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「ヤフーBB恐喝」創価学会員は「自公連立」パイプ役だった。
自民党から5億円

(「週刊新潮」3月18日号)

森功

ヤフーBBの喝未遂事件で逮捕された創価学会員がかつて顧問を務めていた会社に、自民党から3年間で5億円以上の金が流れていた。日本共産党委員長宅盗聴事件のメンバーのもう一つの顔。それは自公連立の裏のパイプ役だった。ノンフィクション・ライターの森功氏による掘り起こしレポート。

「今回の事件の真には長年の自公連立のよどみが、透けて見えます。もともと野中(広務)さんたち橋本派が進めた連立ですが、はからずも今の小泉政権で、その暗部が顔を出したといったところでしょう」

ある自民党代議士秘書の事件に対する感想である。

先頃、摘発されたヤフーBB恐喝未遂事件。逮博された3人のうち、主犯格の竹岡誠治(55)は、創価学会の元幹部にして、70年の共産党委員長宅盗聴犯の一員だった。

ひょんなところから発覚した竹岡の経歴。が、改めて彼がクローズアップされているのは、事件のせいばかりではない。自公連立政権の裏で暗躍してきた影のフィクサー″などと、永田町では、その存在が話題になっているのだ。

盗聴事件後、竹岡は学会の機関紙『聖教新聞』に勤めていたが、98年に退社。ヤフーBBの代理店『エスエスティー』や『循環社会研究所』などの会社を設立するかたわら、公明党を中心とした政界人脈を築いてきたのは、報じられてきたとおりだ。

創価学会の裏工作部隊の幹部だったのだから、公明党議員の人脈があるのは当たり前かもしれない。が、竹岡の政界での役割はそれだけではない。

00年、『循環型社会推進議員連盟』なる超党派の議連が旗揚げされたが、竹岡はここにも関与。議連は、99年の自自公連立政権発足の翌年に誕生した。現在も、自民党の橋本龍太郎元首相が会長につき、公明党代表代行の浜四津敏子氏が副会長の任にある。先の自民党代議士秘書によれば、

「竹岡は、公明党がテーマしたにしてきた環境問題における業界と政界の橋渡し役という立場でした。この議連は、連立を実現させた自民の橋本派と公明議員の利害が一致。お互いの思惑が絡みあってできたのでしょう。しかし、竹岡はそれ以前から自公の連立に向けたパイプ役として動いていたと思います」

その竹岡について、捜査関係者が注目している会社があることは、あまり知られていない。ある自民党の職員が打ち明ける。

「竹岡は、聖教新聞を退社した直後、広告企画会社の顧問に就任しました。都内中央区にある『ラバラ』という会社ですが、実はそこは、自民党からポスターの作成や選挙の世論調査を請け負ってきたのです。この取引が竹岡の仕掛けではないか。おまけに、自民党からこの会社に支払われてきた金は、3年間で5億円を優に超、え、6億円近くにのぼっているのです」

ヤフーBB恐喝犯″が顧問になっていた会社と自民党との巨額取引−。 いったいどうなっているのか。

実際、調べてみると、そのとおり。自民党本部の政治資金収支報告書によれば、『ラバラ』への支出項目は「選挙関係費」「宣伝事業費」「調査研究費」「組織活動費」などに分類され、こう記されている。

平或12年(00年)   約2億8000万円
 平成13年(01年)    約2億2407万円
 平成14年(02年)    約   8782万円

00年から02年までの3年間で、締めて5億9000万円。それが自民党からこの会社に支払われているのである。

くだんの『ラバラ』の設立は93年11月。社長は杉田裕泊氏(50)という。信用調査会社の調べによれば、96年3月までは従業員わずか3人の小さな会社だった。それが、ちょうど自公の連立話が持ち上がる頃から業績を伸ばした。

時系列で説明すると、竹岡は98年11月、聖教新聞を退社後、『ラバラ』の顧問に就任。故・小渕恵三首相が自公連立の仲介役だった旧自由党の小沢一郎党首と連立を発表したのが、まさに同じ11月だった。そして翌99年10月に公明が合流し、自自公連立政権がスタートした。

この間、『ラバラ』は自由連合の徳田虎雄代議士率いる医療法人『徳洲会』との取引を開始。と同時に、自民党との取引が始まったのである。

学会の票読みで当選的中

徳洲会の事務局に開くと、「『ラバラ』は、6年前に竹岡氏から紹介され、取引を始めた。しかし、それも1年ほどで、今はまったく付き合いがありません」

そもそも徳洲会を紹介したのも竹岡らしいが、取引は長続きせず、自民党との取引が中心になっていく。

参考までに、自民党の政党交付金使途等報告書には、01年12月27日の支払い先として『鰹z環社会研究所』も登場する。言うまでもなく、竹岡本人の会社だ。

『ラバラ』は自民との取引を深め、竹岡は竹岡で自公のパイプ役としての地歩を固めていったのである。

昨年8月には、先の議連がブラジルを訪問。自民党の景山俊太郎、山崎力、公明党の福本潤一各参院議員が現地のエタノール燃料の製造現場を視察した。その際、竹岡も同行。SGI(創価学会インターナショナル)の関係者を議員たちに紹介したという。

まさに自公の狭間を泳いできた竹岡と『ラバラ』……。

「小渕政権下で沖縄サミットを準備していた00年、『ラバラ』は自民党にイベントの企画を提案したことがあります。企画は日米親善のために地元の高校生を米軍基地べ招くというものですが、その発案者が竹岡。結果的に実現しませんでしたが、竹岡の企画を『ラバラ』として自民党に提案したらしい」(政治部記者)

また02年、『ラバラ』は福岡6区の衆院補選の選挙調査を自民党から受注。選挙は、野中元幹事長の経で京都府の副知事の息子、荒巻隆三氏が出馬したのだが、敗色濃厚だった。それで創価学会の応援を頼んで、逆転勝利したのだが、

「このときは他の選挙予想はむろん、当の荒巻選対でさえあきらめかけていたほどの苦戦でした。ところが、『ラバラ』だけは荒巻当選を予想。それだけ創価学会の応援による票読みができていたということに他ならない。『ラバラ』の杉田社長は創価学会員ではないので、これも竹岡氏を通じた情報収集でしょう」(同)

同社は、創価学会直営の輸送会社N社と取引していた時期もある。むろんそれも竹岡との関係からだ。

が、忘れてはいけない。竹岡は恐喝未遂犯なのだ。いったい自民や『ラバラ』は、竹岡との付き合いをどう説明するのか。

「自民とは長い付き合い」

当の『ラバラ』の杉田社長に聞く。

「竹岡さんには5年前ほどにうちの顧問という肩書の名刺を渡しましたが、それも1年間くらいです。その後、顧問をやめたので、顧問料も払っていません」

としたうえで、こう話す。「竹岡さんに最初に会ったのは10年以上前です。彼はまだ聖教新聞にいました。また一時期は竹岡さんの紹介で(ヤ7−の)BBフォンの代理店もしていたことがあるが、とうの昔にやめており、今年に入ってからは一度も彼と会っていません。竹岡さんには仕事を任せていたけど、創価学会や公明党とは全く関係がない。N社のことは詳しくは覚えていませんが、配送などを依頼したんです。でも、それも今は取引先ではありません」

問題の自民党との取引について、党本部では、

「『ラバラ』さんとは、十数年前からの取引であり、通常の商取引です」

という。が、前述したように『ラバラ』の設立は93年11月。まだ10年4カ月しかたっていない。この点について、杉田社長に改めて尋ねると、こう言う。

「自民党とはかなり前からの付き合いで、竹岡さんの紹介ではない。今では彼と仕事の関係はありません」

が、02年から過去5年間の自民党の使途等報告書を見る限り、『ラバラ』との取引は00年に始まっており、それ以前の記載はない。そう伝えると、しどろもどろになりながら、答える。

「そんなことはないと思います。お金に関する取引はないにしても付き合い自体はもっと長い。だって彼は創価学会員だよ。学会員が自民党の話を持ってくるわけがないでしょう。ハッキリは覚えていませんが、自民党とは村山(富市・自社さ)政権の頃から付き合っています。竹岡さんの紹介では断じてない」

さらに02年の福岡6区の衆院補選や沖縄のサミットの件を突っ込むと、こうおつしやる。

「そんな重要な話、言えるわけがないでしょ。他の調査のやり方が全く分からない以上、仮にうちだけそういう結果が出ても問題ないでしょう。沖縄サミットでは、確かにイベントを企画しました。嘉手納基地のなかでコンサートを開こうとい、つものですが、そのときは自民党ではなく外務省に僕が直接持ち込みました。ちょうど米軍の飛行機が事故を起こしたので、イベントはやめたんです。しかし、補選もサミットも竹岡さんとは全然関係ない」

もっとも、こんなことも言う。

「自民党が過去に事件を起こしている人と付き合ってはいけないんですか。それはあなた、戦前の恐怖政治の警察みたいですよ。彼は、物事をまとめるのがもの凄くうまいんです。だから、議員さんと議員さんの選挙区調整がつかなかったりした、ときに、竹岡さんが知っている学会の地域の人につないだりということはあったようです」

これこそ、自公のパイプ役では……。

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