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赤旗まつり講演に見る不破氏の中国賛美5

(『さざ波通信』第29号2002.11.18)

5、政治権力の構造に対する沈黙

だが、中国当局の問題は単にその経済政策や経済体制にのみ関わるわけではない。われわれがすでに指摘したさまざまな経済建設上の問題の根本にあるのは、中国「社会主義」の権力構造それ自体である。だが、この政治体制の問題については、この講演ではそもそも何も述べられていないのである。これはかつての姿勢と比べても極端な後退である。

たとえば、1989年に起きた天安門事件に際して赤旗が出した「主張」の中では次のように言われている。

「どのような形態をとるにせよ、資本主義体制のもとで実現されている以上の『完全な民主主義』をめざすことは、社会主義の原則問題……。

昨年[1988年]5月の第2回中央委員会総会では、社会主義は、単に生産手段の社会化による人民本位の経済体制の実現だけでなく、社会主義的民主主義を実現する面でも、民族自決権を尊重する面でも、資本主義に対する優位性を発揮すべきだということを、指摘しました」(『日本共産党国際問題重要論文集』20、230頁)。

つまり、経済体制だけで社会主義をはかることはできない、社会主義的民主主義が開花し民族自決権が尊重されなければならない、という「政治的」基準が設定されているのである。これは党の正式な決定にもとづく社会主義評価基準であるが、赤旗まつり講演における不破氏の中国論にはこうした政治的観点が欠落している。

ちなみに、当時、日本共産党は、以上の基準に加えて、核兵器廃絶に緊急課題として取り組んでいるかどうかも社会主義のあるべき基準として提起しているが、この基準は今では完全に忘れさられてしまっている。

さらに、当の中国の政治体制について、かつてわが党はどのように述べていただろうか? 1988年に開催された第5回中央委員会総会における宮本議長(当時)の以下の演説は、改革・開放路線後の中国の政治体制について次のようにきわめてはっきりと述べている。

「中国は、4つの現代化、つまり農業、工業、国防、科学技術の現代化ということをいって、さも体制を近代化するという方向をとったようであります。しかし、、この『現代化』では生産力の発展に有利かどうかを根本、最大の基準とするというものです。つまり、生産力さえ発展すればいいんだというものです。社会主義初級段階100年説自体、十分吟味されるべき問題だと思いますが、そういう生産力の発展に有利かどうかが最大の基準――白ネコであろうと黒ネコであろうとネズミさえとれればよいというあの理論と同じです。

そこから何が欠落しているかというと、社会主義的民主主義という、これはレーニンがたびたび強調した点でありますが、つまり、人権とか、社会主義らしい、資本主義よりももっと充実した民主主義をつよめるという観点が全然ないということです」(同前、244〜245頁)。

これは、まるで現在の不破氏の立場を直接に批判している文章であるかのようである。宮本顕治氏は適切にも、中国当局が社会主義的民主主義をないがしろにして経済発展を一面的に追求していることを厳しく批判していたのである。

また、不破哲三氏自身が当時、天安門事件に関わって特別の講演会を開き、中国の政治体制をこっぴどく批判している。それは、軍隊を握っている搶ャ平が国全体を支配している、「民主主義とは無縁な軍事独裁の体制」である(同前、268頁)。また、文化大革命終焉後の中国についても、不破氏は次のように厳しく批判している。

「その後、指導部の変遷はいろいろあるが、多くの問題で『文化大革命』時代の誤り、社会主義とは無縁の誤りがいぜんとしてひきつがれてきました。その重大な一つが、社会主義がほんらいもっているべき民主主義の精神がまったく欠落しているという問題です」(同前、277頁)。

さて、この時代から中国の政治体制はどれぐらい進歩したというのだろうか? たしかに、搶ャ平が死んでからは、搶ャ平の個人独裁ということはなくなった。しかしながら、それ以降の中国指導部は、現在のできたばかりの新指導部も含めて、天安門事件を真摯に反省したり、あのときの搶ャ平体制をきっぱりと清算したりしたことはなかった。共産党による一党独裁と党内部での一握りの官僚独裁という現実は何ら変わっていない。搶ャ平が持っていた権力は、なるほどもう少し数の多い諸個人に移ったかもしれないが、官僚による専制的支配という現実は何ら基本的な点では変わっていないし、チベットの民族自決権に対する蹂躙も何ら変化していない。核兵器の問題にしても同じである。

もちろん、90年代以降、社会や学術研究の分野などにおいて一定の「自由化」が進んだことは事実である。以前はタブーであったことがらが議論の対象となり、これまでの評価と異なった評価が許容されるようになっている。しかしながら、これらの変化は、中国の政治権力の性質が本来の社会主義的民主主義的なものになったことを示すものではまったくない。

にもかかわらず、現在の中国の支配層に対するわが党指導部の評価は、かつての評価とほとんど正反対のものになっている。この転換を生み出したものこそ、北朝鮮の拉致問題と同じく、不破指導部による右傾化路線であることは論をまたないが、より直接的なきっかけは、1998年に日中両党首脳会談で中国の党指導部が日本共産党に対する過去の干渉を一定反省し、両党の関係が正常化したことである。これによって、不破指導部は、天安門事件のことも、それ以外の中国指導部の犯罪もすべて忘れ去り、無批判的な協調・仲良し路線に転じたのである。自分の党に対する不当干渉さえ反省すれば、あとは水に流すという政策ほど、自己中心的なものはないだろう。

われわれは、中国共産党とその支配体制に対して、もっと批判的で、中国および世界の労働者人民の立場に立ったより厳しい姿勢で臨むよう要求する。

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