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英語版SOKANET中国語版SOKANET 2003年2月8日(土)
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創価学会会長 秋谷 栄之助(1995.10.20)

 本年1月に「日本の政治に対する創価学会の基本的態度」のテーマでお話をさせていただいたのに続き、本日再びこのような機会を与えていただき大変に光栄に存じております。大変にありがとうございます。
 本日は今、国会でも議論になっております「宗教法人法と信教の自由」について、少々お話をさせていただきます。



1、宗教法人法の歴史的経過・背景

 さて、現行の宗教法人法は憲法20条の保障する信教の自由、政教分離の原則に基づき、これを直接の理念とする法律であり、戦前の苦い経験によって生まれた重要な法律であります。

 明治維新後、日本の国家は神社神道の国教化を進めました。神道を利用して国民の精神的統一を図ろうとしたわけであります。そうした中で共産主義者への対策を名目にしつつ、広く国民の自由を縛り付けることになった「治安維持法」が1925年に制定されます。

 当初、共産主義者を対象にしていたはずのこの法律は、いつの間にか、思想であれ、政治信条であれ、宗教であれ、政府に都合の悪い活動は危険分子と見なし、いかようにも取り締まれることになっていきました。

 また一方、その時々の政府は宗教団体を規制する法律の制定を何度か試みるの ですが、仏教・キリスト教関係者を中心に反対論が起き廃案になりました。しかし、その抵抗も国家主義の台頭を背景にした権力には抗しきれず、1939年には「宗教団体法」が制定されたのであります。この法は、国家の意向にそぐわない宗教団体に指導・監督を加えるというものでした。

 こうして、「国家神道」のもと、思想・信教の自由はなくなり、日本は戦争へ の坂道を直走り、その悪夢は敗戦まで続いたのであります。その中で、大本教、ひとのみち教団、キリスト教団等が相次いで弾圧されました。1943年には創価学会の前身である創価教育学会も軍部政府によって弾圧され、初代牧口会長は獄中にて殉教し、二代戸田会長も2年間投獄され、壊滅的打撃を受けたのであります。

 戦後、GHQは戦前の軍国主義を支えていたのは国家神道であり、治安維持法であり、宗教団体法であると喝破し、これを廃止することから日本の統治を始めました。新しい憲法は「基本的人権」を掲げ、その20条には信教の自由、政教分離の原則が謳われました。

 その新憲法に謳われた信教の自由、政教分離の原則のもと1951年に現行「宗教法人法」が制定されました。すなわち、戦前の「宗教団体法」のような管理・統制法ではなく、信教の自由、政教分離の原則のより内実化をはかるためのものであり、宗教団体が財産を所有し、その目的達成のための業務・事業を運営することに資するために宗教団体に法人格を与えることを目的とした法律なのであります。



2、今回の見直し論議の問題点

 今回、オウム事件を契機として、宗教法人法見直し論議が起きております。もとより、宗教法人法も法律である以上、時代状況も踏まえ広く議論すること自体を否定するつもりは毛頭ありません。

 しかし、憲法20条の保障する信教の自由、政教分離の原則を直接的に理念とする宗教法人法だけに、その見直しは決して拙速であってはならない。たとえば2年なり3年なりしっかり時間をかけて、国民や宗教界などの関係者の正しい理解を得ながら行うべきだと考えます。

 しかるに今回の改正論議を見ておりますと、オウム事件をカモフラージュに使いつつ、その背後にある真の意図を隠し、国民をごまかしているように思えてならないのであります。

 島村文部大臣や加藤自民党幹事長をはじめとする政府・与党首脳は創価学会を封じ込めることを念頭においた改正であることを公言しており、中には、創価学会だけが困る改正案がないかなどと放言する議員すらいることが一般紙に報道されています。全く論外な話であり、党利党略のために法律まで変えようとするこ とは大変な間違いであります。信教の自由に関する問題を政争の具として使おう とするその動機の不純さを私は指摘しておきたいと思います。

 また、その真の意図があるゆえでしょうか、今回の改正作業はあまりに性急であり、拙速であります。スタートからわずか5ヵ月で宗教法人法の見直しを提言した宗教法人審議会の15人の委員のうち7人が「審議が尽くされていない」、「委員としての責任が果たせない」として審議会の再開を文部大臣に申し入れております。異常なことであります。この事実一つとってみても、今回の審議は民主主義のルールに反するものと言わざるを得ません。アメリカ憲法には、適正な手続き(due process of law)が保障されています が、今回の政府案提出に至る経過は私たちが知れば知るほど、このデュー・プロセスの精神にももとるものであると思います。



3、改正案への見解

 次に、改正案についての私どもの考え方を申し上げておきたい。

 宗教法人審議会の報告に基づき、17日に政府が国会に提出した改正案は、その根底には、宗教法人の活動を国家が管理統制しなければならないという発想があります。これは明らかに、現在の宗教法人法の理念、基本性格そのものを変えて しまうものであり、国家による宗教法人の掌握、監督を可能にする管理法への変質を意味しております。

 従って、改正された宗教法人法は早晩、“今回の改正では宗教活動の実態を知る上で不十分だから、宗教活動そのものを、国がもっとしっかりと管理・規制できるように更に改正することが必要である”という方向にさらに進んでいくことは間違いない。

 私たちは個々の教団の利害としてではなく、この改正を契機として、宗教への権力介入の道を開くことを大変に危惧しているのであります。

 宗教法人法第86条には「この法律のいかなる規定も、宗教団体が公共の福祉に反した行為をした場合において他の法令の規定が適用されることを妨げるものと解 釈してはならない」と明記されております。つまり、現行の法人法の規定は、教団といえども治外法権ではなく、他の団体と同様な法律規制の下にあるということであります。

 それを、オウムのような特異な事件を契機に、宗教全般を国家による日常的な監視下に置こうというのでは「信教の自由」は犯されることになります。 よって、今回の改正には私どもは反対であります。

 宗教法人法の見直し・検討については、政府に属さない民間の第三者機関を設置して審議してはどうかとの声があります。国家権力の宗教団体への介入を排した「ノー・サポート」「ノー・コントロール」という現行法の基本精神に基づき、国家の影響力を排した第三者機関で慎重に審議するという考え方は私どもは好 ましい方向であると思っております。

 なお、オウムについては事件の再発がないようあらゆる角度から検討すべきは当然ですが、少なくとも政治結社ではなく、破壊防止法の安易な適用はその後の拡大解釈に道をひらく可能性があり反対であると申し上げておきたいと思いま す。



4、政治に対する関わりについて

 最後に、この場をお借りして、宗教団体の政治との関わりについて一言、触れておきたいと思います。憲法の定める「法の下の平等」という原理からみても、自らの理念に基づき、人権や平和、その他の社会貢献の幅広い活動はもとより、政 治への参加、選挙活動や政党への支援活動を行うことは、宗教団体にも保障された権利であることは申し上げるまでもありません。

 その上で、教団として政治に関わる際の基本原則を次のように考えております。

  1. 政治や政治権力に自らの教義の実現を望まない。また、政治権力を使って布教しない
  2. 国家から特別の保護を求めない
  3. 支持する政党が宗教的中立を政策として明確にすることを求める

以上の原則を、教団が堅持していくことが大切であると思っております。

 私どもは既に25年前に、国教化を目指さないこと、及び公明党との関係を明確に分離し、公明党の自主性を尊重し、人事・政策・財政に干渉しないこと、そして、宗教には中立の方針を堅持する公明党の立場を支持することを明確にしております。

 公明党が新進党に参加した今日、この原則はより明確になったことを申し上げまして、話を終えさせていただきます。