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ヤフーBB「恐喝未遂犯」をどうしても切れなかった「創価学会」弱み

(「週刊新潮」3月11日号)

30年以上の時を経て、再び甦る宗教家たちの悪事の記憶。しかも関係者の一人は、今や政権与党の一角を占める公明党の神崎武法代表で、その支持母体に大激震が走っている。キッカケはあの「ヤフーBB恐喝未遂事件」。逮捕された男は、昭和45年に学会が起こした共産党委員長宅盗聴事件の実行犯だった。で、学会にとっての過去の恥部が今またクローズアップされているのだ。

イラクへの自衛隊派遣の国会承認なども無事終え、まずは公明党の神崎武法代表もやれやれといったところだった筈。が、ひょんなことから、昔の古傷が蒸し返され、落ち着く間もなく、頭を悩ませる事態になった。

「だから、早くあいつは創価学会から除名にすべきだったんだ。いつか、こういう事件を起こすんじゃないかと心配してたんだよ」

と、苦々しげに語るのは、学会の古参幹部。事件というのは、ここのところメデイアを騒がせている、「ヤフ−BB恐喝未遂事件」である。元右翼団体幹部の森洋(67)が約460万人分の顧客情報を入手。これを知人で、ヤフーBBの代理店を務める「エスエスティー」社長の竹岡誠治に提供。竹岡は自分の会社の湯浅輝昭(61)に情報を渡し、彼がソフトバンク側に接触した。

「海外で合弁会社を経営したいので、20〜30億円を出資してほしい」

と、金を要求し、恐喝未遂容疑で、3人が逮捕されたのである。

この事件で神崎代表が頭を痛めているのは、現役学会員の竹岡についてだ。彼は、かつて学会が組織的に行った宮本顕治・共産党委員長(当時)宅盗聴事件の中心メンバーで、この事件の証拠隠滅などに神崎氏自身も関わっていたという疑惑が国会で追及されたこともある。竹岡の逮捕を機に、学会が風化を望んでやまなかった昔の恥部が再びクローズアップされた形なのだ。

そもそも盗聴事件とはどういうものだったのか。

昭和40年代半ば、学会は、藤原弘達氏の著書『創価学会を斬る』出版に際し、言論妨害問題を起こした。これに対し、世間では批判の嵐が吹き荒れ、学会はこの対処に悪戦苦闘。そんな中でも、批判の急先鋒になっていたのが日本共産党だ。

この共産党対策が必要と考えた学会側は敵方の動きを知るため、当時の宮本委員長の自宅電話に盗聴器をしかけたのである。この総指揮をとったのが、元学会の顧問弁護士で、池田名誉会長に重用されていた山崎正友氏だった。ご存じ、池田名誉会長が当時、四面楚歌 君がおわせば 王の道″との歌まで贈った側近中の側近だ。

山崎氏は学会の学生部からメンバーを選抜し、「山崎師団」と呼ばれた謀略部隊を編成した。この中でもとりわけ中心的な働きをしたのが、件の竹岡と、当時、学生部の主任部長だったH氏、そして常任幹事で、現在は学会系の葬儀会社を営むK氏の3人である。山崎氏のもと、学生たちは謀議を重ねたそうです。盗聴器を仕掛ける実行役を果たしたのが、竹岡とH氏です」(同)

しかし、さして成果もないまま、盗聴器の取り付けが発覚。当時、事件は迷宮入りになったが、その10年後、学会と袂を分かった山崎氏が盗聴工作を自白″する爆弾告白を行い、大騒ぎに。竹岡たちの非合法活動の全貌が白日の下に晒されたのである。ここは今一度、当の山崎氏に語ってもらおう。

政界に急接近

「その頃、私は学会で、尾行、張り込み、電話盗聴などの手投による情報収集を行う責任者でした。そのために借りた事務所には、池田氏も何度か立ち寄り、私たちの仕事を嬉しそうに見ていました。こうした作業の中で実行されたのが宮本委員長の自宅の電話の盗聴だったんです。Hは機械に強く、彼が中心になって盗聴器を作りました。竹岡は体が丈夫で、プレッシャーに強かった。で、竹岡とHの2人が宮本邸の横の電柱によじのぼり、盗聴器を仕掛けたのです」
 こうした非合法活動が露見したものの、すでに刑事事件では時効が成立。そこで共産党は、当時の副会長で、後に会長となる北条浩氏(故人)や実行犯などに損害賠償を求める民事訴訟を起した。裁判所は、これを北条氏の了承のもと、山崎氏が行った、学会の組織的犯行と断罪し、100万円の支払いを命じたのだ。

その実行犯の竹岡が、今回また、情報に絡んだ犯罪で捕まったわけである。彼は一体どういう人物なのか。

竹岡は広島出身。中央大学卒業後、学会本部の専従職員になった。

「盗聴事件が発覚しなかったことをいいことに、竹岡はその後も出世していきました。中枢の組織センターに配属さ、れ、将来を嘱望されたエリート中のエリートだった。昭和53年には創価班全国委員長、翌年には青年部の副男子部長も務めました。この時の男子部長が今をときめく公明党のプリンス、太田昭宏代議士です。ちなみに副男子部長は全国から10人しか選ばれない。つまり、彼は青年部のトップテンに入っていたということです。竹岡は池田名誉会長からも可愛がられた。名誉会長は彼の子供の名付け親にまでなっています」(学会古参幹部)

池田氏、そして今の野崎勲副会長に見込まれた太田・竹岡コンビは、トントン拍子に出世する。そんな順風満帆の竹岡の学会人生に狂いが生じたのが昭和55年である。前述の通り、山崎氏が盗聴事件を公表したからだ。

「この時、学会内部でも、彼らを除名すべきだ、という声があがりました。しかし、上層部にそんなことができるわけがありません。でも、さすがに本部に置いたままにもできず、竹岡は聖教新開に出されたのです。それでも広告局の担当部長にして、それなりの処遇をしていたんです」

というのは、別の古参幹部。とはいえ、それも所詮は組織防衛のためだとか。

「ぞんざいに扱ったり、切り捨てたりすれば、造反されて、第2、第3の山崎正友氏になりかねない。謀略部隊にいた竹岡に内部の悪事を暴露されたら、たまりません。池田名誉会長らはそれを恐れたのではないか」

しかし、その竹岡は平成10年、聖教新聞を突然、退社。この頃から急速に政治家に接近する。公明党ばかりか自民党の議員にも近づき、政界人脈を広げていった。

「もっぱら永田町に出入りして、自分の商売に勤しんでいたようですね」(同)

そして4年前に 「循環社会研究所」なる会社を作った。麹町で行われた設立パーティーには、.自民党と公明党のパイプ役を果たしていた、当時の野中広務・自民党幹事長代理も出席したという。

「この会社は『循環型社会推進議員連盟』という議連と接点を持っています。そもそも公明党が政策の一環で環境問題を取り上げていた。だから竹岡は政治にリンクする形で環境ビジネスに取り組もうとした」(同)

なるほど、この議連、会長は橋本元総理で、自民党議員も多いが、副会長は浜四津敏子・公明党代表代行。神崎代表や冬柴織三幹事長、坂口力・厚労大臣など静々たる党幹部を含めて、23人の公明党議員が名を連ねており、公明党が大きな比重を占める議連なのだ。

「竹岡の会社は、議連の勉強会に講師を派遣するなど、シンクタンク的な存在になっていた。公明党も事情を慮って、彼に仕事を与えていたわけですよ」(同)

獅子身中の虫

学会関係者たちが腫れ物に触るような扱いをしてきたのは、何も竹岡だけではない。やはり盗聴事件の一審で被告の1人となったK氏(裁判では関与が立証されず、賠償請求は認められなかった)も同様だ。

「Kは昭和58年、葬儀会社を作った。それまでは学会公認ともいうべき会員御用達の葬儀会社が別にあり、そこがシュアを独占していました。社長が池田名誉会長の覚えめでたい人なんです。ところがKが学会の了解をとらずに葬儀会社を設立し、全国の学会会館などに八デな営業を行ったため、上層部から批判が湧き起こりました。秋谷栄之助氏(会長)らもKの行動を強く非難していたんです。それで仕事がとれず、経営は苦しい状況が続きました」

と、語るのは元学会芸術部書記長の古谷博氏だ。

「本人にしてみれば、裏の汚れ仕事を引き受けてやったのにと、悔しい思いがあった。Kは私にも、これまでの裏稼業について、全部暴露してやろうかと思う″と、しきりにこぼしていました。が、その後、急に彼の会社は認められ、順調に業績を伸ばしていった。造反を恐れた池田氏の指示で、お墨付きが与えられたのでしょう」

また古谷氏は、このK氏や竹岡らが被害者意識で結束しているとも分析する。「たいした収入のなかった竹岡が『エスエスティー』など2つも会社を作れたのは妙です。私はKが資金援助したと見ています」

いずれにせよ、創価学会は、かつての悪事の実行者たちを切りたくても切れず、自分の目の届く範囲に置いてきたのである。

「学会員の間では竹岡の評判は悪かった。なにしろ、銀座などで豪遊するのが大好きで、気に入ったホステスを口説きまくつたり、体に触ったりしていたからね。一度、ある店で竹岡と学会専従の人が鉢合わせになったこがある。その人は彼を指差し、またお前か。いつも飲み遊んでばかりいて、他の会員が汗水たらして本部のために稼いでいるお金を何だと思っている″と、すごい剣幕で怒鳴ったんです」 (ホステスの1人)

ともあれ、竹岡が事件を引き起こしたことで、池田名誉会長率いる学会の昔の恥部が蒸し返され、とりわけ、公明党の神崎代表は苦しい立場に追い込まれる可能性が高い。なにしろ、彼は現役の検事時代に、盗聴事件の事後処理を巡り、山崎氏から証拠隠滅の相談を受けていたというのである。

「私は盗聴事件後、大石寺で、当時、現職検事だった神崎代表と福島啓充氏(現副会長)に後始末について相談しました。バレることはないから、知らんぶりしていよう″ ということになりました。神崎代表は嫌な顔をしていましたが、この方針に同意したのです。こうして、彼は、私経由とはいえ、結果的に盗聴事件を知り、そのもみ消しで連携したわけです」

と、山崎氏。しかも彼によれば、神崎氏の学会の非合法な謀略への関わりは、この事件だけに限らないというのだ。

「まず、言論問題で池田氏が謝罪する事態になりましたが、この原稿について、私たち幹部は箱根の研修所に寵り、検討を重ねた。そこに検事だった神崎氏も来ていました。その証拠が、当時の第一庶務が作成した池田氏の行動記録です。ここに彼の名前も出ている」

それだけではない。

「あの有名な『月刊ペン事件』でも彼は活躍した。私は訴訟を進めれば、池田氏の証人出廷を求められると思ったので、示談を進言していた。しかし他の弁護士達が強気で、そのまま進み、やはり検察から池田氏の出廷が打診されてしまったんです。この頃、東京地検の検事だった神崎氏は私に2度ほど電話をよこし、このままの戦術では、池田先生の出廷は避けられないぞ。とんだ晒し者になる″などと、検察側の動きや方針を伝えてきて、適切なアドバイスをくれたのです。私からすれば、彼は山崎師団″の裏顧問的な存在で、頼りにしていました」

さて、当の神崎代表はどう答えるか。

「盗聴事件には全く関与しておらず、後始末について山崎氏から相談を受けたこともありません。月刊ペン事件の際のことについて、山崎氏が言っているようなことや、その他の事実も全くない。また私が山崎師団≠フ裏顧問だったということもありません」

が、山崎氏は言う。

「私が盗聴事件を暴露した直後に、神崎氏は検事を辞め、政界に転身した。もしうしろめたいところがなければ、将来の検事総長とまで嘱望された神崎氏が検察官を辞めるはずがない」

久しく政権中枢の座を占め、ますます存在感を増す神崎・公明党。そしてその実質的オーナー″である池田・創価学会。恐喝未遂事件に職を発した今回の問題は、彼らの恥部を白日の下に晒すことになった。この事件は、獅子身中の虫″を内部に抱えた彼らが「クサい物にはフタ」 で問題を糊塗し続けてきた醜い姿を、見事なまでに浮き彫りにしてくれたのである。

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