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英語版SOKANET中国語版SOKANET 2003年2月7日(金)
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中国・ハルビン近郊――「第731部隊」本部跡を訪ねて



 21世紀初の青年訪中団――。アジア諸国のみならず、世界各国が日本の“右傾化”に警鐘を鳴らすなか、正しい歴史を学び、日中友好の新たな足跡を印した。創価学会の訪中団として初めて「第731部隊」本部跡を訪問。ここでは、そのリポートを掲載する。(文=井元乙仁、写真=祁答院英嗣)




細菌兵器の開発・実用、人体実験などを繰り返した731部隊の「本部棟」。今は正しい歴史を伝えるため、罪証陳列館に

  ハルビンの空が青く輝いていた――8月22日朝。

 青年部訪中団を乗せたバスは、ハルビン近郊にある平房へ向かった。

 「731部隊」。国際法を無視し、細菌兵器を開発・使用したことで悪名高い日本軍の特殊部隊のことである。

 その本部跡が、平房にある。創価学会の訪中団として初の訪問。時あたかも、首相による靖国強行参拝の直後のこと。澄んだ青空の下を走る車内は、自ずと緊張感に包まれた。

 そこには何があるのか。いったい、日本軍は文化の恩人・中国に何をしたのか。罪なき人民に、どんな残虐非道を行ったというのか。

 正しい歴史をありのままに直視し、瞼に焼き付ける。そして、心に刻んだ慟哭を、揺るぎなき決意に昇華させる。日中万代の友誼のために――その一点に訪問の意義はあった。

 正面には「侵華(=中国を侵略した)日軍第七三一部隊遺跡」と刻まれた大きな石碑。その向こうに、かつて“細菌部隊”が本部棟として使った建物が現存していた。

 今は、罪証陳列館という。

 入り口には「前事不忘後事之師」(過去の出来事を忘れず未来の鏡としていく)の文字。合計13の展示室が、細菌部隊の拭い難い罪証の数々を伝えていた。




【鬼畜の日本軍! 無実の人を「マルタ」と呼び人体実験】

 1936年(昭和11年)から45年(同20年)まで、細菌部隊はこの一帯の広大な敷地を極秘裏に占有。

 各種専用施設を備え、軍属である医学者なども人体実験や細菌兵器開発に従事していた。周辺3キロは誰人たりとも居住禁止だった。

 そこへ、抗日運動家の中国人やロシア人捕虜ら3000人超の人々が送り込まれた。無実の罪を着せられて……。

 鬼畜の日本軍は、彼らを「マルタ」(=囚人、材料を意味する部隊内の隠語)と呼んだ。

 日本語で説明してくれる男性ガイドの案内で、展示室を巡る。

 克明に復元された模型が、細菌部隊の全貌を伝える。責任者・石井四郎軍医中将に関するパネルもあった。ガイドの声が熱を帯びる。

 「もともと少将だった彼は、3000人という命を踏み台にして、中将になりました。戦後は、人体実験で得たデータと引き換えに“戦犯”を免れたのです」

 逃亡を防ぐための足枷、防毒マスク、注射器、人体を切り刻んだメス……。



731部隊の跡地から発見された品々。陶器には「石井部隊」との文字がくっきりと残る

 数々の展示品。その一つ一つに丁寧な日本語説明が併記されていた。

 “歴史健忘症を患った日本人よ、目覚めよ!”と祈るかのように。

 ある団員が立ち尽くしていた。「内臓を引っかける木製フック」の前で。

 “これが!……”

 「マルタ」の中には幼い少年もいた。騙されて連行され有無を言わさず麻酔。標本収集のために内臓がえぐり出されたという証言もある。

 その団員は、木製フックを見た瞬間、帰宅途中だったかもしれない少年と、自らの子どもの姿がだぶって見えたという。

 “許せない!……”

 強い悲憤に顔は青ざめた。

 また、別の団員は驚いた。

 “思ったより、展示品が少ないな……”

 45年、ソ連参戦に際し、細菌部隊が証拠隠滅のため、各種施設を爆破したからである。

 細菌培養箱、陶製の細菌爆弾……。関係者の証言で複製されたものも少なくない。

 複製が多いことをあげつらい、それを中国側の捏造とまで中傷する卑劣な日本人もいる。

 だからこそ、若い団員は納得して激怒した。

 “証拠を隠滅した日本側が『証拠を出せ!』と言うのは恫喝と同じだ。そんなことで、細菌部隊の存在を否定できるわけがない!”と。

 「証拠」は、ある。

 例えば、戦後のハバロフスク軍事法廷で細菌部隊の実態を述べた関係者の証言パネル。また、残虐行為を悔い改めた元隊員の証言等も展示されている。

 それらを、訪中団メンバーは固唾を飲んで見た。聞いた。声が、出ない。

 出口近くには、細菌部隊によって抹殺されたことが確認されている被害者の名前が記されていた。その数、わずか86人!

 日本軍の証拠隠滅によって、実に3000人以上が戦後56年が過ぎた今日でさえ、「マルタ」として名前も命も奪われたまま、歴史の波間に沈められているのである。

 罪証陳列館の外に出た。蒼穹が眩しい。

 眼前には、かつてのボイラー棟の無残な姿。悲劇と怒りが放たれているかのようだ。広島の原爆ドームを彷彿とさせる。



731部隊のボイラー棟の残骸。同部隊は、各種施設を爆破して証拠隠滅を図った

 その真ん前には「マルタ」の“列車輸送”に使われた専用線路が鈍く光る。

 見はるかす敷地には、次々発掘された細菌部隊の遺跡が剥きだしになっている。

 地下監獄、凍傷実験室、ペストノミを培養するためのネズミ飼育室……。

 この広大な敷地には、細菌部隊が爆破・隠滅した設備の遺跡など、膨大な「証拠」が眠っているのだ。

 “日本人が『証拠がない!』と言って歴史を歪めるなら、証拠をそろえようじゃないか!”

 細菌部隊が占有していた広大な土地を統括する黒竜江省は、調査発掘・保存工事を3期に分けて行うという。

 現在、2期目。もう5、6年もすれば、細菌部隊の遺跡がほぼ全容を現すことになるだろう。

 黒竜江省は、それらを「世界遺産」に登録するよう働きかけている。


【なぜ残虐行為の事実を伝えないのか】

 一方の日本は、どうか――。南京大虐殺を否定する勢力がある。従軍慰安婦の存在を抹殺しようという輩もいる。

 同じように、細菌部隊が繰り広げた惨劇の事実を葬り去ろうという連中もいる。

 細菌部隊については、少なくとも学校教育で、きちんと教えられている事実は皆無に近い。

 「認めない」ということは、「否定」しているのと同じことだ。

 「教えない」ということは、「無反省」なのと同じことなのだ。

 広島・長崎を訪れた中国人の多くは、原爆被害者への同苦を感じると同時に、日本人の歴史認識の甘さに怒りを感じるという。

 なぜ中国大陸での残虐な加害行為を、歴史の事実として伝えないのか――彼らは、そこにこそ日本の歴史認識が歪んでいく構造的原因を感じているのではないか。


【「神社」は侵略のシンボル】

 首相の靖国参拝に、断固として非を唱える中国側の心情を象徴する写真パネルが2枚、陳列館にあった。

 1枚は細菌部隊が敷地内に祀った「神社」の写真。

 もう1枚は、戦後、部隊首脳が日本で秘密裏に落ち合った集結場所の写真。これも「神社」の写真である。

 日本軍を支えたのが「国家神道」による宗教・思想統制であったことは、よく知られた歴史の事実である。

 731部隊を支えたのも「国家神道」であった。いな、中国での日本軍のすべての蛮行を支えたのもそうであったといってよい。

 日本が侵略した中国の東北地方には、敗戦までに300とも500とも推定される神社が創建されていた。

 なかには、満州事変を起こした日本軍が中国人を威圧・牽制し、支配者として君臨するために建てた「建国忠霊廟」もあった。

 これは、日本の靖国神社と同じである。満州国のために死んだ人間を神として祀る“国家的神社”と位置付けられた。むろん、日本軍が統括していた。

 中国人にとって「神社」とは、日本軍の悪逆非道のシンボルであり、靖国神社は、その中核である。


【歴史健忘症の日本人よ!目覚めよ!】

 戦後56年、こうした問題がアジアの信頼にこたえ得る形できちんと総括されたのだろうか。

 731部隊関係者がかかわった製薬会社が“薬害エイズ事件”に連なったり、首相の靖国参拝を強く支持する勢力が台頭したり……。

 これらは、都合の悪いことを無反省のまま忘れるという“歴史健忘症”がはっきりと姿を現したものである。

 この病的かつ傲慢な体質が、再び日本を“いつか来た道”へと誘っているのである。

 歴史は、今まさに繰り返されようとしているのだ。

 日本の軍国主義と戦い、獄死したのは、だれか――牧口初代会長である。

 生きて出獄し、「アジアの民に日をぞ送らん」と、アジアの平和を願い、行動したのは、だれか――戸田第2代会長である。

 その師弟の精神を受け継ぎ、世界平和へ挺身してきたのは、だれか――池田名誉会長であった。

 日中友好の扉を開いたのも、池田名誉会長と周恩来総理との友情が大きな力となったのである。

 こうした三代の会長に連なる青年は、だれなのか。その青年の熱と力で、今、何をしなければならないのか。答えは、あまりにも明白であった。

 見学を終え、静かにバスに乗り込む一行――。

 その胸の内を確かめるかのように、ふと一人の壮年が姿を現した。“オンボロ自転車”をひいている。

 聞けば、日本への断固たる抗議を表明するため、自転車で国内1万キロを走破した人物だという。その“愛車”には「靖国反対」との文字も見えた。



 壮年は過ぎゆくバスを、ただじっと見つめていた。一行の心は一つだった。

 「こういう人が信頼してくれる日本にしなければ……」

 ハルビンの空は、どこまでも澄んでいた。




2001年9月2日付「聖教新聞」より