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新「創価学会」を斬る【第1回】

(週刊新潮11月6日号)

山田直樹

「異様な中傷キャンペーン」が思い出させる狂気の「言論弾圧事件」

巨額の広告費にモノを首わせた異様な創価学会メディアのキャンペーンが続いている。標的は、週刊新潮や脱会者、そしてかつての本山や元公明党幹部たちである。三十余年前、自らに都合の悪い本の出版を妨害する「言論出版妨害事件」で国民に謝罪した池田大作氏。その悪夢が再び繰り返されようとしてる。この巨大教団は今、どうなっているのか。気鋭のライターが、その暗部を抉る。

<新潮社の反人権とねつ造の歴史>
<”ウソ八百″山崎正友の厚顔無恥)
<この一冊で週刊誌報道のウソがすべてわかる>
<「週刊新潮」による創価学会報道のウソ>
<ガセネタ屋「乙骨正生」にまたも司法の断罪!>
<破簾恥な竹入義勝の経歴詐称>

…・連日、創価学会系出版物による異様とも言えるキャンペーンが続いているのをご存じだろうか。

新開や雑誌の広告欄で、そして電車の中吊り広告で、それは今年に入って目もくらむような巨額の資金が投入されて行われている。

彼らがターゲットにするのは、週刊新潮や新潮社そのもの、あるいは学会に批判的なジャーナリスト、そして学会を脱会した元幹部、元公明党幹部らである。

彼らに対して憎悪に満ちたタイトルで、これでもか、と罵声を浴びせかけている。

これらの表現は、この宗教団体の体質を表して余りあるが、まずその常軌を逸したキャンペーンの有り様から見てみよう。

別表をご覧いただきたい。

これは03年7月から遡る2年間、新開や中吊りなどへ学会関連出版社がどのような広告出稿を行ったか、広告業界の内部資料に基づき段数(面積)と金額(正価換算)を集計し、グラフにしたものである。

『潮』(潮出版社刊)や『第三文明』(第三文明社刊)はいずれも創価学会系版元の月刊誌だ。これに加え『パンプキン』女性誌・潮出版社刊)、『灯台』(主婦向け子育て誌・第三文明社刊)などの中吊り広告、新開広告に毎号か定番々で登場するタイトル(コピー)がある。

ひとつは、池田大作創価学会名誉会長称賛、宣揚であり、いまひとつが、学会に批判的なメディアや人物への攻撃だ。

とりわけ後者はすさまじく、冒頭に挙げた例はごく一部に過ぎない。

辛口のコラムニストとして知られる徳岡孝夫氏は、こんな感想を抱いている。「(電車の)中吊り広告といぅのは、サラリーマンが通勤途中に、半分眠りながら見るものですよね。熟読するのではなく、必ずしも実際に雑誌を買うわけでもない人たちが、ごく短いキャッチフレーズによって、天下の形勢を窺う。吊り広告というのは本来そういう性質のものです。

ところが、最近の『第三文明』や『潮』の広告を見ていると、それとは違う。なんだかグロテスクだなと思いますよ。これまでの創価学会のこと、例えば言論出版抑圧事件などを思い出して、ああいう胡散臭い団体が、またグロテスクな作戦を始めたなと思います。程度の差こそあれ、宗教というのは他者への寛容、トレランスを持っていないといけないと思うんです。それがないために、世界ではいろいろな問題が起こつている。ああいう広告は、自分の気に食わないメディアを名指しで糾弾して、電車の中で絞首刑にしているわけで、週刊新潮は手始めかな? 不愉快に思いますね」

ながくNHK政治部に在籍、現在は椙山女学園大学教授(ジャーナリズム論)を務める川崎泰資氏もこう語る。「特定のメディアを攻撃する創価学会を見ると、今から30年以上前に起こった創価学会による言論出版妨害事件を思い出します。自分たちに相容れない考えを持つ人、都合の悪い個人や団体を徹底的に排除する。それがまさに彼らの本質なのです。あの事件からこれほどの年月を経ても、なにひとつ変わっていないんですね」

15倍になった中吊り広告

この大キャンペーンのために投下されている広告出稿量について検証してみよう。

例えば、『第三文明』。03年1月〜2月の変化は注目に値する。例えば中吊り出稿量では、一挙に15倍強という異様な増加を示している。『潮』も同様で、同期で中吊りが7・5倍の急増ぶりだ。

学会系出版物のうち、月刊誌だけを抽出しても、その広告出稿金額(新聞、中吊りなど。正規料金で計算)総体では、2年間で3・5倍の伸びを示している。出版広告不況の折も折、まさに稀有なメディアと言える。

広告関係者の解説によれば、

「これは驚くべき数字ですね。一般的な出版社の通常のやり方とは、あまりに乖離があります」

なぜか −。

「定期刊行物については、一般的にあまり広告出稿の量や費用の増減はありません。急激に部数が伸びたり、(雑誌が)リニューアルしたなどといった、商品仕様に変更があったような特別な理由が無い限り、このような短期間での増減は見られないのが普通です。逆に言えば、何らかの特別の意図があるとしか見えないのです」

広告費の基本は、単行本1冊で定価の1割かける刷 り部数といわれる。週刊誌、月刊誌もだいたいそれに倣って算出されるのが常。もちろん、記事内容によって部数を増やすなどのファクターが入ってくるので、単純な数式では捉えられない複雑さはある。

そこで、『潮』に今いちど着目したい。ほば2000万円(新開と中吊りの推計)で推移していたものが、ずっと増え続けて、ついには9000万円台に迫っているのだ。

別の広告閑係者の分析では、

「このような急激な増加は、通常ではあり得ない。そして、その通常ではあり得ない増え方をしている広告に、ある特定のメディアを攻撃する文言がいつも載っていることはまったく異常で、何か別の意図、出版物から利益を出そうとすること以外の何かがあると推測されても仕方ない。それほど、不思議なことなのです」

『潮』や『第三文明』、『パンプキン』は雑誌部数調査(ABC調査)に入っていないため正確な実売部数は不明だが、広告費に比例して実売部数が急増した兆候は、まったくない。ある印刷閑係者がこんな推定値を教えてくれた。

 ・『潮』、45万部。
 ・『第三文明』、25万部。
 ・『パンプキン』、28万部。

いずれも刷り部数である。

では、実売部数はいかほどか。

『噂の真相』誌が毎月、定点観測を行っている「月刊総合雑誌売れ行き調査」(12の書店データ)で、その実態が垣間見える。実売40万部後半の『文嚢春秋』誌に対して、はなはだしきは100対1、もどう控えめに見積もっても10分の1以下の『潮』。これが『第三文明』だと、実売が0という書店もかなりある。

創価学会員が直接、組織買いしていると想定しても、投下広告費が回収されるとは到底思慮できないのだ。

では以上のような手段を駆使して、新潮社(経営者や担当記者を名指しで槍玉に挙げている)や学会批判者へ仕掛ける攻撃の本当の目的は何なのだろうか。

今も続く妨害と嫌がらせ

別のケースを挙げる。日本を代表する大手企業などのいわゆる「広告スポンサー」に、こんな手紙が送りつけられている。

<総務ご担当者様 週刊新潮に掲載されている広告について>との前置きに続く文面(一部略・表記は原文通り)は、

<先日週刊新潮を読む機会があり、貴社の広告を拝見いたしました。

この雑誌は過去において名誉毀損・虚偽の記載で他紙を圧倒する件数の裁判を被害者から起こされ、その多くで敗北を喫し、損害賠償の支払い命令が出ております。実に失礼ながら、御社の様な名のある企業様が週刊新潮に出稿広告を掲載されているのは意外に感じました。僭越ですが今後のご参考になればと思いお手紙させて項きました>

「参考」として、手紙では11件の敗訴の事例と賠償額が添えられているが、要は「週刊新潮」に広告を出すなと言うのである。

週刊新潮が裁判で勝訴した数や事例を一切伏せたまま、敗訴した事例だけを掲げて、あたかも敗訴だけ続いているかのように思わせる巧妙な学会系メディアの報道をそのまま踏襲した手口である。

千葉県松戸市以下、実名で書かれた場所に住む手紙の送り主の男性は、やはり学会員だった。聞けば、男子部の幹部だという。

母親によれば、

「ええ、夫婦ともに熱心な学会員ですよ。今日も朝から学会の集会で出て行きました。帰りは夜の12時を過ぎることもあります。ほとんど毎日、いろんなところで集会はやっていますからね。、そえ? 週刊新潮?悪い雑誌だって言ってましたよ、息子は。はい、ご苦労様です」

気に食わないメディアはどこまでも許さないというこの宗教団体の特異な思考形態は末端まで染み渡っているらしい。

まだある。3年前の3月13日、東京・大田区議会特別予算委員会でこんな質問をした区議会議員がいる。

「私の立場で、主張として申し上げておきますけれども『週刊新潮』、大田区の全図書館から排除してもらいたい。『文藝春秋』、全大田区の図書館から排除してもらいたい。『週刊文春』、排除してもらいたい。(略)私の個人的な希望でありますんでぜひ前向きに検討していただきたい」

区社会教育部長に対して、こう質間したのは公明党所属の田口仁氏だ(当時、創価学会員である)。

筆者は本人を直撃したことがあるが、同氏は図書館からこれらの出版物を排除する理由すらまともに答えられなかった。また、同様の質問は他の議会でも公明党議員によって行われていた。

出版事業そのものへの直接的妨害も続いている。

99年秋、『システムとしての創価学会=公明党』(古川利明著、第三書館)発行に際して、かつての出版妨害事件を思い出させるような事態が起きている。

著者の実家には、「お宅の息子が死んだ」という匿名のニセ電話が舞い込み、出版社には「罰があたる」と書かれたファックスが山のように送付された。

書籍広告を打とうとした毎日新聞からは、掲載前日、一方的に「聖教新聞の広告が入ったので(広告を)外す」と通告される。毎日新聞への書籍広告出稿では、ジャーナリストの乙骨正生氏と版元のかもがわ出版もまた、自著の掲載を断られている。

拉致問題で名を上げた平沢勝栄代議士も『警察官僚がみた「日本の警察」』出版の折、本が印刷段階にあるのに「地獄に墜ちる」などという脅迫電話やファックス攻撃に見舞われた。

古川氏や平沢代議士の例は犯人が不明だが、目的はハッキリしている。いずれも著作に記された学会や池田氏への批判に対する妨害や嫌がらせである。

昭和44年から45年にかけて、国会を揺るがし、国民注視の中、池田大作・創価学会会長(当時)が、政教分離を宣言して謝罪する事態となった「言論出版妨害事件」。それを彷彿させる出来事が今、次々と起こつているのだ。

まずはこの宗教団体の本質を知るために、その 「言論出版妨害事件」から振り返ってみたい。

謝罪を反故にした池田大作

「総花学会」が支援する「恍瞑党」が政権を獲得、結果、自由な言論活動が圧迫されていく−。

昭和40年、筒井康隆氏が発表した『堕地獄仏法』のストーリーは、当然、架空の物語だった。

その4年後、筒井氏の小説を半ば地で行く事件が惹起する。政治評論家・藤原弘達氏(故人)が当時、上梓したのは、『創価学会を斬る』。少々長くなるが、同書「まえがき」を引用してみる。(一部略)

<十月始めのある朝早く、まだベッドにいた私は突然の電話に起こされた。電話口に出てみると、政府与党のある有名な政治家からの電話だった。なぜ、そんな電話をかけてきたのか、といってきいてみると、私がここに出版しようとする『″創価学会を斬る″という本を出さないようにしてくれ、という公明党竹入委員長からの強い要請・依頼を受けての早朝電話である』ということであった。趣旨は、『ひとつなんとか執筆をおもいとどまってもらえないものであろうか』ということである。

それまで、公明党の都議会議員やまた多くの創価学会員は、予告広告したにすぎない『創価学会を斬る』を出させまいとする圧力をさまざまな形で私や出版社にかけてきた)

藤原氏が「圧力」として挙げたのは、

・題名変更。
・総選挙前なので出版時期をずらせ。
・出版経費を負担する。

そして極めつきは、

・みせかけだけの出版をして、残りは買い取るから書店に並へるな。

以上のような脅し・懐柔に屈せず同書は出版され、百万部以上のベストセラーとなった。簡単に圧力と書いたが、これは前記4点にとどまらない想像を絶する言論弾圧そのもので、後ほど詳述しよう。それはさておき、藤原氏は同書の中で、こんな予言を行っている。

<創価学会・公明党が目下ねらっているものは、自民党との連立政権ではないか>

<もし自由民主党が過半数の議席を失うようなことになった場合、公明党に手をさしのべてこれとの連立によって圧倒的多数の政権を構成するならば、そのときは、日本の保守独裁体制が明らかにファシズムへのワンステップを踏み出すときではないかと思う>

さらに、

<創価学会の実態をみればみるほど、いったいこの集団は、宗教や信仰を目的としているのか、手段としているのか、それとも、それとは違った一定の目的を達成するために、どのような手段を使ってもかまわないと考えて運動を強行しているのか、多くの疑問が生ぜざるをえない。まさに目的のためには手段を選ばないマキアベリストたちの集まりにすぎないのではないかという印象が、ますます濃厚になってこざるをえないということである>

けだし、的を射た警句である。先達の一人はSFで、いまひとりは学者であり評論家としての視点で学会を分析したのである。

そもそも創価学会、なかんずく池田名誉会長は、言論妨害事件を反省する気など全くなかった。昭和45年5月3日のいわゆる「お詫び講演」で事件に言及し、「言論妨害というような陰湿な意図は全くなかった」、「関係者に圧力を感じさせ、世間に迷惑せかけた」、「今後は、二度と同じ轍を踏んではならぬ」とし、「私の良心として率直におわぴ申し上げ、関係者の方におわぴしたい気持ち」一だと述べたのは確かに事実である。が、

実際はー。

「今度の言論問題で、何も悪くない学会人が無念の思いをし、迷惑している事がかわいそうだ。胸がちぎれる様だ。誰も悪くはないが、私の知らない時に二、三人の人でした事が発端となった。その事を思うと無念だ、残念でならない」

「竹入・矢野ラインは欠点はあるが、今交代するのではまずいのではないか。(略)外部はあくまで言論問題の引責と見る。そうすると、あんなつまらない問題でも騒げば辞める前例になる。もっとずうずうしさがなければ、世間は安心しない」

これらは学会外郭企業社長らが集う「社長会」席上での当時の池田発言だ。この記録を公表するに当たっても、学会は出版差し止め訴訟を起こした。

「私の知らない時に」

との池田発言もまったくの虚偽だと、当時、著者の藤原弘達氏との交渉に臨んだ藤原行正氏(元公明党都議団幹事長)が後に自著『池田大作の素顔』で詳らかにしている。池田氏直々の指示で、圧力をかけたのが当の藤原行正氏自身だった。

ところが近年、創価学会は巧妙な歴史のすり替えを始めた。

この国民の前で正式謝罪した言論出版妨害事件を、学会は「嘘と罵署雑言で固めた誹謗・中傷のための謀略本」に怒った学会青年たちの自発的行動だったといのだ(聖教新開の連載、新・人間革命)。同じく、「随筆 新・人間革命」(01年7月10日付)では、山本伸一(池田氏のペンネーム)の言葉として、こんな記述が登場する。

「昭和45年の″言論問題″の前後より、学会は、数人の代議士からも罵倒され、ある時は、テレビを使い、雑誌を使い、演説会を使い、非難中傷された。あらゆる会合で、火をつけるように、悪口馬署を煽り立てられた」。

「なんという悪逆か! なんという狂気じみた悪口か!」。「『信教の自由』を侵害する凶暴な嵐であった。理不尽な罵倒の連続であった」

ほば同時期に池田氏は、「学会はさんぎん悪口をいわれた。それはいい。許せなかったのは、学会婦人部に対して、口を極めて侮辱したことだ。(略)侮辱のつくり話などに反発し、怒るのは当然だろう」

と、産経新開のインタビュー(01年9月19日付)に答えている。そこには、「反省」のカケラすら存在しない。

狂気の言論弾圧

『創価学会を斬る』の版元で、当時、編集者どしてかかわった遠藤留治氏によれば、「国鉄、私鉄の中吊り広告に『ー斬る』の予告広告を掲載した途端、猛烈な抗議電話の嵐です。葉書や手紙もすごかった。身の安全を図るため、藤原氏は都内のホテルを転々としながら執筆を続けたのです。取り次ぎも学会の圧力で、取り扱いを拒否され、潮の社員などが書店に『置くな』と脅し回った」

もちろん、弘達氏の自宅には、″ぶち殺すぞ″″お前の家を焼き討ちにしてやる″といった激しい脅迫や嫌がらせが連日続き、段ボール3箱分以上の嫌がらせの投書が送りつけられた。そして、弘達氏の子供には警察が警備をつけなければならない事態になったという。

弘達氏は99年に他界するが、夫人の充子さんへの嫌がらせは、

「それからも続きました。主人が亡くなった時は、夜中でも『おめでとうございます』という電話がひっきりなしでした」

実際に書店に圧力をかけて回った元学会員はこう述懐する。

「私が、言論出版妨害事件に遭遇したのは、聖教新開に入社した2年目のことです。当時、私は出版局にいましてね。母が会員だった関係で、学生時代などはもう熱狂的な池田ファンでしたよ。昭和44年の10月頃、出版局の入っている旧館の隣に新聞販売業務を行う業務局という2階建てのバラックのような建物があったんですが、その2階の仏間に各部門から19人ほどが集められたんです。責任者は出版総局長だった横松という人で、現場の指揮は青柳という出版局次長。″創価学会を批判するとんでもない本が出る。ついては君たちが各書店をまわって、棚から撤去させろ。もし、拒絶されたら、今後、『人間革命』などの扱いをしませんと言え″と指示されました。でも、最初に行った書店で、店長が顔色を変えて怒り出したんですよ。″我々には売る権利がある。あなた達に売るなと言う権利はないだろう。我々には生活がかかっているんだ″と。凄い剣幕でした。落ち込みましたよ。実際、店長の言う通りですからね。私は、熱心に回るのをやめましたが、他の連中は真面目に回りつづけたんです」

しかし、あるメンバーが書店に名刺を置いてきてしまい、問題が大きくなる。

「その名刺が書店から証拠として挙がってしまったんです。″馬鹿もん!″と物凄い剣幕で怒られましたよ。書店回りをしたメンバーは再び例の仏間に集められ、”大きな問題になってしまった。心してこの難局を乗り切ってもらいたい々と言われ、御秘符という小さな紙切れをみんなで飲んだんですよ。護符というやつですが、これは普通、重病になったときとか、厄除けとか、本当に信心が必要なときに飲むものなんです。学会にとってはまさに法難だったんでしょうね」

当時の学会内部の雰囲気が窺える話だ。

批判者は絶

池田氏と共にこの時、箱根研修所にこもり、謝罪講演草案を作った原島嵩・元創価学会教学部長が証言する。

「私は池田の側にいたのでよくわかっておりますが、あの時、彼は国会喚問を非常に恐れ、怯えていました。自分が白日の下に晒されるのを極端に恐れる人ですからね。池田は、気の小さい人物なのです。あの時、公明党委員長だった竹入義勝を用い、彼を通じて、自民党の幹事長・田中角栄を動かしました。昭和44年10月15日、田中角栄は赤坂の料亭『千代新』に弘達を招き、出版中止の申し入れをしました。しかし、これも功を奏さなかった。44年の暮れ、学会では最上部会である総務会が開かれました。副会長になる前の北条浩、当時NO2でしたが、彼から僕ら総務が説明を受けました。北条はこう言いましたよ。″竹入さんが事実無根と発言する。田中角栄は『つぶやきが聞こえたからお節介を焼いた』と答えるようになっているんだ″と。最高首脳の間ではここまで話し合われていたんです」

しかし、国会喚開の話が出てから、池田氏の慌てようは滑稽なほどだったという。

「学会に3人の副会長を置いたのはこの45年の1月ですよ。北条、秋谷、森田の3人の副会長を置いて、池田は独裁ではなく民主的にやっていることをアピールしようとしたのです。池田が東京を離れ、本山、箱根にこもるまうになるのは年が明けてからです。普通、信仰心のある人というのは、困ったときはお題目を唱えるものですが、池田は箱根研修所とか、本山の雪山妨に逃げていて、勤行ゼロですよ。ただの一度もお題目を唱えなかった。″おまえらでやっとけ″です。風呂上りに熱をはかって、自分が弱っているところを見せて、みんなが私を守らないからこうなるんだと盛んに言ってましたね。北条が喚問きれるという噂が出た時には、″北条は大丈夫か。北条まで行ったら俺のところにも来る″と、随分、慌てていました」

この事件で、陰になり日向になって学会を助け、貸しを作って自公達携の伏線を拵えたのが原島証言に出てくる田中角栄氏である。彼は、「池田大作はヒトラーだ」という言葉を遺しているが、秘書の早坂茂三氏も、昭和42年1月の総選挙で公明党が初めて衆議院に進出した後、招かれて、田中氏とともに学会本部を訪れた際の帰りの車中でか親方″がこう言ったのを記憶している。

「池田大作はしなやかな鋼だ。煮ても焼いても食えない。公明党は法華さんの太鼓を叩くヒトラー・ユーゲントだ」

なるほどそれは、慧眼だったのかもしれない。自らは絶対善。批判者は悪。批判には言論でなく、封殺・圧迫を企図し、地獄へ墜ちると暴言を吐く。およそ宗教団体と思えぬ死者への冒涜ー。三十余年前と今が異なるのは、創価学会が公明党をテコにして、明らかに政治権力を行使できる側に回ったことだ。そのことでメディアに何が起きたのか、創価学会がなぜ新潮社を標的に異様な中傷キャンペーンを繰り広げているのかを、次回明らかにしたい。(次号へ続く)

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