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英語版SOKANET中国語版SOKANET 2003年2月10日(月)
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〜日蓮大聖人の法義から〜

 日本伝統の葬儀についてその変化が少しずつ見られます。“自然葬”や“友人葬”などがその例です。それに伴い、これまであたりまえのように存在した“戒名”や“塔婆”をどう考えたらよいのでしょう。
 “位牌(いはい)”にどんな意味があるのか。葬儀に僧侶は必ずしも必要ないのかなど、の質問も寄せられます。
 ここでは、“戒名”と“塔婆”に関して、創価学会が信奉する日蓮大聖人が、どうご教示されているか、ご紹介いたします。


◆「戒名」――生前出家者の法名

 僧侶などの聖職者を呼ばずに、故人の気持ちにそった真心の「自然葬」「友人葬」が執り行われる背景には、伝統的な葬儀のあり方に疑問をもつ方が増えているからと思われます。

 それは、戒名や塔婆の供養料が高すぎるのではないか、ということも一つの要因です。根本的には、余りに形式化しており、戒名の意義が良くわからない、故人や家族の意思を尊重してほしい、といった気持ちでしょう。

 「葬式仏教」という批判的な言葉をよく耳にしますが、実は仏教発祥の地・インドにおいては戒名・法名の習慣はなく、出家者も、とくに俗名とは別の「法名」を用いることはありませんでした。

  しかし、中国において、本名に「字」(あざな=生前の通称)や「諱」(いみな=死者への贈り名)をつける習慣があり、この古来の習慣から仏教界では出家者に戒名、すなわち法名が与えられるようになったのです。

  つまり、戒名は中国の慣習に基づいて生まれたものであり、仏門に帰依した人が受戒を機に与えられる「出家名」だったのです。

 中国の禅宗では僧侶が死んだ場合、位牌に出家名としての戒名を書く葬祭方式が示されていますが、その僧侶の「生前」の戒名が用いられたのであって、死後に新しく戒名を付けるのではりません。

◆成仏に無縁の風習、歴史的産物

 日本の場合はどうでしょう。

 日本では、仏教伝来の時代から中国と同じく出家名・受戒名としての戒名が用いられていました。奈良・平安時代においては、聖武(しょうむ)天皇には勝満、藤原道長には行覚というように、上流貴族が受戒すると戒名ないし法名が与えられました。あくまでも出家名としての戒名に準じたもので、今日のような死後戒名とはまったく異なります。

 平安時代中期以後は、寺院を建立した天皇や上流貴族の法名に、その寺号や院号を冠する例が多く見られるようになります。この慣習は武士階級の台頭とともに上級武士の間にも行われるようになります。

 死後戒名がつけられるようになったのは、早くても15世紀中葉以後と考えられています。 一般民衆を信徒とする寺院は、応仁の乱(1467年)以後の二百年間に急増し、この間に庶民における葬送・追善の儀礼が発展したからです。

◆戒名に触れられていない日蓮大聖人

 日蓮大聖人は建長5年(1253年)4月28日に立教開宗された後、御両親を正法に導かれましたが、その際に「日蓮」の一字ずつをとって、父に「妙日」、母に「妙蓮」の法名を授けられたと伝えられています。

 しかし、日蓮大聖人の御書全集にも「戒名」の語句はありません。日蓮門下の富木常忍の「常忍」、南条時光の「大行」など、いずれも「生前から名乗っていたもの」であって、死後戒名ではありません。

 つまり、大聖人の御在世当時においては、出家名、入道名としての法名ないし戒名はありましたが、死後戒名の慣習はなく、また法名や戒名の意義を教示されている御文もありません。

 総本山第九世日有上人( 1402年〜)の時代になると、死後に戒名を付ける風習が広く行われるようになりましが、それは、諸宗の葬儀・追善儀礼が民間に進出していたなかで、日蓮宗の信仰を「各家に伝承させるため」の措置であったと考えられます。

 第59世日亨上人は、「亡霊への廻向(えこう)には・其(その)導師たるもの少しも私の意志を挟(はさ)むべからず、御経の功用に任すべし、此時は蓋(けだ)し、戒名に意義ありと意得(こころう)べしとなり」と注釈され 「亡くなった人に対する回向は御本尊への唱題・読経が根本であり、その功徳力があってはじめて戒名に意義が生ずる」と仰せです。

 以上のように現在のような戒名(死後の戒名)は日蓮大聖人や第二祖日興上人の時代にはなく、大聖人御入滅から約200年たったころに生まれた「歴史的産物」であり、大聖人の法義の上から故人の成仏には一切関係ないのです。

◆塔婆――インドの仏塔信仰に由来

 「塔婆」は、梵語のストゥーパを略したものです。

 釈尊が入滅し、遺言にしたがって在家の人達の手で火葬に付された後、その遺骨は八つに分骨され、それぞれの国に遺骨を収めた塔が建てられたといいます。そして、アショーカ王の時代から仏塔が盛んに建設されるようになり、釈尊の遺徳をしのぶ仏教徒の自然な感情の発露として、仏塔信仰が全インドに広まりました。この仏塔をストゥーパといったのです。

 中国・朝鮮・日本等でも、それぞれ独自の様式で仏塔が建造され、さまざまな変遷を経て今日の卒塔婆(そとば)に至ったのです。

◆回向に不可欠のものに非ず

 日本においても塔婆は、仏塔を象(かたど)った墓標、あるいは供養塔として発達しました。今日、私達がよく塔婆供養として用いているのは五輪塔の形を一枚の木の板にかたどった板塔婆であり、これはいわゆる「一時の追善」です。

 日蓮大聖人は門下が娘の十三回忌に、南無妙法蓮華経の七字をしたためた六尺の率塔婆を立てたと報告したことに対して、その結語として「此(こ)れより後後の御そとばにも法華経の題目を顕(あらわ)し給へ」(御書1335ページ)と、今後とも塔婆を立てるならば、法華経の題目(南無妙法蓮華経)をしたためなさいと勧められていますが、御教示されているのは、塔婆供養という化儀が成仏、追善供養のうえで重要なのではなく、「南無妙法蓮華経という法の功徳が広大である」と教えられたのです。

 また、大聖人は「草木成仏口決」において、「有情は生の成仏・非情は死の成仏・生死の成仏と云うが有情非情の成仏の事なり、其の故は我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは死の成仏にして草木成仏なり」(同1338ページ)と、草木成仏の原理を明かされています。これは、草木成仏の原理がなければ成り立たない仏教の化儀の事例として、喩えられているのです。

 つまり、塔婆を立てなければ故人が成仏できないということではなく、草木成仏の原理は一念三千であり、その一念三千の当体である御本尊によって死者の成仏も可能となるということを明かされているのです。

 それは同抄の後半に「一念三千の法門をふ(振)りすす(濯)ぎたてたるは大曼荼羅なり」(同1339ページ)と明かされているとおりです。

◆追善供養の根本は信心唱題

 その他、大聖人は、御書の随所で亡くなった方々の遺族へ慈愛の励ましをなされています。しかし一個所も“塔婆供養しなさい”と仰せになっていません。日蓮大聖人の故師であった道善房のために記された「報恩抄」にも、塔婆に関する言葉は一言もありません。

 「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えることこそ故人への最高の追善供養であるとされ、また、生きている遺族が仏道修行に励み、成仏してこそ、亡くなった人々への回向になると教えられているのです。

◆大聖人の精神に背く 戒名利用の金儲け

 “僧侶に塔婆供養をしてもらわなければ故人は成仏できない”“戒名をつけなければ地獄に堕(お)ちる”などと説くのは、塔婆や塔婆を「金儲けの手段」としていることになり、日蓮大聖人の御精神と法義に背く“己義”なのです。

 「戒名」も「塔婆」も成仏にまったく関係ありせん。成仏を決定する要因は、あくあでも本人の生前の「正法への信行」にあるのです。

 葬儀をどう行うかは、伝統・形式にとらわれず、あくまで故人と家族の意志で、自由にとり行われるべきではないでしょうか。