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実践ハワイレポート

創価学会分離作戦(C作戦)

創価学会分離作戦(C作戦)とは何か?

「創価学会分離作戦(C作戦)」は、実践ハワイレポートの最終段階である。創価学会が、日蓮正宗側から仕掛けた創価学会分離工作というプロパガンダのためのものなのである。

さて創価学会の主張する「創価学会分離作戦(C作戦)」は、次である。

「創価学会分離作戦(C作戦)」の目的の第一は、池田創価学会名誉会長を日蓮正宗総講頭から罷免すること、第二は創価学会を日蓮正宗から分離し両者をまったく関係のないものにすることである。
 
作戦の実行は、以下の順で行われる。
(1)池田名誉会長の総講頭罷免
(2)創価学会に対し要求を突きつける
 ◇宗教法人・創価学会の役員の半数を日蓮正宗の僧侶より選出する
 ◇池田名誉会長は、単なる名誉職とし、いかなる権限も持たない
 ◇池田名誉会長は自宅謹慎する
 ◇『聖教新聞』は池田名誉会長の発言を掲載しない
  また同氏に関する報道も一切行わない
 ◇第一庶務を解散するなど
(3)要求を承諾しない場合は、池田名誉会長を破門にし、テレビ、ラジオ、雑誌などを通じて、日蓮正宗と創価学会は全く関係ないことをアピールする
(4)朝日、毎日、読売に、日蓮正宗と創価学会は一切関係ないという主旨の「公告」を一週間にわたり掲載する その費用は一億二千万円とする
(5)日蓮正宗と創価学会を分離した後、どちらに入るかは創価学会員の選択に任せる

創価学会は、このように主張し、前回の鉄を踏むまいと情報公開=「創価学会分離作戦(C作戦)」を日蓮正宗の謀略とする。しかし池田大作が、昭和54年に総講頭を退いたのは、日蓮正宗の謀略ではなかったはずだ。

創価学会分離作戦(C作戦)は、誰が考えたのか?

日蓮正宗は、創価学会が講であれば構わないし、講として所属していてくれた方が良い。まして戸田の妻の葬儀は日蓮正宗で行ったわけで、もし創価学会が戸田路線に戻るならば、これを望んでいたはずだ。そして創価学会には、秋谷(戸田から城永を貰い「秋谷城永」と称した)ら、戸田派だった実力者も少なくない(池田大作は、城号を貰えなかった)。池田亡き後、秋谷ら戸田派の者と組んで、池田派を一掃するというシナリオを描けたはずなのだ。

だから創価学会が、「ハワイレポート」「52年路線」の延長として、「創価学会分離作戦(C作戦)」を考えたというシナリオが出てくる。

特に昭和49年の日蓮正宗国際センター構想は、大きく関わっている。結果として失敗に終わった日蓮正宗国際センター構想であるが、日蓮正宗国際センターそのものは、JR千駄ヶ谷駅前の創価学会国際友好会館内に事務所が置かれるという形で設置された。

創価学会本部から漏れてきた話によれば、創価学会本部→日蓮正宗国際センター→日蓮正宗海外部→日蓮正宗中枢というルートで、「創価学会分離作戦(C作戦)」が伝えらという。

創価学会をカットする−つまり、破門を前提に宗制宗規の改正、謝罪要求、名誉会長の信徒除名などの処置−作戦大綱は、宗門独自で編み出されたものではなく、創価学会が大きく関わっていることは、ほぼ事実なのだ。

日蓮正宗からの分離独立をめざす学会にとって、一歩間違えると創価学会自体の存在理由を失いかねず、また内部分裂を避けるためにも、どうしても“被害者”を装う必要があった。

そこで、日蓮正宗への挑発と会員への地ならしを図るとともに、シナリオ通りに事が進むよう様々なルートで宗門へ働きかけている。そのルートの1つが、日蓮正宗国際センター→日蓮正宗海外部なのである(別ルートによる学会の働きかけについては、直接確認している)。そして「創価学会分離作戦(C作戦)」が終わり、完全に役目を終えた日蓮正宗国際センターは、1998年年末に解散した。

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