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新「創価学会」を斬る【最終回】

(週刊新潮12月25日号)

山田直樹

世襲か、分裂か「池田後」巨大教団はどこえ行く

平和と福祉を訴える一方で、敵対者を口汚く罵り、激しい攻撃を続ける創価学会。僅か衆院34議席で、国政を自在に操れるとは、池田大作氏も笑いが止まるまい。が、その池田氏も間もなぐ76歳。健康不安説が飛び交い、いつXデー″が訪れても不思議はない。憎悪をエネルギーに多くの軋轢を生みながら圧倒的な力を発揮してきたこの特異なカリスマ亡き後、創価学会はとこへ行くのか。

来年1月2日、池田大作創価学会名誉会長は76歳の誕生日を迎える。あらゆる組織、人間に宿命づけられた 「終焉の日」。池田氏が、戦後史に名を残すような特異なカリスマであっても、その日を逃れることは不可能だ。

これまで報じてきたように、創価学会には、無条件に 「池田先生」の指示に従い、敵への馬倒と内部の強烈な引き締めで脱会(内部では、これを退転″という)を防ぎ、凄まじいまでのエネルギーを生み出してきた歴史がある。

しかし、その 「先生」を失った時、創価学会はいったいどこへ向かうのか。

日本最大の集票マシーンと化したこの組織は、僅か衆院34議席という小政党を動かすだけで政権の生殺与奪を握り、このカリスマ教祖を「法王」 の座に押し上げた。

その動向は、政界関係者のみならず、多くの国民の関心のマトだ。連載最終回は、池田大氏亡き後もこの組織が強固な結束を保ち、その力を発揮しっづけるのか、それとも瓦解の道を歩むのか、その問題を検証してみたい。

「先生の死」 そもそも学会員にとって、この問題はどう捉えられているのか。「先生の死なんて、とても考えられません。学会で、池田先生が死んだ後どうなるかなんて話はタブー中のタブーですよ。親しい間柄でもそういう話はできません。とにかく池田先生は凄い人で、ブロックや地区の幹部も二言目には池田先生のために″池田先生のお陰で″ でしたから。そんな人が死ぬなんてことは絶対に口に出せない雰囲気でした」

今年の春に脱会したばかりの中堅幹部氏のこの弁は、おそらく大多数の学会員に共通するものだろう。

しかし、今年のゴールデンウイークに、その ]デー″を学会員1人1人にいやでも意識させるような事態が起こった。4月末、「池田氏が緊急入院」という衝撃情報が関係者の間を駆け抜けたのだ。心筋梗塞や脳梗塞など、さまざまな情報が飛び交い、政界を中心に関係者は右往左往する。

そして、その情報を基づけるように、創価学会にとって、池田氏の先代会長である戸田城聖がその座に昇り、かつ池田氏自身もまた会長に就任した最大の記念日(5月3日)の行事を池田氏が欠席するという前代未開の事態に至るのである。

約1カ月後の6月12日、池田氏が本部幹部会に観れ、弱々しくもスピーチを行ったことで、重病説は、一旦、 打ち消された。 しかし、池田氏の弛んだ頬や張りのない声は、「]デーはいつ来てもおかない」という声を内部からも起こさせることになるのである。

旗上げされた″池田教″

この重病説が流れる約1年前、創価学会が重要な路線変更を行っていることをご存じだろうか。

02年4月、創価学会は、本山から破門(91年11月)されて11年後、会則を徹底的″に改変したのである。

注目点は、以下の部分だ。(第3条 牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代金長の『三代会長』は、広宣流布実現の死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である) (傍点筆者)

ちなみに秋谷栄之助・現会長は5代目。81年、急逝した北条浩4代会長と共に「永遠の指導者」から除外されている。仮に6代、7代目の会長が学会トップで指導したとしても、この規約が生き続ける限り「永遠の指導者」 にはなれない。

要するに目下、学会を支配する池田氏こそが「指導者」 であり、それは永遠なのだという、事実上の 「池田教」がここに旗上げされたのである。

1930年、教育者、牧口常三郎が利・善・美″という独自の価値論を掲げて 「創価教育学会」を創立して以来、紆余曲折を経て、国政を思うままに操るまでに成長したこの団体は、72年後に「池田教」に変貌したことになる。

かつて、創価学会が日蓮正宗の信徒団体として東京都から宗教法人の認証を受けるために提出した規則の第3条を見ると、

<この法人は、日蓮大聖人御建立の本門戒壇の大御本尊(筆者注=総本山・大石寺の板曼陀羅)を本尊とし、日蓮正宗の教義に基づき、弘教及び儀式行事を行ない、会員の信心の探化、確立をはかり……>と書いていた。日蓮正宗の一信徒団体にすぎなかったその針価学会が、結局は池田氏の事実上の個人教と化したのだから、その変転に驚くのは筆者ばかりではあるまい。

しかし、個人教になればこそ、その継承は逆に難しいと言える。

なぜなら創価学会はあくまで、「自分たちは、新興宗教ではない。700年からの歴史を誇る日蓮大聖人の教えを実践する信仰者である」とし、池田氏個人ではなく、日蓮の教えを根本としているからだ。「池田大作氏亡き後の創価学会は、これまでの新興宗教団体が悉く失敗してきた、2世3世の会員を取り込めるかどうかという壮大な実験に入るでしょう」と、宗教学者の島田裕巳氏も予測するように、トップ交代も含め、巨大教団の継承は簡単ではない。

池田氏自身が第3代会長に就いた時も、それは複雑なものだった。

多くの宗教団体がそうであるように、学会にも後継者を決定する仕組みが明文化されていない。

2代会長の戸田城聖が亡くなったのは58年4月2日。すでにその前年から、肝臓、糖尿などが悪化していた戸田の姿は、周囲に終焉の日が近いことを知らせていた。

当時の戸田側近だった龍年光氏(元公明党都議)はこう述懐する。「戸田先生が亡くなる直前、3月17日に創価学会最高会議が開かれました。この場には、当時の学会幹部が勢ぞろいして、後継者の指名を待ち受けていたんです。幹部の1人、辻武寿が戸田先生に対して、先生、次の会長は誰にするんですか″と質問しました。先生は、それは、お前たちで決めるんだ″と言う。当然、池田が指名されると思っていた辻は驚いて、先生、先生、3代会長はどうするんですか″と、もう一度聞き直しています。すると戸田先生は、それは、お前たちが決めるんだ″と強い口調でもう一度答、え、それっきり、横を向いて、何もおっしゃらなかったんです」

実は、この場に池田氏の姿はなかった。龍氏によれば、学会で先生と呼ばれるのは戸田ひとりであるにもかかわらず、すでにその時点で、池田氏を先生と褒めちぎるグループが組織内に形成されていたという。

メンバーは、小泉隆(理事長)、原島宏治(理事)、前出の辻、後の4代会長・北条浩、そして現会長の秋谷らの各氏である。

池田氏の自伝ともいえる『人間革命』では、同年3月1日に大石寺で開催された大講堂落慶法要の折、戸田がエレベーター内で池田氏(ペンネームの山本伸一) へこう語りかけたことになっている。<私はいつ死んでもいいと思っている。伸一、あとはお前だ。頼むぞ>

しかし、龍氏はその時のことをこう振り返る。「落慶法要の祝賀会が大講堂の貴賓室で行われる寸前の出来事でした。先生は、側近の池田がいないので大作を探して来い″と命じました。すると先生は、ようやく現れた池田を叱責したのです。先生は池田をその場に残し、エレベーターに乗り込みました」『人間革命』の言う、後継指名のエレベーターの場面は、そのもの自体がなかったと龍氏は言うのである。

以後、会長空白の期間が2年間存在したことを見ても、池田氏が先代から引き継ぎの遺言を受けていたというのは、確かに不自然かもしれない。この池田氏自身も苦労した会長就任の経緯を見ても、「権力の継承」が容易でないことは間違いない。

急死した後継者

その権力が巨大であればあるだけ権謀術数が渦巻き、激しい闘いとなるのは歴史が示す通りである。しかし、その中で最も重要視されるのは、「先代会長の御遺志」であることは言うまでもない。つまり、池田氏自身の後継者は、池田自身が決めればいいのである。もっとも、池田氏は、ある一定時期まで後継者を作ってこなかった。それは、自分の存在を危うくしかねない後継者を作ることを、彼自身が恐れたからかもしれない。

例えば、現会長の秋谷栄之助氏が力を持つことを池田氏は絶対に許さなかった。秋谷氏の下で働いた創価学会本部組織センターの古谷博・元広宣局副部長はこう証言する。「私は本部組織センター時代も含め、秋谷と行動を共にする機会が多かったのですが、池田は様々な局面で秋谷を苛め抜きました。組織センターで働いている時も、池田がいきなり部屋に入ってきたかと思うと、20、30人の職員の前で秋谷を叱り飛ばすのです。それに対して秋谷は直立不動ではい! はい!″と応じるのみでした。秋谷の学会での半世紀は、池田に苛め抜かれた歴史とも言えます。池田は、戸田門下生の秋谷が初めから許せなかった。特に、自分がもらえなかったのに秋谷が、戸田から城永″という名前を貰っていたことが気に入らなかったのです」

しかし、実は池田氏は秋谷氏の力が怖かったのだと、古谷氏はいう。「秋谷は50代後半の副会長連中や公明党のコアメンバー達を手塩にかけて育ててきた。彼らが池田亡き後、池田ファミリーを籠絡し、実質的な権力基盤を手に入れる可能性は高い。特に、全国の学会及び公明党幹部の情報を握っている中上政信・連絡局長や、自民党議員の生殺与奪を分析している井上義久・公明党選対委員長などは、秋谷の子飼いです。秋谷の影響力は、全国の幹部クラスに及び、彼の卓越した情報収集能力は池田も認めざるを得ない。池田は死ぬ間際まで秋谷の存在が気になると思います。秋谷の影響力を削ぎ落とし、徹底的に排除した体制が構築されなければ、池田家の安泰は約束されません。池田は今後も池田家安泰のために秋谷の力を削いでいこうとするでしょう。しかし、秋谷の力を削ぐことができない内に池田が死ねば、半世紀に亘って耐え抜いてきた秋谷の報復が始まると思います」

81年に会長に就任して以来、ひたすら池田氏のご機嫌を伺いながら実務を取り仕切ってきた秋谷現会長の動向は、]デー以後の創価学会を見る上で見逃すことができないのである。

自分の死後、実務を握っている人間に叛旗を翻されたう自分の権威はおろか、ファミリーさえ見る影もなくなることは、池田氏自身が先代の戸田家にしたことを考えれば容易に想像がつくことだ。

猜疑心心の強い池田氏は第4代・北条浩、第5代・秋谷栄之助両会長を学会員の前で叱りつゃ、決して後継者″にはしなかった。

彼には信じられるものは身内しかいないのかもしれない。実は、池田氏の後継者は、次男の城久氏だった。池田氏には博正、城久、尊弘という3人の息子がいた。「いた」と過去形を使うのは、その当の城久氏がすでにこの世の人ではないからだ。

父親から絶対の期待をかけられていた城久氏は、84年、僅か29歳という若さで胃穿孔で急死してしまうのだ。

後継者として「帝王学」を授けられてきた城久氏について、ジャーナリストの乙骨正生氏はこう解説する。「性格も身体つきも自分と似ている城久が池田は可愛くて仕方がなかったのでしょう。創価大学在学中から、いずれ4代目になられる方≠ニ皆が言うほど、城久は後継者としての扱いを受けてきました。長男の博正は、大阪の創価女子高の社会科教諭で、教え子と結婚しましたが、性格が大人しく、池田は巨大教団を率いていくには不向きだと思っていたようです。池田は城久が在学時代から、自分のお眼鏡にかなった27人からなるご学友グループ″をつけ、城久の側近作りに余週刊新潮念がありませんでした。それだけ彼は将来を嘱望されていたのです」

城久氏には、池田氏の身の回りの世話をする本部第一庶務から熊澤みさ子という女性が妻として抜擢″される。子供も生まれ、池田氏にとって後継者作りは一時、万全となっていたのである。

しかし、城久氏の急死ですべては変更を余儀なくされる。急遽、長男の博正氏が東京へ呼び戻され、城久氏に代わって、ポスト池田の最有力候補にのし上がるのである。

ポスト池田狙う「若手」

94年にSGI副会長になった博正氏は、父親の名代として海外に出かけて要人と会したり、あるいは池田氏への顕彰を代理で受けたりしている。

池田氏自身がかつて『若き日の日記』を出したことに倣い、最近、博正氏が『青春の道 私の若き日の記録』を出版し、学会の「最高教導会議」 に加わるようにもなった。着々と後継者としての準備は進んでいるのだ。

しかし、その後継も「創価学会会長」というわけで、はない。実は、「SGI会長」なのである。

創価学会元広報部副部長の小川頼宣氏がいう。「現在、創価学会は権力、財産、人事をSGI、すなわち創価学会インタナショナルに移行させています。長男博正をSGIの後継に持っていくためです。池田親衛隊である創価学会婦人部の幹部は、皆SGIに異動して、学会兼任としています。本丸を出て、新しい本丸を作ろうとしているのです。博正を学会の後継に持ってこないことで、世襲制の批判も完全にかわせるし、学会は選挙と集金というダーティな部分を受け持つ下部組織に専念できるのです。つまり、今後、創価学会はSGIの日本支部として機能していくことになる。SGI会長が首相なら、創価学会会長は幹事長ですし、公明党委員長は国対委員長。創価学会会長には暫定で原田稔副理事長を置き、合議制、集団指導体制を整えた後、正木正明につなぐ、という流れだと思います。池田の狙いは、学会がなくなろうが、SGIがなくなろうが、池田家だけは存続させていくということですから」

先の乙骨氏もいう。「池田は世襲はしない、と常々、口に出していますが、SGIを博正に継がせないとは一言も言ったことはないのです。注目すべきは、かつて城久の側近として池田が配置した27人グループ″が、そのまま博正の側近グループとして移行していることです。中でも、頭角を現しているのが、正木正明・本部役員室長です。彼は副会長でもありますが、同時に名誉会長、会長、理事長間の取次役という重職である本部役員室長を兼務している。池田の信頼の厚さは抜群で、この11月には、宗教法人・創価学会の責任役員にも抜擢されています。彼は大阪の出身で、昔から池田絶対の権化のような男。池田はSGI会長を博正に継がせ、創価学会はこの正木に継がせようとしているのではないかと思います」

乙骨氏は正木氏を高校1年の時から知っているという「彼が創価高校1年の時、戸田の命日である4月2日に合わせて、池田が戸田に対する思いを『大白蓮華』に寄稿したことがあります。その直後に、私が正木の下宿を訪れると、正木は一生懸命になってその文章を書き写していました。私が何をしているのかと尋ねると、この文章を自分の血肉にするんだ、というようなことを言っていまし.た。池田に対する忠誠心の強さは強烈だった。創価大では、VSOP=AすなわちVery special One pattern″の典型、池田絶対の熱狂的な信者として知られていました」

今を遡る14年前、まだ抜擢されて間もない男子部長時代に、埼玉の幹部会に乗り込んだ正木氏は、こんな発言を行なっている。「いよいよ、(池田先生)御自身が亡き後の広宣流布の戦いということを射程において、手を打たれていらっしゃるなということを、僕は感ずるんです」

まだ最高幹部とはいえない時代に、タブーだった]デー″に言及したこの言葉はマスコミにも報じられ、さら話題を攫う。「池田博正SGI会長・正木正明創価学会会長」。

いわば池田家を象徴天皇制″のようにしてSGIを任せ、内閣、すなわち実務を正木氏たちが取り仕切るという形が有力と見られているのである。

しかし、それで創価学会は、今の力を温存したまま、移行していくことが可能なのだろうか。

表に出ているだけで10兆円もの資産を持つ創価学会。信濃町の本部職員だけで3000人を抱え、外郭団体や公明党職員などを加えれば1万人は優に超える。すでに法王の座を手に入れた池田氏は来年を「創価完勝の年」と規定している。仮に池田氏の]デーが到来した場合、この組織が分裂することはあり得るだろうか。

カリスマ亡き巨大教団

「私は池田亡きあとの学会は長続きしないと思います。永遠の師″が亡くなるというのは、それほど簡単な問題ではありません」

こう指摘するのは池田氏の元側近、原島嵩・創価学会元教学部長だ。「創価学会は、常に敵を作らなければ結束を維持できない組織ですから、池田後はさらにメディアへの攻撃を強めるかもしれません。内部でも先生のご遺言″を持ち出し、従わない者をパージし、池田がやったことと同じことが起きうるでしょう。しかし、良くも悪くも池田は巨大な求心力を持つ台風の目でした。台風はその日が消滅すれば、やがて雲散霧消するように、創価学会も分裂、小型化していくのは避けられない。後継と目される誰にも、池田のようなバイタリティー、カリスマ性はありません。会員の希望であり、夢を託した池田大作という生き神様が消えれば、日蓮正宗へ戻る人たちや、地方からの離脱が考えられます。関西、九州など池田が陣頭指揮をとり、学会の基盤であった地方は求心力を失うのも早いものです。分裂は不可避でしょうね」

しかし、一方で分裂は起きない、との見方もある。

ジャーナリストの段勲氏がいう。「池田が死ねば学会組織内に相当の動揺が起こり、タガが外れて内部に幾つもの反乱グループが生まれるような事態になることはありうると思います。しかし、それが進んで一定勢力の分裂、分派などが起こるかという点はなかなか難しい。これが創価学会の巧みなところで、実は組織上、分裂が起こりにくい構造になっているんです。例えば霊友会を例に取ると、組織が支部の集合体のようになっていて、しかも支部の長といぅのが絶大な権限を持っている。こういう組織は自分の傘下の信者ごと、ゴツソリ引っ張って分派するという例がよくあるのです。霊友会から分派してできた立正佼成会などもそうです。しかし、創価学会は、そのようなタテの関係とヨコの関係を複雑にめぐらした構造になっていて、折伏で繋がっているタテの線の学会員を動かそうとしても、地域のブロックや青年部、壮年部といったヨコの繋がりが邪魔をする仕組みになっている。昔、ある大幹部が脱会するときに俺が出れば3000人がついてくる″などと豪語していましたが、蓋を開けてみたら自分だけだったことがありました。これは、大量の反乱を防ぐための巧妙な仕掛けなんです。私は分裂の可能性は少ないと思います」

10兆円を超える資産を持ちながら税の優遇措置を受け、近代国家の原則ともいうべき「政教分離」を無視して、選挙活動を展開し、その上、憎悪をエネルギーにしてマスコミをもひれ伏させてきたこの特異な団体。国民はいつまでこの集団の政治権力行使を許すのだろうか。「宗教の属性の1つに独善というものがあります。宗教団体内部でその教えに共感する人たちが交流する分には問題はないが、それがひとたび政治的勢力として対外的に膨張をはじめると、その瞬間から問題は深刻で複雑になるのです。創価学会の勢力拡大に大きく役立つとなれば、池田大作名誉会長の号令のもと、国家の利益など、どこかにふっ飛んでしまいます。その恐ろしさに気づかなければなりません」

こう語るのは政治評論家の屋山太郎氏だが、連載1回目で記した故・藤原弘達氏のこの言葉をもう一度思い起こしてほしい。

<もし自由民主党が過半数の議席を失うようなことになった場合、公明党に手をさしのべてこれとの連立によって圧倒的多数の政権を構成するならば、そのときは、日本の保守独裁体制が明らかにファシズムへのワンステップを踏み出すときではないかと思う>

『創価学会を斬る』のこの一文は、まさに 「創価完勝の年」を目前にした創価学会・公明党に対して、国民がどんな選択をなし得るかを問うている。

民主主義を守る上で、創価学会を監視することが計り知れないほど大きい問題であることを、今こそ国民は自覚しなければならない。(了)

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