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在日朝鮮人帰国問題の真相・日本赤十字社資料

(『楽園の夢破れて』&『朝鮮┃その北と南』比較考察21 )

まえがき

本稿は、正式手続きを経たものではないが、朝鮮人帰国問題の真相を知って頂くため、取り急いで原稿のまゝ上梓することにいたします。

一九五六・八・二〇
日本赤十字社
外事部長  井上益太郎

目次

一、これまでの経緯、それはなにを物語るのか?・・一
(一)在日朝鮮人はどのようにして日本に来たか?・・一
(二)これらの朝鮮人の中、七割は既に朝鮮に帰っている・・一
(三)六十万の朝鮮人突如居残りに決し、輸送列車ガラ空きとなる・・二
(四)特に北鮮へ帰国の場合について・・三
(五)朝鮮人は何故帰国を急に取止めたか?・・四
(六)そこから出てくる結論はなにか?・・六

二、とんでもない誤解・・八
(一)北鮮側の誤解・・八
(二)南鮮側の誤解・・八
(三)日本側の誤解・・一一

三、赤十字国際委員会の立場・・一三

四、見透しについて・・一五

在日朝鮮人帰国問題の真相

一 これまでの経緯、それはなにを物語るか?

(一)在日朝鮮人はどのようにして日本に来たか?

先づ日本内務省警保局の統計を見てみよう。

これらの表の明らかにするところは、終戦直前日本には二百万近くの朝鮮人が住んでいたこと、その中、百万人は一九四〇年即ち太平洋戦争が始つた後に来たことを明らかにしている。

そのことはこれらの人々の大部分が労働力補給のため自発的に又は契約に基き若しくは徴用されてきたことを自ら証明する。何となれば、それ以外の理由で戦争中に百万人からの朝鮮人が内地に来る筈がないからである。現に、この中、集団移入労務者は約二十五万と推定され(警視庁警備二課篠崎平治警視著「在日朝鮮人運動」令文社発行三八頁)又一九四二年から一九四五年の三年間に五十二万人の契約労働者が朝鮮から日本に送られたと云われている(Edward Wagner:“The Korean Minority in Japan”1951Institute of Pacific Relation,pp27)。

次に戦争中、朝鮮人で応招された軍人、軍属の数は、陸海軍を併せて三六五,二六三名である(復員局調査)。その中、負傷その他で内地へ(送還)又は復員して来たものが何の位あるかは手許に資料がなく明らかでないが、相当数の者が含まれていることは推測できる。

(二)これらの朝鮮人の中、七割は既に朝鮮へ帰つている。

その中大部分は終戦直後の大混乱期である一九四五年八月から一九四六年の初めにかけて帰国した。

当時の状況を当局は次のように述べている(厚生省調査及び前掲「在日朝鮮人運動」参照)。

「終戦の大混乱の只中にあつて、在日朝鮮人は帰心矢の如く、『民族の解放と祖国への帰還』を叫びつつ下の関、仙崎、博多、佐世保、舞鶴、函館、浦賀あるいは三池、臼の浦、門司、荻、境、温泉津、伏木、七尾、新潟、小樽、室蘭等の港へ殺到した。そしてこれらの者は便船、自前船又は釜山、馬山、麗水等から日本へ引き揚げてくる日本人を乗せた船の帰り船を捉え、全く無軌道の状態で引き揚げた。一方乗り遅れた人達は途方にくれ、わいゝ騒ぎながら毎日の如く関係当局に陳情抗議を行つた。中でも集団移入労務者の動揺は激しく、帰国を希望しての紛争が各地に於て発生した。

しかしその間、政府もこれを全然放任していたわけではなく、当時占領軍の指示もあつて(九月二日)、臨時列車の編成、車両の増結、輸送費の負担、乗船地の援護等逐次計画性のある引揚げへと努力を続け、又興安丸、徳寿丸の就航、雲仙丸、白龍丸、長白丸、黄金丸、会寧丸、間宮丸、大隅丸その他旧海軍の艦艇等多数の船が配船された。尚同年十二月二十六日には米軍上陸用舟艇も貸与された。

一九四六年の当初に至つて、慶尚南北道、忠清北道のものは仙崎、博多、函館、舞鶴から釜山へ、全羅南北、京畿、江原、忠南各道(註―以上何れも南鮮であることが注目される)のものは、佐世保から群山、木浦、仁川へという計画が立てられたが、その実績については今手許に資料がなくて解らない。このようにして一九四六年の二月末頃(註―北鮮臨時人民委員会はその頃組織される)までに動員労務者及び復員者の引揚げはほとんど終了した。

そして右の方法による引揚者数は、政府の配船による計画送還で約九十四万、正規のルート以外の仮船等により引揚た者は約四十万、計一三四万と推定されている」

(三)六十万の朝鮮人突如居残りに決し、輸送列車ガラ空きとなる。

ついで政府は連合軍の指令に基き、一九四六年三月「朝鮮人、中国人、本島人及び本籍を北緯三〇度以南(口之島を含む)の鹿児島県または沖縄県に有するものの登録令」を制定公布し、これにより引揚希望者の有無を調査し、計画送還を行うこととした。これによる登録の結果は、次のとおりである。(厚生省調)

全在日朝鮮人数 六四七,〇〇六名 (内、受刑者 三,五九五名)
右の内、帰還希望者 五一四,〇六〇名 (内、受刑者 三,三七三名)
右の内、北鮮へ帰還希望者 九,七〇一名 (内、受刑者  二八九名)

これらの者に対しては、連合軍は

「引揚を希望するものは、日本政府が指示する時期に出発しなければならない。さもないと日本政府の費用による引揚の特権は失なわれ、商業輸送の便宜の可能となるまで待たなければならないであろう」

と警告した。

右趣旨に基き、同年四月五日引揚援護院次長は地方長官あて「非日本人の送還に関する件」なる通牒を発し、厳に帰国希望者の洩れないよう周知徹底を計ると共に、この機会を逸しては日本政府の責任と経費による帰国が出来なくなることを警告した。

さらにこのような事情から相当数の者が一時に殺到することを予想し、仙崎及び博多をこれらの送出港と定め、市町村別輸送計画をたて万全を期した。(以上厚生省調)

しかるにここに非常に意外なことが起こった。

それは一九四六年に入つてから、帰国希望者の出足が急に衰え、帰還輸送船及び臨時輸送列車が多くの空席を残して運行するという状態になり、これがため、占領軍当局から再三の注意を受けるという前年とは全く反対の対象を呈するに至つたことである。

一九四六年帰国者数(厚生省調)
博多 発      六〇,九一七名
仙崎 発       九,九一七名
函館 発         二〇五名
佐世保発         二八六名
計        八二,九〇〇名

これは帰還希望登録者数に比し一六%に過ぎないことを意味する。

(四)特に北鮮へ帰国の場合について

ここで特に北鮮への引揚について述べると、一九四六年三月一九日締結の米ソ協定に

「日本より北鮮に引き揚げるものは、かつて北緯三十八度以北に居住し、かつ、同地域で出生した朝鮮人一万名とす」と記され、さらに連合軍総司令部は

「日本にいる北鮮人一万名以内の引揚は、一九四七年三月九日から十五日までに実施される。この一万名は北緯三十八度以北の朝鮮に生まれたことを条件として、一九四六年三月十八日より前に帰国希望を登録した九,七〇一名の朝鮮人及び北鮮に生れかつ、三月十八日より前に登録しなかつたもの、又は、その後に意思を変更した帰国希望者その他の朝鮮人を含む」

と発表した。

ここで注意すべきことは、北鮮への計画送還が南鮮へ帰国の場合に比し約一ケ年遅れており、かつ、以上のような制約があつたことであるが、一九四七年一月末日本政府が北鮮帰還希望者を改めて調査したところ、前述の帰還希望登録者九,〇一七名に対し、一,四一三名即ち約一割五分に減少し、しかも、その内、現実に送還したものは、

三月十五日  大安丸で    二三三名
六月二十六日  信洋丸で    一一八名
計                 三五一名

に過ぎず、当初の登録者数の実に四%弱に過ぎなかつたことである。これらの人々は何れも佐世保から興南に引揚げている。

このように連合軍総司令部からの指令もあり、日本政府は当時屡々朝鮮人に対し警告を発し、彼等の帰国に関し最善の努力を払つたに拘らず以上のような結果に終つたのである。殊に北鮮への帰国はその場になつて殆んど希望者がなかつたと云える。

そこで問題は、終戦の翌年、帰国希望者が五十万人も登録して置きながら、何故その場になつて、その一割六分しか帰国しなかつたのかと云う理由である。

(五)朝鮮人は何故帰国を急に取り止めたか?

この原因を究明することは非常に重要である。

何となれば、その後に至つて、朝鮮人は再び帰国を熱望するに至つたからである。しかも今回は前回と異り、その殆んどが北鮮いき希望者であることである。而も北鮮出身者でもない。そればかりではない。若しさきの帰国希望登録先きが正しいなら、彼等の大半は前には南鮮行きを希望していたものでありそして今は北鮮へ帰国を希望していることになる。これはどうした事であろうか?

更にここで想起されねばならないことは、彼等はさきに、日本政府から「この機会を逸しては、将来商業的航行が自由になるまでは、日本政府の責任による送還はできない」と再三警告を受け、それを承知の上で、既に帰国希望登録まで済ませて置きながら、勝手に帰国を取りやめたものであることであつて、従つて当然のことながら謂わば、日本政府の負担による帰国の特権の喪失者と看做されても致し方がない人達であるということである。

更に云うならば、当時連合軍総司令部が、朝鮮へ帰還するか、日本に残留するかは全く各個人の自由意志に委せる方針を取つて居つたことは確実であり、そのため日本政府は帰国を強制できずに困つた立場に置かれたことも事実であり、更に、米ソ協定には北鮮への帰国者数を一万名に制限と云うよりも、大幅に決めた事も事実だし、それにも拘らず殆ど帰国希望者がなかつた事も事実であるということである。

勿論この場合でも、計画引揚実施期間中に病気その他の事由によつて引揚げの機会を失つたものもあつたが、これら引揚の機会を失つた人々に対しても、日本政府ではその事実を審査した上、佐世保から、日本政府の負担で引揚を行い、そしてこの方法によつて帰国したものは一九四七年二月から一九五〇年五月まで三年間に一六,九九〇名に上つた。故に彼等は帰国しそこねた人達でもない。

但、北鮮帰国希望者については、同様の方法によつて舞鶴から引揚げようとしたところ、たまたま南北戦乱の勃発にあい、引揚を中止し日本に止るのやむなきに至つたものが六二七名ある。

故に、厳密に云うならば、この六二七名だけはその意思に反して日本に残留したものと看做し得ようが、その他の約六十万の在日朝鮮人は尽くその自由意志によつて日本に留ることを選んだものであり、且つ、商業的航行が出来るまでの間は、日本政府の負担で帰国する特権を自分の自由意志により放棄したものと看做し得ることは明白である。

従つて一九五〇年十一月十九日連合国総司令部が

「本日以降非日本人の自発的引揚は本人の責任である」旨日本政府に指示し、右指示に基き日本政府がその引揚業務を終了したことは当然のことであると云える。

それならば何故在日朝鮮人は終戦直後あんなに猛烈な勢で帰国して行つたのに、僅か半年も経たない内に突如として掌を返す如く、帰国を取り止めたのであろうか? その理由は改めて究明されねばなるまい。

ここで先づ断つておかねばならないことは、それがガラ空きの送還列車を動かし、帰国につき、あの困難な状況の下で万般の手配を行つた日本政府側の意図に基くものでないことは明かであり、従つてその原因は一つに在日朝鮮人の心境の変化にあつたと見なければならないと云うことである。

しかるにその心境の変化は、次のような客観状勢の変化を見れば十分理解できる。

先ず当時、朝鮮に於てはコレラの流行、大洪水及び朝鮮鉄道のストライキ等があつた。そのため三回に亙つて送還が一時中止された(前掲「在日朝鮮人運動」参照)。

朝鮮の政情も穏かでなく、一時成功しそうに見えた南北統一も不可能となつて行き、就中経済的困難は増して行つた。これに反し日本は終戦直後一時混乱状態に陥つたけれども秩序は間もなく恢復された。乍併大破壊を受け、インフレは昂進し殊に食糧事情は逼迫し、都会では半飢餓の状態に陥いつた。しかし、それは日本人に対してであり、連合国民に対してではなかつたのである。殊に朝鮮人の場合は、今迄とは打つて変り、戦勝国民となり、治外法権が認められた。それが彼等にとり、どんなに気持ちよかつたかは想像に難くない。単に精神面に於てのみならず、物質面に於ても、彼等は日本人が住む家なく、着るに衣なく、飢餓にあえいでいる最中、その特権を利用してあらゆるボロ儲けをすることが出来た。換言すれば朝鮮人にとつては、今迄地獄だつた日本が突然天国になつたようなものである。

彼等は独り故国への帰国を取り止めたのみならず、一旦帰国したものまでが再び日本に逆戻りするに至つた。これが戦後密入国の始まりである。これに対しては更に強制送還の方法がとられたが、その情況は次表の通りである。

上記は確認された数だけであつて、調査は日本警察庁にかかる。

(六)そこから出てくる結論は何か?

ところで、もし朝鮮へ帰ることを希望していた五十万人の朝鮮人――それは当時の在日朝鮮人六十万余の殆んど八割以上である。若し彼等が予定通り帰つたとしたならば、現在在日朝鮮人の数は数万に過ぎない事になつたであろう。それでも在日華僑の倍の人口である――が、日本が居心地がよく朝鮮が居心地が悪いという理由で帰国を取り止めたという前記の推定が正しいならば、その逆の現象、即ち朝鮮人にとり日本が居心地が悪く朝鮮が居心地がいいという事態が起れば、彼等は再び猛烈な勢で朝鮮へ帰るという現象が起つて来る筈である。

そして正にこの様な現象が今次の朝鮮への帰国希望者が再び増えてきたという理由なのである。それ以外に理由は考えられない。ただ終戦直後と異る点は、今回は南朝(ママ)へ帰国を希望する人は非常に少く、これに反し、北鮮へ帰国したいという人が非常に多いということである。それは朝鮮本土に於ける情勢の変化によるものである。或はもつと厳密に云うならば、朝鮮半島に対する在日朝鮮人の認識の相違にある――それが客観的に正しいか否かは別として。この事実はまた彼等の大部分は南でも北でもよく、要するに食つて行けるところならよいと云う事をも裏書する。

以上の推定が正しいならば、更に次の推定も成立たねばなるまい。即ち、

今後、日本の情勢が更に変り、一部朝鮮人に対しても日本が住みよくなり、或は、在日朝鮮人の朝鮮本土に対する認識が変わるならば、これらの朝鮮人は四度その意思を変更し、日本に留ることを望むということが起り得るということである。そしてこの場合、帰国が各人の自由意志に基くものであり、而して日本が自由主義を維持して行く限り、彼等をその意に反して帰国させることは出来ないのである。この点は深く考える必要がある。

しかし、それは仮に起るとしても、将来のことであつて、ここ当分の間は日本に関する限り、日本の政治殊に経済状態が安定し繁栄して行き、日本人にとつては生活が楽になつていつても、在日朝鮮人にとつては――その全部ではないにしても、少くもその相当部分にとつては――生活は反つて苦しくなつて行き、これが改善される見透しはない。そしてこの場合、これらの朝鮮人を大量に受入れる可能性のあるのは、南鮮よりよりも寧ろ北鮮の方であるということであり、そして在日朝鮮人は思想的理由からよりも寧ろ生活の必要性から、簡単に北鮮への帰国を希望しているのではないかと思われる。

この場合大切なのは意思の自由であるが、それがどこで本当に自由意志により深く反省した上のことであり、どこまでがマスコムニケの結果であり、そしてどこまでが強制によるものかは簡単な問題ではない。乍併、終戦当時とその後の状況とを仔細に検討した場合、日本が自由主義国である以上、多少の宣伝がその間に行われたとしても大衆はその一身の利害浮沈に係る場合案外正しい判断を下すものと思われる。この場合大切なことは、極端な宣伝工作が外部からも内部からもなされないことである。

この故に、この問題は一見したほど簡単な問題ではなく、全く政治や思想の面から離れ純人道的見地から各人の真の幸福に合致するよう解決されなければならない問題なのである。またそうであればこそ、ここに赤十字の果たすべき役割があると思う。何となれば赤十字は本来政治や思想には関係ない団体であり、各個人一人一人の人道的要請を第一義的に取り上げることを以て本来の任務としている団体であるからである。しかしこの場合でも日本赤十字だけの認定でこの問題を解決しようとしたのに対し韓国赤十字が心配した気持ちは理解出来る。

従つてこの問題は深く検討されねばならない問題と思われるので、稿を改めて分析して見たいと思うが、ここでは単に、日本人の生活が楽になるのに反比例して、一部在日朝鮮人の生活が苦しくなつて行く状況を、左記統計によつて一応疎明するに止めて置く。(厚生省調)

即ち此の表の分析は、四年前の状態に比し(その当時でも朝鮮人方が苦しかつたわけだが、その点を仮に同じ水準100にあつたと仮定しても朝鮮人の生活が日本人の生活よりも更に二倍半も苦しくなつて行つたことを証明する。或は三年前一部朝鮮人の生活が、一部日本人の生活より五倍苦しかつたとすれば、今では十二倍苦しくなつていることを意味する(第五表参照)。

(厚生省社会局事務官 福田芳助氏「在日朝鮮人の生活保護について」
 月刊雑誌「親和」第三十三号十一頁)
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また、医療扶助費についても、一九五四年六月から一九五五年六月迄の一ヵ年間に、日本人の場合は一割方増加しているに過ぎないのに、朝鮮人の場合は五割強も増加しており、又犯罪率に於ても、現在日本人の約五倍である(尤も多少減少の傾向にあるが)。これらも生活の困難を物語るものと云えよう。

そしてここで忘れてならないことは、この在日朝鮮人の生活が困難となつて行き、帰国以外に解決の方法がないということは、在日朝鮮人共通の問題であつて、北鮮系、南鮮系もしくは中立系だけの固有の問題ではないということであり、従つて在日朝鮮人の国籍や政治やイデオロギーとは無関係な問題であり、そのような角度からでは解決出来ない問題だということである。

この点を正しく把握しないと、問題を全く取り違えて果うことになり、とんでもない政治的或は法律的論争をまき起し、その犠牲となるのは、在日朝鮮人全体だという事になるということである。

それがどのようなものであるか次に述べて見ようと思う。

二、とんでもない誤解

今、北鮮、南鮮及び日本の間には、在日朝鮮人の帰国問題を巡つて様々な誤解が生じている。その中には驚くべきものさえある。これらの誤解はその一つ一つを取り上げてよく考えて見ると何れもそれ相当の理由のあるものばかりである。それでいて相手方側から見れば思いも及ばぬ誤解であり、ものによつては滑稽にさえ見えるものがある。これらの誤解は速かに一掃する必要がある。何となれば、誤解は常に当事者の本意に戻るような結果を■すものであるからである。

(一)北鮮側の誤解。

北鮮側では、日本政府や日赤の言明に拘らず、在日朝鮮人を北鮮へは帰さないというのが、日本側の本当の腹だと見る思想が一般に執拗にこびりついている。最近では、日赤に対してはそれほどでもなくなつたが、乍併、日赤は日本政府の意に反したことはやれない事からして、日本政府に集中攻撃をしている傾がある。即ち、日本政府は口では在日朝鮮人の北鮮への帰国は自由であると称して居りながら、その実現が出来なくなつた今日、それを打開しようという努力を少しも示さず、寧ろ心の中では、それをもつけの幸として、対岸の火災視しているように伺われると云う思想が殆ど北鮮系の人々の間には、行き亙つていると云つてよい程である。だからこの際日本政府の責任を追及することが、目下の急務であると彼等は考えている。

さきに興安丸や小島号に是非乗せろと云つて坐り込みが起つたのは、このような事情による。即ち彼等は、日本政府が彼等の帰国を阻止しているという考えがこびりついているので、この場合、韓国側の安導券なしに乗船したら途中で韓国側に捕まり、北鮮へではなしに、南鮮へ連れて行かれてしまう危険があるということを、いくら説いて聞かせても、それは単なる日本側の言い逃れに過ぎないとして、これを受け付けなかつた。そうなると日本側は日本側で、彼等は全く悪意であり、単に騒動を起すのが目的に過ぎないと考えるに至つた。

現在、朝鮮人を乗せる船が一つもないという事態に立ち至つても、彼等はそれが果して韓国が手を廻したためかどうかについては疑を持ち、寧ろ日本政府が裏面から手を廻したのではないかと疑つている。これ等は、日本側から見れば、想像も及ばないことであるが、在日朝鮮人の中にそのようなことを真面目に考えているものがあることは事実である。

従つて又、国際委員会が乗り出して来たことについても、それがどの位重要性があるかについては深く研究しようともせず、それは結構なことに相違ないが、どうせ韓国側の反対で失敗するに決まつていると簡単に片付けた上、そのようなことを日本側がさも重大事件のように宣伝するのは、日本政府及び日赤がこれを以て、もつけの幸とし逃げようとたくらんでいるからであると看る。従つて彼等朝鮮人としては、このような仮象に迷わされることなく、どこまでも日本政府の責任を追及して行くべきであるとする。

これらの思想の根底には、日赤はさて措き、日本政府さえその気になるならば、自分等の帰国は出来る筈だということが前提になつている。そしてこの場合、日本政府は、韓国に気がねして、それだけの理由のために、自分等の帰国を阻止しているのだと一途に思い込んでいるのである。

乍併この考えが誤つていることは、次のことを考えれば思い半に過ぎるであろう。

即ち、日本政府は、はつきり云えば、厄介な朝鮮人を日本から一掃することに利益を持つ。もしポーランド政府が東プロイセンから一切のドイツ人を追払つてしまつたように、日本政府が第二次大戦後の領土変更に関する新らしい国際慣例に従い、日本に居る朝鮮人を全部朝鮮に強制送還できたならば(中立系の人々はそれを恐れている)、日本の人口過剰の点からみて利益があるかどうかは暫く別とし、将来長い眼で見た場合、日本と朝鮮との間に起り得べき紛争の種子を予め除去したことになり、日本としては理想的なのである。

しかるにそれをやらないのは、日本が自由主義国家の一員であり、本人の意思に反して罪もないのに故国へ還すことをしないからである。そして故国へ帰りたい人については、■に述べたように、終戦直後彼等に帰国の登録をさせ、あらゆる手筈を整えて居つたものであつて、彼等も当初は、その積もりで居たものが、後になつて勝手に取りやめたために、それだけの理由で実行出来なかつたのである。その後朝鮮人は三度翻意する至り再び帰りたいと云いだしたのであるが、その時には既に国際情勢が変化したのでやれなくなつてしまつた。それにも拘らず今日本政府は、この新らしい国際情勢の下で彼等を帰そうとしているのである。それが今回の赤十字国際委員会の線なのである。

乍併、彼等には何故にそんなヤヤコしいことをしなければ帰国できないのかと云う事がなかなか納得行かない。しかし、それは戦時法規や国際法に通じない人々にとつては無理もないことである。殊にそういう人達は大概これまで虐げられてきている。この点は日本側としてよく理解する必要がある。換言すれば、一部の朝鮮人が座り込みをやつたり騒いだりしたからとて、それは無知の結果であつて、悪意によるものでないことを正しく理解する必要がある。この心構えなくしては彼等の誤解を解くことは出来ない。

(二)南鮮側の誤解。

もし北鮮側の誤解が主として国際法規の無知からくると云い得るならば、南鮮側の誤解は主として日本の外交政策に対する不信からきていると云い得る。

即ち、韓国側から見れば、もし在日朝鮮人がどんどん北鮮へ帰るとなると、次には北鮮と日本との間に自由往来の途が開け、やがては北鮮と日本のとの間に国交が開けてくる。これは韓国にとつては耐え得ないところであり、そのような危険を敢えて冒そうとして顧みない日本政府の態度は韓国に対し、少くも非友誼的である。加之これは国連の精神にも違反する。しかるに日本は国連精神を強調しているのだから、このような運動を阻止する義務がある。思うにこれが韓国側がやつきになつて在日朝鮮人の北鮮帰国に反対する真因でないかと思う。

乍併、このような考えは日本側に毛頭もなく、日本側としては全く意外な感に打たれるが、韓国側とすれば心配に堪えない点であり且つ根底の深いものであろうことは理解できる。

何となれば、現に北鮮政府は帰国の問題と自由往来の問題とをある程度絡ませ明確に区別していないことは事実であり、そしてソ連の場合はそうでないにしても、少くも中共の場合は引揚の問題から自由往来へ滑り込まうと試みたことがあり、そして双方とも貿易を通じて国交樹立へ進まうとしているからである。中でもソ連とは国交樹立に対する交渉が現に行われつつあり、そうなればやがては中共及び北鮮とも国交が開かれるのではないかと思うのは無理もない。

乍併、ここで注意しなければならないことは、ソ連の場合と中共の場合とでは既に相当の開きがあるが、それ以上に北鮮の場合と中共の場合とでは、一層大きな差違があると云うことである。即ち、

ソ連の場合は領土問題があるが、ソ連自体は二つに分かれているわけではない。又在日ソ連人の数は殆んど取るに足りない。

中共の場合は、領土問題こそないが、中共と国民政府とに政権が分かれており、そして国民政府と日本との間には正式外交関係があり在日華僑の数は遥に多い。人口、資源、面積の点から云つても中共と台湾とでは比較にならない。

ところで朝鮮の場合は、南北に分かれており日本は未だ北鮮とも南鮮とも外交関係を樹立して居らず、在日朝鮮人の数は六十万に上つている。南鮮は北鮮より人口も多く且つ国連により朝鮮に於ける唯一の合法政権として認められている。そのため中共の場合は各国の承認は殆んど同数に近いが、北鮮の場合は、北鮮を承認している国は殆ど共産圏の国々だけに限られている。

以上の如く、朝鮮の場合とソ連又は中共の場合とでは事情が著しく違つて居り、朝鮮の場合の方が遥に複雑しているので、在日朝鮮人を多少北鮮へ送還したからといつて、それだけのことで何も日本と北朝(ママ)との間に政治的な密接な関係を生ずるような、簡単なわけには行かない。反つて在日朝鮮人の問題さえ片付けば日本側としてはサバサバして、日本と北鮮との関係は寧ろ問題が無くなつてしまうことになる。

それに生活の出来ない朝鮮人が日本に居なくなることは、在日朝鮮人全体の生活が楽になることであり、それ丈け赤化の対象が無くなり又在日朝鮮人中の南鮮側の比重が重くなることになる。

李承晩政権はこれ迄非常に排日的だつたと日本側では感じているが、それにしても同じ自由陣営に属する国であるだけに、北鮮よりは遥に信頼が置ける。その南鮮を袖にして日本が北鮮に接近する等という事は考えられない。

だから韓国の心配は杞憂であり、根拠がないと私には思える。

(三)日本側の誤解

日本側では北鮮が在日朝鮮人の帰国を強要しているのは、人道に籍口(ママ)して政治的野望を達成せんとするものであつて、謂ゆる平和攻勢の一環と見る向きが多い。

これは北鮮側から見ればとんでもない誤解かも知れないが、われわれ日本人から見れば北鮮側の在日朝鮮人帰国問題の中には、自由往来の伏線がかくされており、国交樹立と迄は行かないにしても少くも貿易その他と併せそれに近い線を打ち出そうとしていることは否定できない気がする。しかしながら――、

だからと云つて北鮮側が口で帰国を奨励して置きながら、裏からそれを阻止しようとしていると見るのは穿ち過である。

又帰国希望者の中には政治的目的で渡航しようと考えている人があるかも解らないが、そういう人はいくらでも他に密出国の手段を持つているであろうし、又その数は知れていると思われる。従つて大部分の人達が真に帰国を熱望している人であることに間違はない。

現に日赤の前に坐り込みをした人達に対しても、彼等が座り込みをやつているのは帰れないと云う事を知つているからであつて、愈々帰れるということになつたら皆帰らないだろうと密に日赤に忠告していた筋もあつた。しかしそのような事は少しも起らなかつた。彼等が自費出国の線を打出し自ら船会社に交渉し切符を買つたのは、一つにはそのような誤解を解き真に帰国の希望を表明したかつた為めと、一つには果して日本政府が実際に出国の自由を認めているか否かを検証したかつた為の悲壮な決意に出たものであつたのである。

又彼等が東京から三池に行く途中駅々で遠くから見送りに集つてきた朝鮮人の中には老婆や子供もあつたが、彼等は涙を浮べて喜んでいた。れは(ママ)彼等がこ(ママ)それまで到底不可能だとあきらめていた自由出国が出来たことを目の当り見、彼等にもやがてその番が来ることを知つた喜びの涙であつたのである。

在日朝鮮人帰国問題の中に和平攻勢に関する意図が仮りに含まれているにせよ、それを切り離し別個に処理をすることが可能であることは見落とされてはならない。何となれば、若し北鮮側でこれを切り離さないならば、帰国問題は行き詰り、帰国問題が行き詰るなら、自由往来等問題でなくなるからである。従つて北鮮としては帰国問題と自由往来とを別個に切り離すことに利益を持つ。

そして現に朝鮮総連では、帰国問題は人道問題として在日朝鮮人全般の問題であり、超党派的問題として政治問題から分離する方向へ向かいつつあるように見受けられる。

現在朝鮮総連は国際委員会の線を支持しており、そのため一ヵ月に亙る日赤名古屋支部の座り込みも、この見地から中止された。換言すれば、在日朝鮮人の帰国問題の中に政治的目的が包蔵されているにしても、それを切り離すことは可能であり、そして現在はその方向に向いつつあるが但、日本政府は御座なりで、帰国問題を真剣に考えてくれてないと見ている。

今一つの問題は、さきに述べた様に日本政府は終戦直後約一八〇万の朝鮮人の帰国を計画し、その中、一三〇万は実現したが、残り五十万については、日本政府の再三の警告と努力とに拘らず、それを承知の上で銘々の自由意志に基き居残ったものであるので、日本側から見れば、政府の手による帰国の特権喪失者であり、出国は依然自由であるが、今更これを援助する義務はなく、彼等としても、これを要求する権利はないという見解についてである。

乍併、この見解を認めるにしても、少くとも六二七名の人が南北戦争勃発のため帰れなくなつたものであり、自らの意思によつて勝手に居残つたものでないことは明かである。

次にその余の帰国希望者については、法理的には前記の見解が正しいとしても、赤十字の原理から云うならば、状況が著しく変化した今日、その当時の決定を現在支持することには無理があり、現在帰国を希望している人達に対してはそれが実現出来るような方法を発見してやるのが赤十字精神に副うものであると考えられる。赤十字は過去の経緯を問わない。但し、それをやるには、今の場合、赤十字国際委員会の手によるのが一番よいと思われる。

三、赤十字国際委員会の立場

在日朝鮮人の帰国問朝(ママ)につき、赤十字国際委員会がどのような役割を演じ得るものであるか? われゝはそれに対し、どのような期待をかけることができ、従つて国際委員会が乗り出してきた場合われゝはどのような態度でこれに応ずべきであろうか?

この問題につき述べるにあたり、先づ予備的智識として、赤十字国際委員会とは何者であるかについて一言解明しておくことが、無駄ではないように思える。何となれば、世間の極く限られた一部の人を除いては、赤十字国際委員会がどんなものであるかを知つている人は殆んどいないと云つてもよい位であるからである。

このこと自体から直ちに云えることは、この赤十字国際委員会が後に述べる如く、各国赤十字にとつては非常に重要な役目を演じているに拘らず、如何にその活動がつつましやかなものであり、凡そ世俗的な名声や与論の動向などには無頓着な存在であるかがわかるということである。

赤十字国際委員会は、政治や権力や及至は世論によつて動くものではなく、赤十字の原則によつて動くものであり、それによつてのみ動くものである。故に場合によつては、世論の不評を買うことを意としない。

赤十字国際委員会は二十五名を超えないスイス国籍人からのみなつている一つの委員会で、その本拠はジュネーヴにある。一八六三年即ち今から八十三年前の創立にかかり今日迄続いている。換言すれば国際機関としては最も古い存在であり、その歴史は赤十字そのものの歴史である。変転窮まりない国際情勢の中にあつて、独り赤十字国際委員会のみがこのように長続きしている理由は、この委員会が今日見るような盛大な世界各国の赤十字の生みの親であり、その尊敬の的であるからである。そして今日でも赤十字精神の番人としての役目を各国赤十字社から委託されており、その推進力として最善を尽そうと常に心掛けている。凡ての新らしい赤十字社が国際的に認められるためには、先づ以つて赤十字国際委員会の認可を要する。それほど権威の高い国際機関なのである。

この機関の一番の職責は、移り変る世相に照らし、その時代、その時代に、最も適切な赤十字の原則を作り出して行き――云はば発明して行き――以つて赤十字精神を絶えず刷新してゆくことにある。そのよい例は一九四九年ジュネーヴ条約の発案や又目下研究の原子戦に関する条約案等がそれである。此の場合赤十字の精神又は原理とはアンリ・デュナンがたまたま旅先でソルフェリーの会戦に遭遇し、戦場の惨怛たる有様を見て、彼がその時まで手がけていた一切の仕事を放擲して、敵味方の区別なく、且その場のあり合せの手段で、出来るだけ多くの負傷者を世話したあの博愛の精神を世界的に組織的に実践することにある。この「世界的にやる」という事がアンリ・ヂュナン(ママ)の着想であり、ナイチンゲールとの相違である。(ナイチンゲールは世界的組織には考え及ばなかつた)

だから赤十字の原理とは測憶の情であり、理屈ではない。故に赤十字の行動は組織的、計画的ではあるが、また一方では臨機応変的なもので一定の枠はない。頗る融通性に富む。そしてその特徴は人命の尊重を第一義として苟も苦難にある人を人種や思想や善悪の差別なく救うことにある。その人の苦しみが、その人の自業自得であろうがなかろうが、その時の政権に左右されたためであろうが、反抗したためであろうが、それが犯罪人であろうが、逆賊であろうが、敵人であろうが問わないのである。これが赤十字の特徴である。

だから赤十字国際委員会は司法機関ではない。裁定機関でもない。赤十字国際委員会に理否曲直の判定を求めるのはお門違いである。それは、国際司法裁判所の権能である。

赤十字国際委員会は権力機関でもない。故に赤十字国際委員会に国際政治的或は外交的解決を求めることは出来ない。それは国連の問題である。

しかし、世の中には法律や政治や権力だけでは割り切れない問題であつて、しかも、どうしても放つておけない問題がある。そのような問題が赤十字の対象となつてくる問題なのである。

それは両国の軍隊の食うか食われるかの戦の最中に遺棄され、誰れにも省みられない負傷兵の問題である。同様に南北のはげしい対立の結果、帰国することも、留ることもできない一部朝鮮人の問題もそれである。何れも誰かが世話をするのでなければ、死んで行くか、非常な苦しみにあえぐ外はないのである。といつてどの政府でも独力では解決できない問題である。否、彼等の運命を救うための相談さえ、関係政府が寄り集つてすることが出来ないのである。だから、この問題には国際委員会が出てこなければならないのである。

もし在日朝鮮人の問題が、現下の国際状勢に於て、日本政府、或は北鮮政権及至は韓国側の一存で解決、阻止又は整調できる問題であるならば、――或は一存ではやれないにしても、協同討議のため会合ができるものであるならば――なにも赤十字国際委員会の手を煩わす必要はない。しかるにそれがやれないのである。この事は一見誰にでも納得が行きそうであつて、実に案外そう思う人は少く、現に日本にも北鮮にも又韓国にも、それゞ自分の国の力だけでその思う通りに仕末ができると考えている人がある。

しかしながら、実際にいろゝやつてみると一国の力だけでは駄目だということが次第に判つてくる。そして最初からそう考えていたのが日本政府であり、又日赤である。

北鮮でも南鮮でも及至は日本でも自分の一存で、或は関係当事者の内の二つの間だけでこの問題が思うように処理できると考えられている間は、在日朝鮮人の問題は決して解決されない。これが日本赤十字社の見解である。換言すれば、日本赤十字社は、在日朝鮮人の問題を解決するには、どうしても、三国が協力するのでなければ、誰れの希望にも副うような事にならないという認識が、三当事国の間に速かに成立することを要するという見解の上に立つ。

或は、そんな問題は放つておいてもよいという人があるかもわからない。しかしそれは在日朝鮮人の苦境を知らない人の言である。

大体在日朝鮮人の中、或る者が北鮮系だ、他の者が南鮮系だといつてみたところで、彼等は同じ血を分けた朝鮮民族の一員であり、そしてその一員一員をとつて見るならば、それほど戴然と区別されているわけではない。

そして、その全部ではないにしても、少くも一部は――正確に云えば、その約一割は――このままでは日本で生活ができず、又は生活することを好まない十分の理由があり、それ故に帰国することを死ぬほど望んでいるのである。同じ朝鮮民族として、その気持は北鮮にある同胞でも、南鮮にある同胞でもわかる筈である。またわれゝ日本人としては少くも半世紀に亘り、同じ同胞として生活を共にしてきた朝鮮人に対し、彼等をそうでなかつた外国人と一緒に、普通一般の外国人として割り切つてしまうのは、法律的に又政治的には正しいとしても、人間的には――或は情誼的には――どうかと思うというのが日本赤十字の考えである。

四、見透しについて

さて以上述べたところにより、在日朝鮮人帰国問題に対する今後の見透しは、次のようなこと以外になり得ないことは、既に自ら明らかになつてきたと思う。

(一)先づ日本赤十字としては在日朝鮮人問題の解決については赤十字国際委員会の出方に待つ。

(二)赤十字国際委員会は各当事者からの回答の出揃うのを待つている。

(三)これが出揃えば、それが肯定的なものであれば、在日朝鮮人帰国問題は急速に解決されて行く。

(但、「急速」と云つても一つ一つ筋を透し段階を踏まねばならないから、それだけの時間は必要であること勿論である。)それに連れ他の問題(生活問題、文教問題、収容所の問題等)も容易にされてゆく。

(四)在日朝鮮人の問題が解決されてゆくことは、当然、北鮮、南鮮及び日本に取りそれぞれの利益に合致する。何となれば、赤十字会議は国力を背景とする力の会議ではないので此の場合、どれか一国にとり不利なような解決案が採択される気遣がないからである。とはいつても必ずしも各当事者にとり理想的な解決にはならないかも知れない。しかしながらそのような場合でも、現状よりは遥かに増しであるに相違ない。何となれば現状のままに終るならば、会談をした効がないからである。

(五)又在日朝鮮人の問題が解決されたからといつて、必ずしも日本と北鮮との政治関係が密接になるわけではない。何となれば、政治問題は赤十字の力によつて解決できる問題でもなければ、又赤十字の活動によつて影響され得る問題でもないからである。戦場で負傷兵を救護したからといつて勝敗が決まるわけではない。

(六)若し当事者の回答が出揃わず、又否定的であつた場合、国際委員会がどのような態度に出るかについては日赤は何等判断の資料を持たない。

ただ一つ明かなことは、そのような場合国際委員会がこの問題から手を引き、在日朝鮮人の帰国問題をそのまま放つぽりかえしにして置かないこと丈けは確かであると思う。何となれば、赤十字の番人である国際委員会が、その存在理由を放棄することは考えられず、而して、本人の自由意志により生活の本拠を選択する自由が、国際状勢の困難なため、赤十字以外の力ではやれない事明瞭な場合、これを援助することは赤十字の存在理由であるからである。

(七)赤十字国際委員会としては、在日朝鮮人帰国に関する全般の問題につき包括的な提案を行つた以上、これに対する決定を見るまでは個別的な問題の処理は差控える。(例えば今問題になつている大牟田の四十八名の帰国問題、或は学生グループの帰国問題)

(八)日本赤十字としては、右国際赤十字の線に沿つて行動することを既に約束した以上、日本赤十字としても、個別的問題をこれ迄のように援助することを差控えねばならない。

(九)このような態度は一見硬なに見えるかも解らないが、少数者をも含めた全体の問題の解決に支障を起させないためには已むを得ない。

(十)乍併、この場合でも個々の朝鮮人が勝手に帰国することは、日本の法制上自由であり、それまでをも差止める意思も権利も日赤にはない。

(十一)その間帰国出来ないことから生ずる在日朝鮮人の生活保護の問題については、現行法上、又は行政上、日本政府の責任又は権限であつて、日赤の権限ではない。

大体、引揚それ自体は日本政府の仕事であつて、日赤は只日本政府がやれない場合、そのやれない限度に於てのみ代行するに過ぎないのである。

乍併、その場合日赤が援助をしたからとて赤十字の原則に背くものでないことは云うまでもない。只、今の日赤にはその力がないだけである。

(十二)在日朝鮮人引揚の問題は、日赤の考えでは、何処迄も人道問題であり、政治問題ではないが故にこれを援助しているのである。

もしこれが人道問題でなくなり、政治問題に転換するようならば、日赤はこの問題から手を引くより外はない。

(十三)日赤は姉妹社として、北鮮赤十字及び韓国赤十字を深く信頼しており、国際委員会には深く敬意を表している。そして両赤十字は日本に居る朝鮮人を政治的色彩によつて区別扱いしているのではなく、同胞として人道的立場から、国籍や政治問題とは離れて、その運命を気遣つているものと諒解しており、従つて帰国問題を政治的掛引に利用しようという意図のないことを確信している。

何となれば、赤十字としては、誰れ彼れの区別なく一律公平に、国籍や、思想や、敵味方や、犯罪者や、反逆者や、その他過去の経緯やを問わず、各個人の人道的要請に応じ、そのためにのみ立ち上がることが、その存在理由であるからである。故に、在日朝鮮人としては、三社が協力して赤十字国際委員会の指導の下に、此の問題を急速に解決せんと努力する方向に向いつつあるものと期待する権利がある。換言すれば、在日朝鮮人の問題は今や、国際赤十字の「ランプ」の光によつて照らし出され、見透しは幾分明るくなつた。但し、この光は微かな光であり、道は平坦ではない。よく足もとに注意し、よそ見をしないで、此の光を見まもり、これについて行く必要がある。これが結論である。

一九五六、八、二〇記
於 日 赤 本 社
井上外事部長

参 考 書

篠崎平治著「在日朝鮮人運動」
令文社発行  定価 一八〇円
東京都豊島区駒込二の三〇一

日刊労働通信社発行「北鮮の解放十年」
東京都港区芝公園(中労委会館)
定価 一八〇円

金三奎著「今日の朝鮮」
河出書房発行  定価 一二〇円
東京都千代田区神田小川町三の八

李東準著「日本にいる朝鮮の子ども」
春秋社発行  定価 一八〇円
東京都千代田区神田宮本町一〇

Edward Wagner:“
The Korean minority in Japan
Institute of Pacific Relation
New York City, U.S.A

厚生省社会局事務官福田芳助記
「在日朝鮮人の生活保護について」
月刊雑誌「親和」第三十三号
日韓親和協会発行
東京都千代田区霞ヶ関一の一

『在日朝鮮人帰国問題の真相』日本赤十字社 
一九五六・八・二十 外事部長 井上益太郎

*「北鮮」、「南鮮」、「中共」等表記は、原文のまま記述。
*文中、下線強調がありましたが、誰によるものか判断できない為、省略しました。
*旧漢字は新漢字へ変更。ただし、一部旧漢字かどうか分からないところがありました。
*誤字、脱字等ありましたならお許し下さい。
*■は読み取れず(キム)

「在日朝鮮人帰国問題の真相・日本赤十字社」の資料転載を終えます。ここで少しばかり差別語・侮蔑語に対する「注釈」を致します。

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『「北鮮、南鮮」等、用語(差別語・侮蔑語)に対する注釈』

今回の「在日朝鮮人帰国問題の真相・日本赤十字社資料」を取り上げ転載する段になって差別語・侮蔑語に対する注釈を何処で如何に挿入するかが私にとって問題になりました。

この資料の中では「南鮮」、「北鮮」等の言葉が随所に出てくる関係、私も少し詳しい「注釈」が必要であると考えておりました。但し、私が今回この資料を転載する主要な趣旨(主題)は、北朝鮮帰国運動に関する日本赤十字社の当時の考え、主張の一端を知り共に皆さんに考えていただきたいということでした。あくまでも「差別語・侮蔑語」の問題が、主テーマではなかった為です。勿論、差別語・侮蔑語問題を軽視しているわけではありません。

それ故今回は、主テーマが、かすまない様あえて、注釈を最後に持ってこようと考えました。

私が注釈の参考にと考えていた文献は、『新版 朝鮮にかかわる差別表現論』明石書店編集部編 1992年8月25日新版第1刷のものです。

本書前書きを紹介致します。

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「出版社としての自己批判と今後への決意」

弊社刊行物(『文学の中の被差別部落像 戦後篇』)の中で「北鮮」「南鮮」という差別語が安易な形で記述されたまま出版してしまったことについて、出版社としての自己批判を具体的な形で明らかにするために、弊社のブックレットで、この問題の経緯と問題点をめぐる特集をくむことにいたしました。

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中では、

「北鮮」の用語にみる日朝関係(内海愛子)

V 朝鮮にかかわる差別表現(梁泰昊)

の記述もあります。

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こうした経緯が少なからずあるにもかかわらず今なお「差別語問題」があとをたたないのは、これらの教訓が社会的な共通の理解にまで広がっていないことの結果と言えよう。言葉は事態の反映であるとすれば、差別用語が使われるということは、社会に差別的実態があるからと言わざるをえない。

私たちはそれをたんなる用語の問題として対処するのではなく、その言葉が生まれてきた背景を検討することが必要である。何故それが誤った表現なのか、という歴史的認識を共有することが新しい時代を切り開くことになるのではないだろうか。

「差別語の系譜」梁泰昊より

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差別語・侮蔑語と言われるものには、これ以外にも「日鮮」、「内鮮」、「半島人」なども含まれるものと聞きます。また「京城」にも「ソウル」と併記する事も必要があるかもしれません。

しかし心に留めることは、「言葉の問題」に囚われ過ぎる事で、その本質を見失う事だとも考えます。 (金 国雄)

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