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『角栄、もういいかげんにせんかい』(2)

藤原弘達         

街頭で「頑張って」と激励される

「赤旗」による対公明党キャンペーンがはじまると、これに対抗する公明党の反撃という形で、『創価学会を斬る』をめぐる問題は、単に出版妨害があるかないか、取次店が引き受けるか否かという出版問題ではなく、政治的な問題の次元に浮上することになった。

しかし、私としては、社会の関心をもっと高揚させる必要性を感じていた。それには、マスコミが本気になって取り上げてくれるかどうかにかかっているわけだが、この問題に関しては、なぜかマスコミは非常に臆病で、慎重である。そうなれば、こちらから社会により能動的直接的に働きかけていくしかない。 さいわいにも、といったらなんであるが、この段階では、公明党は、一貫して、「事実無根」を繰り返していた。つまり、問題を、事実があったかなかったかという単純な二者択一に絞る結果を招いていた。したがって、状況そのものが一般国民にはきわめてわかりやすい形となっていたわけだ。

その点では、私が提供した具体的な事実を提示する「赤旗」と、ただ漠然と事実無根を口にするだけの創価学会・公明党とのやりとりでは、国民に与える印象からいっても、公明党側がまったく不利である。

事実、国民大衆の受け取り方は、はっきりした反応となって、あらわれてきた。それまでは創価学会のいやがらせ電話ばかりだったのが、そのころから、私に対する激励の電話が多くかかってくるようになったのである。

「いま、一杯飲み屋で議論しているんだが、先生のいったようなことが本当にあったのかどうか賭をしているところなんですよ」などという酔っぱらった声の電話もあった。また、街を歩いていれぼ、通りがかりの主婦が、「先生、頑張って」と声をかけてくれる。

私はそうした大衆的反応のすべてが、非常にうれしかったし、世論の高揚を肌で感じたものである。

いっぽう、創価学会内部では、二重の悪質な〃嘘つき行為〃が行なわれていた。昭和四十四年(一九六九)十二月二十四目の「サンケイ新聞」によると、学会内部では、「共産党はなんて卑怯なことをやる党だ。今朝、全戸に配られたチラシを見ましたか。『言論出版に圧力と妨害を加える公明党』という大見出しで、ウチの悪口をさんざん書いている。なんとかいうインチキ学者の本を引用してサ。こっちも反論しないでよいものだろうか」とか、「あの学者ほ来年(昭和四十五年)二月、M大学をクビになるという話だ。それまでのカネ儲けのためにあんな本を出版したんだろう。いまにご本尊さまのバチがあたるさ」というようなことを議論していたという。

自己の言論・出版の自由への抑圧には口をとざし、 一般会員には共産党の批判を〃デマ・中傷〃と受け取らせ、さらに学会内部にデマをばらまいたのである。

さらに、学会内部では、「(池田大作)会長先生は見苦しい選挙をして勝つよりは、堂々と戦って負けたほうがよいとおっしゃったではありませんか。このお言葉をもう一度かみしめて、きたないケンカは買うのをよそう。それよりこちらは正々堂々の政策を訴えていきましょう」 「大勝利をおさめて池田先生にご報告致しましょう」(「サンケイ新聞」同日付)などと、宗教団体だか政治団体だかわからないような〃政教一致〃を地でいく運動、絶対的権威者・池田大作会長のみを尊しとする妄信的運動が、学会幹部のデマに踊らされて進められていたのである。

頭から「会長先生」を絶対視して、言論・出版妨害の問題をゆがめて受け取る態度など、まことに彼らの神経は尋常ではないといえよう。これほまさに〃愚民誘導〃がそのまま行なわれているマキアベリスト集団であることを証明してくれているようなものである。

このころになると、さすがにマスコミも雪崩現象を起こしはじめた。『週刊文春』『週刊新潮』がこの事件を取り上げ、時事通信社の機関誌でも一部、取り上げられるようになった。だが、やはり「赤旗」の独走という形で、昭和四十五年(一九七〇)に持ち越しということになった。

佐藤首相に角栄の幹事長更迭を申し入れる

師走選挙は、前述のように自民党の大勝に終わり、いよいよ問題の年、昭和四十五年を迎えた。この年は、年頭から言論・出版抑圧問題がエスカレートし、あれよあれよという間に政治問題化していった。"政府与党の最要職にある政治家〃田中角栄がこの問題に大きく関与している以上、私としては、自民党の内部、それもトヅプ・クラスにまで波及させなければならない。それでこそ、問題の本質に迫ることになるからだ。

私はこのタイミングをとらえて、佐藤栄作首相に公式の会見を申し込んだ。佐藤首相は、先に紹介したように、前年の訪米前、斎藤一郎秘書官を通じて、はげましの言葉を寄せてくれた。その事実から考えると、私が田中角栄の名前を公表するまでは、この問題に田中が関与していたことを、佐藤首相は知らなかったようだ。田中角栄自身も、佐藤総理は絶対に関与していないと強調していたが、それは信じてもいいだろう。

しかし、だからといって、これが自民党の問題にならないということにはならない。なぜなら、自民党の幹事長というポストは、自民党が政権をとっている以上、権力そのものであるからだ。つまり、これは権力による言論・出版の弾圧という意味合いを含んだ重大問題でもあるのだ。その意味でも、私は佐藤首相に会い、私の意見を述べておくことが必要だった。

首相官邸では、「佐藤の忠臣」といわれた木村俊夫官房副長官が首相の代理として応対してくれた。そのとき、私は田中幹事長の更迭まで申し入れたのである。

「今度の国会は、いわば“言論国会”になるだろう。その結果、田中角栄に追及のホコ先が集中する。田中をかばおうとすればするほど、この問題はますますこじれる。この際、幹事長を更迭したほうがいいのではないか」

私がそういうと、木村官房副長官は、「候補はだれですか」

と、きいた。そこで、私は次のように提言した。

「田中は保利茂としのぎをけずっているようだから、保利にしたのでは田中が必死になって抵抗するだろう。しかし、大平正芳なら田中とは長年の盟友関係にあるし、彼も文句はいわないだろう。幹事長を佐藤直系からのみ登用するのもそろそろよくないし、その意味において、このへんで習慣を変えてみたらどうですか」

この提言は当然、佐藤の耳に入るだろう。そのとき、佐藤がどういう反応を示すか、私には大いなる関心があった。

金権政治の下地−角栄の怒声にひるんだ佐藤首相

伝え聞いたところによると、佐藤は、「公明党のためにそこまでやる必要はないではないか」と、田中を叱責したという。

すると、田中は、「公明党に限らず、国会対策はすべて幹事長の俺に任せるといったではないか。やりにくいことばかりこちらに押しつけて、きれいごとばかりいうとは……」と怒鳴ったともいう。

佐藤親分としては、子分の田中に開きなおられた格好になった。こうなると、佐藤はその立場上、さんざん手の汚れる仕事にこき使った田中を、どうしてもかばわざるを得ない状況に立ちいたったわけだ。

私に対しては、「よくやった」とほめておきながら、子飼いの田中に尻をまくってすごまれると、身をひるがえさざるを得なかった。ときの総理大臣は、「小賢しいパワー・ポリティックス」の道具として、子分の田中にまんまとまるめ込まれてしまうのである。

そして、窮地に立った公明党も、〃カクの傘〃の中に逃げ込まざるを得ない。田中がやがて金権の実力によって首相になる下地は、この状況を切り抜けたときにととのったといえるのではないだろうか。「敵」ながら、まこと見事な手口だったといえよう。

「藤原弘達なんてくだらない人間など知りもしない」

一月五目の記者会見で、公明党の竹入委員長は、

「言論出版妨害はまったくの事実無根であり、藤原弘達なんてくだらない人間などとるに足らないし、知りもしない」と公式に表明した。ここにおよんで、それまで沈黙を守っていた大新聞も、私や出版社側の反論を談話の形で取り上げてくれるようになって、この問題は大マスコミの水平線上にまで浮上することになった。

佐藤をまるめ込んだ田中角栄は、どうにか幹事長のクビはつながったものの、「公明党のつぶやきを聞いて、友人の藤原弘達に声をかけただけのことで、いささかおせっかいを焼きすぎた」という苦しい弁解をしていた。しかし、竹入らから頼まれたことは否定、公明党の顔を立てて、ここでも貸しをつくることに腐心する。

公明党は、選挙中から事実無根ということで突っぱねてきた手前もあって、前言をひるがえすこともできず、幹部は一切、マスコミに登場してこない。そして、「いずれ国会で対決するといっているのだから、そこでやれぼいいのではないか。藤原なんて評論家は相手にするに足りない」と、実質的な逃げの姿勢に終始していた。

こちらとしては、公式の場に出て、はっきりと事実を述べているのに、「相手にするに足りない」といって逃げているのは、天下の公党として、まことに卑怯な態度だといわざるを得ない。

むろん、私としては、国会でこの問題の黒白をめぐって証人として呼ぼれれば、喜んで証言するし、テープや記録、その他の証拠物件を提出する準備をしていると表明していた。また、マスコミの次元でやりとりをするよりも、国会で決着をつけられればそれにこしたことはないと思っていた。国会は〃言論の府〃であり、なによりも憲法を守り、国民の基本的人権を守るために存在理由をもつ「国権の最高機関」である。これ以上のヒノキ舞台はない。

そうしているうちに、一月十六日、日ごろ威勢のいい公明党の矢野書記長がしょぼくれて、「この問題で国民各位に疑惑を抱かせたことは遺憾だ。今後もこのような疑惑を招くことのないよう、これを反省の材料にして、言論の自由をあくまでも尊重していく決意を改めてかためる」といった談話を発表した。そして、事実関係については、「出版の妨害をする意志はなかった」と、主観的な心情を述べただけで、客観的な事実関係をほとんど明らかにしなかった。

これは、私が、「テープがある」といったために、全面否定を続けることができなくなったのであって、証拠がなければ、あくまでもシラをきり通すつもりであったことは間違いない。

問題のテープは、公明党の藤原都議と聖教新聞主幹・秋谷栄之助がわが家に来たときにとったもので、先に日新報道側との会談の席で、創価学会側が、「交通事故に気をつけろ」という脅迫的言辞を吐いたということがあったので、万一のときのことを考えて、自衛手段として録音しておいたものである。

これが、全面否定を繰り返す創価学会・公明党側にとって、いいのがれできない決定的な証拠となつたのは、自業自得、まこと皮肉な運命でさえあった。

のちにウォーターゲート事件において、ニクソン大統領失脚の決め手になったのがテープであったことを思い起こすと、私の録音とりは、七〇年代問題の先どり行為だったわけで、『週刊朝日』が執拗にテープの公表を迫ってきたのをはじめとして、マスコミその他でも大いに問題になった。

各政党のさまざまな対応

このあたりから、公明党を除く各政党から問い合わせがあいつぐようになった。まず、社会党の赤松勇副委員長が、国会で代表質問をするといって、会見を申し込んできた。ホテルの一室を借りて事情聴取をされたが、彼があまりに不勉強なのに驚いた。それに、こうした問題に対する感度が悪い。はっきりいって、この人物には期待はできなかった。共産党からは、不破哲三政治・外交政策委員会委員(現・委員長)と松本蓋日明政治外交政策委員会副委員長が拙宅に取材に来た。民社党からは春日一幸選挙対策委員長と塚本三郎青年隊中央本部長(現・書記長)、麻生良方が来た。彼らはいずれも予算委員会で取り上げるといって、大変な熱の入れようであった。

態度が一番、屈折していたのは、自民党である。当時、拓政会という二年生議員数十人でつくっている親睦会が自民党にあった。この会が、いろいろと話をききたいといって、私を赤坂の料亭に招待した。行ってみると、何十人分かの料理の用意がされているにもかかわらず、出席したのは、青木正久、古屋亨、丹羽久章ら、マスコミの座談会とか時局講演会で一、二度付き合ったことのある顔見知りの議員十人ぐらいにすぎなかった。会員のほとんどが欠席したのは、あとで調べてわかったことだが公明党から出席しないでくれといわれたり、田中角栄幹事長に差し止められたりしたためのようだった。

角栄の大きなターニング・ポイント

一月十四日に召集された特別国会で、佐藤首相の施政方針演説を受けて、各党の代表質問が行なわれたが、社会党の成田委員長がこの問題に触れたのは、わずか二十秒、佐藤首相の答弁も、まったくの抽象論に終わった。

もっとも不可解だったのは、民社党の西村委員長である。あれだけ私を激励していたのに、とうとうこの問題には触れずじまいだつたのである。民社党にはかねてより公明党の手がまわっていた。そこで、公明党の今度の弱みを利用して、民社党のほうから公明党を引っ張り込もうとする政治的色気が起こったためのようである。

この問題をはっきり打ち出したのは、一月十八目の共産党の米原いたるだけだった。彼はその中で、田中角栄介在の事実を鋭く突いた。これに対する佐藤首相の答弁は、まことに奇怪、「個人の名前があがっているが、そういうことこそ慎んでもらいたい」というものであった。

代表質問は、一問一答ではなく、いいっぱなし、答えつぼなしであるから、これまでである。それにしても、佐藤は田中をかばうことによって竹入をかぽい、竹入をかばうことによって池田大作をかばうほかなくなっていたわけで、彼らの気脈を通じた人的布石がここにはっきり出ていることを証明するものであった。

田中は幹事長の留任工作を、派閥の領袖・前尾繁三郎や川島正次郎に泣きついて、大々的にやったらしい。もしそれに成功せず、幹事長をクビになって、保利か大平にでも代わっていたら、その後、田中総理大臣の出現はなかったかもしれず、ロッキード事件も起こらず、罪人になることもなかったかもしれない。

その意味において、角栄にとってこれは非常に大きなターニング・ポイントであったということがいえるのではないだろうか。

あきれはてた佐藤首相のバカさ加減

代表質問が終わって、舞台は予算委員会に移る。まず、社会党の赤松勇が登場、しかし、先にも述べたように、赤松は不勉強の一語に尽きた。民社党の麻生良方と塚本三郎はまあまあの質問をした。共産党の不破哲三はさすがによく勉強していて、相当に切り込んだ質問をしていた。

それに対する佐藤首相の答弁は、のらりくらり逃げのいつぼう、「この本を読んだといわれるがどうなのか」ときかれたのに対し、「前とうしろしか読んでいない。全部は読まなかった」と答弁する始末である。

佐藤の唯一の論理的立場は、「今度の事件は言論妨害というけれど、必ずしも国家権力によるものではない」というものだった。すぐさま、これに同調する新聞論説もあった。

しかし、これは、形式論理の知能犯的すりかえである。先にもいったように、与党の幹事長というポストは、政党政治においては、国家権力そのものといってもよいのだ。

しかも、現代国家にあって、言論弾圧をする資格があるのは政府機関だけという論理をもち出すにいたっては、佐藤首相のバカさ加減にもあきれかえってしまう。そんなことでは、自民党が共産党を批判する根拠はなくなってしまうではないか。

このようなバカげた論理が堂々とまかり通る国会だから、私がひそかに期待したような成果はなにもないまま、田中角栄は公明党に貸しをつくり、公明党は田中に借りをつくるようなことが許されてしまうのである。

「角栄は公明党に急所を握られていた」

こうした国会における尻すぽみの形勢に対抗して、三月十七日、異例の真相糾明議員集会なるものが、議員会館でもよおされることになった。

これに関係した政党や議員に、『創価学会を斬る』に便乗した形で、国会ではできなかったセンセーションを別の形で起こしたいという計算があったようだ。また、いろいろ取材したことに対しても、このままで終わりにするのはもったいないという意識が働いたようでもあった。

この議員集会には、私と日新報道の綿抜社長、皆川編集長、植村左内、福島泰照、エール出版の関係者らが参考人として呼ぼれた。私はこのときに、参考資料として、問題のテープの速記録も提出した。それらは、議員たちに配布された。

昭和四十五年の五月に、私はこの議員集会の模様を速記録にまとめて、『私は証言する』と題して日新報道から出版した。

以下、その中から、田中角栄に触れた部分を中心に、一部を要約して引用してみよう。

まず、社会党の赤松副委員長の質問に答えた部分である。

赤松 『中央公論』の四月号に、青地晨(評論家)という人が言論問題で書いております。彼が『週刊朝日』一月二十三日号の記事を引用しておりますが、この中に次のような個所があります。

すなわち、藤原参考人のご意見として、「田中幹事長は公明党に急所を握られているということですよ。昨年(昭和四十四年)の二月、彼と公明党とのあいだに妥協が成立して、公明党は田中の黒い霧をあぼくことをやめた。これを知らないと、このドラマ(出版妨害事件)の本当のストーリーはわからない」。

一説によれば、創価学会・公明党が田中幹事長のスキャンダル、汚職をあぼくと恐喝したのに対して、田中幹事長は脱税問題で切り返した。そこで妥協が成立したという噂があるわけです。そこで、昨年の二月、公明党とのあいだに妥協が成立したということは、一体どういうことであるのか、この際、大胆に国民の前に明らかにしていただきたいと思います。

藤原 少なくとも憲法違反の疑いがあるようなことを頼まれて、あの忙しい幹事長が二回も料亭で会うということは、よほどなにかを握られて、断わり切れない事情があるとみるのが常識であると思われます。とくに忙しい田中さんが十五分も前に来て待っているのですから……。

田中さんとは何回もテレビ、ラジオで会いましたけれども、そういうことははじめてのことで、非常に苦しいということがよくわかったのであります。

この背後関係は日本の政党政治の中に、 一種の貸借勘定としてあるもので、必ずしも公明党、自民党だけの関係ともいえないものがあるのではないかと考えております。

とくに公明党の場合、汚職とか、その他のことを摘発するぞということをテコにしながらいくやり方が、ひとつの常套手段であります。摘発すればいいのですが、摘発せずに、摘発するぞといって、やっていくわけです。

現在の日本の政治状況からみた場合、これは政党だけの問題ではない部分があります。現に昨年、三菱銀行頭取・田実渉氏は、竹入委員長をわざわざ財界の首脳に会わせているという事実があります。

昨年の終わりの選挙において、自民党があんなに勝とうとは、日本の政財界の人は考えていなかった。もし自民党が減つた場合には、自民・公明連立政権体制というものが、体制側においては考えられていたひとつのスケジュールではないかという推測が存在するわけであります。

事実、財界人と会った直後、竹入委員長は、自民党との連立もないことはないと、におわした表現を新聞記者にしております。こういう傾向は、現在の京都府知事選にもあるでしょうし、来年の東京都知事選にもあるでしょう。

選挙における貸借勘定、国会運営における貸借勘定、こういった公党の行動としては許せないような行動が、現在しばしぼ存在するといわねばなりません。そうでもなければ、こうした行動にわざわざ田中幹事長が出るということは、通常人の常識をもっては、とうてい解釈できないのであります。

では、ここにおける〃里ぶ霧〃とはなんであろうかということであります。問題はここにかかってくるわけであります。

ひとつは自由民主党の非常に長い政権に、基本的な問題があると思う。大体、ひとつの政党が政権を長くとっておれば、それをリードしている人の人間性がいい悪いにかかわらず、水が流れないのでありますから、濁ってくることはきわめて明瞭であります。

そして、自民党の総裁公選に莫大な金がかかることは常識的なこととして受け取られている。そういう金がどういうところからできるのか―。

つまり、自民党の中における金権政治的体質というものには、そういう貸借勘定というものから必然化される要素がある。

とくに公明党は、創価学会が莫大な金を集めている。無知な信者を通じて、大きなお寺をつくるとかいって、五百何十億も集めている。その金に日本の銀行屋は非常に弱い。三菱銀行の田実頭取などは入信したのではないかということまでいわれている。

そのような、自民党の体質の中にある「金がいる」という要素と、公明党の中にある「金がある」という要素は、貸借勘定というものを成立させる。いわぼ公約数的な要素があるということがいえるのではないか。

もちろんテーブルの下で取り交わされる取り引きを、どのようにして確認するかという決め手はありませんが、そういうものが本当に摘発されれば、日本の政治はもっと明るい立派なものになると思います。これは、皆さんに大いにやってもらわなければいけないことです。

その意味において、なにかそういうことがない限り、このような非合理きわまる行動に田中角栄氏が出るということは考えられない、普通の人間の常識において考えられないということをいっておきたいと思います。

デマ−「八千万円なら手を打ってもいい」

赤松 これは大変に失礼なおたずねですが、あなたが田中幹事長を通じて、「八千万円なら手を打つてもいい」というようなことをいわれたということが、巷に流れているわけです。そういうことがないならないということを、この際、明らかにしておいていただきたいと思うのです。

藤原 第一回から第二回目を通じて、田中幹事長とのあいだでは一回も金額についての話は出ておりません。金の話なんて問題じゃないですから……。八千万円説は、完全に公明党が流したデマであります。

デマを分類してみますと、はじめは二千万円説だったのです。それから、「私が五千万円要求して、四千万と答えた」から、もっとエスカレートして二億円ぐらいになりまして、赤松さんの情報は、その中途くらいの八千万情報ではないかと思います。

これは、民衆が、これだけのことがあったのだから、相当の金が動いただろうという形でデマがエスカレートしてだんだん大きくふくらんで展開したわけです。「赤旗」に四千八百万円というのが出ておりますが、あれは四百八十円の定価で初版で十万部刷るということをいったので、自動的に計算をして四千八百万円という数字が出たわけであって、私はお金の額については、一切答えておりません。

交渉決裂直後にも田中幹事長に向かって、

「何億円積まれても、駄目なものは駄目である。出版言論の自由を金で売るほど落ちぶれてはいねえ」

ということを、はっきりいっておきました。

赤松 それでは最後に確認をしておきたいと思います。ここで明らかになったことは、田中幹事長は、「つぶやきがあったから、おせっかいをした」といっておるけれども、これは明らかに嘘であって、竹入公明党委員長から依頼があって、あなたに対して出版妨害を試みたのだ、このことはそういうことで確認してよろしゅうございますね。

藤原 間違いありません。

角栄の重要発言

次に共産党の不破哲三政治・外交政策委員長の質問を紹介しよう。不破はまず、とくに公明党の藤原都議のこの問題における役割についてただしたあと、田中角栄の問題に移っていった。

不破 私は田中幹事長の藤原さんへの申し入れには、はっきりさせなければならない二つの問題があると思う。ひとつは、つぶやき・おせっかいというまったく田中幹事長の自発的、自主的な行為であったのかどうかという問題、それから内容の問題ですね。この両面があると思うんです。

第一の問題については、例の電話による妨害ですね。これが田中幹事長から申し入れがあった以後、止まったというのは事実ですか。

藤原 事実です。

不破 それで、決裂のあと再開されたわけですか。

藤原 そうです。田中角栄氏から電話があった十月四日の時点と、それから料亭で二回会ったんですが、このあいだには不思議なことに、電話は一本もかからないんです。

いま田中氏がやっているんだからいいということを、いかに公明党の幹部が承知しているかということのあらわれで、まあ、田中氏が出たくらいだから、おそらくなんとかなるだろう、一応あそこにまかしてあるんだという姿勢であり、ある意味においては、全面委任という形態であった。

少なくとも彼が私に接触しているあいだは、一応控えておこうという態度を公明党がとったことは間違いないと思います。

不破 電話の問題などになりますと、あれはためにする者の、つまり、創価学会・公明党に反対する者の側の陰謀的なやり方だということを、いろいろなところで非常に強調するわけです。

ところが、藤原さんの場合でいうと、このだれも知らないはずの、つまり当事者以外にだれも知らないはずのこの交渉がはじまったらぴたりと止まって、だれも知らないで決裂したらぴたりと再開されたんですから、私はこの電話妨害というのが、いかに組織され、統制されたものであるかということは、この一事をみてもわかると思うので、これは非常に重要な問題だと思ってうかがったわけです。

それから、竹入委員長から依頼されたということは、電話の席でも、二回の会合でもいわれたということですが、この事実を池田会長が知っているということを田中幹事長が藤原さんにいわれたのは明白な事実ですね。

藤原 これは第一回の千代新という料亭で、私が「だれが知っているのか」といったら、「池田会長と竹入と矢野と君と僕だ、この五人だ」こういうことをいったんですから、それは間違いございません。

不破 それから第二の内容の問題ですが、この内容というものが、大体千部ぐらい形だけ表に出して、あとは何部刷ろうが全部買い取るというもので、これは常識でいえぼ、買収なんですね。この買収の提案が非常にはっきりあった。このことはもう確認されていますから改めてうかがいません。

その際、伝え聞くところなんですけれども、田中幹事長が、選挙区の問題とかその他について、政治の問題としてかなり重要な発言をしているということをうかがっているんですが、その点はどうですか。

藤原 私は創価学会・公明党がファッショであるという書き方をしているし、それを公明党側が非常に気にしているということが田中氏とのあいだの議論のひとつの中心になったわけです。

それで、田中さんは、「いや、公明党というのは、君がヤイヤイいうほどものすごいものではないぞ」と、まあ彼がナチスのことなんか研究しているかどうか知りませんが、「かわいいもんだ」と、こういう表現で、「ただ、あれが今後あまり伸びるようなことは問題なんで、なるべく平素から政治指南をしておいて自分たちのあつかいやすいようにやっていくために自分は貸しをつくるんだ」という。

「しかし、現に公明党はどんどん伸びているではないですか」と僕がいったら、「いや、君、大体このへんが頭打ちなんで、このあとで小選挙区および三人選挙区の併用方式を自分は考えているので、これをやれば、まあ公明党は五十以上は絶対に伸びないような態勢になる。

そういうような選挙法改正の構想をもっているんで、君が心配するように、あれはナチみたいにならねえんだよ、大丈夫だよ」ということをおっしゃいました。

世界に例を見ない言論弾圧事件

不破 藤原さんはこの本を出されるにあたって、いままで創価学会・公明党による出版妨害活動をかなり研究もされ、対応策も考えられてことをはじめられたということを、いろいろなもので書かれているのを聞いたんですが、いわゆる出版界の創価学会・公明党のタブーの問題で、藤原さんの調査の結果、もし発表できることがあったらうかがっておきたいんですが。

藤原 大体、この種の本というのは、ゲラ段階であちらにつかまれている。スパイが印刷所に入っています、創価学会の会員が。これが創価学会の本部ないし公明党の本部に対するひとつの信者としての忠誠心のあらわれになるんです。

創価学会・公明党を批判するような本があったら、早めに、そのゲラの段階でお届けする。こういうことを奨励しているように私には思われる。だから、そういう形で抗議が来るケースがあります。

それから、私のように、予告広告をいたしまして、『創価学会を斬る』というのをほんの小さく出した、この最初の段階で来る抗議の形態は、全部いやがらせの電話であります。それから、その次に、それなりの幹部が出てくる。幹部でうまくいかなかった場合には、私の場合は田中幹事長、内藤国夫君の場合は笹川良一氏か三浦義一氏(国家社会主義者・政財界の黒幕的存在)、それから植村左内氏のときには日大の古田会頭、賀屋興宣氏、こういうふうな人が出てくる。大体、この段階で、いままではつぶされているわけですね。

私の場合は最後までいったわけで、田中幹事長の提案を蹴った。ここで、今度は出版妨害の具体的ないわゆる大衆動員妨害工作、経済的な圧力、このようになってきたんです。

私の形態の特色は、田中幹事長段階で蹴って全面決裂までもっていって、そのあとに、創価学会・公明党の組織的出版妨害というものが全国的に展開されたところにあります。

ところが、逆にいえぼ、実際に買いにいっても買えないのでありますから、この問題を非常に多くの国民に知らせ、こういう反撃が大衆の中から起こってきたひとつの背景がここにあるわけです。

それで、それまでの手口をみると、まったく同じですね。大体、犯罪というものは、うまくいった手口は何回も繰り返すものであります。

私の場合も、田中角栄氏が出てきて初版買い取りを申し出るという段階までは、内藤君のケースとまったく同じ。つまり、犯罪の手口の累犯性というものがきわめて明確にここに出ているわけです。

これは、横の広がりの大きさと過去のたび重なる累犯性の点からみて、おそらく世界に例を見ざる大言論弾圧事件であるといわざるを得ないだろうと思います。

究極の狙いは自分の奴隷にすること

次に同じ共産党の松本善明政治・外交政策委員会副委員長の質問と私の答弁を紹介しよう。

松本 藤原さんがこの著書の出版をはじめようとなされたときに、当然いろいろな妨害を予想されたと思います。どういう覚悟でこの出版にかかられたか、その点をまずいっていただきたいと思います。

藤原 覚悟といえば大袈裟になりますけれども、まあ私は五万部ぐらいもでれば上出来だと思っておった。 少なくとも現在のマスコミにはタブーがありますし、いままでたくさんやられているわけで、まあ、戦後二十四年もたったし、私もマスコミの仕事も十四、五年やっておりますし、私の力でどのぐらいやれるか、いっちようやってやろうと、喧嘩といえば喧嘩ですが、これを言論人として天下に知らせることを通じて、マスコミのタブーを破ってみたい、つまり、タブーへの挑戦のつもりだった。

また、さらに掘り下げてみますと、私自身、戦争中、学徒出陣なんかにいっておりましたが、言論の自由が全然ない。ミッドウェーで負けたことも知らない、なにも知らない、そういう戦前の日本というものでは、やはり駄目だという気持ちがあったことも事実であります。

角栄さんは戦中派だから買収に応じてくれといいましたが、私は戦中派ゆえに買収には応じないで、このタブーに挑戦してみようと……。

松本 組織的に非常に大きな団体の力を背景に威力を示すということになりますと、強要の場合には脅迫になりますね。

つまり、創価学会の力全体を動かすことができるような立場の人が、柔らかい言葉でいっても、これは威力になる。

そういう総合的な力がどういう形であらわれたかということをおききしたいために、うかがうわけですが、藤原行正氏、それから秋谷栄之助氏との接触が八月、九月にありますが、このとき、受け入れなかったらどうなるかというような予測を当時されたでしょうか。

藤原 まず、一部のマスコミ関係の人から、「徹底的にマスコミから干されるであろう」ということをいわれましたね。「ともかく、あなたは執筆のチャンスもなければ、やがてテレビ、ラジオでも発言できないようにされるであろう」という言い方をだいぶされております。

それから、田中角栄氏が出てきた段階、たとえぼお買い上げ出版についていいますと、私は創価学会を比較的よく書いてあるような本が売られているケースを調べてみたんですが、向こうはさかんに買うような顔をして、てんで買わないということもわかってきた。

名前をあげると悪いですからいいませんが、お買い上げ出版を狙ってやったある評論家は、創価学会に相当買い取ってもらえると恩って出して、大きなホテルで祝賀会までやったんですが、お買い上げは七部であったという。つまり、向こうのやり方は非常にうまいんです。

となると、圧力をかけておりさせた場合はどうなるか。もし、私が買収に応じたとして、そのときに私がどうなるか、これは、決定的にバージンを奪われた女と同じなんだ。

藤原弘達は言論買収に応じたんだという形において、私は創価学会・公明党の完全な奴隷にされるんだ、これは。いいですか。そこの弱点をついてくる。

ちょうど〃つつもたせ〃と同じなんだ。そういう詰めの仕方はすごいですね。したがって、結局、どっちにいったって同じなんだ。

ここまでお考えにならないと、何千万もらって、あとはのうのうとしていられるような性質のものでは絶対にない。

創価学会自体は、入信したら、公明党の代議士であろうと、歳費は全部とってしまって、その中から給料を出しているというやり方をとっている独特の組織なんで、金だってたくさん出すというようなことをいうようで、決してそうではない。つまり、市民的合理性の取り引きというものは、実はできないのであります。そういう性質をもっている。

お金が動いた動かないなんていっているが、結局、最後の狙いは、そういう落とし穴をつくっておとしいれて、自分とこの奴隷にしたい、こういう悪らつな手口であるとみなければいけないのだと、私は思います。

角栄の罪の意識

松本 田中さんとの関係がどういう性質のものであろうか、これもひとつの大きな問題だと思います。いまいわれたように、奴隷になってしまうと、自分の著書が闇から闇に葬られる。大変にいやなことであります。そのいやなことをやってみようという決意をして、田中さんがやってくるわけですね。その田中さんは、あなたに対して大変に悪いことをしようとしているという罪の意識といいますか、あなたに対して重大な影響をもたらすものだということを意識していたのでしょうか、その点はいかがですか。

藤原 半分は意識していましたね。第一、あれだけ明快な田中角栄氏が、この話をするときは、なにかもそもそして、歯切れが悪かったですよ。それから、筆の問題がやっかいだということは百も承知だった。

ただ、彼はいままで政界で、金を出してものごとを解決するとか、人間は金で動くんだと、そういう考え方でやってきて、そういうことに関しては、一種の不感症症状があるということですね。

これは、現在の政党政治の大きな問題なんで、金さえ出せばなんとでもなるんじゃないか、また現実にある程度までそうなった実例をもっておられる方なるがゆえに、藤原弘達をなめておいでになったという感じがいたします。

ただ、最後の詰めの段階で、私が「それでは言論人として自殺になるじゃないか」といったとき

に、角さんは手を出して僕の手を握りしめて、「同じ大正世代だ。もう七〇年代は、東大や一高出身の官僚の政治ではない。われわれの時代が来るんだから……」と、なにか面倒でもみてくれるような言い方だったね。

まあ、そうなると、私も案外、田中角栄氏が総理大臣にでもおなりになった場合には、御用評論家として御登用願って、NHKにでも常時、出していただくということかね、あれは。

「そうか、わしは全然知らなかった」

松本 それともうひとつおききしたいのは、創価学会全体を含めて、非常に組織的な、総合的な妨害がなされていることは、田中幹事長は知っていたかということです。もし自分の提案を受け入れなければ、あなたがそういう目にさらされるということを、田中幹事長は知っていたでしょうか。

藤原 完全には知っていなかったと思います。つまり、創価学会の人のひとつの特色は、自分より強い人や権力者に対しては、実に低姿勢に出るということがあります。強きを助け、弱きをくじくという基本的体質をもっているということです。ですから、田中氏は、私は知らなかったと思う。

たとえば、田中氏は、創価学会系の潮出版社の雑誌に「交換に、一年ぐらい連載で、君、どうかね」という条件を出してきた。その前にも潮出版から私のところに、「書いていただきたい」という依頼が来て、「バカなことをいうな。私はマスコミのマーケットがほしいからといって、創価学会なんかにわざわざ書かしていただくなんて、それほど落ちぶれていないわ」といって、一度、蹴ったことがある。

田中氏がそれと同じことをいったから、私は、「あなた、それはよく公明党が使う手なんだよ」といったら、「そうか、わしは全然知らなかった」といっておられた。

それから、日新報道の話も出て、「なんだ、あとで聞いてみたら、公明党のやつ、日新報道と何回も会っているんだって。はじめて俺に頼みに来たと思ったら、そうでねえや」なんていっていた。

松本 藤原さんは田中さんに、こういう妨害をやっているんだということは、その席でお話しになった?

藤原 それはもうしつこくて困っているんだということはいっておきましたよ。

松本 そうすると、その時点の会談の中では、もう田中さんは承知しておったわけですね。

藤原 田中氏はこういう言い方をしていました。「創価学会というものは、普通の宗教じゃないからね。あれは、ともかく、まあ勢力を拡大するということに一所懸命なところで、普通の宗教とは、やはり心に神を思い、仏を思う、そういう内省的なものだけれども、あれは内省的なもんじゃないから」と。その点では、なかなかいいとこをちゃんと見ていましたよ。

日本の政党政治の縮図を見る

松本 電話でいよいよ田中幹事長が出てきたときには、どういうふうに感じられましたか。

藤原 これで、日本の政治を抜本的に批判できるひとつのチャンスをつかんだと思いましたね。田中角栄氏個人には悪いけれども、これはやはり日本の政党政治のルールを正さなければいけない。公明党は口で自民党を打倒するといいながら、陰ではそういうことを頼んでいる。

こういうようなことでは、政党政治といっても、国民を偽るものであり、この問題こそ、まさに国会が裁かなければならない。

公明党はなにかといえば、「裁判所に提訴すればいいじゃないか」といっている。また、佐藤総理の発言をみると、「国家権力の介入以外は全部プライベートな問題だ」という解釈をとっている。これは、まさに十九世紀的国法学の理論であって、それだけでも私は二十世紀後半の総理大臣としては不適格だといわざるを得ない。

これだけ圧力団体がいっぱいでき、労働組合もあり、経団連もあり、全学連もある。こういうものが社会権力陸をもっているわけです。この多元的な社会構造における言論妨害の事実によって得られるところの利益を享受するものはなにか、こういうところから、もう少しきめのこまかい政府追及を、ぜひ皆さんもやっていただかなければならぬということを望んでおきたい。

真っ青になった角栄

松本 田中さんと決裂して、一体どういうことが起こるというふうに、そのときは思いましたか。

藤原 僕が断わった段階において、田中角栄氏は真っ青になりました。やはり、これはやばいとみたと思います。私は、「あなた、こんなバカなことをしたら、総理大臣に絶対になれないよ」ということを、はっきり彼にいったんです。

ただ、私が田中氏に期待したことは、「あなたがせっかく中に入ったんだから、憲法違反その他の法律に違反するおそれのあるような言論妨害の行動をしないように、公明党に忠告してほしい」ということです。彼は自分でも、公明党の指南役だといっているんですから、「お前、そんなバカなことをするな」というだけの政治的指導性を発揮してくれるならば、彼らは一切の妨害を中止する―どうせ、やりゃしませんけどね―ということを、一応できないとは思いつつ、私は期待したんです。

そこで彼のとった行動というものは、それはできないということ、つまり、手を引く。「もう勝手にせい。公明党がつぶしにかかるなら、やれ」という形の手の引き方であり、そういう意味では、間接的に、公明党が行なうであろう言論妨害を、容認したものであると認めざるを得ない。そう認めることによって、私は、田中角栄氏の名前を公表する当然の権利を得たのだというように解釈しております。

松本 藤原さんはその際に頑張られたからいいんだけれども、普通の人だったら、田中幹事長というような政府の中枢に影響をおよぼす人が出てきて、そういう立場をとった場合、出版を断念する程度の圧力であっただろうか。

藤原 と思います。これは名前を申しませんが、皆さんだれでも知っておられる政治評論家の方と一緒に晩飯を食べましたら、「君はまだ若いから、将来があるからだろうが、私だったらやはり二千万で手を打ったね」なんていっておられた。まあ、半分は冗談でしょうが、あとのわずらわしさを考えたら、それは手を打ちたい気持ちになるのも、ある程度は人情としてわからないことはない感じがしたという実感だけは述べておきます。

ついに百万部を突破

このようにして、異例の真相糾明議員集会が開催され、マスコミにも「言論の自由」という言葉が出ない日はないというような状況になって、私の『創価学会を斬る』も三月段階で百万部を突破し、文字どおりミリオンセラーとなったわけだが、そのわりには、この問題に対する政治的決着というものは、結局、うやむやのうちにどこかにいってしまい、昭和四十五年三月三十一日、赤軍派による〃よど号〃乗っ取り事件が起こるとともに、世間の関心も徐々に薄れていった。

それにしても、国会における真相究明の状況をみて感じたことは、やはり公明党を叩いただけでは、なんら問題解決にならないということだった。やはり創価学会の内部でどういう衝撃が起こり、どういう動きが出てくるかということから目をそらすことはできないという実感をもったものである。

いくら愚昧な信者たちであっても、いくら狂信者の集団であっても、あれだけいろいろと真相が暴露されたのであるから、二枚舌、三枚舌でいい抜けていくにしても限度があるはずで、今後の運営はきわめて困難になるだろうとみていた。

そうしたところに、創価学会・公明党の足並みが少し崩れたことを示す実例があらわれはじめた。池田大作会長はとうとう怒り出して、ヘマをやった公明党をぼろくそに罵り出す。そして、当時、公明党の国会対策委員長だった渡部一郎が四十五年一月十一日に創価学会学生部幹部会の席上で行なった「言論の自由の問題について」と題する講演のテープが、内部から暴露されるということが起こつたのである。

「うちは自民党に〃貸し〃はあるけど〃借り〃はない」

その講演の中に、次のような部分がある。

「自民党なんかにものを頼むほど、うちは落ちぶれていませんよ、はっきりいっておくけど。皆さんにわかっといてもらいたいんだけど、うちは自民党に〃貸し〃はあるけど、〃借り〃はないですよ。

〃貸し〃はいろいろあるけどね。

最近は〃角〃とか〃福〃とかいう連中が、次の総理になるそうなんだな。はっきりいっておくけど、両方とも〃黒い霧〃のヒモがちゃんとついてるんだ。導火線をうちは握っとるんだ。いつだって火はつけられるんだ。選挙があるから我慢しているだけだ。それなのに、いい調子になりゃがつてね、うちを脅かす片棒を担いでいるやつなんか容赦せん。『容赦せん』とわれわれが怒るだけで、向こうはあわてちゃってるんです。どうかこの際、公明党に対して、創価学会に対して、池田先生に対して、好意的な目つきをしておかないと、俺の総理への道は、落とし穴をつくられてしまう、時限爆弾をしかけられてしまう。彼らの恐怖と脅威は毎日増える。それこそ顔面真っ青になって、毎日ふるえながら新聞を見ているのは自民党ですよ、ほんとに」

当時、公明党が彼らなりに握っていた田中角栄や福田赳夫に関するいわゆる〃黒い霧〃の材料が、彼をしてこういうことを敢えていわせたといえなくもない。

ともかく、この問題が国会で取り上げられているあいだは、学者・文化人たちも、創価学会・公明党について、かなりのことをいうようになった。これはこれで、ひとつの進展であったということができよう。

しかし、さまざまな追及に合いながらも、池田会長は逃げに逃げて、なんとか国会とマスコミの追及から逃げ切ることができた形になった。一時は「自殺寸前の心境にまで追い込まれた」と自分でもいっていたくらいである。そこまで追い込まれて、やっと逃げて、

昭和四十五年五月三日、池田会長の

「政治と宗教は分離する」

「今後は迷惑をかけぬ。また迷惑をかけた関係者に対しては、機会があるならば、会ってお詫びをいいたい」

という発言になるのである。

かって三島由紀夫は創価学会と公明党の関係を「双頭の蛇」といったことがあった。私も『創価学会を斬る』の中で、学会と公明党はシャム双生児のようなものであると書いた。つまり、どちらかいっぽうをとってしまうと、両方とも死んでしまうのである。したがって、創価学会が宗教と政治を分離するといっても、本気でするはずがないし、できるはずもない。公明党が本当に創価学会から分離するなら、これは公明党が崩壊するときということになる。

そうなることを、私はいまも待っているのだが……。

強引な幕引きのむなしさ

私が当然、予想された危険を敢えておかし、『創価学会を斬る』を出版したのは、なんのためだったのか。

そして、押し寄せる言論妨害の嵐に立ち向かい、どこからもヒモをつけられず、だれからもあやつられることなく、まさに個人の立場で、巨大組織と要り向から対決したことは、なんであったのか。

つづく

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