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カルトと裁判

(「宗教と平和」2003年10月10日第421号)

浅見定雄(元東北学院大学教授)

地下鉄サリン事件の年(1995年) の12月22日、フランス国民議会は全会一致で、「セクト(カルト)調査委員会」の報告書を採択した。(ヨーロッパの諸言語では「カルト」には悪い意味がないため、代わりに「セクト」という語を用いる。)

この調査委員会は、どの団体を「セクト」と判定するかについて、宗教界はじめ各方面の学者・識者の意見を慎重に聴取した結果、10項目の基準を設けた。そして、ある団体がその一つにでも該当するなら、それを実名で公表することとした。その結果172の団体名が挙げられたのだが、その中には、私が裁判で相手をさせられた「統一協会」や「幸福の科学」や「ライフススペース」の他、「フランス創価学会インターナショナル」の名も見える。

10の基準は、その団体の宗教的教えを一切問題にしない(政教分離)。ただ現実に次のような問題を起こしている団体を「セクト」と見なすのである。(以下は天理教宗教事情調査委員会訳によるが、一部は浅見の私訳。また括弧の中も浅見の説明。)

@精神の不安定化(その団体内では一般社会より高い比率でこれが生じる)
A法外な金銭的要求(すべてのカルト)
B生まれ育った環境との断絶の教唆(出家とか、そうでなくても家族関係の破壊)
C健全な身体の損傷(過酷な労働や食事・睡眠の剥奪、適切な医療の遮断等の結果)
D児童の閉じ込め (カルトの親が子どもを巻き添えにする 結果)
E反社会的教え(オウムの「ポア」とか統一協会の「天法優先」の教え等)
F公共秩序の撹乱(サリン事件)
G多くの裁判沙汰(訴えられることだけでなく、やたらに訴えを起こすことも含む)
H通常の経済流通回路からの逸脱傾向(その団体独自の「宗教グッズ」の販売等)
I行政当局への浸透の企て(政教癒着)

これらのうちIについては、本紙2001年2月号の末尾でも述べた。他に私が深く関わっているカルトの例を挙げると、例えば統一協会は、日本では故岸信介氏から中曾根康弘氏のような総理大臣経験者、米国ではニクソン、レーガン、ブッシュ等の共和党大統領に「浸透」した。オウムが破壊的傾向を加速させたのも、麻原と幹部25人が1990年2月の総選挙に「真理党」の名で出馬し挫折してからだったことも記憶すべきである。

今回は前記10項目のうちG「多くの裁判沙汰」に触れておきたい。私は1980年代後半に、統一協会幹部から「名誉棄損」で刑事告発されたことが2回ある。そのうち1回は横浜でのことだったため、故・坂本弁護士らのお世話になった。(結果はもちろん「不起訴」。)

1987年秋には「幸福の科学」から、名誉棄損の民事訴訟を起こされた。約1年半後の99年4月、幸福の科学側の事実上の謝罪を受け入れて和解となったが、この過程で、幸福の科学が敵対者や脱落者をどんなに口汚く罵り(例えば幸福の科学広報局編『現代のユダを斬る −悪魔に翻弄された転落者たち』を参照)、またどんなに沢山の裁判を起こしているかを知った。

私はまた、高橋弘二の「ライフスペース」からも1998年に「名誉棄損」で訴えられた。「カルト」呼ばわりしたためである。ただしこの噂は、私以外にもフジテレビから講談社、江川紹子さんたちジャーナリス、さらには弁護士自身まで訴えられるという目茶苦茶ぶりだった上に、翌年「ミイラ」事件が発覚し、私たちはあっけなく勝訴してしまった。しかしこのライフスペースも、.それ以前に自分たちが「温浴療法」致死事件で訴えられていたし、もちろんミイラ事件でも訴えられた。「多くの裁判沙汰」である。

統一協会に戻ると、私は室生忠という「宗教ジャーナリスト」と彼の記事を掲載した雑誌『創』を、2000年6月に名誉棄損で訴え、一・二審とも勝訴して、三年後の今年6月、勝訴は最高裁でも確定した。この裁判の原因は、統一協会信者を「拉致監禁」して「強制改宗」させる全国的指導者が私であるかのような記事だった。しかし問題は、.室生氏がその記事を書くに当たって私への取材は一切せず、ほぽ統一協会側の言い分だけに沿って記事を書いたことだった。(更に何と、裁判の途中から、現役の統一協会信者である弁護士が登場してきた!)

ところで私に関するこの記事は、統一協が信者を使って、私と同じ日本基督教団の牧師二人を、親に「拉致監禁」を指導したと訴えさせた裁判などを論じた連載の中のものだつた。そのうち一件は、もう牧師の側が最高裁でも勝訴している。

つまりここでも、事は統一協会の「多くの裁判沙汰」に起因している。統一協会は、霊感商法から信者の青春時代を奪ったこと、更には合同結婚の無効性まで、訴えられては負けるケースがあまりに多いので、少しでも攻勢に転じる可能性がある場合には、やたらと裁判を起こす。こうして「攻防」ともに「多くの裁判沙汰」が生じるのである。

同じようなことはアメリカ生まれの「サイエントロジー」についても言える。そして最後に、残念ながら同じことが創価学会にも言えると私は危惧する。創価学会系の出版物を読んでいてとても気になる点が私には二つある。一つは、(『週刊文春』の10月2日号でも少々述べたことだが)私は日蓮聖人を尊敬している人間なのに、創価学会が「転落者」たちを罵倒する時の言葉遣いの「品位」のなさは、どうしても日蓮とは違うという思い。そしてもう一つは、訴える・訴えられるのいずれにせよ、創価学会にはあまりに「多くの裁判沙汰」があることである。私の属する日本キリスト教団は、このようなことは想像もできない。私の知るかぎり、いま日本キリスト教団で裁判が起こっているのは大阪教区だけである。しかしそれも、皮肉にも統一協会の「霊感商法」の清算をめぐる争い(迷惑な話)である。

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