Make your own free website on Tripod.com

人脈作りと対談の方法

著名人との会談・対談について

@戸田会長時代から、戸田会長の人脈を通じて政財界やマスコミの要人に対する働きかけが行われておりました。昭和33年3月の岸首相の総本山参詣も、その流れの中にあります(結果的には実現しませんでしたが)。決して突発的な意図で企画されたものではないのです。

A池田会長になっても、その営みは引き継がれます。公明党が結成されると、社会(政治)勢力としての学会の存在は誰もが無視できないものとなり、この頃からマスコミ各社の代表者と、オフレコを条件に定期的な懇談会が開かれるようになりました(これは今でも続いております)。

また(下衆な言い方をすれば)政財界の要人への付届けやご機嫌伺いも、戸田会長時代に比べても格段とパワーアップして幅広く営まれています。その結実の一例が、文化祭等の来賓としての参加につながっております。

Bこうした営みの中には、今でいうシンクタンクも含まれており、その1つに鹿島平和研究所がありました。その鹿島平和研究所が、昭和42年にサンケイ新聞社と共に、クーデンホーフ=カレルギー伯を日本に招待。この来日の時、カレルギー伯の学会本部への表敬訪問が実現したのです。すべては、ここから始まります。

3年後の昭和45年、カレルギー伯が再び来日。この時、名誉会長との対談が行われ、刊行されました。創価学園でも講演をしております。

C当時の学会は、創価大学の創立開学(昭和46年)を控えておりました。39年に大学の創立構想が発表されて以来、会を挙げて国内外の“知性”とのコネ作りに精力的に取り組んでいたのです。人的なネットワークの構築です。海外に雄飛した会員を通して、欧米でも進められておりました。このネットワーク構築に、カレルギー伯の人脈が応えてくれたのです。

D欧米は基本的に階級社会です。クラブ社会でもあります。クラブの一員として認められると、一挙にネットワークが広がります。その意味で、山崎鋭一欧州議長らが果たした功績は大変なものがあります。カレルギー伯の人脈を通して、トインビー博士やアンドレ・マルロー、ルネ・ユイグ、ペッチェイ博士らへと知己を得ることができました。

また、汎ヨーロッパ主義に感化され、国連主義を鮮明にすると、今度はアメリカやソ連で、キッシンジャーをはじめノーマン・カズンズ、アイトマートフ氏らとの交流につながっていったのです。

E学会は、外部の賓客に対しては、心にくいばかりのもてなしをします。決して不快な思いをさせません。皆感心しシンパになってくれるように、名誉会長以下本部総力を挙げて、金銭的なことを含めて接待等をいたします。相手の懐に飛び込めば、“仕える”ことには慣れておりますので、まず敵対者になることはありません。おそらくどなたも心地よい思いをするはずです。これが評判となって、世界の要人が会談や対談に応ずるようになっていると思われます。

F評判が評判を呼ぶのでしょう。要人・識者らは、各々主義主張・見識・信条を持っており、それらの具現化をめざします。具現化のために財団や研究所、○○会議、○○委員会といったものを構えることも、しばしばです。当然、人や金を要します。そこで、シンパ作り・オルグ活動・スポンサー探しに勤めます。金払いがいい学会SGIは、格好のターゲットなのです。世界広しといえでも、巨額な“強い円”をポンと気前良く差し出してくれるのは、学会SGIくらいしかありませんから。

G学会・名誉会長にとっても、“池田大作”の宣揚につながるのですから、メリットがあると捉えているのでしょう。毎年毎年、財務で豊富な資金が貢がれておりますもの、多少コストがかかろうとも、名誉会長の宣揚:ノーベル平和賞取り?の方が大切なのかもしれません。

いずれにせよ、双方の利害が一致しているから、会見が実現するのだと思います。『聖教』の記事内容について、互いにおべんちゃらを言い合っているような印象を抱くのは、私だけでしょうか。

Hそれに、これら著名人との会見は、創価大学・民音・富士美術館あるいは公明党の創立者という立場を利用しての、すべて“お膳立て”された会見がほとんどです。一仏法者として“捨て身”の弘教開拓の会談・対談・会見というのがありません。

湾岸戦争(今回のイラク戦争を含めて)にしても、チェチェン問題やチベット問題、印パ問題にしても、天安門事件しても、なぜ仏法信仰者として絶対平和主義・生命の尊厳の立場から厳しい抗議を、アメリカ政府をはじめロシア、インド、中国の各政府高官や要人と会見しながら、しないのでしょうか。

言うべき大事なことをきちんと語れるのが、本当の友好関係・真の対話・平和旅ではないでしょうか(そういうスピーチを繰り返しておりますよね)。でも、それをしないし、またできないところに、政治的な馴れ合いや偽善の姿がうかがわれるのです。

Iこうした名誉会長と世界の著名人の会見や対談の事績を「世界平和旅」として展覧会を開催したり、『聖教』等で特集を組んだり、派手な車内中吊り広告で誇示するのは、おぞましいだけです。

これらは多額の財務を納金する会員に対する“御礼興行”なのでしょうが、外部の展覧者数を割当てたり、不特定多数の一般市民の目に訴えるのは、あまりにも度が過ぎた自己宣揚というほかありません。

著名人の印象について

Eに記した如く、会談相手に悪印象は与えていないでしょう。名誉会長の基本的なスタンスは“誉め殺し”ですし。ただ、心根を見透かされ、心中では軽蔑されているかもしれませんが。

中にはトインビー博士の孫娘・ポーリー女史の場合のように、悪印象を与えたケースもあります(ポーリー女史の手記)。学会学術部有志によるポーリー女史批判も公開されております。

また、創価大でのゴルバチョフ氏との会談に立ち会った知人は、会談はすこぶる友好的だけども内容は特段感銘を受けるようなこともなく空虚なものだったけど、翌日の『聖教』を読んで記者の筆力には驚いた、と語っておりました。

同じように、先方のスケジュールに無理やり割り込んでの単なる短時間の表敬訪問ですら、『聖教』や『グラフ』では歴史的な対談・会談のように扱われるのは、いくら会内向けのものだったとしても、滑稽さと浅ましさを感じます。

対談集について

@名誉会長の対談集の多くは、基本的には名誉会長が対談相手の見識を、肯定・同調・共鳴しながら引き出し、論を進めるという形式になっており、互いの見解を闘わせるというものではありません。

つまり極論すれば、例えば名誉会長自身が「トインビー大学の卒業生」を名乗っているように、識者の見識を拝聴し、その見識を池田(学会SGI)流に解説・解釈し、意気投合するというスタンスだと思います。

A対談集のもう一つの特徴は、対談した日から発刊されるまでの期間が長いことがあげられるのではないでしょうか。概ね2年余りのタイムラグがあります。通常の場合と比べ、テープ起こしや翻訳に時間がかかるとしても、対談そのものを刊行するにしては時間を費やしています。

すなわちご察しのとおり、もともとの対談が基になるのではなく他人の手が加わるからです。確かに対談からスタートしますが、実際のところ対談したという事実を刻むのが目的だといわざるをえません。対談する時に、すでに刊行するための加筆訂正や往復書簡、スタッフの訪問などについて合意を得ております。つまり、その後の作業工程の中で対談集らしくなっていくのです。

B同時中継での名誉会長の支離滅裂なスピーチが、翌々日くらいに『聖教』に掲載されたのをみれば、ものの見事に整理され、引用資料も示され、ちゃんとした日本語になっており、まるで別物であるように加工されているのと一緒です。

対談集の場合は、これに識者の著作物に精通した専門スタッフが加筆していきます。こうしてまとまられた原稿をスタッフが持参し、先方のチェックを受けるという段取りだそうです。

また、対談集のような場合は、原則として自己の発言部分のみを校正するのがルールと聞きました。したがって識者にとって、自己の見識や見解が歪められず不本意な内容になっていない限り、刊行を承諾するものと推測します。

C学会=名誉会長です。名誉会長は、学会を体現し代表するのであって、名誉会長の著名人との会見・対談は、学会SGI総体との会見・対談となります。対談集は、名誉会長の著作物(共著)ですが、学会にとってはSGI思想の展開の1つです。担当者にとっては、創価学会SGI思想を表明・披露する役割責務を果たしているにすぎません。それ故、代作代行をしているとの意識はないでしょう。そしてまた、対談相手の識者も、名誉会長との対談ではなく、創価学会SGIとの邂逅であり対談と捉えているのだと思います。

Copyright(C)2002- 「日本専門」情報機関(日本の情報の収集と保存)