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「ポストオウム」の時代と我が宗門の教化〜「対峙」の教学へ〜

(現代教学へのアプローチ)

貫名 英舜(現代宗教研究所研究員)

大音声を以て普ねく四衆に告ぐ。誰か能く此の娑婆国土において広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり。『見宝塔品第十一』(「開結」三三四〜五頁) 

何を況や我等は凡夫なり。いかでか時機を知るべき。答て云く、仏眼をかつて時機をかんがへよ、仏日を用て国土をてらせ。『撰時抄』(「昭和定本」 一〇〇五〜七頁) 

はじめに

我々は、現代人の(特に青年層)の宗教に対する意識や指向性、および、現代における宗教動向に関する基礎的な調査検討に不足がなかっただろうか。この問いを起点として、「教学の現代化」という与えられたテーマを「ポストオウム、すなわち、宗教カルトとの共存という時代において、我々の布教伝道はいかにあるべきか」という視点から論じたい。

我々の布教伝道とは、宗祖によって確かめられた「真理」としての価値を同時代に生きる人々に向けて言説や表徴を以て付与する営為である。それは、宗祖日蓮大聖人に直参したその復路に、現代の社会と大衆へ直接に向かうことであるとも言える。「教学の現代化」というこの共著の意図する共通の目的が、「普遍的真理」を現代に生きる我々を含む当事者の経験領域内の言語と表徴に振り向けて行くことであることはいうまでもない。したがって、この手立てにとって必要不可欠なことは、この社会、そして、そこに暮らす人々の状況について正しく認識することである。我々の社会と人間は、どのような危機に直面しているか、何を悩み、そして、何を求めているのか、という事実それ自体に身を置くことである。

宗教は、時代のトレンドの変化に最もセンシティブに反応するものである。この意味で、オウム真理教の生成とそれを受け入れた若者、そして、その行動の軌跡と結末について、冷静に分析することは極めて重要であると考える。

これまで、明治近代からの「新宗教運動」に対し、宗門はある種の危機感を内在させつつも、排外的な観点から論ずるのを常としてきた。それが許されたのは、総じて、近代の国民国家という共同体的枠組みの強固さが保証されてきたからに他ならない。日本社会の共同体としての秩序と安寧を価値優先する現実的な対処がそこでは行われたとしなければならないだろう。その共同体の枠組みから逸脱した存在として「新宗教運動」を批判的に見て来た。

しかし、我々は、成長神話が崩壊した今、改めて、明治維新以来の近代国家を支えてきた様々な制度そのものについての再検討を迫られている。これと同じ意味で、それぞれの時代の「新宗教運動」について、再評価を行うべき時機が到来しているとしなければならないのではないか。すなわち、それらが立ち上げられてくる社会的背景、および、大衆の精神傾向の変化に関して、客観的な再考察を加える必要を感じるものである。

オウムに代表される「新新宗教」の運動の生起させた現代社会の情況の深奥に先入観なく分け入ることは、我々自身の次世代の教化伝道にとって必要不可欠なことになったと考える。我々は、時代の「末法」の様相を見ることを回避してはならないはずである。オウムは、全くの突然変異として現代社会に出現したわけではない。それを生み出すに至る社会的な条件が整っていたとしなければならないはずである。オウムが異常であるならば、現代社会もまた、その異常さを生み出す歪みを胚胎していたことになるのである。

我々は、正統的仏教者として、「仏眼」というものにおいて時代の様相を見るべきである。「仏眼」とは、我々自身が大乗法華菩薩道に立脚し、あらゆる衆生に分別なき慈悲の思いをなし、末法悪世において謗法の罪科に沈淪する衆生に対する救済の意志においてのみ、我々に具備されるものであろう。「衆生の闇を滅す『如来神力品第二十一』」ための実際の救済の営為が個々に分岐する多様な巧みな「方便」によるとしても、決して、その人をして倦ますことのない「妙法華経の五字を以て、幼稚に服せしむ『観心本尊抄 七一九頁』」というやむにやまれぬものでなければならないはずである。

「宗教カルト」の発生というものについて、従来は、脱工業化した高度情報社会に移行しつつある欧米先進国に特有に見られる「社会的病理現象」であると捉えられて来た。しかし、現在、急速に経済発展が進むNIES諸国、連邦崩壊後に混乱状態の続くロシア、そして、経済開放が進む社会主義国の中国にも出現していることが報告されるようになった。急激な社会システムの変容が進行している地域に、「宗教カルト」の拡大し浸透するという事態が見られる。伝統的価値の急激な変換は、その地域に生活する大衆の心に不安と動揺をもたらす。特に、その経済的成長から置き去りにされた人々、その恩恵に預かれなかった人々の中に、社会的な価値体系とは別のものへコミットすることで、その負の感情を中和しようとする現象が現れると考えられなくもない。このような意味で、「宗教カルト」は、その社会がどの程度矛盾を胚胎しているかを測る有力なメルクマールとなるのである。

また、経済至上主義の拡大が、世界のいたる所で、共同体の既存の価値体系との間に摩擦を起こしている現在、多くの社会は必然的にこの「宗教カルト」との共存を余儀なくされているとしなければならないだろう。このような「カルトの時代」に、我々はどのような言説と表徴を以て大衆と市民社会に向かうべきなのだろうか。また、社会そのものが生み出して行く「カルト」という「異物」にどのように対峙して行くべきなのだろうか。

オウムの悲惨な事件から二年余りを経過した現時点で、オウム真理教を中心とした「新新宗教」運動について、改めて様々な角度から分析を行い、その中から我々の教化伝道の有効性を探り当てて行くことができるとすれば、「教学の現代化」という所与のテーマに対して筆者の負うことができる一つの解答となるであろう。

第一章 現代における宗教の環境

一 オウム真理教の残したもの

地方都市の中規模寺院の住職である筆者は、先日、某檀家の長男(享年五十五才)の葬儀に携わった。この男性は、近年まで熱心な創価学会の会員であった。十年ほど前に、重い免疫疾患性の病気に罹り、それを苦にしており、そこへ同会々員であった親戚の勧めによって入信に及んだということである。それまではごく普通の曹洞宗の寺院の檀徒であった。家全体で菩提寺を離檀して日蓮正宗の寺院の所属檀徒となり、また、そこを離れて、筆者の寺に縁を結んだ次第。

ところで、枕経の席で、筆者は大変当惑することとなった。筆者は、住職の仕事として、この葬儀における施主や喪主の所在を尋ねた。この男性には、妻と子供(長女)が一人あると聞いていて、当然、この二人が施主及び喪主を務めるものと思ったからである。筆者の問いに口ごもる年老いた両親に代わって、死亡した男性の弟が次のような事情を語った。

「実は、兄の妻と子供はエホバの証人*1とかいう変わった宗教の熱心な信者でして、他の宗教の儀式である今回の葬式には絶対に参加できない、と強く言い張るのです。全く困ったことです・・・年寄りをこんなに悲しませるなんて・・・」

その言の通り、葬儀から満中陰忌に至る一連の儀式に、その二人は一度たりともその姿を現すことがなかった。

この家には、未婚の妹が同居している。葬儀の当日、着替えのために彼女の部屋を使用させていただいた。彼女の本棚にはラジネーシ(「和尚」)の一連の著作*2と修行法のビデオ、細木数子の運命占星術の本などが百冊あまり整然と陳列されていた。さらに、アトピーに悩んでいるらしく、その病気の治療法の本が数冊見られた。また、机の上には、水晶の玉やラピスラズリーのペンダントなどのいわゆる「タリズマン」や不思議なほど多種の「抗菌グッズ」が置かれていたのが、印象的であった。

とにかく、葬儀は行われ、終了した。筆者は、いままでの葬儀で行っていた法話の型や内容を踏襲することのできないという齟齬に悩んだ。

このような家族のありかたは、全く特異なケースであるとしなければならないのかも知れない。しかし、筆者は、どこかかのオウム真理教の事件において問われているものと通底する要素がそこにあるように感じざるを得ないのである。すなわち、日本社会に伝統として根付いているとされた「家族」というもの共同体意識の急速な相対化、具体的には、家族の紐帯の細化。そして、その隙間に巧みに入り込むものとしての「新宗教」や具体的な宗教の形にとらない非制度的宗教(見えざる宗教)。*3

我々の側から見れば、寺檀制度というものに対する大衆の意識の変化、すなわち、共同体を維持する基底的倫理規範としての「先祖崇拝」という日本人的宗教心性の後退、そして、それら伝統的な日本人の宗教的心性の希薄化と反比例する形でたち表れてくる「新宗教」の浸透。家族の成員それぞれが、その指向するところにしたがって選択する「マイ宗教」。その没共同体的な条件から発したものは、しばしば反社会的な行動を伴う過激な運動として表出しないとは限らないと言えよう。

このような意味で、平成七年は、我々「制度宗教の側」に属するものにとっても、時代のターニングポイントとなる一年であったとしなければならない。このような社会の最深部で進行している「家庭の崩壊」と「檀家制度の希薄化」、そして、「『マイ宗教』への流動」が、予想以上に進行しているということを突き付けられたという意味においてである。

現在、オウム真理教の宗教法人格は法的に否定され、また、教団の破産手続きの進行によって、組織は解体過程にある。しかし、このオウム真理教という教団が一時的にせよ我々の社会に存在し、その活発な宗教活動によって、一万人とも二万人といわれる若者たちの支持を獲得したという厳然たる事実をどのように考えるべきか、という問題が解決されたわけではない。この一連の事件の深刻さは、それがまぎれもなく「宗・教・」とそれへの「純粋な信・仰・」に由来するものであったことであり、「宗教的良・心・」の寓意としての反社会的な破壊行為であったことなのである。

筆者は、オウム真理教という存在が何ゆえに我々の社会に出現したのかという問題は、その歴史的必然性をとりあえず認め、その生起の過程を考現学的に遡及検証することによってしか解明されないと考えた。このような仮定において、この一年有余の期間、可能な限りのフィールドワークを積み重ねてきた。何人かの元オウム信者と突っ込んだ対話をし、また、それらの出身家庭のご両親などとも対論を繰り返してきた。その結果を一言に言えば、「家庭」という社会における最も基本的な存在が、かつての意味や機能を喪失しようとしているということである。

さて、オウム真理教という「新新宗教」が生まれるに至った我が国の情況はどのようなものであったのだろうか。

森岡正博氏は、「オウム真理教とは何であったのか」という問いは、「オウム真理教の時代を生きなければならない〈私〉とは何か」という問いにおいてなされなければならないとしている。*4

すなわち、我々も同じ時代の<空気>にあるものとして、自己自身の内面への凝視をも合わせる形で、この作業を行なわなければならないということである。

この作業は、オウムを「客観」するという態度において成就することはない。むしろ、オウムが提示したものを一つひとつ自分の前において吟味してみるという地道な作業が必要であると考える。

また、元オウムの信者であったある者は、「お寺はもはや『風景』に過ぎない」とメッセージした。オウム元「出家者」で、現在は脱会者への社会復帰のケア活動をしている永岡辰哉氏は、「在来宗教が(中には宗教と、とても呼べないものも多くありますが)いわゆる一部の若者(時として中・高・老の方もいらっしゃいますが)の問題に対処できなくなっている*5」と指摘する声をどう評価したらよいかという問題でもあるとしなければならない。

二 現代の家庭の危機

「宗教カルト」による被害の問題に関わる弁護士やカウンセラーから、このような若者の「カルト」への入信に至る背景には、深刻な家族問題があると報告されている。両親の離婚や父親の酒乱や家庭内暴力などの明確な問題を抱えた場合が実際には多いが、これらの他に、表面上は普通の家族形態を保っている場合にも、その家庭環境の内実および成長の経緯を詳しく調査する中に、ある一つの特有の傾向が見られると言われている。それは、一言で言えば、幼児期における母子関係の緊密さに比べて、物理的にも精神的にも父親の家庭内の不在性が高いということである。したがって、元信者の社会復帰を進める場合、カウンセラーは、改めて、家庭内の父親の積極的な関与を心掛けるように指導する。このことが、ある程度実践される中に、結果として良好な社会復帰への順調な移行が見られるという結果の積み重ねから、この指導の有効性はほぼ証明されていると言ってよい。

さて、我々は、どのように歴史的経緯の上に、このような現在の家族の不全な状況に行き着いたのだろうか。

両親と子供の関係の不全化という問題について考える場合、単に戦後の核家族化だけを問題にするのではなく、戦前の制度としての家族が法的に明確に規定されていた時代との相違、すなわち、家族のありかたについて多様化しているという事実に注目することの方が意味がある。戦後の民法改正によって、従来の伝統的家族像を一変した。「大家族」(「家父長制度」を含む)から「核家族」への移行が起こり、また戦後復興と産業振興によって、農村人口の都市への集中とともに、いわゆる「団塊の世代」の「ニューファミリー」という一つの進歩的モデルを作り出して行った。「ニューファミリー」は、戦前の家族制度を「封建的で抑圧的なもの」と規定し、それへの対立概念として理想化がはかられたものであった。平等・自由への指向の下に、両性の平準化が図られ、従来の家族概念とは異なる個人主義を基底とする西欧型モデルの移入が行われた結果としてこのような概念が生じたと考えられる。

しかし、こうした変化が従来の家族の成員個々に様々な影響を与えることとなったことは否めない。性の平準化は、母性と父性の子育てにおける分掌のありかたを変容させることとなった。西欧の父権が母性を圧倒する基底的文化に比較して、日本の家庭は長い期間、母性原理を基本とした「母子の一体性」の濃密な結び付きとして続いて来た。そして、父親は、母子に対して外部の《他者》として介入することで、「母子の一体性」から子供を引き離すこと、つまり、外部の価値=社会性を与えるという役割を担って来た。母親は、あらゆる外部の価値に対して子供を「抱え込み」、父親はそれを「断ち切る」、という機能としての役割分化があったということである。子供の社会への旅立ちのための実存的葛藤は、反抗期を経過しての漸次的に解消され、社会適合への道程に比較的安全に導かれて行くこととなる。いうならば、母親とは子供にとって「絶対に安全な、いつでも自己を受け入れてくれる」《逃げ場》なのであり、父親は、そこから子供を「引き離す」《他者》としての役割を演じるものとしてある、ということであった。

社会化の進んだ母親は、父親と同じように、自分の子供に対して将来の社会適合のための「外部の価値」を説得することに最大限の気配りをすることになった。これこそが、子供に対する「教育」であるという確信を持った。しかし、実は、この行動そのものが、その後の子供の精神形成に深刻な問題を投げかけることになって行くということになる。母親が、父親の代役として個としての社会的自立を要求する時に、基本的な「母子の一体性」の関係は失われ(子供にとっては《逃げ場》を失い、母親が《他者》となる)、子供は自己の成長のための重要な要素を切り取られることになる。そして、「おとなしくて、良い子」「手のかからない子」という価値に適応することに強制された子供の精神は、成長の過程で当然あるべき情動発散(反抗)があらかじめ封じられたまま、成長することとなる。結果において、ある種の人格障害を誘発され、無気力・登校拒否・不登校・いじめ・家庭内暴力・非行などの問題行動として発症することになる。*1

オウム真理教の元信者およびその両親に取材をしていて気づくことは、いつも行き当たることは、実に、この父親不在の母子関係という家庭問題なのである。

三 「個族化」と「マイ宗教」、および「第四次産業」としての宗教ビジネス

六十年代以降の高度成長期を経過した後の家庭と家族は、さらに変容して「家庭のホテル化」*1と言われる状態に行き着くこととなった。この期間に、産業社会はさらなる効率化がはかられ、夫婦共働き(女性の社会進出)・長時間の残業・単身赴任などの増加にともない、家庭はますます空洞化を深めて行く。また、子供にとっては受験競争の一層の激化にともなって、過剰なまでに学習塾や予備校通いに駆り立てられた。それぞれの生活時間の異なることによって「一人暮らしの子供・孤食」が増加して行く傾向が高まることとなる。同時に、「父親=イエの主人」という概念が従来表していた中心性の象徴は形骸化して行くこととなる。このように、同じ家屋に同居しながら、相互に分断された生活を続けている状態を「個族化」と呼ぶことが行われている。

「核家族」からさらに「個族」への移行は、日本人一般にとっての宗教の受容についての変化に連動しているとしなければならないと考える。各家には仏壇や神棚があり、正月・盆・彼岸・先祖の命日などの機会には、家族成員全体が参加する祭祀が行われ、それが一家の年間のライフサイクルとして定着していた。また、自分の属するイエが、特定の寺院宗派の檀家や神社の氏子であることは広く自覚されていた。そして、親族の一部に何らかの個人的事情で新宗教の教団へ入信する場合は、それは「特例的存在」としてあった。寺檀制度は、地縁的共同体の規範を維持する最小単位としての役割を担ってきた。このような意味で、「個族化」が定着する方向にあるならば、江戸幕藩体制の寺請制度成立以来続いてきた寺檀制度が崩れてきているとしなければならない。

さて、戦後教育の柱である科学的合理主義教育、その現れである理数重視の知育教育は、工業の発展に寄与する人材を育成するという国家的要望によって進められたものである。そして、この方向性は反面に「脱宗教化」という近代主義の思想を要素として含んでいた。

筑波大学の小田晋教授(精神科医)は、個族化に対応する現代人の宗教選択に関する状況を「マイ宗教」と一括する。*2この「マイ(私的な)宗教」とは、人間一人ひとりが自分にとって最も適合する宗教を選ぶということを意味するという。「自分の身の丈に合った=分かりやすい/実感できるもの/参加するもの」という定義が適当であろう。各々が自由に求めるところの信仰対象や実践体系をもつということであり、「イエ(公的な)の祭祀」としての従来の家族の宗教(「制度宗教」)に対する接し方と対概念として提示されたものである。七十年代の「仏教書ブーム」や、アメリカに端を発したニューサイエンスの流れにある「精神世界ブーム」などは、その先行的な現れであったといえよう。この場合、「仏・教・」ブームではなくて「仏・教・書・」ブームであったことに注意しなければならない。この時点から、トレンドに敏感な世代は、制度的宗教(「イエの宗教」)である菩提寺へ向かっていったのではない。あくまでも、個人が自由に選択できる得る書店の「書架の宗教」へ向かったのである。

こうした若者の志向性を、産業界はマーケットとして注目しないはずがない。巷の占い好きの、不思議(オカルト)大好きの、超能力に興味を持つ青年群から、「最高ですか?」「あなたを祈らせて下さい」*3と街頭で声をかける若者群への移行は、それほど不思議なことではないだろう。こうした状況は、宗教を一つのビジネスとして見做すある存在にとって需要に沸き立つ市場と見えることであろう。メディアは競って、予言、オカルト、超能力や心霊現象に関する特番を組み、高い視聴率をあげることに成功する。また、書店にはそうした関連の出版物が横積みされ、ベストセラーにいくつかが入る。このような循環は、さらに増幅されて、ついにはこれらの要素を巧みに教義や宗教的身体技法に含ませたところの「新宗教」の成立に至るのである。

新宗教運動、そして、「カルト」という生成の陰に、宗教を利用して不当な利潤を追求したり、自己の屈折した支配欲求を満足させたい何物かが存在すると想像しがちである。しかし、このような固定観念は、新宗教及び「カルト」というものの本質を見間違える可能性があるのではないか。マスコミは、オウム以前にも統一教会やその他の新宗教に関係した事件を報道することで、啓蒙的キャンペーンを繰り返して来たのにもかかわらず、新しい「カルト」を求める人々が、常時多数存在したという事実を否定しようもない。このような潜在的な「需要」に対応して、新しい構想を有する「新宗教」=「カルト」が、次々と世に送り込まれてくるという観察も必要なのではないか。

いつ間にか、書店に大量の著作が山積みされ、メディアを通じて宣伝が行われ、そして、壮麗な教団施設が整備されて行く。このような「起業」は、当然、市場調査/企画の立案/資本/人材・教義・技法・宣伝・信者獲得のノウハウ・組織形成と運営などのソフトの供給/教団施設建設整備などのハードの供給などで「プロデュース」されていくことなしに成功しない。現代のコマーシャリズムは、大衆に消費対象としての需要そのものを創り出すことさえ実行するものであって、現代における宗教は、最も高い効率性が保証され、また、相応の利潤を望める市場の一つなのであり、それゆえの大手金融・ゼネコン・マスコミが積極的に参入する「第四次産業」としての巨大なビジネスの対象でもあるという認識も必要である。少なくとも、宗教とビジネスの境界が不明瞭になっていることは間違いないだろう。

四 「精神(ココロ)の時代」とは何であったのか

この二十年間に日本の社会の奥底で進行して行ったことは、あらゆる分野での伝統的価値の相対化とともに、人々の間に個人主義が拡大して行ったことの二面で考えなければならない。かつての一元的価値の剛直から解放された我々が選んだものは、「個性重視」という言葉に象徴されている。これは、日常、「ひとそれぞれだから」という表現によって言い表され、相互に必要以上に「他人の生活に干渉しない」ことがコンセンサスとなった。相互に信ずるところを尊重し合うということは、個人主義を前提とした場合の一面の妥当性がある。しかし、反面で、人間関係の有機性は「迷惑なもの」・「余計なお世話」となって切り捨てられる。その結果、共同体の紐帯の細化とともに、人間関係の濃密さを徹底的に削ぎ落として行く方向である「利己主義」の色合いを深めることとなった。

しかし、自己決定の方法をマスメディアの流す途切れることのない膨大な情報、あるいは、自己の所属する小集団の意向(「みんな、やっている。みんながそう言う。」)に依存する一方で、「何が正しいか分からない」「どう生きたらよいか自分では決められない」という懐疑を抱える孤立化した自我をかかえる大量の人々が生じて行くこととなった。そして、「なぜ生きるのか」「死とはなにか」などという、「意味への欲求」が個人の内的世界で増幅されて行く。

特に、「政治の季節の終焉」と呼ばれた七十年安保以後、経済的高度成長はピークを迎え、中流意識が行き渡った段階で、「病」を除いた「貧」と「争」に対する関心は薄れる傾向にあった。ものの豊かさが保証されるのと平行して、精神(ココロ)に充足されないものを感じる若者が多数生み出されてくる。社会が極限まで機能分化するにつれ、人間の存在もまたその巨大な全体的システムの一部と化す。個人の「理想」は、あらかじめ疎外されることとなる。例えば、エンジニアが新しい自動車を設計するということは、自動車の部品の一つを設計することに過ぎない。人間は、臣大な工業生産システムの一部になることだけが要求される。

しかし、その満たされず、くすぶり続ける「理想」は、屈折した人間たちの願望を集合的表徴としてサブカルチャーとしての「虚構」を創出して行くこととなった。この二十年間余りにわたり、出版・放送メディアは、競って、「超能力/心霊現象/予言と終末/超古代史/UFO/陰謀史観等」の「虚構のエンターティメント」を世に送り出して行った。なぜ、オウム真理教に集まった信者に理系の高学歴の若者が多かったのかが、当初から一つの疑問とされた。真面目でおとなしく勉強もよくでき、また、「理想」を追い求める純粋さを持ちながら、挫折させられた「理想」を反転させて「虚構」に投企していく脆弱で未熟な群像こそ、オウムという最悪の犯罪組織を形成する素材であったと言えるだろう。*1

これらの若者が宗教に求めたものは、家や家庭の幸福、あるいは、共同体の安定や平和などの地縁的集団的な目標を充足させるものではなく、個人のスピリチュアルな体験(眠っている「霊性の覚醒」や「意識の拡張」など)を入口として、失しなわれた体感を埋め合わせるところの全態感への上昇であった。

彼らは、密教・ヨーガ・瞑想などの思想と技法を、神秘主義、あるいは、オカルティズムによって捉え直し、かつ、また、キリスト教の異端思想である「千年王国論」という「終末論」*2を取り入れて行った。さらに、自らが社会から「疎外されている」「自己の理想を受け入れられない」と感じる被虐的でナルシスティックな者たちが、唯一、世界と関わるバーチャルな現実感を持ち、復讐に転じられる場が、「陰謀史観」*3である。

ほとんどのカルト的宗教は、それぞれの終末論的救済の教義を持つと言われる。地球規模の環境の悪化、あるいは、核戦争などによる人類の危機を説きながら、そのグローバリズムと反して、「これを信じるものたちだけが『選民』として生き残ることができる(救済される)」という自己本位的で偏狭なナショナリズムを持つに至るのである。オウムは、「終末論」と「陰謀観」を混合して、「予言」として信者に訴えることとなった。

五 世界における宗教のリバイバルの潮流とファンダメンタリズムの台頭

この二十年間あまりの世界の状況を振り返ると、イデオロギーによる統合が段階的に後退し、代わって、宗教が民族や国家の枠組みを決定する要素として復活しつつある。一九八九年のベルリンの壁崩壊によって始まった米ソ東西冷戦の終結によって、世界は権力とイデオロギーの空白期間に入った。戦後、自由主義と社会主義の相反するイデオロギーの対立は、核による緊張を背景にして、とりあえずの全体の均衡(=冷戦構造)として維持されて来た。しかし、その緊張が急速に緩和されたことが、逆に、新たに、国家や民族の統合の原理をイデオロギーとは別のものに求めることとなった。このような国家的/民族的なアイデンティティ・クライシスを補完するものとして、近代の合理主義あるいは科学主義によって一度は歴史の裏舞台に追いやられた「宗教」が再び呼び戻され、「宗教回帰」という現象が世界の各地域に拡大するという状況が生まれている。近代の国民国家を支えた世俗的ナショナリズム(政治的・経済的イデオロギー)の枠組みが相対化される一方で、一つの宗教で新たな枠組みを再構築し、価値の一元化をはかろうとする考えが次第に強くなりつつある、ということである。

しかし、こうした宗教の絶対化・価値の一元化への行き過ぎた時に、宗教の原理主義(ファンダメンタリズム)*1への傾斜を強める。この結果、独善的な排他主義を生み出され、冷戦時代とは異なる新たな対立の構図が生み出されることとなった。

一九七二年にフランス亡命から帰国したホメイニ師によって指導されたイラン革命(一九七九年)におけるイスラム復興主義によるイランの統合は、アラブ世界全体にも刺激を与え、イスラム文化圏におけるイスラム原理主義による民族の再統合や再結集を促進させることとなった。そして、このことが、宗教の違いを媒介とした国家間の対立、および、陰惨な暴力的テロの頻発という新たな紛争の原因となり、戦後に成立した多民族(複数民族・複数宗教)国家内では、深刻な民族対立と内戦を引き起こしている。

もちろん、このような宗教による民族再統合、そして、過度の排他主義がもたらすであろう危険に対し、「寛容」による「宗教(間)対話と協調」*2の提言がなされ、排他主義のもたらす悲惨な相克を回避させる努力が加えられていることも評価されなければならない。国際社会も、概ね、宗教者と知識人の提言から始まる「共生」を共通理念として行動しようとしていることは間違いない。しかし、残念ながら、現時点では、全体に排他主義への傾斜を防ぎ止めるだけの力を得ていないようである。

ところで、この宗教の原理主義化というのは決して第三世界だけの問題ではない。一九八〇年代にアメリカ合衆国で勃興したキリスト教の保守的右派(Chistian right/riligious conservative)である福音派主義(エバンジェカリズム)とは、七〇年代に起こったカウンターカルチュア(対抗文化)*3に対する中産市民階級の保守派の反撃として成立したものであるとされる。ベトナム戦争・公民権運動以後のアメリカ社会は、犯罪・麻薬・性文化(ゲイ)・エイズの蔓延などの深刻な混乱の中にあり、解決の糸口がつかめない状態にある。これに対し、穏健な保守的中間層から打ち出されてきたものが、「福音派主義」という主表であり、「何かを主張し、怒れるエバンジェカル」と呼ばれている。しかし、この運動は一九二〇年代に起こったキリスト教の復興運動である「神学運動」とは明らかな質的な相違がある。彼らが目指そうとしている地点を一括すれば、「反ヒューマニズム(反・世俗的人間中心主義)」というものであり、広義の「反近代主義」である。社会の倫理的道徳的混乱の原因を、近代的合理主義への偏重、すなわち、科学によってあらゆることを解決可能とする進歩主義的思想への猛烈な批判として出発しているのである。人間と世界をトータライズする普遍原理を、再び、キリスト教の聖書と思想の中に見いだそうという方向性を持っている。それは、「聖書の記述に対しいかに忠実たりえるか」を指標として、何を現実に行動し実現するかを問うて行こうという属性を持つ運動であって、「聖書根本主義」という形の「宗教の原理主義」の範疇に属する。具体的な主張として、ダーウィン進化論の教育現場で行うことへの批判、ゲイ文化や人口妊娠中絶への反対運動などであり、一部に過激な行動を伴う。そして、家族の価値観(family values)を重視し、また、学校における祈りの復活などを主張する。上下両院で多数派を占める共和党と組んで政治的実現を目指し、再選を果たした現クリントン政権も概ねこれらの政策に同意する方向に向かっているとされる。

しかし、この宗教復興運動はキリスト教の既存の教会への回帰を意味しているのではない。むしろ、制度宗教としての教会の勢力は停滞している(特に、リベラル系キリスト教の信者は激減している)という事実がある。布教方法の中心は、マスメディア(CATVなどのネットワーク)を利用するテレビ伝道(テレバンジェリストとして有名なパット・ロバートソンなど)へシフトしており、実際に極めて高い視聴率が獲得されている。*4

このように、冷戦以後の世界のイデオロギー支配の後退という混乱の中で、宗教が内外政治の動向に影響を与える重要なキーとなる事態が進んでいるのである。このような意味で、二十一世紀は「民族と宗教の時代」と呼ばれるのであろう。

第二章 「新宗教」を解剖する

一 新宗教の系譜

新宗教はなぜ次々と生みだされるのか。

目前に迫った次世紀における社会と宗教に関係を模索する上で、この問いは最重要であると考える。この膨大なエネルギーを繰り返し生み出す運動について、新宗教それ自体の歴史的生成の系譜に分け入って、再検討することが必要である。

この章では、新宗教の系譜を明治維新以来の「日本近代の社会と宗教の問題」として捉え、オウム真理教などの「新新宗教」と呼ばれる宗教運動の成立と展開に至る経過をたどってみたい。

新宗教とは、近代の科学的合理主義の導入における宗教の「脱聖化(我々のような既成の宗教的存在からみれば「世俗化」)」が、伝統的な宗教心性との間の相克のはざまに生じたものであるという見方がある。このような理解に従えば、新宗教とは、国家の近代化(=産業化)という国策に対応する民衆の受動的な抵抗運動としての位置づけが可能である。宗教社会学者井上順孝氏は、「新宗教は、近代日本に出現した一つの新しい宗教システムである」とし、新宗教運動が次々とうまれるのは、「日本社会に、矛盾が多い証拠である」という。*1新宗教とは、権力による民衆に対する政治的な要求の「軋轢」に対する民衆側の欲求不満のはけ口として成立するという理解の仕方もあるだろう。

新しく生まれて来て民衆が受容した成立宗教を、すべて、「新宗教」という名称で統一されるべきであるという井上順孝氏の意見にしたがうこととする。マスコミで用いられる「新興宗教」という呼び方もあるが、これは「最近成立し、目だった活動を展開する新宗教」という意味であり、揶揄的な先入観をともなっているものとしなければならないので、基本的に採用しない。

新宗教は、系譜的に第一次から、第三次への三つのブームとして捉える仮説が有力である。最近の第三次宗教ブームに生まれた「新・新宗教」という分類も、「戦後に生じた新興宗教とは、その行動において異なる要素を持つ新宗教」という含意がある。これまでの新興宗教である創価学会や立正佼成会、PL教団などを「旧・新宗教」と区分するための便宜的な呼称である。一括して、「new religion」というタームで、世界的に宗教学界では使用されつつあるという。*2

この章では、まず最初に、日本近代史の中の現代の宗教ブームに先行した二つの時代の新宗教運動について概観してみたい。

明治維新政府は、西欧近代の科学的合理主義を積極的に導入することで「富国強兵」の達成を優先することを方針決定した。伊藤博文ら西欧を派遣された指導者は、近代ヨーロッパの国家を成り立たさせている国家的統合の原理としての宗教、すなわち、キリスト教がその役割を担っていることを発見していた。そして、帰国後、西欧におけるキリスト教の代案として、新たに要請されたものが「国家神道」というあらゆる宗教に超越する「宗教」の政治的成立であった。「国家神道」という「宗教ではない宗教」は、教育勅語などを媒体によって国民に宣伝され、また、一方で法による既存の宗教(特に仏教・・・「神仏分離」)に対する統制が進められた。したがって、「国家神道」の一元的支配と乖離するものは必然的に排除されることが目されていた。

このような抑圧的な宗教統制が、それまで存在した伝統的宗教心性に深刻な動揺をもたらした。その動揺は、大衆の側に在来のアミニズム的な(あるいは、シャーマン的な)民族宗教を祖型にした黒住教・天理教・金光教などの「教派神道」と呼ばれることになる新宗教を生み出した。また、当時輸入されつつあった西欧の神智学やスピリチュアリズムを巧みに組み合わせながら、大正期に新たな「大正生命主義」という思想の流行を促し、その影響下に一大新宗教運動を巻き起こすこととなった。*3日露戦争後の大正時代の農村の疲弊は、共同体崩壊の危機をもたらし、深刻な個人のアイデンティティクライシスの打開を求める心情が高まりを見せた。出口ナオ・王仁三郎の開いた神道系創唱宗教である大本教や竹内巨麿の天津教などは、当時の知識人や軍部を巻き込むような大衆的な教団を形成して行った。

国家の一元的支配を揺るがす新宗教運動=「世直し運動」に成長する可能性をもった大本教に対して、当局は「治安維持法」や「不敬罪」をもって二度の徹底的な弾圧を加えることになる。当時の新聞などのマスコミによる新宗教運動に対する「淫祠邪教」の宣伝も、明治の中期にはすでに見られる。*4また、アカデミズムによる批判的合理主義の導入によって、仏教経典の文献学的・書誌学的研究が促進し、これまでの既成仏教が当為としてきた教義と信仰の宗教的心性や世界観・人間観にも相対化が進んだことも見逃せない事実である。

この第一次の新宗教運動は、国家の戦争への傾斜と拡大の中で次第に終息を迎える。しかし、一端は圧制の中で地下潜行したエネルギーが再び復活するのは、この太平洋戦争の終結を迎えた時であった。

第二次新宗教運動は、終戦直後の「神々のラッシュアワー」と呼ばれた昭和二十年代を経て、「第二次の近代化」と呼ばれる高度成長時代に本格化する。戦後の経済復興、すなわち、都市における第二次産業の著しい発達は、農村からの都市への人口の大量流出を促し、地方出身者による今までにない新しい都市中間層が形成された。その結果、出身地域には存在した共同体の紐帯の喪失感が、オルタナティブとして疑似共同体を求める心情を高めて行くことになる。すなわち、第二次新宗教運動の代表である創価学会や霊友会系の法華新宗教、その代表としての立正佼成会などは、地方出身の都市生活者や家庭の主婦層を大量に吸収することで組織を拡大する。

その入信の動機の根底には、無産階級としての生活維持の不安感と都市におけるドライな人間関係が生み出す孤独や疎外感があったと言える。このような「需要」に対して、「貧・病・争の克服」を共通のテーマとしたことで、これらの教団は成功する。信者の求めたものは、あくまでも経済的・社会的な制約下における現世での幸福の追求であったし、それはある程度、日本全体の目覚ましい経済的発展の中で「実現」されて行くこととなる。

疑似共同体の統合のシンボルである教祖(権威カリスマ)とその組織へ自己を依存させることで、信者は、組織内に「新しい家族の一員」としての居場所を獲得し、安定を得ることになる。教団は、信者にとって理想的な共同体として認識された。したがって、それら新宗教の宣伝媒体である機関紙には、「疑似家族(共同体)」としての演出が凝らされ、末端の個人から支部へ、そして本部(教祖)へというヒエラルキーとしての有機的連携が強調される傾向が顕著となる。また、教団の礼拝施設は、巨大・威容・壮麗であることをことさらに強調することで、統合のシンボルとしての権威性を補完するものとして次々と建築されて行った。

反面、教団の理想を共有しない外部社会は、悪意と虚偽に満ちた冷淡な世界であることとなり対立の構図が生まれてくる。教団の内部を引き締めようとすればするほど、外部に対する排他性が加速する。ここでも、第一次宗教ブームの時と同じように、教団の反社会性を追求するジャーナリズムを媒体として、市民社会との摩擦や相克が生まれて来た。

二 第三次宗教ブーム 「新新宗教」

脱工業化社会=高度情報化社会という時代を迎えた現代にあって、物質的な豊饒さに比較して、内面に満たされないものを感じる多くの若者を世に送り出して行った。

豊かで快適な生活、効率の向上、経済的な達成感、フロー本位の生活を続けることは、同時に代償として、自己決定性(自己責任)・主体性・自由・ディグニティ(尊厳)の放棄を余儀なくされる。現代人は、組織や権力に対する自己欺瞞的な服従、すなわち、構造的な内面支配のメカニズムのもとにあることになる。いわゆる「自発的服従(autonomous obedience)」*1であり、大人は会社という共同体への忠誠をモットーとする「モーレツ社員」「会社人間」を、教育の現場では偏差値偏重の画一的な知育の序列による管理に順応する子供達を生み出した。

しかし、このような管理社会からの解放と自発的服従の拘束からの突破を求める心性が次第に累積されていたことも事実であろう。六〇年代のカウンターカルチュアを継承するニューサイエンスの所産が、少しづつアメリカから輸入紹介されて行った。このニューサイエンスは、全体から見れば「非合理の復権」ということができる。近代の科学主義と東洋の宗教(禅・ヒンズー・道教・イスラムスーフィズムなど)との一致や折衷のもとに、近代合理主義への偏重を乗り越えようとする運動を基盤としていると言う点で括ることができると考える。ヨーロッパの神秘主義(オカルティズム)や心霊主義(スピリチュアリズム)が、十九世紀以来、再度の掘り起しが行われる。理性から感性へ、あるいは、「ロゴス=ドグマ」から「直感」への転換、そしてそれらの二項対立の「止揚」や「統合」による、新しい「科学的場への移行」(=「パラダイムシフト」)としての主張を持っていた。

このニューサイエンスは、七十年安保以後の目標喪失からくる若者の日常性の内面的な渇き、すなわち、退屈と倦怠の日常性から離脱したいという願望に対して、リアルな影響を及ぼすこととなる。ニューサイエンスの流入と拡大は、そうした日本の若者の心を捕らえ着実に支持者層を拡大して行った。「救済」・「癒し」の対する欲求として高まりを見せ、「宗教回帰現象」と呼ばれる前期の「新新宗教」と呼ばれる運動を起こす原動力となったと考えられる。

西山茂氏は、「前期 新新宗教」、その代表としての阿含宗、GLA総本部、真光などが、奇跡や霊体験の個人的体験を教義と修行体系を強調することで支持を受けたのは時代のトレンドに合致したものであったからという。*2「宗教の時代」は、書店の「精神世界」コーナーに集まる「教団嫌いの神秘好き」と呼ばれる比較的教養レベルの高い若者たちによって始まることとなる。ここを起点として、深層的なるもの(オカルト)への回帰願望と交じり合い、「占い・まじない」の俗ブームを呼ぶこととなる。メディアは競って「超常現象」「霊的現象」などの情報を大量に家庭内に提供した。もちろん、良識ある者にとってはそれらは単なるエンターテイメント(娯楽)に過ぎなかったが、成長途上の青少年のバーチャルな感覚に直接の影響を与えることとなる。「タタリ・ハライ・ケガレ・サワリ」など、伝統的宗教からも実証科学からも全く根拠もないとされることに心を奪われて行く多くの人々。例えば、「水子供養」や単なる詐欺行為でしかない「霊感・霊視商法」などに簡単に引き込まれて行く大量の人々を生み出すこととなる。

オウムなどの「後期 新新宗教」は、「前期 新新宗教」を後継しながら、書店の精神世界コーナーのニューサイエンスの「宗教」と、サブカルチャーとして「疑似サイエンス」を無批判に取り上げたジャーナリズムによって形作られた「オカルティズム(の情報の)海」を背景に生まれることとなる。

三 「後期 新新宗教」の構造

オウム真理教の「宗教」としての特質および具体的な内容が何であるのか。筆者は、オウムを含む「後期 新新宗教」の宗教的特徴のメルクマールとして、次の四つの要素がその軸におかれるべきであると考えている。これらの特質は、おそらく、現代の青年層全般における「宗教」に対する認識や期待をかなりの程度反映しているものとして把握されるべきものであり、近未来に再び生成が予測される次の新宗教運動の内容に引き継がれて行く確率の高いものであると考える。

■超能力・神秘体験

オウムの元信者は、かれらの「修行」において経験した「神秘体験」を「鮮烈で、生命感に満ちた初めての体験であった」と証言している。このような体験は、心理学でいう「変性意識状態 altered states of sciousness」、意識集中と被暗示性を高進することで引き起こされる心理生理学的状態として十分に説明されるものである。ここ二十年あまり、「瞑想(メディテーション)」、「ヨーガ」、「気功」などを教えるセミナーや教室に通う人は途絶えることがないと言われており、総じて、「宗教」に対して、自己の身体を以て「実体験」することを求めているとするべきである。

第二次宗教ブームの「旧新宗教」のありかたとの比較の上に次のように整理される。

(旧新宗教)「信の宗教」「文字コード型」「教義の学習・布教実践」
(新新宗教)「術の宗教」「身体感覚型」 「参加・体験する宗教」

■「宗教的コミューン」と反社会性

教団という「宗教的コミューン」への強い帰属意識は、拡大が著しい新宗教運動に共通する要素である。旧新宗教々団への入信動機には、地縁的共同体からの離反(都市への人移動、都市化)による共同体の一体性の喪失がもたらす不安感が背景としてあった。いうならば、農村における既存の共同体のオルタナティブとしての機能を新宗教の教団に求めていたという像を結ぶことができる。したがって、教団の外では通用しない価値を互いに共有し合うことによる紐帯が、信者個人の自由な発想を必然的に拘束することとなる。個性は集団の中に埋没するが、共同体の一体感は満足させられる。旧新宗教は、この一体的な集団(大衆)を現実の社会の「世直し」という社会変革へ導くことになる。これは、本来、没社会的な立場の人々に社会参加を実感させることに実効することとなったのではないか。この行動の図式によって、信者の社会的な疎外感から来る不満を緩和することへつながったという評価が、現時点に立てば、ある程度言うことができる。

さて、オウムによるとされる無差別テロを含む一連の反社会的行為は、強い社会への不信感や嫌悪感を背景としていたとしなければならない。新新宗教においては、「救済論」を社会改革的な「世直し」という「理想」から、むしろ積極的な社会そのものへの「破壊」というものへ論理を移している。「国家内小国家」というべきものを教団内に形成し、「分(少)衆」的で、極めて利己的な集団としての「宗教的コミューン」を形成しているということである。

■陰謀史観・予言と終末思想(エスカトロジー)

彼らは、陰謀史観を信じ、そして、終末思想(エスカトロジー)を強く意識していた。その基本的なモチーフを箇条列記すれば次のようになる。

◇一九九九年(のちに一九九七年に変更)毒ガス・化学生物兵器と核兵器による最終戦争によって、人類の四分の一は滅びる。

◇これは、光と闇の戦いである。光とは、オウムの「解脱」した超能力者集団であり、闇とは、フリーメイスンによって支配されたアメリカ合衆国と日本政府である。

◇これは、麻原彰晃尊師の予言であり、必ず実現する。

◇過去にナチスドイツを率いた反ユダヤ主義のヒトラーもこの闇と戦い、形式的には敗れたが、ヒトラーは今も生きていて密かに再進出の機会を見ている。

このような「妄想」は、彼らが育って来た身近な環境に、絶えずサブカルチャー(アニメ・オカルト雑誌・テレビ報道・「ユダヤ陰謀説」の書籍などの大衆文化)として、情報提供されて来たことによる影響であることは明白である。

このようものにリアリティを与えるのは、かつて科学が限りなく前進的で明るい未来像を保証しているように教育されたにもかかわらず、公害・環境悪化・資源の枯渇・人口の爆発・民俗紛争などの深刻な否定的要素を蓄え、それらへの解決への確たる道筋を見いだすことができない現状が反映している。科学への明るい夢が打ち砕かれ、科学主義への絶対的信頼が揺らいでいる中で、若者の屈折した感情として表出したものであるという評価もできよう。

■生死観あるいはネクロフィリア

オウム真理教の元信者が、精神的ケアを受けて行くプロセスで、最後まで心理的葛藤を起こす最も根の深い後遺症は、オウムによって施された心理操作における「死」に関する部に多く存在するように思われる。オウムは、ビデオと音声テープ(そして、薬物の効果を併用)を使って、「死=地獄のビジョンと恐怖」を徹底的に信者に植え付けた。自分の意思で脱会した元信者でも、その時の映像体験が、時々、フラッシュバックすることがあるという。 

「死」が現代人にとっての極めて根源的な不安を呼び起こすのは、第一に、我々の時代の「死」が「消費時代の死」であるからであろう。「消費」は、生きて活動する人間のサイクルのみがその対象とする。コマーシャリズムは、競って「若々しく、元気で、生命活動の盛んなもの」を価値の高いものとして優先する。それゆえ、老人、病者、そして「死」及び死者(死に逝く者)はできるだけ人々の日常的観念から遠避けられようとし、結果として、病院に「隔離」されるべきものとなる。現在、日本における死者の約95%が病院で死を迎えるという。しかし、隠そうとすればするほど、人々の深層心理から離れられないことは事実である。

また、高度な医療技術の確立は、過剰医療という問題、すなわち、いわゆる「死ねない時代」という問いかけを我々に与えている。他にも、脳死臓器移植、エイズや末期ガンの告知、ターミナルケアなどの現代人の「死」を巡る状況がある。最近は「尊厳死」、さらには「安楽死」、そしてそれらをまとめて「死ぬ権利」という問題を提起している。すなわち、「個人の人格の意志による自己決定」という新たな問題に我々は直面しているのである。

日本人固有の伝統的死生観とは、家族の濃密なケアの下に祖先崇拝(先祖供養)としてあり、人の死は「イエ」そのものの永続性とともにあった。そして、「イエ」は、地縁性によって地域共同体の維持と結び付けられていた。既成仏教は、その日本人の共同的宗教心性を基本的に肯定し、受け入れることで、受容されて来た。

そして、この血縁・地縁の共同的宗教心性である「先祖供養」を説く既成仏教全体の影響力が急速に衰退しつつある今、新たな代案としての「死生観」が人々の中に求められることとなる。「中沢新一 『チベット死者の書』」・「立花隆 『臨死体験』」などがよく読まれ、また、テレビを通じて報道され高視聴率を得た。また、書店には『大往生』・『病院で死ぬということ』などの、「死の自己決定」をテーマにした出版物がベストセラーとなっている。また、「心霊現象」・「死後の世界」で象徴的な「ギボアイコ現象」の流行も、「死」の観念の動揺へ対応する俗的な対応の現れの一つと見ることができる。

本来、既成仏教の僧侶が受け持っていた範囲であり、家族と共同体の受け止めのもとにおかれていた人間の「死」が、個々の理念と情緒による選択という地点へ差し戻される事態は、現代人に「自己決定の重さ」を耐え難いものとして受け止められることになったとは言えないだろうか。そして、最もそのような時代の風潮にセンシティブに反応する青年たちは、その自己決定の重さに耐え切れないという心情に達した時、教祖・教団が示す一元的価値体系(「真理」)に出会うことになる。

筆者は、現代人に潜在的に備わっていた「死」に対する自己責任という抑圧が累積されてあることが、非常に意図的な解釈によって作成されたたものであるにしろ、オウムの示す「真理」全体に対して全面的に信じたいと思う心理に導入される最も有力なファクターの一つであるように思われるのである。

第三章 我々自身への問い

一 「正統」はどのように位置づけられるか

「宗教法人法改正問題」に、国民の約八十パーセントがこの法律の改正について賛同したという事実は、直接的にはこの事件の及ぼした衝撃の余波であるにしても、すでに宗教全体に対するネガティブな感情が国民の間に潜在していたとしなければならない。そして、自民党による新進党に対する政治的なキャンペーンの影響力も加わり、我々に反論の機会がほとんど与えられることもなく瞬時に成立し、平成八年九月十四日を以て施行されることとなった。

我々は、市民社会の宗教に対する不信や忌避という情況の中で、改めて、我々自身の正統性を主張する道程を進まなければならないこととなった。すなわち、我々の宗教は、同時代の人間を救済するという観点において、「正統」たるに値する宗教であるために、いかに考え、いかに行動するかということを、自らに向けて真摯に問うて行く道を歩き始めなければならない、ということである。

しかし、人間が希求するものは「偽りの宗教」ではなく、「真なる宗教」であることは根本原理である。現行の宗教的存在や表徴に対して「信」を表明するにしても「不信」を表明するにしても、人は必ず「真なる宗教」を求めるという心性を持つものであることに、我々は絶対の信頼を置かなければならないだろう。そして、この「宗教性」に対して明確に解答することができる存在こそが、唯一の「正統」であるということである。

この「真なる宗教」とは、「真理」の名のもとにある強固な精神的骨格を持ち、あらゆる現象に対し柔軟に対処することのできる能力を属性とするものでなければならないはずである。そのように世界と人間は多様であり多元的であることが前提されているからである。あらゆる多様なものを受容しつつ、決して分かつことのない一元的世界へ導引するものこそが「真なる宗教」の自明性である。そして、「真なる修行」とは、正しい身体技法とともに内面の徹底した錬磨をもたらすものであり、「真なる教化伝道」とは、彼我の差別を超えた無我の慈悲の行いそのものであるはずである。

我々(=日蓮大聖人の正嫡としての唯一の法華の伝道教団)が、宗祖日蓮大聖人以来七百五十年にわたって連綿として保ち続けた教義の「真理」は、絶対かつ無謬のものであることは全く自明である。しかし、我々が委任された時代において、その「真理」を伝達する、すなわち、宗教の教義=救済を説く方法において果たして十分に機能しているであろうか、と自己に向けて検証することを決して怠ってはならない。そのような意味で、ポストオウムの現代(宗教不信の時代)ほど、「教学」の更なる習熟とそのプレゼンテーションの探求が求められる時代はないように思う。そして、我々がそれを求める以上に、時代そのものがそれを欲しているということである。我々は、「教学」の記述に厳格であるのとともに、時代の要請そのものにも厳格である必要がある。この意味で、「教学の現代化」とは、このような時代要請を読み取り、その欲するところにおいて、「教学」と現実の社会の間を相互に行き来するものでなければならないだろう。

「正統」のなすべき仕事とは何か。真に「正統」なるものは、多様に現前する「異端」なるものと明確に「対峙」するものであらねばならない。「異端」を観察し、「異端」を知悉し、その「異端」との対話に臨み、「異端」との対決し、「異端」を屈服させ、「異端」の自らの誤りの由来についてについて自覚させ、回心(コンバージョン)に導引すること。そして、最終的にそれ自身の悟性を引き出し、その悟性を育て上げることで我々自身と共通の地点に立つことである。「開示悟入」の道程である。

我々は、真にオウム真理教を「宗教の異端」となしえているであろうか。世俗的な市民社会の持つ流動的な価値判断と一緒になって「排除」の立場に立つことでは、このオウム問題に根本的な決着はない。このオウムという問題は、我々自身の「異端」に対する「対峙」の意志が試されているとしなければならないし、回避することは我々自身の「正統」の放棄であると言ってもよいのではないか。

この一年半を経過して、オウム真理教という「異端」の宗教に陥ってしまった若者の何十人かが、我が宗門の教師の手によって自らの過ちを自覚し社会への再生の途を復している。これらの教師の地道な活動には、オウムという間違った宗教に対してしか、「救いのリアリティ」を感じられなかった人々の不幸への共感と理解がある。確かに、彼らは反社会的であり、背教的な存在である。しかしながら、この時代と環境を共有する人々なのである。

「ポストオウム」とは、同時に本格的な「カルトの時代」の到来を示す歴史の関頭のことである。すなわち、オウムとはその始まりを示すものなのであり、これからが、本当に「異端」との対決の前に我々自身が立たされる時代を迎えるとしなければならない。

我が宗祖の六十一年のご生涯は、大難四箇度小難数知れずの法華伝道にむけた苦難の道程であった。それは、畢竟、仏法=法華経による「正統」への復古運動であると位置づけられるものである。結局、それは宗祖の時代の「異端」への「対峙」として進められたものである。そして、宗祖以来の本宗の歴史は、その時代に即した「異端」との抗争の歴史であったはずである。近代に入って以来の百五十年余りの間にも、各先師の社会に向けた伝道に向ける不惜身命の闘いの跡を見ることができる。そこには、幾多の試行錯誤があり、呻吟慟哭の歴史があり、我々をして率直に鑚仰ならしめる。しかしながら、我々が仏祖に対する誓願が伝道の有効性の可否とは、その時代の人々の現実欲求に対して正鵠に答えることができたかどうか、その結果によってのみ評価されるものではないか。もし、今回のオウム真理教の事件の裏面に我々自身の若い世代へのコミュニケーションの不全、すなわち、青年層の欲求の読解の不備と現実的対応のまずさや遅れがあったとしたならば、結果責任において自己を厳しく問うという姿勢こそ「正統」としての、大聖人以来の法華の大道を歩く者としての矜持であろう。

我々は、今、本格的な「異端」と、「異端」を生み出した社会との対話がなされなければならない事態となったと考える。筆者が、オウムを通じて新宗教を共感的手法で分析することで明らかにしたいと思うものは、我々の時代の「教相判釈」の措定である。「教相判釈」とは、私見によれば他者への教化伝道に赴くための地図であり、そのために時代の要請の声を聞く上で欠くことのできないものであると考えるからである。具体的には、第二章で示した「新新宗教の現象」のインデックスに示したものの個々について、仏教という枠組みにおいてどう答えるか、そして、我々のコミットする法華仏法においてはどうかについて検討されなければならないだろう。仏教において、「神秘体験」ということ自体が自己目的化されることはあるのか。「予言」とか「終末思想」はどうか。仏教では、人間の「死」の問題はどう位置付けられ、また、いかに死の畏れは克服されるものとして体系付けられるか。正しい「修行」とは何か。そして、最終的に「修行」は、何を目的としているのか。こうしたものを一つひとつ俎上にあげて、明確な古典の文証の検索とともに、現代人にコミュニケートすることのできる用語と文脈に置き換える作業が進められることこそが「教学の現代化」の中心課題であろう。

二 『立正安国論』の現代的意味

『立正安国論』において宗祖が示す主張とは、久遠釈尊の浄土である法華経的世界を現実の社会に具現である。この現実社会、すなわち、邪法の充満と人間の根源悪によって穢土と化したこの娑婆国土を、釈尊の本義たる本来の常寂光土へ復することこそが、「正統」たる仏教者(法華経者)の使命であり、実践である、とされているものである。邪法、すなわち、「異端」への対決と人間の根源悪への批判と克服、そして、末法の衆生の救済、それら一連の実践のの上に打ち立てられるただ一つの「正統」なる釈尊の正意、法華仏法の復権であるとされる。そして、宗祖の他宗批判は、専ら、法然念仏義(「選択本願念仏集」)に向けられていくことになる。

ところで、宗祖日蓮大聖人が「異端」と決せられた「浄土教」における、具体的などのような様相であったろうかを問うことは、我々にとっても最も重要にことではないだろうか。宗祖が最も強く戒められたのは、法華経世界の顕現、すなわち、現実を自らの手で改革して行く意志に背を向けて、現世での救いを放棄することに進みやすい思弁性の危うさではなかっただろうか。筆者は、オウムに見るカリスマへの自発的服従、社会への破壊衝動、自己ならざる自己を実現しようとする超能力願望、修行それ自体が自己目的化してしまう利己性など、自ら切り開いて行く意志を棄てて閉塞的な未来に予め絶望して内閉する現代人の陥った精神風景こそ、反法華経的な浄土教的厭世主義であると観ぜられる。

宗祖の罪認識、すなわち、「謗法」意識は、これらの根源悪に染まった衆生に対して、積極的に釈尊の真意を伝えないことなどであり、これを実践しないものには逆に重い罪を犯すことになるとされるのである。宗祖が見られたのは、濁世(末法)において、現実世界に背離して行く人間の根源的な「悪」の有り様であったのではないか。それは、我々の時代の言葉に換言すれば、「内閉性」・「エゴイズム」・「ペシミズム」などとして措定できるものであろう。これらこそが、人間と社会を釈尊の理想から乖離させて行くものであることを強く戒めることばによって構成されているように思われるのである。

「破邪」は、「顕正」に先立つ。すなわち、大乗の菩薩として、法華仏教の極北に立つ存在への批判こそが、『立正安国論』執筆に至る根源的動機であったように拝察されるのである。宗祖は『涅槃経』を引用しながらも、「謗法」である浄土門の人々に対しての対処の在り方は一貫して「止施」であり、「汝、早く信仰の寸心をあらためよ」「速やかに実乗の一善に帰せよ」と諭すばかりである。仏教者(法華経者)の矜持と慈悲が、どこまでも保たれているとしなければならない。

すなわち、宗祖日蓮大聖人は、『立正安国論』において、仏教の「正統」の立場において、「異端」との対決とその受容を言及なされたのである。当然のことながら、宗祖は、「異端」を詳細に分析なされ、その教義の誤りを明確にご自覚になられたところを原点として、後の宗祖の思想的独立「立教開宗」へ向かわれたものである。すなわち、宗祖は「異端」の起こりうるところをを徹底検証し、天台以来の伝統的な教義である「五綱」を変更してしまう人間の思弁の危うさの内に、それを正すものとしての法華による仏教の復権と統一の事業を志すことこそ、立教開宗の原意があるのでないかと思われる。それは、最終的に「異端」なる存在をして自己の誤りを自覚に導き、その上で、釈迦一仏への尊崇へその悟性を開いて行くことで内包していこうとすることであり、「寛容」を基底にした慈悲の行いとしての「折伏」への意志である。後に宗門は「四箇格言」として論理化するが、もし、それが、ただ単に他宗そのものの存在の否定であるならば、我が宗門の「正統」は単なる自己言及型のトートロジックな排他主義の存在となり、宗祖日蓮大聖人そのものの御遺志に著しく反するものとなろう。

宗門は、当然のことながら、その時代の人々によって形成される。そして、人はその思念(無明)によって多様な誤りをなすものである。したがって、その誤りを「此の時地湧の菩薩始めて世に出現し、但だ妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ(『観心本尊抄』)」とあるがごとく、自ら(そして、その後裔である我々=僧伽)の歴史的出自の意味をみておられるのである。すなわち、久遠教主釈迦牟尼仏の呼びかけの応召し、分裂諍論してある人々を「法華の会座(三秘の一 本門戒壇法門)」に同座させ、ともに久遠教主釈迦牟尼仏を仰ぎ見るものへ導引することこそが、我々宗祖日蓮大聖人の正嫡としての役割、すなわち、布教伝道のありかたであると考える。

筆者は、法華の「摂受・折伏」の目的の現在的意味を誤った宗教理解をなした者への「カウンセリング/リハビリテーション」、すなわち、「仏教者としての背教者との宗教対話」の実践として見たいと考えるものである。

そのための前提とは何か。我々カウンセラー自身の「自己の確固たる宗教的立脚点」=教学と「極めて柔軟な共感/現実に対する検証能力」という実践という二つの項目が事前に別のものでありながら、統一的場において相補していることであろう。もちろん、この統一的場とは、大乗菩薩道に立脚する能動的な慈悲の行いの場である。

この「カウンセリング」は、対象者を直ちに我々の宗派へ「リクルート」の行為であってはならないように思う。社会性に目覚め、人間としての真実の行き方を理解した「自覚的に生きる仏教者/仏性の自覚」であることへ導引することにおいて完結すべきことであると思う。何故ならば、法華会座に参集を果たしたと自覚した者は、すでに、久遠教主釈迦牟尼仏の大慈悲の内に包まれていることを自覚した者であるからである。

結語  

現代においては、共同体と家族という従来の枠組みの空洞化はもはや避けられない。したがって、共同体の存続を理念とした制度型宗教は、ますます希薄になって行く傾向のもとにある。その傾向と反比例して、オルタナティブとして成立した新宗教(特にカルトという新奇小集団)及び「見えない宗教」が、実体としての勢力を増して行く条件が整って行くことになろう。

現代という時代は、明治維新近代百五十年以来の関頭にある。新宗教運動が、社会の変動期に盛んになるというものであるとしたら、オウムはその先駆であったとしなければならない。

「カルト」というマスコミの使う用語には、負のイメージがおわされている。しかし、冷静に観察するならば、人間はその成長過程で大なり小なりの「カルト」への参入は避けられないものである。家庭や学校という「カルト」、地縁的共同体や会社という「カルト」など。もちろん、「カルト」が、特に宗教の形をとって、閉塞性・反社会性・集合的無知性(誘発妄想障害性)を強度に帯びたときに、「破壊的カルト」に変容することもありうる。もし、人々が確率的にカルトへの参入を避けられないとするならば、その受容のノウハウや脱出の方法、そして、リハビリのため適切なノウハウが、事前に治癒のための知識として蓄積されていることが必要になるであろう。すなわち、オウム真理教の事件において犠牲となった幾多の被害者の方々への鎮魂の回向は、カルト問題に対する社会的免疫力の強化へ還元されなければならないものである。 

我々は、このオウム真理教の事件を、深い洞察力とともに、現代人の精神の危機として真正面から受け取るという意志のもとに受け止めなければならない。そして、その上に、現代人へのコミュニケーションを開始することが、「正統」たる法華仏教に属する者の本来あるべき布教伝道であることを確認する必要があろう。仮に、弁証法的な相対化を通して、悟性への導引を援助する行為、すなわち「カウンセリング」と呼ぶならば、これもまた、我々の実践としての布教伝道の範疇に収められるものではないだろうか。

現代は、かつては一元的であった人間観、世界観、生死観、自然観などが動揺しながら、一定の着地点を見いだせないという情況にある。この動揺が、人々に「終末論」のような文明のカタストロフを希求する心情を作り出している。我々は、これらのものにただ単に「妄想」として排除するのではなく、教学的な明確な解答(正しい認識と言葉)で対話のもとに着地点を示して行かなければならない。ただし、それが、スタティックな観念の段階で止まっていてはならない。すなわち、我々自身が、大衆の求めるところを明確に受容する内に、内実のともなった批判としての実践への道程を模索することであろう。あえて言えば、新宗教を先入観なく学び尽くし、新宗教を超克して行くことが必要なのである。

現代は、「対話」の時代でもある。世界は、より密接になり、相依相関の度合いを高めている。片方で、そのような急速な国際化の流れは、人間に深刻なアイデンティティの存立の危機感を高めている。すなわち、宗教の原理主義という新たな内閉と排他への傾斜という形で新たな対立と緊張を生み出している。オウム真理教対日本社会の対立の構図を拡大すれば、それは、宗教を媒体としたナショナリズムの高揚と民族対立の勃興に苦悩する国際社会という構図と重なるような感がある。

法華経の説くところの「法華の会座」という理念を現実に投射すれば、相互理解や協調、そして、「共生」の自覚というものになるであろう。個別の存在でありながら、相依相関し、違和と対立の構造を持ちながらもやがては一者に収斂されて行くこと。久遠釈尊の教法であり、一切衆生の行法であり、釈尊ご自身である「本門事具一念三千」を現実世界に投与せしめて行く行為こそが、我が宗門の教学の根幹であるはずである。すなわち、ともに、久遠教主釈迦牟尼仏のみ前に絶対平等と自由を保証されたものであるという「悟性」への道筋が開かれて行く時に、初めて、浄土の「一念三千」は実効され、「立正安国」が顕現されて行くことになる。ならば、新宗教に参入して行く人々に対して、その社会的背景と心理的動機に共感し、その原因をともに発見することで、癒し、その誤れる認識に対しては根気よく対峙し、言説と宗教的表徴をもって戦略していくこと。その絶え間ない菩薩行の向こうに、ともに「仏の子」=「すでに仏教者として使命をもってこの世にあること」を理想として仰ぎ見ることが、一つの道程として開けてくるのではないだろうか。

彼らを真の仏教者=法華経者として「蘇生」させること、いかにすれば、彼らと彼らを生み出した社会を「本国土妙」とすることができるかということが、我々に問われているとしなければならないだろう。

*1 ものみの塔冊子教会。米国生まれのチャールズ・ラッセル(一八五二〜一九一六)によって、創設。日本に約一二万人の会員がいる。正統キリスト教のキリストの神性と三位一体の教義を否定、また、いわゆる「終末論」の色合いが強い。輸血や学校における武道への参加拒否が知られる。子供連れで訪問布教(お寺にも来る)することで、その活動が顕著。近親者の葬儀にも「偶像崇拝の禁忌にふれる」ということで列席しない。

*2 「精神世界 spiritual world」の中で、インド゙及びチベット系の瞑想法を説く書籍が多い。バグワン・シュリ・ラジネーシ(一九三一〜一九九〇) や、「超越瞑想」の実修を説くマハリシ・マヘッシ・ヨーギ、及び、クリシュナムルティなどがその代表。

ラジネーシ教団は、瞑想による「意識の進化」を説き、アメリカで多くの信者を集める。教団の入植にからんでトラブルを起こし、国外退去となる。現在、「和尚」の名称で書籍とビデオが発売されている。

◆「カルトcult in our midest」 マーガレット・シンガー 飛鳥新社 一九九五

◆「ニューエイジの歴史と現在」レイチェル・ストーム 角川書店 一九九三 八一頁

*3 東京大学教授島薗進氏は、最近アメリカや日本で盛んになっている「新霊性運動」について、「現代の先進国に起こっている宗教運動、あるいは神秘主義運動の中には、実ははっきりした教義や組織をもった宗教団体という形をとらないものが多い。こうした運動では、固定的な教義や組織をもつと、本来の霊的なもの、あるいは人間の自己覚醒が歪められてしまうと考えられている。」と指摘する。オウム真理教などの新・新宗教の活動と平行して、このような、教義や教会(寺院)や組織に期待しない「個人主義」的な宗教運動が広がっているという。

◆「新宗教時代 5」 島薗進ほか共著 大蔵出版 一九九六 一六七頁

◆「宗教・霊性 意識の未来」 島薗進ほか共著 春秋社 一九九三 三六〜五〇頁

*4 「宗教なき時代を生きるために」森岡正博 法蔵館 一九九六 三頁

*5 「マインドコントロールから逃れて」滝本太郎・永岡辰哉編著 恒友出版 一九九五 四二頁

*1「家族関係を考える」 河合隼雄 講談社現代新書 一九八〇 四〇頁〜五三頁

*1 精神医学 小此木啓吾氏は、「『家庭のない家庭の時代』の中で提起したのが『ホテル家族』である。いまやたとえ一つ屋根の下で暮らしていても、その家族たちの心の通う合いは、『ホテル家族』と呼ぶにふさわしく空洞化している。七七頁」と指摘する。また、「現代人はこの古典的な意味での宗教心理を失うとともに、巨大な全能感を身につけたことによってかえって生じている心の隙間、そして、その全能感の挫折や傷つきによって起こる心の苦痛や怒りを感じている。そして、眼前の快楽に日を送ることによって生じる虚無感矢、心のゆくえをつかめない混迷などに対して、人々を適切に導くことのできる、新しい宗教心理を基盤にした宗教の登場を期待しているのではなかろうか。宗教にいま求められているのは、このような現代的な宗教心理の認識と、宗教そのもののある種の自己変革なのかもしれない。二二八頁」という。

◆「視界ゼロの家族」 小此木啓吾 海竜社 一九九六

*2 小田晋・筑波大学教授は、第三次宗教ブームの新・新宗教(この「新・新宗教」というネーミング゙は、西山茂・東洋大学教授による)の傾向をいくつかに分類して説明を試みる。その中で、ある宗派が別の組織を吸収合併することのなく、併存していることを指摘して、「情報化され、価値観の多様化した、かつ中途半端な許容社会であるという特徴に対応する」ものとして現代の宗教の受容状況を「マイ宗教」とする。新・新宗教に集まる若者にとっては、宗教は「差異化」(仲間に対して目立つこと)の手段であって、グループ゚への同化力は限定的である。したがって、所属について極めて恣意的であり、グループ゚に留まる期間も短いという。

◆「現代のエスプリ 二九二」(特集 宗教・オカルト時代の心理学) 至文堂 一九九一/一一 所収「概説/宗教の時代の心理と病理」

*3 「最高ですか?」 【法の華三法行 アースエイド】 福永法源代表の修行の一つに、都会の繁華街で、道行く人々にこのように声をかけるというものがある。同様に、「あなたを祈らせて下さい」というのは、【真光】系の【神慈秀明会】の街頭での布教活動である。前者は、法外な寄付を要求されたとする元信者の訴えが起こされており、後者は現在若い世代を信者として勧誘することで、その親族からの訴えがカルト問題を扱う日弁連の「宗教と消費者問題ネットワーク」に寄せられている。

*1 オウム真理教の事件についての社会学的考察の試みの書籍は数多くあるが、大澤真幸氏の「虚構の時代の果て−オウムと世界最終戦争」 筑摩書房 一九九六には参考となる点が数多く含まれている。大澤氏は、「戦後の日本社会は、人々が理想との関係において現実を秩序だてていた段階から、虚構との関係において現実を秩序だてる段階へと転換してきた、とおおむね整理することができる。時代の転換点をどこに見定めるべきか?五十年を折半する中間点は、一九七〇年である。七〇年前後の時期に、理想の段階から虚構の段階への転換が生じたと考えられる。」と述べる。後に、「旧新宗教」と「新新宗教」との相違について検討するが、前者が「世直し」、すなわち、社会改革的な現実目標をもったのに対し、後者は、内的な改革(意識の覚醒など)を目指している点に特長がある。当初、オウム真理教の宗教的行動には何かしら極めて幼稚なものを感じられた。しかし、それがやがて坂本一家誘拐殺人事件や松本・地下鉄サリン事件へ繋がるのであって、「虚構」がただそれだけに留まらず現実に転化したとき、想像も付かないような凶悪さへ繋がることが証明されたとしなければならないように思われる。

*2 宗教カルトのいくつかが持つ「終末論エスカトロジー」については、「〈終末思想〉はなぜ生まれてくるか−ハルマゲドンを待ち望む人々」 越智道雄 大和書房一九九五に詳しい。ジム・ジョーンズの「人民寺院」(一九七八年)、そして、ブランチ・デヴィディアン(一九九二年)などの大量の信者が自殺や虐殺された事件において共通するのは、「核ホロコースト」による世界の終末に対していかにすれば生き残れるかを中心に説教した点である。また、現在進展が著しいくつかの新宗教にも、終末論が深くからんでいることが多い。ある新宗教は、二〇〇一年一月六日に世界に終末が訪れるとし、この生(終末以後は二度と転生しない)において、なすべきことを完結しないと永遠に苦しみを味合うと説く。同様のモチーフは、統一教会においても見られる。

*3 後に述べるが、オウムが様々な武器によって、武装するに至った理由は、自分たちが「世界的謀略組織」である「フリーメーン」から狙われており、「フリーメーン」によってあやつられたアメリカ合衆国との戦いに備えなければならないとしていたからである。

このように表の世界史に対して、裏面で極めて巧妙に「人類を支配しようとする巨悪」の組織を「仮想敵」にすることで、自己正当化しようとする心理が、若の人の心に根強く存在する。

*1 「原理主義(ファンダメンタリズム)」というタームについて、「宗教と社会」学会第一回学術大会(一九九三/六/二六〜二七)においてシンポジウムが組まれ、活発な議論が行われた。ファンダメンタリズムが否定的に認識される理由は、編者の一人である井上順孝・国学院大学教授によれば「近代文化の持つ三つの傾向・・・中略・・・第一に、世俗的合理性を好む。第二に、相対主義に向かう傾向があり宗教的寛容を採用している。第三に、個人主義の傾向がある。」と相反する思潮であるからという。近代概念の全体の信頼が薄まっていることに反比例して、世界的なある種の反近代主義的な思想の勃興に対して注目が集まっている。

◆「ファンダメンタリズムとは何か−世俗主義への挑戦」 井上順孝・大塚和夫編 新曜社 一九九四

*2 「宗教対話」の実際については、「新宗教における『宗教間対話』の語義について」(「日蓮宗現代宗教研究」 第二九号所収 拙文一九九五)に報告した。本来、ローマカトリック教会の呼びかけに呼応して「諸宗教の対話」として開始されたものである。「対話と協調」および「共生」を基調テーマに世界の各宗教が、宗教の違いによる対立や誤解を乗り越えて、相互理解の上に立って、世界の平和の確立という目標に宗教者として対処しようという理想が掲げられている。

*3 「カウンターカルチュア(対抗文化)」とは、アメリカをはじめとして高度管理社会へ移行しつつある先進産業諸国において、近代合理主義(「意識の支配」)への反発を出発点に、その諸矛盾を追求する若者中心の思想、価値体系、生活様式を示す。「意識の支配」への抵抗は、「意識の拡大」という要求を呼び、ドラッグ・東洋宗教・オカルティズム・ロック性の解放などが主張された。また、ベトナム反戦運動・公民権運動への理解・公害運動などへも展開される。七三年の石油ショック前後に沈静化するが、その後のニューエイジ(ニューサイエンス)へ引き継がれる。

*4◆「宗教からよむ「アメリカ」」 森孝一 講談社一九九六 二〇一〜二二九頁

*1 「新宗教運動」をどう呼ぶかという問題について、統一された見解は現時点で学会でもない。井上順孝氏は、「新宗教は、近代日本に出現した一つの新しい宗教システムである」という立場から捉えようとし、「文化的、社会的『装置』」論として展開する。これによって、既成宗教や民族宗教との対比の上に考察する意味が出てくるという。

実は、今回のオウム真理教事件で「カルト」という呼び方がマスコミによって先行使用されているが、この呼び名についても慎重に審議されたとは言えない。ヨーロッパにおけるカルト問題について、行政機関の対策の必要を説いた「EC決議」でも、この呼称問題について多くの時間が費やされている。

◆「新宗教の解説」 井上順孝 筑摩書房一九九六/ 「現代日本の宗教社会学」 同氏編一九九四 世界思想社 一六六〜一九六頁

◆「カルト認定の問題−フランス国民議会 ジャック・ギュイアール レポートを中心に」 拙文 (現代宗教研究三一号所収)

*2 宗教ブームを近代の歴史の中でどのように区分するかについての多くの説がある。「三次説」「四次説」「六次説」「区分の必要はない」などの意見がある。現代の新宗教運動として「新新宗教」という呼び名は、西山茂・東洋大学教授(宗教社会学)の命名によるものであり、西山氏は基本的に四次説をとる。一般に「第三次宗教ブーム」という呼び方が、マスコミ・ジャーナリズムで定着していることを考慮して、本稿ではこれを踏襲するが、ブームの区分の立て方は西山説を妥当であると考える。三次と四次の違いは、明治末から大正期にかけて多くの民衆を動員した「大本」や「ひとのみち(後のPL教団)」を一区分として独立させるかどうかについての評価にかかっている。私見によれば、天理・黒住・金光などの幕末維新期に成立した新宗教と「大本」とはかなり断絶があるように思うので、西山説を採用する。

◆「現代人の宗教」 大村英昭・西山茂 編 有斐閣一九八八 /「現代のエスプリ二九二」 前掲 三四〜四三頁

*3 オカルトブームといえば、一九七〇年代の現代の流行のように考えがちであるが、十九世紀のヨーロッパは歴史上何度目かのオカルトブームに見舞われていた。スウェーデンボルグ、ブラヴァーツキー夫人などが提唱した神智学、アメリカに始まりヨーロッパで大流行することになる心霊主義(スピリチュアリズム)などが、科学の対象として研究が開始されることになる。このような一度は政府の科学主義に基づく啓蒙運動の結果「迷信」として退けられた「霊」に関する科学的研究が、明治期の後半に、日本に紹介されることになった。この間に、千里眼(透視)・こっくりさん・催眠術などの流行が起こる。やがて、「福来友吉による透視(千里眼)・念写事件」を経てこのブームは終息するが、こうした国家の合理主義に対抗する土俗的に宗教心性、そして、それに欧米からの科学としてのオカルティズムの輸入という諸条件が、明治末から大正期にかけての新宗教である大本やひとのみちなどの生成に影響を与える。西山茂は、このような心霊主義の要素をもった宗教を「(霊=術)系新宗教」と呼び、大正期の大本、そして、現在の新新宗教における神秘・呪術ブーム(「非合理の復権」)と、日本近代に二度出現したという。(「現代人の宗教」一七八頁)

*4 マスコミ・ジャーナリズムが、歴史上最初に攻撃的キャンペーンで新宗教々団を衰退に追い込んだ事件として、島村光津の蓮門教が知られている。蓮門教は、明治十五年から大流行したコレラに対して効果があるということで爆発的な拡大をし、最盛期に信者百万人に達する。こうした中で、明治二十五年あたりから、蓮門教についての性的スキャンダルや金銭に絡むトラブルに社会的な関心が集まり、大衆紙「万朝報」が九十四回にわたり「淫祠蓮門教会」という連載記事を載せてキャンペーンを繰り返した。これが、全国的な蓮門教に対する活動を停止させる運動に発展した。この問題に詳しい武田道生氏(大正大学講師 宗教学)は、「この明治二十七年の事件をきっかけにして、マスメディアによる新宗教・淫祠邪教報道は一般化し、新宗教が一般の関心を集めるニュースソースであることがはっきりした。また、教団にとってもメディア操作の手段としてメディアの価値が明らかになった。」と言う。

◆「異端の宗教」 羊泉社一九九五 所収「蓮門教と島村光津」 二七〜三二頁

*1 「自発的服従(autonomous obedience)」とは、強権的な支配ではなく、また管理機構による上からの管理というものでもなく、管理が社会全体に行き渡って、成熟した管理社会が成立する段階での自己規制的な服従をいう。組織に対して自己欺瞞的な構造的に自己の内面を支配するメカニズムとして機能する。

*2 西山氏は、「第4次宗教ブーム」における「新新宗教」の展開をほぼ八〇年を境にして前後期に分割して整理する。「第四次宗教ブーム」全体に一貫するのは「神秘・呪術」傾向と「参加」型であるが、前期が「霊現象」が特徴づけられるのに対して後期は「超能力・終末予言」が特徴的であるという。なお、後期の具体的な教団は、「オウム真理教」の他に「幸福の科学」、「ワールドメイト(コスモメイト)」をあげている。

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