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[分析] お前らが歴史歪曲を言うのか? -2-

2001.3.30.金曜日

タンジ歴史是正委員会

読者の皆様に非常に感謝します。筆者はこれまでに個人メールボックスが炸裂するほど多くのメールを受け取りました。反応も様々でした。

遠くアメリカからアメリカの名前(Johnnyだったと思う)で、しかも英語で、「お前の糞穴(ass)に気を付けろ。俺はお前の日本語式 E-mail アドレスが気に入らない」と応援のメッセージを送ってくださった方がいらっしゃいました。国定教科書による徹底した反日教育がどれくらいよく叩き込まれたのかを見せてくれる生きた標本です。英語名「ジョニー」は変ではなくて、日本語名「クルマ」(クルマは我が国でも使う単語じゃなかったか?)は変だと思うのは、どの国の国民の哲学的思考法なのか分かりません。

もう一人の方はメールアドレスも公開しないまま「お前の額に斧を打ち込んでやる」とメールを送ってくださいました。これもありがたい応援のメールです。「日本」という話題の前では暴力と非理性が許されると考える驚くべき発想を自ら体現してくださって、そのうえ名前もないこの方のおかげで私の考えがより一層強固になりました。

その他の多くの方たちが私が先に投稿した拙筆の間違った点を指摘してくださいました。特に大韓教科書についての誤った情報を流したことを深く謝罪します。株式会社大韓教科書は公企業でなく、私企業です(たとえ旧国定教科書の血統の下にあっても)。 そして、株式会社大韓教科書の役職員の皆様は非常に熱心に黙々と教科書を作っていらっしゃいます。この方たちに少しの侮辱ではありますが、抱かせてしまった点を深く謝罪いたします。しかし! 大韓民国の国政教科書は明らかに官主導で編集されています。

これ以外にも多くのタンジ熱血読者の方たちが私に直・間接的なテロを加えてきました。だから、筆者は一言だけ言います。

「読者よ、君は植民地時代を生きたことがあるのか?」

何も知らない… まあ!

答が「いいえ」ならばテロメールを送るような真似はやめて、拙筆ですが筆者の文章を読んでいただきたいです。歴史とは「不可知論」から接近しなければなりません。ヨンセムの言葉どおり「何も知らないところ」から始めなければなりません。歪曲された情報や検証されていない伝説をもって、過去のある事実について未熟な判断を下すことほど危険なことはありません。

本題に入る前に面白い事実をひとつお教えしましょう。 我が国は 倫理、国語、国史 を国定教科書とする 国定教科書制度 を運用中です。この制度はどこにその 起源 を求められるとお思いですか?

次の引用文は1990年青林出版社刊行の [日本史物語] という本に出てくる文章です。もちろんこの本は「文化公報部推薦図書」という紙切れを付けています。要するに文化公報部の検閲を通った本だということです。

…… このようにして小学校の教科書は国定制度を適用するようになったが、全体の教科書に適用するのではなく、修身(倫理と同じ)、日本史、地理、国語だけを 国定教科書 にし、1904年から施行するようにした。ちょうど満州をめぐってロシアと日本が激しく対立して戦争一歩手前の状態にあったため、教育を 国家主義 で貫徹させる作業に歩調を合わせて推進されるに至った。 

この引用文の最後の文章を筆者が勝手に韓国式に変えてみます。

ちょうど歴史的伝統性をめぐって南と北が激しく対立して戦争一歩手前の状態にあったため、教育を国家主義で貫徹させる作業に歩調を合わせて推進されるに至った。 

我が国の国定教科書制度がどのように間違っているのか、これからちょっと調べてみますか? 今まで習ってきた歴史的真実が国定教科書にその根本を置いているなら、 国家主義教育 に読者諸氏の脳が汚染されているかもしれないのです。

とにかく本題に入ります。以降からは「です・ます調」は使わず「だ・である調」のみ使うことをお許しくださるようお願いします。

誰による収奪だったのだろうか?

「収奪」という言葉の辞典的意味は読者諸氏もよく知っているはずだ。「取る」の「収」に、「奪う」の「奪」だ。すなわち「取って奪う」という辞典的意味を持つ。「奪う」という動詞は「何らの対価もなく、他人の物を強制的に所有する行為」を称する言葉だ。そこに、もっと強引な意味を持った「取って」という複合動詞形態を呈している。

実際に日本帝国主義者たちは日本領朝鮮でコメを収奪して - 強制的に何らの対価の支払いもなく奪って - 行ったのだろうか?

今から読者諸氏は頭の中をきれいに空っぽにしていただきたい。何らの事前情報もない状態にということだ。 我々は何も知らない。すなわち不可知論だ。次の呪文をおよそ10回ほど暗誦していただきたい。「我々は何も知らない」と。ところで、[2001年3月1日発行の高等学校国史(下)] の139pでは次のように食糧収奪について記述している。

…… しかし、米穀収奪だけは目標どおりに遂行することによって、我が国の農村経済を破綻に陥らせた。増産量よりはるかに超過した量の米穀を収奪されることによって、我が国の農民は食料事情が極度に悪化して飢餓線上で喘ぐようになった。 

そして、国史(下)の165pには次のように民族企業の成長に関する著述が載っている。

当時の民族企業は数種類の類型に分けることができる。そのひとつは、地主出身の企業家が地主と商人の資本を集めて大規模な工場を建てたものであり、他のひとつは、庶民出身の商人らが資本を集めて新しい企業分野を開拓したものであった。

ここで一番目の疑問が生じる。では収奪の方法は何だったのだろうか?

収奪の具体的方法は?

ご存知の通り、現行の国史教科書の論調は決して日本に対して好意的でない。日本の植民地支配の誤った点は一つ一つ全て根ほり葉ほり説明している。ところが、この部分では決定的なものが抜け落ちている。まさに「収奪」が強行された方法だ。

ご存知の通り、東洋拓殖株式会社を中心にした土地侵奪についてのことはとても詳細に記録されている。土地所有申告制の執行と執行過程での雑音、そして結局全国の土地の40%が総督府により日本人たちに払い下げられた事実は詳細に記録しているのに、なぜ「糧穀収奪」の方法においては何らの記述もないのか?こういうことを一度でも疑ってみたことがあるか?奪って行ったというが、どうやって奪って行ったのか?ただ軍人たちが刀を振りかざして農民たちの前で米俵を持って行ったのか?でなければ税金を無尽蔵に取ったのか?でなければどんな方法でコメを「収奪」して行ったのか?

それなら、当然税金による糧穀収奪を疑わざるを得ないが、当時の農民に賦課された税金は地租と称した。 そして、この地租の受納方法には現金納付制度が確立されていた。 また、地租は土地の主人にだけ附与されたので、小作農の比率が高かった当時では、大慨の場合、地主階級が地租を納めていた。<註>

それなら土地を多く所有した地主階級が途方もない税金を納めたという話か?まったく曖昧で分からない。ご存知の通り、139pの叙述は「産米増産計画」を説明する際に添付された文章であるが、では増産された量の何パーセントを奪って行き、その主な方法は何だったのかを我が国の子供たちにどうやって説明するべきか?

他の資料では平均的に1500万石のコメが日本に流出したと記述されている。そして、その量は日本領朝鮮のコメの生産量の約1/3だと記述されているが、そのような莫大な量のコメが「収奪」されたのに、その悪辣で極悪な搾取方法さえ知らないというのが子孫としての道理か?

現国定教科書にはこれに関連した説明は目を洗って探してもない。

(たまに『供出』というものを挙げて説明する読者の方がいらっしゃるが、『供出』は国史(下)141pで説明されているとおり、満州事変以後の戦時体制下の軍用米充当の方法であり、日本領朝鮮だけでなく日本国内でも実施されたから、『収奪』とは完全に異なる概念であることを明らかにしておく)

ニ番目の疑問が生じる。米穀収奪で農村経済が崩壊したのに地主たちは健在?

地主とは、土地を多く保有した人を称する言葉だ。地主とは一般的な意味では「小作農制度に基盤をおいた大規模農場を所有した農民」に該当する。地主は自分の土地から産出した糧穀に基づいて富を創出するからだ。それなら、日帝の「米穀収奪」によって農村経済が「破綻」に陥ったのに、どんなお金で伝統的な「農業に基盤をおいて」いた地主階層が「大規模設備工場」(例えば紡績工場、メリヤス工場、ゴム靴工場、鉱山、精米所、釀造場等々)を建設するというのか? しかも日本領朝鮮の米穀生産の1/3が「収奪」されていた。米穀を販売して資本を蓄積しなければならない地主階級は、ではどうやって「収奪」を被り「富」を蓄積できたのか?我が国は解放後の1960年代まで伝統的な農業国だった。農業国で米穀生産量の1/3を奪われるということは経済の破綻を意味する。ところが、経済破綻が起こるどころか資本蓄積された?

小作農は収穫の50%以上を小作料として納めた。では、小作農の収入の50%から米穀を収奪して行ったのか?でなければ地主の持分の50%から収奪して行ったのか?

これまた筆者はどこにも答を求めることができなかった。ぜひご存知の読者の方、情報提供メールを送っていただきたい。

1920年代の経済状況

次は日本の教科書を調べてみよう。前に紹介した実教出版社の日本史教科書247pの内容だ。この内容は「寄生地主制の確立」という小題名の単元から抜粋したものだ。

政府の農業政策も、地主の経済的利益を中心にすすめられ、日清戦争後には土地整備などのための金融機関として、政府の手で日本勧業銀行や府県農工銀行が設立され、耕地整理法も制定された。
こうしたなかで、地主は農村における支配勢力としての地位を固めるとともに、あげた利益を農業以外の工業・金融などに投資したり、自分で事業をおこしたりした。こうして1900(明治33)年前後には、寄生地主制が確立し、地主階級は、新興の資本家階級とともに、国家の支配体制をささえる重要な地位を占めるようになった。
寄生地主制のもとで、農業生産の大部分は、収穫の5割以上にも及ぶ小作料の負担に苦しむ小作農や、零細な土地を耕作する自作農など、貧しい農民にになわれていた。

上の抜粋文は日本の農業政策についての概括的な説明中から引用したものである。言わば、 小農小産 から 巨農多産 政策に日本の農業政策が転換される中で、日本が近代に経験した農村経済の疲弊を説明する際に出てきた文章だ。何かピンと来ないか?1999年4月に発行された日本の山川出版社の [日本史研究] という本(日本の大学の日本史講義で使われる教材だ)を見ると、1873年の日本の農村での小作農と自作農の比率は27.4%と72.6%で、自作農の比率がはるかに高かった。しかし、この数値は1932年に47.5%と52.5%で、小作農の比率が圧倒的に増加する。すなわち、政策的に日本政府は地主階級を育成したことがわかる。 

日本の農業政策の酷さは以下を見れば決定的に分かる。以下は同じ実教出版社の [高校日本史] から抜粋した日本の「米騒動」についての説明だ。(p283)

1918年(大正7)8月上旬、富山県の魚津町、西水橋町、東水橋町、滑川町で、数百名の主婦や娘らが蜂起した。北洋漁業ではたらく漁民の妻や娘だった。彼女らは「おかか出ぬか」と近所の人びとをさそい、町長・地主・米穀商などの家におしかけて、米の積み出し停止や安売りを要求した。このニュースが新聞で報道されるころから、騷動は全国に波及して行った。漁村の米騷動が工場労働者、炭坑夫、被差別部落民(我が国の賎民にあたる階級)、建設・港湾労動者などを中心とした大規模騷動に発展した。(米騒動)
米騒動は4大工業地域を主な舞台に1道3府38県(ほとんど日本全国だ)に広がって行き、70万人以上が参加したと推定されている。 このころ、労働者数の増加と都市人口の増大、1917年の米収穫減少と一部地主と米商人たちの買い占め売り惜みなどが原因となって、安い価格が高騰し、 庶民たちの生活を苦しめていたのだ。 

まだピンと来ないか?当時の日本領朝鮮は「日本経済圏」下にあった。日本の農業経済政策は「産業化」という時代的使命を目の前に置いた日本帝国主義者たちには「産業化のために熱心に仕事をする労働者階級を食わせる程度の水準」として立案、行政されたのだった。(後ほど我々の誇らしい朴大統領がこれをパクる。パクる水準も優れていて、「政府米制度と米穀買入制度」で糧穀の流通量を適切に調節するアップグレードもした。利口な人だ)こういう馬鹿で安易で、苛酷極まりない農業政策のおかげでコメの価格は暴騰し、コメの買い占め、売り惜しみが横行していたのだ。

現在、大韓民国の書店で簡単に求められる「歴史新聞」という新聞形式の歴史本を一度ご覧になっていいただきたい。そこには朴某がどうやってコメ買い占め、売り惜しみを通じて大金を手に入れることができたのかを詳細に説明したボックス記事が載っている。筆者はタンジの原稿料があまりに少ない関係で、この本を買って見られなくて、書店でパラパラとめくりながら見た。くそっ。原稿料引き上げの道はあまりにも遠く険しい。

さらに面白い事実は国史(下)に載っている。p165の説明だ。

1920年代、民族企業が次第に活気を帯びていく時代、民族実力養成運動の一環として全国的に展開したのが朝鮮物産奨励運動だった。

1920年代、日本領朝鮮の経済は活気を帯びていた。厳しい朝鮮総督府統治下で、地主と商人階級の民族企業の設立が活発だったし、またこれらの生産と発展のために「物産奨励運動」まで起きている。 ところが、偶然だろうか?日本の米騒動でコメの買い占め、売り惜しみを担当していたのは地主と米穀商人たちだ。そして、日本領朝鮮で民族企業を起こした資本もまた、主に地主と商人階級によって形成されていた。また、日本で米価格が上終値(日本経済統計総覧引用)を打ったのは1920年で、朝鮮でいわゆる創業ブームが起きた1920年代とは時期的にあまりにも近接している。何か臭わないか? かなり噛み合っている。たまに「その創業に使われたお金は、ひょっとして日系資本じゃない?」と疑う読者がいらっしゃるようだ。この点については[日本史研究]を引用することによって答える。

大戦が終わり、列強の生産力が回復するに従って輸出が後退し、1919年からは貿易収支が輸入超過に逆転した。特に重化学工業は輸入が増加して国内生産を圧迫していた。1920年には株式市場が暴落して、また綿糸、生糸の販売が不振になり、その価格が暴落した。それによる紡績、製糸事業は操業を短縮するなどの不況に苦しめられた。これを普通、戦後恐慌と呼ぶ。

さあ、整理する時間が来た。とりあえず確認された事実を列挙する。 非常に順次的に、そして論理的に。

いままでの内容の中間整理

さあ、これから結論に向かって駆け上がってみよう。

誰が誰を搾取したのか?

筆者も自分なりに考えてみたが、いくら考えても1917年から1920年代にわたる日本領朝鮮の経済状況についての国史(下)の記述は矛盾そのものだ。地主と商人階級は資本を蓄積して民族企業を設立したのに、当時朝鮮は年間農業生産量の1/3近くの穀物を日本に提供(?)していたという。これは確実に矛盾した叙述でないか?農業国であり、碌な生産物もない国(その当時は日本の一地域だったが)から総生産物の1/3近くを無償で略奪されていたとすれば、当然経済は破綻直前でなければならない。言わば、総生産量の30%以上を略奪される地域は好況を謳歌できないという理屈ではないか?ところが、地主と商人はどんなお金で工場を建てて、銀行を建てて、企業を運営し、民衆はどんなお金でその生産品を消費したというのか?ひょっとして、日本に輸出したのか?国内の経済が「収奪」によってそのように疲弊していたとすれば、当然工場を建てて、企業を経営して、利益を出す方法は日本市場の外にはないが、先に工業化された日本の製品とはどんな方法で競争をしようと無計画な創業をしたのだろうか? その時もベンチャー精神風に [シタマチ(ソウル明洞の日本名だ)バレー]のようなところに、一晩中ソロバンの珠をはじいて財テクに熱中していた「ベンチャー・マン」たちが存在していたのだろうか?ではベンチャー資金は誰が出したのか?そして民衆は、どんなお金で「朝鮮人の物は朝鮮のもので!」という新しい消費者運動(消費者運動というもの自体が植民地的矛盾ではないか?)を展開していったというのか?朝鮮民衆の消費力がそれほど強かったということか?総生産の1/3を略奪されながらも?朝鮮の土地は無尽蔵なのか?コメがどこからか泉のように湧くのか?でなければ造幣局をひとつ丸ごと、日本の奴らにもらったか?

では今から読者諸氏に聞く。はたして貧しい朝鮮の農民からコメを奪って行った人々は誰だと思うか?そして、それで資本を蓄積して、富を積み上げたのは誰だと思うか?日本の貧しい漁村の村婦たち?帝国主義日本の軍国主義統治に逼迫を受けて、だまされて、抑圧を受けた日本の民衆たち?

結局、空虚な無答のこだまの中で、筆者が下せた代案的な仮説はこれだった。

1910年代と1920年代にわたった日本領朝鮮での経済政策は、産業化に必要な資本を蓄積するために1890年代末と1900年代に日本で立案された農業政策とその軌を一にする。これを通じて日本は農業資本の蓄積を通じた産業化に成功し、またこれを借用した日本領朝鮮の経済政策でもある程度効果を見せて、朝鮮人地主と商人たちのコメ買い占め、売り惜しみを通じた資本蓄積が可能だった。これらの資本は結局、日本領朝鮮での産業化に基礎になった…

はたして筆者が下した代案的仮説は100% 嘘だと思うか?

では、なぜ我が国の歴史学者たちは矛盾した歴史記述をしなければならなかったのだろうか?米穀の日本流出を通じた資本蓄積という事実を隠蔽し、地主と商人たちのコメ買占め、売り惜しみを通じた資本蓄積を隠蔽しようとしたのだろうか?

その理由は簡単だ。社会主義学派では日本領朝鮮での抗日民族主義運動を [反帝・反資本主義運動] と定義している。すなわち

日本帝国主義 VS 朝鮮民衆

の対決構図ではなく

資本家(すなわち地主と商人) VS プロレタリア

と定義しているのだ。社会主義学派のこのような主張もさほど間違った主張ではないというのが筆者の見解だ。おい、どうして被搾取者の身分でその多くの資本を蓄積できるのか?

反共という国是を前に置いて、悩み抜いた歴史学者たちの苦悩が生々しく伝わってくる。 いくら社会主義学派の主張を受け入れがたいと言っても、 かと言って 「民衆を搾取して、それによって富を蓄積できた朝鮮人地主階級」 の罪を同じ被搾取者の境遇で同じく抵抗した多数の日本民衆に受け渡すというのは酷いことではないか?

もちろん、南と北に分れて凄絶な思想闘争を繰り広げた我々の屈折した現代史を振り返ってみれば理解ができないこともない。だが、民族内部の矛盾に対して反省するどころか、他の民族に罪を逆にかぶせるというのはとんでもないことではないか?これはナチのユダヤ人虐殺と哲学的にどれほど違うのか?民族の純粋性を守るために罪のないユダヤ人を虐殺したナチと、民族内部の矛盾を隠すために極端な反日感情を操作することと……

読者諸氏よ、君たちにもう一度聞く。はたして貧しい朝鮮の民衆を搾取し、彼らのコメを奪って富を築いた奴らは誰か?

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