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実践ハワイレポート

広布第二章”実施

創価学会の新解釈の徹底と若手育成

創価学会は、昭和48年(1973年)、“広布第二章”のスタートとして「教学の年」「青年の年」の2つを掲げている。つまり“広布第二章”のスタートにあたって、教学の刷新と後継者育成に最も重点を置いたのである。

教学の刷新は、昭和45年(言論問題)に理論室を設置して以来、着々と進められてきたもので、日蓮正宗教学の新解釈を、組織全般に浸透させていこうというものであった。

戸田時代は、戸田自身が法華経講義(一般講義)や御書講義を行っていたが、戸田や小平教学部長らは、絶えず正宗僧侶(宗門)へ教えを乞い、正宗の伝統教学に則って講義を展開しており、出版物についても宗門の決裁を求めていた。

しかし池田時代になって以降、徐々に日蓮正宗の関与を廃し、昭和45年頃には教義のすり合わせはほとんどしなくなった。その上で、原島崇教学部長らを中心とする新教学部や理論室が新解釈を積み上げていったのである。日蓮正宗サイドは、戸田時代の創価学会像があったので、学会教学は正宗教学と同じで、生活に即して分かり易く展開されているものだと誤解していたのである。

こうした創価学会と日蓮正宗の不幸な関係は、池田の「日蓮正宗嫌い」に由来する。

原島教学部長ら新教学部や理論室のメンバーは、学生部幹部を対象にした「御義口伝講義」の受講生である。この「御義口伝講義」の受講生は、後に「潮会」と命名され、現在60歳前後で、創価学会の中枢を担っている。また昭和41年に結成された「鳳雛会」=高等部を対象に『諸法実相抄』等の講義を受けた者たちは、現在50歳前半で、創価学会の機構中核を支えている(第1回全国鳳雛会を昭和48年に開催し、広布後継の使命を確認している)。

さらに、昭和46年に開学した創価大学の草創の卒業生は、現在40歳後半だ。開学当初の創価大学では、学生の自発自主的な取り組みとして、学会本部から中枢幹部を招きクラス別の御書講義が月1回行われ、全国の組織に先駆けて新解釈の教学が打ち込まれている。創価大学では、「創立者構想の実現」が合言葉で、生涯にわたって“師弟の道”を貫くことが薫陶された。

また少年部・中等部については、相次いで「未来会」や「藍青会」が結成され、昭和48年には「二十一世紀会」や「五年会」なども誕生し、彼らは現在30歳後半から40歳後半に及ぶ。

このように創価学会は、昭和45年の路線転換や昭和48年の“広布第二章”のスタートを前後して、一気に若い世代に対して、「御義口伝講義」の受講生らが新解釈の学会教学を打ち込んだのだ。「52年路線」への助走である。

なお結果として、日蓮正宗vs創価学会の抗争において、日蓮正宗からの離脱に全く違和感を抱くことなく、日蓮正宗サイドが言うところの「池田教」への移行・変質を受け入れた一因となっている。

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