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聖教新聞・浅野健一(同志社大学教授)

聖教新聞は、創価学会の機関紙である。そこに掲載された記事から、創価学会の思想の方向性を見てみたい。とはいえ聖教新聞記者の記事は、創価学会礼賛だけなので政治的方向性を見るのは難しい。そこで寄稿(2000年以降)連載「ニュースの目」を見てきたが、何度か名前が登場する浅野健一(同志社大学教授)を特に考えてみたい。

〈月刊メディア批評〉 60年、92年、00年…6月15日の出来事

私の大学の学生たちで、1960年6月15日夜、安保条約の強行採決に抗議するデモに参加していた東大文学部生、樺美智子(かんば・みちこ)さんが機動隊に殺されたことを知っている人はほとんどいない。デモ隊が国会南通用門を破って構内に突入、機動隊と衝突。私の恩師、白井厚慶大名誉教授は講義で、毎年6月15日に国会南通用門での献花を続けていると話していたのを今も覚えている。この事件の後、朝日新聞の提唱で新聞7社が「暴力を排し議会主義を守れ」とう共同宣言を発表し、それが安保闘争の鎮静化と新条約承認に道を開いた。

樺さんの死から32年後の92年6月15日、自衛隊を海外に派兵することを可能にした国連平和維持活動協力(PKO)法が、当時の社会党の反対を押し切って成立した。

そして、2000年6月15日は、金正日総書記(国防委員長)と当時の金大中大統領とが平壌で南北共同宣言に署名した記念日だ。4年後の今年6月15日、同宣言を記念する討論会が、ソウル市で開かれ、金前大統領は演説で「金委員長は約束通り訪韓し、南北間の信頼を確固たるものにすべきだ。我が国民も歓迎するだろう」と金総書記に早期のソウル訪問を呼びかけた。

この日、朝鮮と韓国は、軍事境界線一帯で続けてきた拡声機による宣伝放送を停止した。また、朝鮮と韓国の海軍艦艇が14日、黄海の南北境界線付近で、偶発的な衝突を防止するため無線交信を行った。南北朝鮮の軍事当局間に無線交信態勢が整い、運用されるのは初めてのことだ。南北共同宣言4周年を機に、統一への環境作りが着実にすすんでいる。

一方、日本では6月14日、万景峰92号など日本に寄港する朝鮮船舶の入港を禁止することが可能になる特定船舶入港禁止特措法が参院本会議で、自民、民主、公明などの賛成多数で可決、成立した。2月に成立した改正外為法も同じだが、経済制裁は戦争開始直前に使われる恫喝的法律である。小泉首相の再訪朝など信頼作りの流れに水を差す暴挙だ。

朝日新聞は6月15日、「政府は発動には慎重だが、安否不明の拉致被害者10人を巡る再調査などの進展次第では発動を求める世論が高まる可能性もある」と報じた。場合によっては、制裁発動の「世論」を朝日新聞はつくるということか。朝日は7社宣言の反省もなく、日本の極右権力の宣伝機関に成り下がっている。

その朝日新聞に驚くべき記事が6月16日第2面にトップ記事で載った。日本に一時帰国している曽我ひとみさんが夫のジェンキンス氏と娘二人とどこで再会するかについて場所選びが混迷しているが、ブッシュ米大統領が小泉首相との会談で「一緒に暮らせるなら、日本でなくてもいいのでは。北朝鮮ではダメなのか」と発言した。

6月8日の日米首脳会談における大統領と首相のやりとりで、「政府が公表しなかった首脳のやりとりが次第に明らかになってきた」と報じた。小泉首相がジェンキンスさんの処遇について、「政治問題にしたくないので答えなくていいが……」と断ったうえで、曽我さんについて拉致されて以降の状況を詳しく説明した後、この大統領発言があった。

記事によると、首相が「日本とは生活レベルが大きく違う」と説明すると、大統領は「それはそうだな」と相づちを打ったという。

共同通信や毎日新聞も15、16日に、日米首脳の「未公表の会談やりとり」を記事にしているが、「家族が暮らす場所は日本でなければ駄目なのか。愛があればどこでもいいじゃないか」(共同通信)などと報じたが、「北朝鮮ではダメなのか」という発言は他紙に全くない。

朝日の記事が真実なのかどうかは不明だが、小泉首相が「生活レベルが違いますからね」と返答したとすれば、人間の幸せを物質的な豊かさを基準にしていると思われる。

家族の再会場所は北京でいったん内定していたが、曽我さんが「中国は朝鮮の影響が強い」という理由で拒んだため、今ではインドネシアでの再会を目指して調整がすすんでいる。朝日新聞によると、朝鮮の白南淳外相は6月29日、ジャカルタでインドネシアのハッサン外相と会談した。朝鮮側は「再会場所も時期も家族で決める問題だ」と説明し、インドネシアは「いつでも場所の提供など便宜を図る用意がある」と約束したため、インドネシア国内で近く再会することが濃厚になった。インドネシアのスカルノ元大統領は金日成主席と親しかった。

曽我さんが02年10月から20カ月もの間、離別せざるを得なかった責任は日本政府と日本メディアにある。曽我さんは政府の永住帰国という政策に従わざるを得なかったのだ。

日朝の対話の再開によって中国が議長役を務める「六者協議」も進展した。事務レベルの作業部会に続いて、第3回目となる六者協議は6月23日から26日まで北京で開かれ、核問題で前進した。米国が朝鮮の「核計画の凍結」確約を条件にエネルギー支援を開始するとの新提案を行い、日本も、朝鮮のすべての核計画の凍結などを条件に、同国へのエネルギー支援に加わる用意があると正式に表明した。

また、日朝二国間協議も行われ、日本は朝鮮側に対し、曽我ひとみさんの家族再会や10人の安否不明者の調査など拉致問題の進展を働きかけた。

東アジアの緊張緩和の道筋が見えてきた一方で、イラクで日本人記者2人が銃殺された。6月22日、イラクの武装グループによって韓国人会社員が殺害された。韓国政府がグループの要求であった韓国軍のイラク撤退と追加派兵撤回を拒否したために殺された。事件は5月に発生していたのに、勤務先の会社社長は拉致の事実を韓国大使館に知らせず独自に武装勢力と交渉を試みていた。

韓国には約4万人の米兵が駐留し、米国の戦争に常に参戦してきた。米軍を東アジアから撤退させるためにも、米朝の平和条約締結と朝鮮の統一が急務の課題だ。(浅野健一、同志社大学教授)

北朝鮮を支持する左巻きカルト

[朝鮮新報 2004.7.3]

あえて〈月刊メディア批評〉 60年、92年、00年…6月15日の出来事を全文紹介した。浅野は、北朝鮮を未だに支持しつづける左巻きカルトなのである。その浅野を使う聖教新聞の正体見たりと言えないだろうか?

なお浅野は、聖教新聞が記者クラブから叩き出されたことを、信じられない“メディア差別事件”などと寄稿している。聖教新聞は、いったい何時から一般マスコミになったのか? こんな提灯記事を書くことしかできない浅野と、提灯記事しか掲載できない聖教新聞は、ただ憐れである。

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