が受けられるという「在家供養是認」の新解釈に基づくものである。それで池田専用の超豪華施設も次々と建てられた。しかし国会で取り上げられそうになると、一夜にして取り壊すという醜態を晒し、さらに追及を恐れ、52年5月に特別財務は中止となってしまう。

代わって、財務部員を広布部員と名称を変え、1口1万円、何口でもOKという納金システムにして、広く会員から募るようになった。

財務部員制度の拡充を基本的なスタンスにしているので、新たな理由づけ・根拠作りは不要との判断があるのだろう。強制ではなく自由意思であり、過去からの指導にも抵触しないということで、金集めの是非については頬被りで実施に至った。

広布部員の要件も緩和し、要するに会員であれば誰でもOKということになった。そのうち、池田大作の総講頭復帰に伴う「200ヶ寺寄進」も名目に使われ、「御供養なのだから納金させてあげるのが慈悲だ」なんて指導が罷り通るようになってく。

当初は、国会での追及や「五十二年路線」収束の影響を考慮して、それほど無理な金集めはしていなかったが、やがて池田が第一線に復帰すると、全国各地でご存知のような凄まじい金集め競争が繰り広げられるようになった(もっとも特別財務の時から、そのような傾向はあった)。

ちょうどバブル景気であった。創価学会本部にしてみれば、面白いように多額の資金が流れ込んできたのである。ミリオン会員とかダイヤモンド会員と呼ばれる、三桁・四桁の財務の会員をいかに多く出すのかが幹部の手腕となった。池田がとても喜ぶのである。ご褒美を賜り、また高額納金者を招待しての会食会も、御大自らが音頭を取って開催していくので、皆が競って煽るようになり、常態化した次第である(銀行振り込み制は、確か平成以後のこと)。

こうして学会は、日本一・世界一の金集め教団となった。

この頃(最高幹部らの離反も相次ぎました)から、本部職員の待遇も大幅に改善された。

金集めの在り様に疑問を呈すると、体よく地方への左遷や閑職(あるいは関連企業)への異動という仕打ちがあるが、そうでなければ恩恵に浴することができるわけだ。

給料が上がり、福利厚生も充実し、年金制度も整えられ、都心一等地の社宅や住宅の取得資金も与えられ、バブル崩壊後の年収300万円時代の今でも、大幹部でなくても配偶者が専業主婦業(婦人部幹部)に専念でき、かつ2人の子供を私立大学(創価大学)に無理なく通わすことができる程度の収入を得ている(反対に職員を辞めると、とても厳しい境遇に陥る)。

広布基金・財務の現在

まず創価学会会則には、会計に関する規定は一切ない。極論すれば、会計責任者が好き放題できるということだ。

そこで宗教法人法を援用することになる。宗教法人法に基づく「規則」(所轄官庁の認証を要する)には、会計に関する規定がある。責任役員会にて予算や決算の承認決議を行うことになっているわけだ(第9条)。また、この責任役員会は、総務および参議の中から総務会で選出された17名で構成され、うち1人が代表役員で理事長が任にあたる(第5条、第6条)。

したがって、創価学会の通常の財務内容を知りえる立場の人間は、責任役員の17名に限られているいことになる。

学会の資産は、@特別財産、A基本財産、B普通財産―に区分され、「特別財産」は宝物および什物で、「基本財産」は、幾多の不動産の中から基本財産として設定したものや指定した寄付金品等である。

そして「普通財産」が「特別財産および基本財産以外の財産、財産から生ずる果実、会員の中から選任される広布部員の拠金ならびにその他の収入とする」(第23条)と定められている。

つまり、12月の財務や日常的な広布基金は、普通財産に該当し、「この法人の経費は、普通財産をもって支弁する」(第27条)により、創価学会の法人活動等に充てら、「歳計に剰余を生じ、または予算外の収入があったときは、これを翌年度歳入に繰り入れる」(第33条)ことになっている。

この「規則」にも、財産目録や収支計算書といった財務諸表を公表するという規定は一切なく、唯一「財産の処分等」について、会員その他の利害関係者に公告する義務を定めている(第26条)。

ところが公告といっても、聖教新聞などで広く周知する必要はなく、学会本部のロビーにA4一枚を一定期間掲示するだけで事が足り、仮に不動産を処分したり、担保に供したり、長期の借入れをしても、まず一般会員は知る手立てがない。

時折、聖教新聞の1面ないし2面の片隅に責任役員会の開催を報じる記事が載ることがありますが、その以後数日間(2週間程度か?)掲示されている場合がある。

なお、昨年の「規則」改正によって、新たに「監査法人または公認会計士の外部監査を受けなければならない」(第34条)規定が設けられたが、監査報告は責任役員会にされるものであり、その上、おそらく会計士も優秀な創価会員でしょうから、第三者が入手できるとは考えられない。

一般会員は、財務内容を見ることができない

創価学会には、収支や財務内容を一般会員に知らせる“決まり事”はなく、また知らせる意向も全くない。一般会員は、ただ「学会はきちんとしている」と信じるしかないのである。

どうしても財務内容を知りたいのであれば、法律の規定に従って、正当な理由と不当な目的がないことを示し、財務諸表の閲覧を請求するしかない。

しかし同時にこれは、創価学会の表の財務のことに過ぎない。単なる任意団体にすぎないSGIへシフトされた財産・金品、まして裏の財務、池田大作の個人資産については把握しようがない。

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