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「票買い取り工作」の現場
重大証言「国家権力が公明・学会本部を守っている」

(週刊ポスト12.5号)

(1) 首相官邸に贈られた“大作メロン”

小泉首相は去年の夏と今年はじめの2回、創価学会の秋谷栄之助会長と極秘に会談したとされる。

実は、小泉首相がより強く望んでいるのは、池田大作・名誉会長との会談の方だ。そちらは本誌の調べでも、小泉サイドが一方的に求めているだけで、まだ実現した形跡はない。池田氏側に応じられない特別の事情があると考えるのが自然かもしれない。

ただし、最初のアクションは池田氏側が起こした。2年半前の自民党総裁選。当時、小泉氏は政敵の野中広務氏を中心とする橋本派が公明党・学会と密接であることに反発し、総裁選の演説でも自公連立に否定的な言動をとっていた。変化が起きたのは、首相に就任して初めての所信表明(01年5月7日)の日、ある事件がきっかけだった。

その日の朝、小泉首相のもとに桐箱入りのメロンが届けられた。池田名誉会長からの贈り物である。以来、小泉首相の胸深くにある重大な戦略が生まれることになった。

「小泉は一個のメロンに池田大作氏の強いメッセージを直感した。かつての田中角栄から竹下登、野中へと、公明・学会との政治的パイプはこれまで旧経世会(橋本派)に独占され、そのことが経世会主導政治の権力基盤になっていた。小泉はそれに強く反発してきただけに、“大作メロン”に学会―経世会ラインを分断する糸口をつかんだようだ」――首相側近筋が明かした。

その後の政治的脈絡を辿ると、事実、小泉首相は橋本派を抵抗勢力と呼んで対立しながら、一方で公明党との連携には周到な配慮を見せてきた。官邸に公明党議員を交互に招いて昼食をともにしたり、坂口力・厚生労働大臣を重用して公明党・学会との重要な窓口としてきた。同時に、小泉首相の腹心の秘書官や出身派閥・森派の森喜朗前首相も公明党議員と頻繁に接触を重ね、官邸と森派が総力をあげて学会パイプの構築をはかったのである。

さらには昨年9月、小泉首相は南アフリカのヨハネスブルクで開かれた環境開発サミットに出席した折、現地で催されていた池田氏の写真展にわざわざ足を運び、2か月後の公明党大会(11月2日)の来賓挨拶で意表を衝く≪池田礼賛≫をやってのけた。

「強く印象に残った見事な写真がありました。暗い空に煌々と月が輝いている。池田名誉会長が撮影されたんです。月のように孤高でも耐えていかなきゃ。それが首相の心得です。池田名誉会長の写真を眺めていると、世の中の動きに敏感でなければならないけれど、同時に不動心も大切だなと思う」

こう付け加えることも忘れなかった。

「公明党が政権を支持してくれていることを一番心強く感じている」

池田礼賛の効果は絶大だった。公明党の冬柴鉄三幹事長は党大会後の記者会見で、

「必ずしも(公明党に)理解があるとは思えなかった首相が、われわれの純粋な思いを理解され、挨拶に結実した」

そう感激した面持ちで語ったのである。

(2) 小泉・池田双方の軸足の変化

公明党・学会はそれを転機として橋本派から官邸=森派へと完全に軸足を移し、今年9月の自民党総裁選でも終始、「小泉内閣の継続を望む」と小泉再選支持の立場をとったことは記憶に新しい。

小泉首相の狙い通り、自民党内では公明党パイプを失った橋本派は急速に衰え、かわって新たに公明党・学会を権力基盤に据えた小泉首相と森派の台頭がめざましい。小泉―学会の接近を黒衣として支えた森前首相など、いまや周辺に「法華(創価学会を指す)のことはオレにまかせておけ」と豪語してはばからないのである。

小泉首相と森派の綿密な公明党・学会取り込み工作はこの総選挙で見事に花が咲き、実を結び、あり余る収穫を得たといえる。自民党の各派が軒並み議席を減らした中にあって、最も強力な公明党との選挙協力態勢を組んだとされる森派だけが10議席も伸ばし今や自民党は≪清和会(森派)支配≫といわれる。とはいえ、そこは共存共栄、公明党側も議席増を果たして万々歳だ。

「なんだ、この不景気に小泉―森派と公明・学会だけが我が世の春か」

永田町にはそんな恨み節さえ聞かれる。しかし、自公の選挙協力の裏では、磁石に引っ張られるように票と金が激しく動いたことを見逃すわけにはいかない。

(3) 証言「寄付名目の実弾をぶちこんだ」

今回の総選挙で自民党候補のうち198人が公明党の推薦を受けたが、実は、創価学会の推薦を得た者は1人もいない。公明党の集票力を支えているのは学会組織そのものだから、いくら党の推薦を受けても、学会が支持し、動かなければ得票にはつながらない。

では、どうやれば学会組織を動かせるのか。本誌は複数の自民党議員や落選した候補への取材から、驚くべき証言を得た。

自民党候補にとって第一の関門は公明党の推薦を得ることだ。そのためには、候補者や議員にとって「命の次に大切」といわれる後援会名簿を渡さなければならない。

関東のある選挙区から出馬して落選した候補者A氏の告白を聞こう。A氏は渋った。名簿を渡せば、公明党・学会側が後援者に「比例代表は公明党に」という徹底したローラー作戦を展開することがわかりきっていたからだ。

「選挙戦のさなかに公明党や地元の学会幹部から、『今回は難しい。婦人部がいうことを聞かないんだ』などとたびたび連絡が入って、その都度、『名簿を出した方がいい』とか『聖教新聞は取っているか』などといろいろいわれた。とくに名簿の要求は激しく、後援会幹部や系列の市議にも、学会幹部から『われわれは絶対入れる。そちらは比例で公明に票を出すんでしょうね。票の出方が悪いと次は応援できない』と揺さぶりがあった。彼らは名簿さえ手に入れれば、この先、組織拡大に使えるからなんとしても手に入れたかったようです」

A氏の票読みでは、選挙区の学会票のうち1万5000票は取れたが、残る2万票は民主党候補に流れたとみている。結果は落選、再起を期すことになった。

今回の総選挙で返り咲きをめざした関西地区の元自民党代議士・B氏には苦い経験がある。3年前の総選挙の時、公明党の推薦をもらって喜んでいたB氏は、学会の地区責任者のささやきに耳を疑った。

「公明党の推薦と、うちの活動家が動くかどうかは別だ。本気でやってほしいなら、300万円ほど(学会の)支部に寄付してもらえないか」

そうもちかけてきたのだという。B氏の証言だ。

「対立候補は旧新進党時代に学会の支援を受けている。それをひっくり返すには、学会に寄付をして誠意を示すのが一番わかりやすいというのです。前回は接戦でもなんとか当選できるような手ごたえがあったから、返事をギリギリまで延ばしているうちに、選挙資金が尽きて金が出せずに落選の憂き目を見た」

B氏は今回の総選挙でも公明党の推薦を取りつけた。

「寄付の要求額は400万円に値上がりしました」

払ったかどうかは口を濁して明らかにしなかった。

自民党議員の中には、学会組織への寄付を“選挙費用”と最初から割り切っているケースも少なくない。

北陸・信越ブロック内の激戦小選挙区から出馬したC候補の選対本部長の証言は生々しい。選挙戦の最終盤、C候補は民主党候補をあと一歩のところまで追い上げていた。

陣営の選対本部長は必死の形相でこう語った。

「最後の仕掛けを打った。自民党本部に泣きついて安倍晋三幹事長の応援を頼んだし、学会にも実弾をぶち込んだ。C代議士は選挙資金が尽きたから、私が800万円を立てかえて現金で学会の責任者のもとに持っていった。これで2万〜3万票は上積みされるはずだ」

C候補陣営の2つの作戦のうち、安倍幹事長の応援は日程の都合でキャンセルされたが、選挙後、選対本部長は、

「学会からは1万4000票がしっかり入ったことは間違いない」――と分析してみせたのである。

ちなみに、候補者本人が選挙区内の宗教団体に寄付することは公職選挙法で禁じられているが、秘書や後援会幹部名義であればできる。

(4) 聖教新聞購読で忠誠をアピール

公明党・創価学会が選挙協力を行なったのは自民党ばかりではない。「政権選択」を掲げて自公連立と正面からぶつかったはずの民主党ともしっかり裏で手を結んでいた。

東京12区は、公明党幹事長代理で“将来の代表候補”といわれる太田昭宏氏と民主党の藤田幸久氏が文字通り抜きつ抜かれつの大接戦を演じた。太田氏にとって、小選挙区で勝ち上がれるかどうかは、「代表就任への最終関門。当選すれば代表就任が約束される」(公明党幹部)といわれていただけに、学会も全国から腕利きの活動家を東京12区に投入し、一説には、学会オルグだけで1万人を超えたという。

その激戦のさなか、有権者に奇妙な葉書が届いた。東京13区から出馬していた民主党の城島正光氏の後援会名で、太田氏支援のために、

<私からも応援します>

――と、太田氏の写真や抱負とともに印刷された公選葉書である。これは、小選挙区の候補者1人につき3万5000枚まで認められ、切手なしで出せる。いわゆる≪選挙の7つ道具≫の一つだ。選挙期間中は公選葉書以外の郵便物で選挙運動をすることは禁じられていることから貴重であり、他党の候補者に流れることはまずありえない。中選挙区制時代、公選葉書は有力候補と泡沫候補の間で、法外な値段で売買されることが珍しくなかった。

城島事務所からは本稿締め切り時点までに回答を得られなかったが、陣営内部に太田氏を応援する動きがあったことをうかがわせる証拠といっていい。

民公協力の物証は他にもある。やはり東京10区の鮫島宗明氏や福岡4区の楢崎欣弥氏の後援会名で、<比例は公明党へ>と呼びかける文書も入手した。

民主党選対幹部が実情をこう打ち明ける。

「自民党と民主党の候補が学会票を奪い合い、どちらも『比例は公明党へ』と訴えたり、聖教新聞を数百部も定期購読して学会への忠誠心を競い合った選挙区もある」

聖教新聞の購読料(1か月)は1部1880円だが、100部となると18万円、数百部なら100万円ほどになる。公明党の推薦を受けた自民党議員の一人は、

「選挙中は事務所に公明党の市議や学会関係者が来ることも多い。その時に聖教新聞を置いているかどうかが自公協力の一つのバロメーターとしてチェックされる。できるだけ多く置いていた方が印象はよくなり、票も増える。向こうから購読してほしいといわれることも多く、ほとんどの候補者は選挙中、聖教新聞をかなりの部数取っている」

――と語る。自民党候補の陣営からの寄付だけにとどまらず、学会は聖教新聞の購読料だけでもかなりの“選挙特需”になったのではないか。

(5) 「池田私邸」を守る「政党条項」

総選挙の裏側を知れば知るほど、公明党・学会は今や政界全体に高く城壁をめぐらして、もはや恐いものがないかのように見える。

実際、公明・学会ブロックは前号で指摘した『言論出版弾圧事件』とその後の政教分離宣言を契機として、ことあるごとに政治的な組織防衛の仕組みをつくりあげてきた。日本の政党、巨大宗教団体の中でこれほど危機管理に長けた組織は他になく、しかも、学会にとっては、公明党さえも楯にすぎないのだ。

とてもひと息でいえないような長い名前の法律がある。

『国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律』

――といい、15年前の88年12月に制定された。名称の通り、国会や外国大使館に対するデモや街宣活動など、拡声器による騒音を規制するもので、条文にはないが、対象地域の概ね半径500メートル以内では街宣車などの立ち入りが阻止される。

当然といえば当然、なるべくしてなった法律といえる。国民の誰しも不思議には思わないはずだ。しかし、その何でもない法律に、実は秘密が隠されており、それが後に日本の政治史に大きな影響をもたらすことになった。

法律を制定したのは竹下登内閣だった。当時、国会はリクルート事件と消費税導入をめぐって紛糾し、野党の審議拒否で空転が続いていた。事態打開のきっかけとなったのは、公明党がそれまでの強硬な態度を一変させ、消費税に反対しつつも、審議に応じたからだった。問題の法律はその直後にできた。

竹下内閣当時、衆院事務局委員部副部長として同法に携わった平野貞夫・民主党参院議員が制定の内幕を初めて語った。重大な証言である。

「あの法律は竹下内閣が消費税を導入するための見返りとしてできた。内容は、国会や在外公館の周辺で右翼などが街宣活動を展開して騒音問題が深刻になっており、規制しようという趣旨だったが、そこに公明党が『政党本部周辺も規制対象に入れてほしい』といってきた。政府はなんとしても消費税法案を成立させなければならなかったから、公明党が消費税の審議再開に応じることとひきかえに要求を飲んだ。官房副長官だった小沢一郎氏は『憲法違反じゃないか』と怒っていた。確かに、この法律は政治活動や言論の自由に抵触する恐れがあり、消費税導入のためとはいえ、私が手がけたなかでも悪法の一つと内心、忸怩たる思いを抱いている」

同法第3条は≪政党条項≫と呼ばれ、国会や外国公館とは別に、政党の事務所(本部)を規制の対象に含める条文が盛り込まれている。

創価学会本部がある東京・新宿区信濃町周辺には池田大作氏の邸宅や公明党本部、学会関連施設が集中している。それまで学会本部には右翼団体や反学会系組織の宣伝カーが連日のように押しかけ、拡声器のボリュームいっぱいに池田氏や学会批判を展開する光景が“信濃町名物”の観を呈していた。当事者には相当な脅威であり、戦慄であったことは容易に想像できる。

とはいえ、一宗教団体を警察が24時間警備するわけにはいかない。幸い、公明党本部と学会本部はJR信濃町駅をはさんで指呼の間にある。政党条項の裏には、党本部を街宣活動の規制対象にすることによって、そのまま学会本部周辺まで警察の警護エリアとして守られるという巧妙な仕組みが秘められていた。

(6) 公明党は学会防衛機関か

公明党が創価学会を守る砦そのものであることがよくわかる。逆に、学会にとって、公明党の消滅は裸の組織になることを意味する。後に新生党、日本新党、民社党などが結集した新進党の誕生によってその矛盾が噴き出した。

公明党は新進党結党の時、まず衆院側を先行合流させ、参院と地方組織は『公明』として残し、後に全面合併するという二段階方式をとると約束していた。が、いざ参院公明の合流を迫られると、猛烈な拒否反応を示した。

「新進党の本部は国会の近くに置かれていたため、参院公明まで合流してしまうと、政党条項で学会を守れなくなるというのが公明を解散しない理由だった」

新進党中枢にいた民主党幹部はそう振り返る。当時、新進党党首だった小沢氏が突然、同党の解党を決断した背景には、公明党の存立目的と性格が一宗教団体の“派生的存在”にすぎず、それから抜け出すことができないと見切ったのが真の理由とされる。

新進党解党後の公明党はより≪学会防衛機関≫としての性格をむき出しにして自公連立に突き進み、小泉内閣の下でいよいよ政界支配を不動のものにしつつある。小泉首相にすれば、権力基盤強化のために公明党・学会を取り込んだつもりが、逆に公明党に政権の根幹をおさえられ、国家権力で一宗教団体を間接的に守護することにつながる危険性に気づこうともしない。

創価学会広報室は、2つの問題について文書で回答してきた(以下原文)。

<(候補者からの)寄付行為など一切ございません。全く迷惑千万な話です。(政党条項についても)いい加減な話をもとに、政教分離うんぬんと論じられるのは迷惑です>

総選挙後に保守新党が消滅し、自公連立となって公明党が自民党のブレーキ役となることが期待されているが、こうした水面下の実態を見れば、どちらがブレーキでアクセルかという議論など成り立たず、自公政権は絶対多数を背に恣意的な政治運営に急傾斜している。政権党として自信を深めている公明党は、批判の多い個人情報保護法、自衛隊のイラク派遣では、ブレーキ役どころか自民党と一体となって推進した。年金改革でも厚労省と連携して見切り発車的強引さが目立つ(235ページ記事参照)。かつての“平和・生活の党”から、権力政党への舵を切ったのか。

そうでないとするなら、公明党はかねてよりの生活者の視線に徹した政策を掲げて独自の路線を歩むべきだろうし、保守新党を吸収して過半数を獲得した自民党は単独政権に戻って緊張感ある政治をやるべきではないか。その時こそはじめて、国民の一票は“買った売った”の対象ではなくなる。

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