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聖教新聞・連載「ニュースの目」

聖教新聞は、創価学会の機関紙である。そこに掲載された記事から、創価学会の思想の方向性を見てみたい。とはいえ聖教新聞記者の記事は、創価学会礼賛だけなので政治的方向性を見るのは難しい。そこで「メディアのページ」(人権・公平・国際性を視座に、現代のメディア状況を時評・検証します)を重視することにする。

連載「ニュースの目」

何人かの聖教新聞記者が、コラムを書いているようである。署名入りでのコラムであるので、日本の新聞の慣習に従うなら、聖教新聞の主張であり、創価学会の主張に他ならない。

さて極東の安全保障を考える上で、北朝鮮有事は重要である。そこには北朝鮮による日本人拉致事件があり、公明党の支持母体である創価学会が北朝鮮に対してどういう姿勢なのかを考えることは必要だろう。そこで「人権と報道・連絡会が北朝鮮報道の検証本 メディアの在り方を糾す契機に」(2003年1月14日付)を特に取り上げたい。

聖教新聞が推薦する北朝鮮報道検証本の真実

創価学会は、同書で、「欧州で考える『拉致』報道」と題した章では、過去の歴史を踏まえた冷静な海外の報道と、過去の清算を無視した日本のメディアの狂奔ぶりの格差を浮き彫りにしている」と述べている。

「拉致一色」となったマスコミ報道と、朝鮮を憎悪する世論を欧州から眺めていて、何かに似ていると考えたら、昭和天皇「下血」の煽情報道だ。
今回の「拉致」報道は、一九八八年九月に始まった昭和天皇の下血に始まり、「崩御」「大嘗祭」まで続いた天皇報道と酷似している。天皇の戦争責任を一切問わず、天皇の病気と死を大ニュースとして、国民を動員していったあのすさまじい報道の再来である。また地下鉄サリン事件のオウム報道にも似てきた。
「日本が1930年代に中国を侵略したときもこういった感じだろうと感じる。日本全体が一丸となって朝鮮をやっつけろという戦時一色ムード。これはファシズムだ。朝鮮を攻めろということだ。今も昔も、権力に煽られているのではなく、民衆自らがそういう意識なのだ」。
甲山事件で日本の司法権力にでっちあげられた経験のある山田悦子さんは私にこう語った。同感だ。(p29)
日本の国家犯罪の被害者にインタビューして、その痛切な叫びを伝えるマスコミがないのがなさけない。両方を公正に伝えるのがジャーナリズムの原則なのだ。(p31)
今回の日朝平城宣言で、私が最も落胆したのは、朝鮮当局が日本の過去の侵略責任について、一九六五年に朴正煕軍事政権と締結した日韓基本条約の内容にも劣るレベルで妥協した事だ。「拉致問題」があったための政治判断と思われる。朝鮮は「過去の精算」に関する賠償請求を放棄し、日本の35年にわたる強制占領の国家犯罪を免責し、日本からの政府開発援助(ODA)を受け取る経済協力方式で合意したのだ。日本への無条件降伏といっていいだろう。日本帝国の植民地主義に抗して抗日パルチザン闘争を展開して朝鮮を建国した総書記の父親、金日成の「建国の精神」にも反する政策を選択した。
歴史観を欠如させた日本のマスコミは、「北朝鮮が従来の賠償請求を取り下げ、日韓基本条約と同じ経済協力方式で妥協した。金額などはこれからだ。ほぼ満点である」(九月二十二日『朝日新聞』社説)と書いた。朝日はまさにファッショ新聞である。
中国をはじめ過去に日本の侵略を受けたアジア太平洋の多くの国々の権力者たちは、日本からのODAと民間投資を必要とするために、歴史問題に柔軟になる中で、朝鮮だけが常に日本の極右化に警告を発していた。朝鮮当局の「過去の精算」によって、日本人民は「外圧」をほとんど失ってしまった。(p31)
もちろん日本人自身が侵略責任をどうとるかが問われている。(p32)

以上が、その主張なのだが、その異様さは理解できるだろう。実は「看板をかなぐり捨てた「人権と報道・連絡会」」の中で、「いまだに「拉致疑惑」なのか?」と、拉致疑惑説を掲げる者達であると批判されているのである。

ここまで言えばわかるだろう。創価学会は、未だに親北朝鮮を貫いているのである。

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