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英語版SOKANET中国語版SOKANET 2003年4月15日(火)
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<シリーズ・戦争を知らない世代へ>
ガ島撤退作戦

藤原金市(68歳)


 昭和十八年二月一日の夜半、駆逐艦の「甲板に集合」との命が出された。い よいよわれわれの任務である。

 ガ島撤退作戦の上陸地点「エスペランス」の説明を受けた。真暗闇の中で微 かに見える南方特有の椰子林の前に、二つの灯りがうすぼんやりと見える場所 である。

 この日のためにわれわれは、船舶操作訓練に汗を流していたのである。撤退 に使う折りたたみ船は、波をかぶるとエンジン不良となり、「櫓」で漕がなけ ればならない。毎日毎日、船漕ぎの練習で、手はまめだらけである。南方特有 の暑い気候には馴れず、私などは船に乗ったこともないし泳ぎも出来ないため、 操作訓練は全く悲鳴をあげるほどであった。しかし、弱音を吐くと大声でどな られた。「ガ島で戦っている者を思え、どんなに苦しくても、お前らは死には しないぞ」と。そしてわれわれも「ガ島の友よ、へこたれないでくれ。しっか り訓練を受けて必ず迎えに行くからな」と心に誓っていた。

 そんな苦しかった十五日間の準備訓練を終え、決行の日が来た。私はしっか り船を操作して、ひとりでも多く撤退援護しようと心に誓った。一艘七、八人 乗りの折りたたみ船を分隊長ひとりと隊員ふたりの一組で組み立て、約三十艘 の折りたたみ船が駆逐艦の甲板に待機した。沖合では海軍と敵艦との戦いで砲 撃の音が激しく、われわれの任務を応援しているかのようである。波は激しく 揺れている。指揮官の出発準備の号令で船は海へ降ろされ、分隊長の白い手袋 がエスペランスの海岸に向けて出発の合図をしている。われわれは一斉にエン ジンをかけて発進した。軍艦がすぐ側で砲撃をしているにもかかわらず、恐い という気持ちは全くなかった。

 折りたたみ船に、米などの食糧をたくさんつめた背嚢と、弾薬三十発、たば こを積んでいった。約三十分くらいで目的地のエスペランスの海岸に着いた。 遠浅の海岸に入り、船を押して上陸した。その途端に、今までに経験した事の ない肉の腐ったような、異様な臭いが一面にただよっていて強烈に鼻をついた。 そしてそれが何であるかはすぐにわかった。

 船を回転し出発準備をして、背嚢などを岸辺に集結するために船を離れた。 そして船に戻って見ると、操作者以外五人しか乗れない船に、十二、三人も乗 って、「連れて行ってくれ、連れて行ってくれ」とわれ先にとひしめきあって いる。どの兵隊もやせ細って、髭はぼうぼう。先ほどの異様な臭いはこの兵隊 たちの体から発散している臭いであった。死臭である。いくら「五人以上は駄 目だ、沈んでしまう」と言っても降りようとしない。本当に人間の本能という か、自分だけは、助かりたいの一心であろうか。このまでは船は動かないから 体力の弱っている者から順に運ぶことを納得させて、第一回は発進した。

 五人を本艦に届け、第二回の援護に向かう時、波が大荒れのためエンジンは 停止してしまった。これからが大変だった。大小の戦艦と同僚の折りたたみ船 が、行き交う中を櫓を漕いだ。折りたたみ船は、波間に漂う「木の葉」のよう だと身をもって体験した。それでも波に乗せられ押されながら、エンジンで動 かす時の五倍ぐらいの時間がかかりながらも何とか海岸に着いた。もう運搬す る力もなくなり、気力も尽き果てるほどであった。しかし、ひとりでも多く撤 退させようと船を漕いだ。

 大型の船艇には、われ先にと乗って縁にぶら下がっている者や、「また来る から次を待て」と言われても聞かずにつかまっている者、力尽きて海に落ちて 沈む者。艇は定員を乗せると、かまわず発進していく。「乗せてくれ。乗せて くれ」と叫んで泳いでいる者が、力尽きて再び浮いてこない。これが帝国軍人 の本当の姿なのだろうか。

 エンジンの故障で漂っている私の船の近くで、「助けてくれ」と叫びながら 手を上げているのが見えた。私は、「よし、今助けてやるぞ」と声をかけ、そ の手をつかもうとした時、その手は海中に沈んでしまった。私の声を聞いて助 かったと思ったのだろうか。声をかけた時に彼の心に安堵感が起きてしまった のか。体力の限界だったのか。〈声をかけずに手をつかんで引き上げてやれば、 助かったかもしれない〉と思うと、今も心のどこかに悔いが残っている。

 駆逐艦は予定の人員を乗せると、次つぎとガ島を離れていき、七、八時間の 撤退作戦は一応終了した。

 われわれは指揮官の命令で、船を海岸の近くのジャングルの中に隠し、先に 集結しておいた「背嚢」を取りに行って驚いた。三分の一くらいの「背嚢」が そっくりなくなっている。食糧のふそくしているこの島では、当然なのであろ う。生きるためには味方の物をも盗み、また、味方の食糧運搬当番兵を襲って でも、自分の腹に入れるなど、いくら戦時下とはいえ全く考えられない事が起 きていたのである。

 全員集合の号令がかかり、点呼をとってみると、百名のうちの九名がどうし ても居ない。皆は心配して探した。なぜなら隊長である秦巽少尉がこの部隊編 成時の訓示で、次の約束をされたのである。

「今よりこの部隊の責任者として君たちの命は私が預かった。君たちはお母さ んのおなかから生まれて、今日まで育てられて二十年以上。御両親に大変お世 話になって今まで生きてきたのである。兵器や弾薬は金で買えるが、二十余年 もかかって立派に成長した君たちの命は、金で買えない大事なものである。こ の作戦は非常に困難なことは充分わかっている。だが私たち百名は一名も欠け ることなく立派に任務を終えてこの地で解散しよう。必ず生きて帰るのだ。約 束を守るんだ」

 と言われ、皆で水盃を交わしたのであった。それが最初から九名、行方不明 になったのだ。皆、生きていてくれと心から願った。幸い二日後に、この九名 は生きていることがわかった。船が流されて、上陸地点より三キロほど違った 場所に上陸したとのことだった。九名とも無事で本隊に合流したのである。  われわれは、敵の目をくらますために、暗いうちに行動した。あたりがだん だん明るくなると、なんとそこには全く目をおおいたくなるような光景があっ た。本当に地獄とはこの事であろう。あたり一面に死体、絶命間近の者、傷口 と目鼻に蛆虫がわいている者、やせ細って骨と皮ばかりで、顔中に金蠅が真黒 にたかっていても追い払う気力のない者等が横たわっていた。この兵たちも、 皆立派な体格で出征して来た者であろう。それが今、このような姿をさらけ出 している。故郷の父母、妻子、兄弟が見たらどんな思いであったろうか。死体 と椰子の実の混ざった独特の臭いが一面に広がっていた。あの光景は四十年過 ぎ去った今日でも、本当に忘れられないものである。

 私もこの作戦の出発の時からマラリアに罹ってしまっていた。高熱を押して の参加だったため、戦友にはいろいろと世話をかけてしまった。

 そして、いよいよ最後の撤退の時が来た。どこからの情報か、夜になると上 陸地点へと戦友たちが杖にすがり、仲間の肩を借りながら集結して来る。今度、 駆逐艦に乗り遅れたらもう終わりである。われわれも午後七時ごろから真暗闇 の中をエスペランスの海岸に向かった。

 突然、私は足をつかまれた。「助けてくれ、助けてくれ、連れていってくれ」 と泣きながら叫ぶ。傷つき食糧不足でやせ細った手が、力いっぱい私の足をつ かんで離さない。「待ってくれ、今、船を準備してくるから」と言ったが、「こ の前の撤退の時もそう言って置いて行かれたんだ、助けてくれ」と泣き叫ぶ。 真暗で何も見えないが、この友からも異様な臭いがしていた。連れていっても 死んでしまうだろう。これにかまっていては自分もここに残るようなことにな ってしまうと考えた。申しわけないがその手を振り払い、駆け出したのである。 ほんとうに、ただただ申しわけないと、心でおわびして船の準備をし た。

 全員出発準備完了。再び、不気味な静けさが海辺を包んだ。と、突然、「明 りだ、明りだ」という声がした。真暗な海上に点々と星屑のような灯が点滅し 始めた。「見える。本当だ」まるで生き返ったような歓声が海辺にどよめいた。 隊長は信号で出発の合図をした。折りたたみ船のエンジンが一斉にかかり発進 した。約三十分くらい走り、駆逐艦の右弦と思われるところにつき、縄梯子で 乗船した。折りたたみ船は全部穴をあけて放棄した。これでガ島ともお別れか。 空腹をかかえ、傷の手当ても出来ないまま無念の最期をとげた戦友も大勢いた だろう。また、私の足をつかんだ人のように、帰りたくても帰れなかった人も いただろう。戦争は本当に恐ろしい。人間の運命を変えてしまうのだ。

 二月八日、わが撤退援護部隊は秦隊長以下百名、ひとりも欠ける事なく帰還 したのである。隊長は涙を流して喜んでくれた。この隊長ありてわれわれ百名 は無事任務を終えたのである。

 この世に生を受け、最も働き盛りにある若者が、召集令状という一枚の紙切 れで、好むと好まざるにかかわらず戦場へ連れて行かれる。戦争、それはたと えどのような大義名分を掲げようと、結局、人間同士の殺し合いに過ぎないの である。何と残酷な行為であろう。こんな残酷で悲しいことは永遠に起こして はならないと私は強く叫びたい。