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第三十三回中央教化研究会議

(所報第36号:277頁〜)

部会報告(要旨)

第一現代教学部会

座  長 大西秀樹
副 座 長 西口玄修・齊藤朋久
問題提起 三原正資・齊藤朋久
記  録 吉本光良・馬渡竜彦
運  営 早坂鳳城・中井本秀・松脇行眞
参 加 者 二七名

立教開宗七五○年慶讃事業の最終段階に当たり、大聖人の誓願である『一天四海皆帰妙法』の実現へ向けて展開された「お題目総弘通運動」を振り返り、今後の宗門のあり方と、教学の方向性の模索を目的に部会を進行。

第一日目

三原師の問題提起、「三十年前に開教師としてアメリカへ向かい、大きな挫折感を味わった一人の日蓮宗開教師の手紙から、今後の日蓮宗のあり方、教学のあり方を模索。」という事で、手紙の一節が披瀝されました。

その手紙の要点部分には、「戦闘的な正義など、一時代の産物に過ぎません。一地方色に過ぎません。善いことでも、それに執われると最早や善いとは言われなくなります。宗学者の欠点は宗学に執われることです。正邪二元の立場から超出できないことです。一乗は相対の一乗で絶対の一乗でないのです。人間の見た一乗観で、諸仏の境地に立った一乗でないので、どこまでも比較と判釈が付いて廻ります」と指摘し、宗門の金科玉条、折伏主義では海外布教は成り立たないとしています。

そして、海外布教の現場で一番大切な事は、一旦宗門教学を忘れ去り、そこに住む人々と同じ立場からの摂受的布教が肝要ではないか、と指摘されています。

問題提起を受けて部会参加者に、「現在、摂受と折伏のどちらの立場で布教をしておられますか」との質問。ほとんどの教師が摂受と回答。諸宗批判ができない布教現場が浮き彫りになり、種々の見解が噴出。又、教師自身の摂受・折伏の受け取り方の違いもでてきた。

そんな中、現在は寺檀関係も変化し、檀信徒の中にも寺院や教師の必要性を感じない人が増加している。これからは家ではなく、一対一の教化が必要。教師は檀信徒一人一人を寺院の個人会員と認識し、きめ細かな対応をする必要があるようだ。教師の幅広い見識が要求される時代となって来た、等々の意見あり。

先の開教師の心の出発点は、お題目、日蓮宗の教えを広く他に勧めたいと思う心、志、求道心、誓願から出たものである。我々も、より多くの人々に、より平易に教えを説く為の努力が必要ではないか。日蓮宗は伝道宗門である、日蓮教学も伝道教学でありたい。今後の課題である。

(吉本光良)

第二日目

一日目は日本と米国という地域の違い、歴史に基づく価値観の違いという「空間」軸上での教学の現代化が論じられたが、二日目は本宗教義と現代科学の成果の近接を指摘するという、いわば「時間」軸上の提言が討議の端緒となり、意見の交換が行われた。

まず、前半は齊藤師より「現代科学から四十五字法体段を考える」という意欲的な提言が行われた。その要旨は以下の通りである。 

現代社会は有機的につながり、その生活は現代科学の最先端の成果の上に成り立っている。そこで人類が抱える諸問題、悩みを解決し、救済するためには我々の教えの現代化、さらにグローバルな視点からの再構築が必要である。とりわけ妙法五字の具体的説明である「四十五字法体段」の現代的解明こそが要請される。当該箇所は大聖人の浄土観、仏陀観、成仏観、教法観が端的に示された肝心であり、それらを個別に評価すると現代科学の諸成果との驚くほどの一致が見られる。列記するならば、「ユングの共通的無意識」、「ビッグバン理論」、「オメガ・ポイント」、「ガイア説」、「ホログラフィー」、「明在系と暗在系」、「宇宙のフラクタル構造」、「コペンハーゲン解釈」等々である。詳述する余裕はないが、これらの成果は大聖人の「事の一念三千」を現代的に表現したもの、といえよう。

このような知的関心を喚起されるような試論に続き、参加者との質疑応答、意見交換が行われた。その幾つかを次に紹介する。

新新宗教の教義の中には、これらの成果を都合のよい部分だけを借用する形で取り入れたものもあり、伝統教団の中にも青年層への布教を目的として教義の現代的解釈に取りかかった教団もある。我々も手をこまねくことなく、表現を変えてでも大聖人の思想を伝えていかなければならない。

私達は伝道教団であり「言説」布教を行うべきだが、私達の言葉と大衆の言葉の間にズレがある。新新宗教への若者の傾倒を横目で見るだけでなく、門戸を広げる必要がある。

他分野の理論を援用すれば、図式化が容易になり理解しやすくもなろうが、教義の差異が覆い隠されてしまう危険がある。

科学理論は「更新」の歴史であり、現代科学の成果との一致を強調するあまり、それらが不十分なものと評価された場合に日蓮教学の存立はどうなるのか。

簡潔な結論には到達できなかったが、神秘的で静的な印象のある禅と撃鼓唱題に代表される動的な本宗の一般的イメージを超えて、大聖人が証された観心本尊抄の素晴らしい世界を言説布教によって伝えるための努力、手法の模索は続けなければならない、という了解がえられた。

(馬渡竜彦)

第二現代教学部会

座  長 小澤恵修
助  言 中村潤一
問題提起 伊藤立教
記  録 岩本泰寛
運  営 植田観樹・岩永泰賢・小倉孝昭
参 加 者 一六名

第一日目

主題「お題目総弘通運動十八年の点検」は「本年三月宗会での渡辺宗務総長施政方針に七五〇後の方策を打ち立てるべく運動の総括的な点検を行うよう現代宗教研究所に指示」された事によって当部会で問題提起し討議する説明がなされたが、主題には立教開宗七五〇年の来年終了する三期十八年のお題目総弘通運動を総括的に検討、評価し、以後の宗門、運動の在り方、方向性を模索し、時代対応の教化方法等まで討議出来る形で問題提起が行われた。しかし、参加者の半数近くが法臈が短くお題目総弘通運動を不認識・不体験の為、お題目総弘通運動の経緯・経過を説明の後、討議が進行したが、どうしても経験していない若い参加者からは発言意見が少なく、少人数の部会であった為、意見提言等発言者が片寄ってしまった事は否めない。「お題目総弘通運動とは何だったんだろう」で代表されるお題目総弘通運動についての総括的意見は、部会全員一致していた。

第二日目

前日の討議を足掛かりに住職定年制について活発な討議を行い、「ポスト七五〇」等今後の運動の方策について討議を重ね、最後に二日間の総括討議を行い閉会した。

問題提起 主旨

平成十二年十月一日付日蓮宗新聞寺院版の対談記事「七五〇総括」を基に整理展開し、

一、教師個々人の意識改革にならなかった。
二、現場教師と中央が双方向で問題提起を。
三、先行き不透明、あるべき姿が見えない。
四、宗門運動の総括検証システムがない。
五、非は非と言える立正安国の精神の確立。
六、社会から期待される教団のあるべき姿。

の六項目にまとめられて、各項目ごとに問題点を絞り込み左記の問題提起がなされた。

一、十八年計画を自身の事と受け止めてない。
二、実行委員三五名企画会議委員二一名の動き。
三、信仰があり実践者がいて賛同者が出る。
四、ポスト七五〇の運動は具体的で単純に。
五、宗門の内外にわたって求められること。
六、日蓮一門のはずが権力抗争セクト主義。

さらに各項目を展開して問題点を浮き彫りにして問題提起された。

一、慶讃は計算、弘通はグズ、という揶揄があるが、教えを弘めるのが運動ではないか。
二、田中智学は宗門か聖祖か、といった。日蓮宗よりも日蓮聖人、ではないか。
三、日蓮宗を同業組合というなら、それに属している共同責任があるのではないか。
四、釈尊法華経日蓮聖人が根本のはずが、野合し群れているだけではないか。
五、七百遠忌と開宗七五〇の間の二一年で教師は増え布教拠点は減ったが、その質は。
六、如来の所遺として如来の事を行ずる本化教師こそ増えよ、道心あれば衣食あり。

現実としては、中央行政の枠を形成する二六等以上の寺院は全日蓮宗寺院の三割であり、宗門の批判は、個人の反省と表裏する。評価と反省を行い、時代に相応するも流されず確固たる布教を運動として提起する事が出来れば、開宗七百五十年慶讃の十八年間の運動を生かし育むことになるのです。

あなたはなにをやりましたか。
      々   やりたいのですか。
      々   やるべきでしょうか。

意見

・「お題目総弘通運動」この名称は檀信徒には親しみやすかったが、未信徒にはまったくアピールせず、個々の内容についてはほとんど消化不良で実行されなかった。

・日蓮宗は伝道教団。「お題目総弘通運動」は常行であり布教なのだから、無始無終、期間を区切り行うものではない。

・「お題目総弘通運動」は親から子へ、子から孫へと引継ぎ伝えたい運動であり、伝えるべき信仰である。

・「お題目総弘通運動」を積極的に推進させたくても住職が理解を示さず苦慮、寺と檀信徒の世代引継・活性化が住職高齢の為阻害される、等が発生している。住職定年引退を促進させ、安心して引退できるよう、引退後の身分確立、老僧の活躍できる年相応な宗門内外の活動・活躍の場を作る事と、制度改革を実行する事、出世間の目(八正道ー正見)が大切である。

(岩本泰寛)

第三現代教学部会

座  長 中村雅輝
問題提起 影山教俊
記  録 宮淵泰存
運  営 新間智照・井本学雄・木村勝行
      斎藤哲秀・田島辨正・龍澤泰孝
      中山観能・遠藤了暉
参加人数 二五名

第三部会は、法器養成について長年討議を続けてきた。信行道場・布研のカリキュラム作成や、組織論、理念的なこと、女性教師に関する問題、師について等々。昨年は師についての理念的な討議であった。そこで今年は、もっと実践的な話、現実的な話として、法器養成を考えることとした。

影山教俊師が、「信徒から僧侶へ」−法器養成は信行指導から−と題して問題提起。

水泳のインストラクターは水泳理論を学ぶ前に、先ず下手であっても泳げなくてはならない。同じように僧侶というインストラクターは、信仰を伝える布教伝道のテクニックを学ぶ前に、まず「信仰による有り難いという宗教体験」が必要である。その体験により檀信徒を「有り難い日蓮聖人の教え」へ案内する。有り難い体験から、信徒へ、そして僧侶へ、法器養成を日常の信行指導から考えてみようと問題提起された。それにより討論が行われ、次のような意見が出された。

○法器養成は、相談事業をするということより、先ず相談に来たいと思われる坊さんをつくらなくてはいけない。

○教義を学んで語るだけではだめ。理屈を言って納得するのは普通の人。悩める人にはカウンセリング・マインドで接する。言いたいことを言うと本人が楽になる。その人を受け入れる努力が必要。

○坊さんになるのと信徒になるのと何か別のコースのように考え、出家と在家を分けて意識している。自分は日本の仏教は在家主義だと考えている。昔の寺は坊さんは結婚していないので、自分の子はいない。だから出家は在家の人から出た。先ずは信行指導。その果てに坊さんが出る。

このあと、参加者の坊さんとしての初発心の過程、現在の心境が語られた。

○信仰心無く大学へ行き、信行道場に入った。自分なりに修行したと思ったが、先輩を見てこれでは自分はまだだめだと思い布研に入った。

○在家から出家したが、出家前、寺が自分たちを受け入れていないと感じたと語った。

○布研に入って仲間と話しているうちに、思いこみが解消された。布研では外部から多くの講師が入り、勉強になる

○信行道場の訓育に初めて携わった方が、「道場生でいたときの方が楽だった。自分が道場生に育てられた」と語った。

○外国人が三人入場していた。彼らはしっかりした信仰を持ち、法式をきちんとというよりも、むしろ教えの方を求めていた。そして帰国したらこういうことをしてこういう布教所を開きたいという、しっかりした目的を持っており、スケールの大きさを感じた。

○坊さんはマルチ人間でなければいけない。自分の寺は坊さんが8人くらいいないとやっていけない。寺の出身者は義務感いっぱいで仕事をしている。在家出身者は、楽しんで夢を持っている。

○子供は親を選んで生まれてきている。寺に生まれたと言うことは、坊さんになりたくて生まれてきたのである。

○自分は師匠から、「お寺に相談に来る人が多くなければ、そのお寺は用のない寺だ」「自殺するかどうかの人もいる。真剣勝負だ」と教わった。法器養成というと、自分の子供時代の事、今自分が師匠として息子を教育することはどうなのかと考えた。

○信仰は横並びに他の人と比べることはない。自分なりに信仰が深まっていけばよいのである。仏縁があればそれはやがて縁にふれて開花していく。

○親が師匠としての姿を見せる。

○三十五日の信行道場は日常と違う生活。その中の宗教的情操で自分が変わっていく。

○子供は親に習うとわがままが出る。僧風林に行くと変わる。

○僧風林は、子供を入れる寺は入れるが、入れないところは全く入れない。義務化した方が良いという意見もあるが、無理強いしても良い坊さんはできないと思う。

○お寺の坊さんが出ていく場は多いが、奥さんが出ていって学ぶ場が少ない。お母さんが思っていることが子供に伝わることが多いので、女性教育の充実が望まれる。

○お寺の中の家庭で、親が信仰の信念の生活をしてみせる。しっかりやっていれば僧風問題はない。

(宮淵泰存)

第四現代社会問題部会

座  長 貫名英舜
パネラー 蟹江一肇・久住謙是・都 泰雄・灘上智生
記  録 梅森寛誠
運  営 奥田正叡
参加人数 二二名

本年三月に提示された宗門の新機構要綱(案)は、六月の宗会にて決定、明年四月から施行されることになる。

第四現代社会問題部会では、宗門の機構改革をテーマにもった。幾分内向きのテーマ設定ではあるが、そこから見えてくる様々な問題点を認識し危機感を共有することを通じて、社会(あるいはニーズ)への対応を自覚し私たち自身がいかに変革していくべきかは、本部会の基本を構成するものともいえる。が、その議論は緒についた段階に過ぎない。座長が示した譬えでは「四月に大型車が届けられる。が、その車にハンドルや座席があるか、ガソリンが入っているか、そもそもその車を誰が運転しどこに向かって何をしに行くのか、がよくわからない」ということになる。それで今回は、急いで結論を出したり要望行動へ進めるのではなく、参加者で共に考えてみようという趣旨で臨んだ。第一日目にパネラー四師による発表を受けて、翌日、参加者で意見交換が行われた。

第一日目 [以下、パネラー発表のタイトルは記録者]

◎蟹江一肇師「宗門の機構改革がこれでいいのか」

此度の機構改革策定の経緯及びその中身について、根本的疑問ないし問題点が多岐にわたって鋭く提起された。

○「宗門新機構要綱」(案)が示されるに当たって、一般教師への相談や説明がない(政府の機構改革手続きとの比較)。

○宗憲との関連や基本理念が示されていない。

○教団のあり方がはっきり示されず(未信徒への方向づけ弱く現在の枠組みに留まっている)、また寺院や教師への応援体制・保障体制もない。

○宗務院の局長や部長、宗務所長や教区長の権限や位置付けが明確でない。

○現宗研で研究した課題を洗い直し運用した跡が見えない。

○財政改革の内容と実態が明確でない(財政的裏付けがない)。

○布教方針を定める主体が明らかでない。

○公益法人としての寺のあり方がはっきり示されない。

いずれも重い指摘が総花的に斬り込む形で示された。

◎久住謙是師「現状認識と意識改革を」

要綱案への一定の評価を与えた上で、私たち一人ひとりがどうあるべきかを問うた。

○現状認識 =cd=b821寺院崩壊=cd=b926昭和五八年(一九八三)に過疎寺院調査をした時のことを報告。寺院名簿にあっても実際に寺がない、五分の一(当時)が不活動寺院になっている、しかしどう対処すべきか意見が出てきていない。=cd=b821都市開教=cd=b926浄土真宗本願寺派では、都市部に於ける新寺建立を宗門が全面的にバックアップして進めている。東京三多摩地区では、本宗は現在もゼロの状態だ。

○意識改革 都市の大きな寺では「一見の客」を入れない。貴族化している。地方の小さな寺では生活苦で他所に勤務。いずれも伝道意欲の欠如が感じ取れる。機構改革では、私たちに意識の変革を促しているのではないか。

◎都 泰雄師「『伝える』が一方的になっているのでは」

時代社会の中にあって伝道すべき私たちが、実は現代の人々の「伝えられる側」を把握していないのではないか。

○宗門の機構改革を機に、私たちも危機感(寺の存立にかかわるような)をもって人々の求める「伝え方」を実行していかなければならないのではないか。

◎灘上智生師「葬儀の現状と寺庭婦人の憂うつから」

葬儀は今、無宗教葬が増え、檀家制度は家意識の希薄化と共に個人を束縛するシステムとなっている。僧侶は積極的に死を説くべきだ。また、寺庭婦人像が変化してきている。少子高齢社会・個人化・核家族化の影響等による数々の不適応型の苦悩が現れている。

○機構改革では、こうした足元の現実的視点が欠落している。机上の論議では収まらない問題点を穴埋めしていく作業が必要ではないか。

第二日目

 多岐にわたる発表によって、あるいは論点が拡散したかにも見える。要綱(案)自体が周知されていないことも考慮し、前日には座長が基本のレクチャー、二日目には発表のまとめを行って、意見交換に導いた。論議では、機構改革の具体的批判もさりながら、その運用に当たっての現場からの前向きな意見や質問が目立ったようだ。

○信仰様式が確立していなければ教団とはいえない。

○地方のギャップ。総合相談所(宗務相談室)のあり方は。

○本宗は組織力がないために発展がないのでは。

○意識改革の重要さ。ニーズに応えること。

○伝道企画会議の中で僧侶以外の人の意見が出なければいけないのでは。チェック指導・評価のセクションは。

○ニーズをどうとらえるのか。過ちをただすことも必要。

○機構改革に於ける宗務内局と一般教師との伝達の問題。

○三期十八年の総弘通運動が今どうなっているのか。

○寺庭婦人が伝道企画会議に入っていない(言いたいことが言える場でもなさそう)。

○調査をしてデータを集め考察し公表する行為が必要。

この度の機構改革は、地方分権化を進めるものでもある。上意下達ではない関係の中に、各教師の意識改革を求める見方がある。が、そこに現実の乖離と併せ、いささかの戸惑いも感じられる。論議はまだはじまったばかりだ。ともかくも四月には「大型車」が来る。

(梅森寛誠)

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