Make your own free website on Tripod.com

実践ハワイレポート

52年路線と池田大作総講頭辞任

そもそも池田大作総講頭辞任(昭和54年)は、創価学会の「52年路線」が原因であった。すなわち日蓮正宗の教義からの逸脱と、本尊(曼荼羅)の模刻をしたことである。

日蓮正宗の教義からの逸脱

  1. 創価仏法の原点は、戸田会長の「獄中の悟達(ごだつ)」にある
    戸田の「仏とは生命なり」(生命論)は、「一切衆生に仏性があるということを実感したことの、一つの表現」であって、日蓮の御内証(悟達)と同じではないし、まして日蓮の仏法とは違う仏法を創造したわけではない。
    *悟達は、非常に難しい。誰が、悟達を確認するのか? オウム真理教の麻原のように自称を許せば、危険極まりない。そうでなくても自宗・自派の教えを誤解して広められてしまう。
  2. 唯授一人の血脈の否定・途中の人師論師は無用・大聖人直結
    「血脈」は、日蓮−日興という法主の師弟関係という一子相伝的な「法体の血脈」(日蓮の教えの継承)、これを前提に、法主に日蓮の教えを学ぶ信者という「信心の血脈」である。
    したがって、牧口−戸田の師弟関係は、広宣流布達成への師弟の決意と約束と実践に過ぎないのだから、「血脈」と言うのは不適切である。
    *日蓮正宗系では、日蓮−日興と継承されてきた「血脈」によって、正統性を掲げている(日蓮宗には、正統性が無い)。だから単なる師弟関係を「血脈」と称することはできない。
  3. 『人間革命』は、現代の御書
    他に「創価仏法」「日蓮大聖人の生命哲学」などは、日蓮正宗の伝統教学に配慮を欠く表現である。つまり正しくは「日蓮大聖人の仏法」と表現しなければならない。したがって、御書は日蓮の真筆・真撰だけである。
  4. 池田会長に帰命(きみょう)・池田会長は主師親(しゅししん)三徳、大導師(だいどうし)、久遠(くおん)の師である。
    日蓮正宗では、末法の本仏を日蓮唯一人としている。会員が会長を慕う心情は理解できるが、だからといって日蓮と会長が等しいかのような表現は不適切である。
    *言葉狩りのように思えるが、安易な表記・表現が一人歩きし、結果として教えを歪める可能性は否定できない。禅の公案(禅問答)が、言葉に注意を払う理由でもある。
  5. 寺院は単なる儀式の場、学会の会館は広布の道場
    創価学会=在家集団を、出家仏教に対する在家仏教として立てるということは誤りである(また、そうした考えは無い)。
  6. 謗法容認(祭りへの参加等)
    神社に対する寄付、祭礼の参加等の具体的活動においても、社会への対応ということより謗法厳禁という信仰の姿勢から対処していくべきである。
  7. 供養(布施)は在家でも受けられる
    供養は仏に捧げるもので、だから創価学会が広布基金・財務を「供養のようなもの」(供養ではない)という曖昧な表現をし続けている。

また同時期に、創価学会の模刻本尊事件があった。創価学会が、勝手に本尊(曼荼羅)を作成したのである。仏像は、一般に、仏師が作成し、僧侶が開眼する。同じように本尊(曼荼羅)も開眼しなければならないというわけだ。つまり創価学会が勝手に作成した本尊(曼荼羅)は、開眼していないので、ただの板切れに過ぎない(板切れを拝むことの意味はないことはお分かりだろう)。

これらの創価学会の身勝手な行動に、日蓮正宗内部から批判が生じ、その責任をとるという形で、池田大作は総講頭を辞任したのである。この件に関しては、日蓮正宗が正しいのである。

Copyright(C)2002- 「日本専門」情報機関(日本の情報の収集と保存)