日本の軍隊慰安所制度及び朝鮮人軍隊慰安婦形成に関する研究
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日本の軍隊慰安所制度及び朝鮮人軍隊慰安婦形成に関する研究

(社会学研究科博士論文要旨)

尹明淑(Youn, Myoung Suk)

<本論文における問題提起と各章の要約>

本論文は、二部構成になっているが、第一部の「軍隊慰安所制度に関する考察」は、第二部の朝鮮人軍隊慰安婦の形成過程を検討するための前提論理として位置づけている。第一部の目的は、軍隊慰安所制度における日本の国家責任を明確にすることにある。日本の国家責任は、軍隊慰安婦の徴集のみならす、移送、軍隊慰安所の設置、運営・統制、戦後処理など、政策すべての過程において存在している。したがって、軍隊慰安所制度における日本の国家責任は、国民総動員法や「奴隷狩り」のような「強制連行」に基づく徴集形態や徴集過程に限定されるべきではなく、こうした「強制連行」の有無に左右されるものでもない。しかも、軍隊慰安婦の徴集形態は、日本の支配権力のあり方、すなわち日本軍政下の占領地と植民地とのあいだ、また戦場の前線と後方、戦争時期などによっても大きな相違がある。それゆえ、朝鮮人軍隊慰安婦に「就業詐欺」の形鶏が高率を占めているという結果的な現象にばかり焦点を合わせて結論つける前に、「就業詐欺」という徴集形態が形成された要因または背景をも含めて検討すべきであり、当然、前述したすべての要素を総体的に考えるべきである。また軍隊慰安婦とは、日本政府・軍の統制監督及び協力のもとに、徴集及び移送されて、軍上層部が政策的に開設・運営・統制監督していた軍隊慰安所に拘束され、性奴隷となることを強要されたすべての女性を指すべきである。

以上のことを踏まえて、以下各章で明らかにしたことを整理する。第一章では、まず、軍隊慰安婦問題が日本及び各被害国で社会問題化した経緯や過程の検討を通じて、軍隊慰安婦問題における最大の関心事が日本政府の国家責任による個人補償実現にあったことを確認した。軍隊慰安婦問題における日本の国家責任と個人補償をめぐる様々な主張は以下の三点に集約できる。第一に、日本政府の国家責任を明確に認めているのは、被害者の要求を支持している支援団体及び国際世論の主張である。国際世論を採択・支持している国連人権委員会小委員会の見解は、軍隊慰安所制度における日本政府・軍の関与を明確に認め、人道に反する罪、戦争犯罪などの国際法に違反した重大な人権侵害であるとし、日本政府は法的責任に基づく個人補償をすべきであるとしている。第二に、日本政府の見解は結論的には国家責任を否定しているが、否定の仕方がやや複雑・曖昧なプロセスを辿っている。日本政府は、軍隊慰安所制度における軍の部分的関与を認め「お詫び」を表明しており、「道義的責任」は認めたものの、国際法では国家対国家にのみ請求権が容認されていると解釈し、被害者個人の請求権は認められないと主張している。こうして日本政府は被害者個人の請求権を否定することで法的責任をも否定している。そして、もしかりに日本政府に法的責任があるとしても、それは韓国や中国、東南アジア諸国間との平和条約・平和協定により「解決済み」であるとしている。第三に、被害者及び支援団体・国際世論の見解と真っ向から対立しているのが日本の右派の主張である。彼らは軍隊慰安婦を公娼であり、単なる商行為にすぎないとし、国家責任を全否定している。彼らの主張の根拠は、朝鮮人軍隊慰安婦の徴集形態に重点がおかれている。ここには、日本帝国主義に支配されていた植民地朝鮮の状況に対する認識が欠けており、植民地での日本の権力のあり方についての事実確認もまったく無視されている。

また、軍隊慰安婦問題は、(1)国家により犯された戦争犯罪、(2)民族差別、(3)女性に対する性的差別という軍隊慰安婦制度自体がはらんでいる本賞と、軍隊慰安所が設置される背景に表れている問題として、日本軍国主義が持つ特殊な体質に由来しているという事実が含まれていた。

第二章では、軍隊慰安所の設置の背景について検討した。軍隊慰安所の大量設置が南京大虐殺の際の性犯罪の激増を契機としていたことは広く知られているが、軍隊慰安所制度は、何よりも日本の侵略戦争の遂行のために、占領地での治安維持対策として不可欠であったのである。軍隊慰安所の設置を必要とした理由としては、(1)占領地での強姦事件防止、(2)性病問題、(3)「慰安」の提供、(4)スパイ防止である。これらの四点のうち、(2)の性病予防対策は、日本軍において、軍隊慰安所という形態ができる前から存在しており、連合国軍においても様々な対策が試みられていた。また、日本軍の軍隊慰安所制度は、公娼制度において娼妓に性病検査を強制的に実施できるなど、管理統制が容易である点にならったのであり、占領地における軍隊慰安所の開設以前、日本国内や植民地、租借地における日本軍の性病予防対策は、公娼制度または実質的な公娼制度の施行を軸にしていた。しかし、日中戦争勃発以降、短期間に急増した占領地域の不安定な軍政下では、軍部の思うどおりの公娼制度の施行は困難であり、そのため、公娼制度と同様な機能を持つ軍隊慰安所制度を政策的に施行していく必要が生じたのである。

これに対して、(1)と(3)は、とくに日中戦争以降、戦争拡大や長期化にともなって、占領地での性犯罪のほか、掠奪、放火などを伴う民間人の殺戮といった諸犯罪の急増、日本軍内部での各種暴行事件や上官に対する暴行・脅迫など深刻化する軍紀弛緩に対する対策として必要であった。この(1)(2)(3)の三つは相互に関連しており、また、日本の歴史的・文化的背景のもとで形成された日本軍の特質と密接に関連しているのである。日本軍における軍隊慰安所の設置に至る歴史的背景として、様々な要因が挙げられているが、もっとも多く指摘されているのは、家父長制を根幹とする日本近代の天皇制国家の形成、対外侵略主義と軍事力の強化、軍国主義のもとでの家族制度や公娼制度及びこれらの制度に顕著に表れている女性差別などである。こうした要因の多くは、日本軍の特質を形成する土台でもあった。絶対服従と精神主義を根幹にした規律で成り立っていた日本の近代的軍隊は、規律維持のかなめとしての私的制裁という暴力の介在を公認し、そうした非人間的・非理性的・非合理的な規律による軍隊内での抑圧状況に反抗する兵士の規律違反により、対上官犯を含む犯罪や非行が生じると、これらの兵士の犯罪や非行を押さえるために、さらなる規律厳守を強要する。こうした悪循環の背景には、何より軍の監視統制のもとで醸成される内務生活での非人間的状況のもと、私的制裁の増大、服従と統制による兵士の管理体制、 内務教育の徹底があった。しかし、こうした軍の規律は、軍妃維持の効はなく、暴力を以って規律を維持しようとしたことにより、かえって軍隊内外での兵士の犯罪や非行を招来した一因になったと思われる。日中戦争以降、戦争が拡大・長期化していくともに、兵士の大量徴集により軍紀弛緩が深化していくなか、軍人の「犯罪」やり「非行」は、占領地における対上官犯をはじめ、兵士の掠奪、強姦などの対住民犯罪を頻発させた。こうした日本軍の犯罪や非行が占領地住民に向けられたとき、兵土は加害者として表れたのである。

第三章は、軍隊慰安所制度に対する日本の国裏責任の所在をいっそう鮮明にすることを目的としている。また、軍隊慰安婦の形成過程において、とくに朝鮮女性の徴集と関連し「奴隷狩り」のような「強制連行」がみられないとして、日本の国家責任がないとする日本国内の右派の主張かいかに短絡的結論であるかを明らかにしている。本章では、軍隊慰安所制度の全般における日本政府・軍の統制監督及び関与・協力の実態について検証した。ただし、朝鮮国内での軍隊慰安婦の徴集及び移送に関する検討のうち、資料制約により、朝鮮総督府の関与実態については、台湾総督府のような充分な検討が不可能であった。以下、本草で明らかにされたことを、(1)軍隊慰安所の設置、(2)軍隊想安婦の徴集、(3)軍隊慰安婦の移送、(4)軍隊慰安所の運営の四段階に分けて整理する。

第一に、軍隊慰安所の設置について。日本軍の上層部が占領地各地の軍隊慰安所設置に積極的に関与はじめたのは、日中戦争勃発後、中国の占領地における治安維持の必要性を深刻に受け止めたためである。軍上層部が軍隊慰安所設置に積極的に関与した背景には、戦争の拡大・長期化にともなって軍人の軍紀弛緩が深刻化し、占領地住民に対する強姦、掠奪、殺人などの戦争犯罪が頻発していくなか、とくに中国婦女子に対する日本軍の強姦事件が中国人の抗日意識を高め、戦争遂行に支障を来すとの認識があった。また、軍紀弛緩による軍人の諸犯罪に対して軍上層部は、「皇軍」の威信を失墜させるばかりではなく、国際関係に悪影響を及ほし、その結果、戦争目的の達成を困難にさせる国家に対する重大な反逆行為であると認識していた。こうした占領地での状況に対して、日本軍は軍隊慰安所の設置を指示・整備していくのであり、軍隊慰安所制度を治安維持対策、性病対策、軍紀弛緩防止策として位置づけるとともに、軍隊慰安所に対して政策的に統制監督することになるのである。このようにして、1938年3月4日陸軍省通牒「軍慰安所従業婦等募集に関する件」により、中国の占領地における軍隊慰安所設置に関する業務は各派遣軍が担当・統制することになる。以後、軍上層部の指示・許可にしたがって、日本軍のすべての占領地において軍隊慰安所を設置及び拡充していくのである。

第二に、軍隊慰安婦の徴集について。軍隊慰安婦の徴集は、日本国内、植民地、占領地の状況に応じた形で行われていた。陸軍省が軍隊慰安婦の徴集に関する方針を公表、直接関与したのは、前出の陸軍省通牒が出された1938年3月4日であるが、通牒が出された背景には、日中戦争勃発後の1937年末頃から日本国内の各地において、軍隊慰安婦の徴集が誘拐類似の方法で頻繁に行われるようになり、内務省や地域駐屯部隊に各県の知事による 取締り強化の要請が相次いだことがある。こうした日本国内での徴集状況は、戦時体制を本格化していく時期に相俊って、社会問題化するおそれが大きくなった。内務省は、こうした徴集状況を、社会秩序を乱し国民の団結を阻害する不安材料として認識し、1938年2月23日、日本国内の社会混乱を防ぐために、確実な証明責を所持する徴集業者による徴集及び合法的な周旋業者による募集以外に対しては、いっそう取締りを強化するよう各県に指示を出すとともに、中国に渡航する接客業婦の募集対象を21歳以上の「売春」経験者に制限した。この制限により、軍隊慰安婦の日本国内での徴集対象も21歳以上の「売春」経験者に制限されることになった。内務省がこうした内容の通牒を出した背景には、日本国内での軍隊慰安婦の徴集において、内務省と陸軍省の両省間の協力体制の不備や合意が不充分であった事情が関係すると思われる。内務省通牒が出された数日後の3月4日、前出の陸軍省通牒が出されたが、陸軍省通牒は内務省の取締り強化の指示を受けた形になっている。陸軍省通牒により、軍隊慰安婦の徴集業務は各派遣軍の統制監督下におかれることになるのである。同時に、徴集業者は各徴集地での警察及び憲兵との連携を密にすることが指示され、日本国内の徴集対象が21歳以上の「売春」経験者に限定されたのに対して、植民地では徴集対象の制限は施行されなかった。

軍隊慰安婦の徴集に対する国家権力の関与の仕方は、まず、日本国内の場合、各派道軍と陸軍省が内務省に協力を求めると、内務省が各県に人数を配当し、各県の警察が主に接客業者を対象に徴集業者を選定したうえで派遣軍が許可を与える。そして、この徴集業者に直接徴集を担当させることで、表面的には徴集業者が徴集の責任を負うメカニズムになっていたが、実質的には内務省が日本国内での徴集の総責任者であったのである。こうした内務省の対応の仕方は、日本国内での軍隊慰安婦の徴集が国際条約に抵触するおそれがあることを熟知していたためである。

朝鮮国内での徴集の場合、朝鮮総督府が関与したことは元関東軍後方担当参謀である原史朗の証言で確認でき、朝鮮総督府が徴集に関与した事実を否定することはできない。ただし、資料の制約により、朝鮮国内での徴集における朝鮮総督府の関与実態について、内務省の徴集の仕方と同様な検証が充分に行われていない。しかし、朝鮮と同じく日本の植民地であった台湾総督府が徴集に直接徴集した事実が確認できたことから、朝鮮国内での徴集に対して朝鮮総督府が直接関与・徴集したことは充分推測できる。また、朝鮮国内での徴集には、朝鮮軍司令部が直接担当しており、徴集業者に許可及び便宜を与えていた。

朝鮮総督府の資料が発見されていない理由として、日本の敗戦直後、朝鮮総督府による資料の焼却、朝鮮戦争での紛失とともに、未だに日本政府が拓務省や内務省などの関連資料を未公開にしていることが挙げられよう。しかし、こうした資料の制約にもかかわらず、朝鮮人軍隊慰安婦の徴集における朝鮮総督府の責任は否定できるものではないことは前述したとおりであり、軍隊慰安婦の徴集における日本政府・軍の責任は明らかである。

第三に、軍隊慰安婦の移送について。日本国内の場合、軍隊慰安婦の移送に際して、内務省が徴集業者兼経営者に引率を担当させていたが、各派道軍と連絡をとりながら便船の手配などの移送業務を担当している。徴集業者に引率を担当させていたのは、内務省が前述した国際条約を気にしていたためであるが、実務担当の警察は前出の1938年2月23日の内務省通牒にしたがって協力している。軍隊慰安婦の移送においても、軍隊慰安婦の徴集と同様に、日本政府は自らの関与・統制事実が表出する事態を極力避けて、徴集業者を前面に出す方法を通じて統制したのである。

軍隊慰安婦の移送に関しても、徴集の場合と同様に、台湾総督府が陸軍省や外務省の指示を受けて関与した事実は資料で確認できるが、朝鮮総督府の場台は、まず資料で確認できる範囲で言えは、拓務省を通じて移牒された通牒や朝鮮総督府側が在中国領事館に派遣していた事務官の報告により、軍隊慰安婦の移送や占領地の軍隊慰安所の状態を把握した上で移送業務に協力していたと思われる。しかし、軍隊慰安婦の移送に際しては、渡航のための証明書が必要であり、この証明書の発行先が居住地の警察署長になっていたので、朝鮮総督府の傘下機関である警察の関与は不可欠のものであり、朝鮮総督府が軍隊慰安婦の移送においても関与・協力した事実は充分に推測できる。朝鮮軍司令部も、軍隊慰安婦の移送に際して、徴集業者に引率を担当させる形式を取っていたが、引率者に様々な便宜を与えていたのである。

軍隊慰安婦の移送に際して、戦争が東南アジアにまで拡大すると、軍隊慰安婦や徴集業者・経営者に対する旅券発給問題が新たに生じた。この間題に対して、外務省は旅券を発給しないで軍の証明書に代替するように指示している。この外務省の対応は、前述の内務省の対応と脈を同じくするものと思われ、外務省もまた内務省と同様に、軍隊慰安婦の徴集や移送などに関連して国際条約に抵触しかねない状況が充分あり得ると考えており、軍隊慰安婦や徴集業者・経営者に対する旅券発給業務を避けようとしたものと思われる。したがって、当時においてすでに、日本政府は軍隊慰安所制度か国際法違反の危険性をはらんでいることを充分熟知していたのであり、内務省や外務省の対応の仕方がその裏返しであると言える。

第四に、軍隊慰安所の運営について。軍隊慰安所の運営に対する統制監督の責任は日本軍にある。軍隊慰安婦の運営は、大きく二つに区分できる。(1)軍直営と(2)経営者を介在させる方法である。前者は文字通りに軍が直接運営する方式である。後者の場合は、経営者を通じて軍隊慰安所の運営を統制監督する方式であるが、実賢的には部隊もしくは軍上層部が軍隊慰安所の総体的管理を担当し、軍医が衛生を、主計係が経理を担当している。この場合、日本軍は、軍隊慰安所の経営を許可するとともに、軍隊慰安所利用規定を定め、経営者、利用者である軍人軍属、軍隊慰安婦を統制したか、経営者は軍に経営報告することをはじめ、衛生設備の常備や軍隊慰安婦の管理などの義務を遵守しなければならない。つまり、軍は直接担当すべきの徴集や移送また経営の負担を最小限にとどめ、経営者は利用規定などの義務を遵守する代わりに、軍から様々な便宜が提供され、利用者を確保できるなどの面では、両者の利益が合致していたと言える。しかし、軍が軍隣慰安所を許可し、ときには閉鎖できるまでの権力を持っていたことからみれば、両者は共通の利益で平等に結ばれていたのではなく、軍の下に経営者が輝かれている上下関係にあったのである。こうした軍の軍隊慰安所の統制管理のもと、軍隊慰安婦は非人間的な処遇とともに、死と性病・疾病の恐怖に直面している毎日を送るしかなく、まさに性奴隷の生活を強要されていたのである。

以上の第一部で明らかにした事実を前提にして、第二部では日本の植民地期朝鮮国内での徴集実態の検討を行った。朝鮮国内での徴集実渡の検討は、次の認識を前提にすべきである。朝鮮での徴集が植民地という時代状況を無視しては銘じられないものであり、同時に時代状況という基礎のうえに成り立っていた問題である。そのため、朝鮮人軍隊想安婦の形成に関する検討は、軍隊慰安所制度に関する検討であるのみならす、日本の植民地支配のあり方や植民地期朝鮮の社会状況の一断面を明らかにすることでもある。第二部で明らかにしたことは以下のとおりである。

第四章では、朝鮮の1930年代の社会状況の検討を通じて、朝鮮人軍隊慰安婦が「生みだされる」経済的背景を明らかにした。植民地期朝鮮において、全人口の約8割が農村人口であったが、朝鮮総督府の農業政策により、農村の小作農化や貧農化が進み、全農家の約7割程度が貧農であった。農村での過剰人口か顕在化し、農村で生き残れない農民の中から国外や都市への移住者が年々増加していった。しかし、農村経済の疲弊とともに、植民地朝鮮の都市経済の状況は、彼らすべてを工業労働者として雇用できるものではなく、都市での貧困な生活を送るしかなかった。貧困者の膨張や高失業率の状況は、日本の植民地諸政策によって形成され、都市においても、農村においても、朝鮮人の失業率は非常に高率を維持していた。朝鮮人の失業率は、貧困者の一般的職業であった日雇い労働者やその他労働者の失業率が高く、もっとも深刻であった。

このような状況のもと、朝鮮女性は軍隊慰安婦の徴集の対象にされたのである。朝鮮人元軍隊慰安婦たちは農村出身が圧倒的に多かった。朝鮮人元軍隊慰安婦たちの中には、家長の死亡や病気、不在状態であった家庭出身も多く含まれており、家庭の貧困はいっそう深刻なものであった。一家の稼ぎ手の職業をみると、農村出身においては、貧農や日雇い農業労働者が多く、都市出身においては、資本も特別な技術も持たない日稼ぎ労働者が多かった。このような家庭環境のもと、稼ぎ手の低額の収入では家族を扶養することができず、母親はもちろんのこと、本人たちも就業せざるを得なかったのである。しかし、女性の場合、就業できる職種は限定されており、不安定な職業や貸金の安い職に就くしかなく、多くは無職状態におかれていた。

都市出身にしろ、農村出身にしろ、朝鮮人元軍隊慰安婦は、その多くが以上のような貧困な家庭出身であった。一家の稼ぎ手の低額の収入や失業状熊から生じた貧困状態は、元軍隊慰安婦たちの生活に重くのし掛かっており、確実な収入が得られる就業先や転業先を求めていたのである。しかし、日中戦争勃発以後、日本の侵略戦争の拡大とともに強化されていく戦時体制のもと、生活が改善できる見通しはいっそうなくなり、軍隊慰安所の設置が拡大していくにつれて朝鮮での軍隊慰安婦の徴集か大学行われるなか、徴集業者の就業詐欺や職業斡旋という形態の徴集を容易にしたのである。

徴集形態などについては、第六章以下で詳述するが、植民地朝鮮における徴集に就業詐欺がもっとも多く占められていた最大の原因は、韓国併合以来、日本の植民地諸政策によって朝鮮全体に大量な貧困者が生みだされたことにあり、その貧困者たちが安定した生活を送れないような状況か発生したからである。就業詐欺で徴集された元軍隊慰安婦は、裏の貧困という経済的事情から「応募」したが、軍隊想安婦の徴集であることはまったく知らされず、就職斡旋であると信じて「応募」したのである。そして、たとえ彼女らが「応募」の決定を自ら下したとしても、それが就職斡旋ではないどころか、軍隊慰安婦の徴集であった以上、その責任は軍隊慰安婦の徴集を政策的に主導していた日本政府にある。同時に、朝鮮人元軍隊慰安婦たちが日本の植民地支配の被害者であったということも明白である。

第五章では、朝鮮人軍隊慰安婦の被徴集の背景にあった経済的要因とともに、朝鮮人軍隊慰安婦の被徴集に直接・間接的要因として作用した社会的要因を明らかにした。社会的要因と言っても、中味は決して単純ではない。社会的要因として、殊に戦時体制下の人的動員体制、日本から移植された公娼制度における接客業や周旋業、日本国内での徴集事情などが挙げられるが、多くの場合、被徴集側である民衆の疲弊した経済状況とも深く関連しており、これらの要因と複合的に絡み合っている。また、社会的要因は、経済的要因同様、被徴集側における影響のみならず、徴集側に巧みに利用されたのである。

本章で明らかにしたのは以下のとおりである。元軍隊慰安婦の徴集における社会的要因は、戦時体制という時代状況、周旋業の存在、日本国内での徴集事情などか重複的に作用しているが、その根元には日本の植民地支配があった。また、もう一つの社会的要因として、植民地朝鮮社会における家父長制の弊害から生じた女性差別認識がある。これらの社会的要因は、多くの場合、被徴集側の貧困という経済的要因をも背景にしており、複合的に絡み合っていた。

そして、様々な社会的要因は、被徴集側に直接的・間接的な影響を及ぼすだけでなく、徴集側によって巧妙に利用されたのである。戦時体制という時代状況は、軍隊慰安婦の被徴集側にとって、日本の侵略戦争の遂行のため、戦時政策における人的動員の一環としての「徴用」であると認識させるに充分な条件を作り出したのである。軍隊慰安婦の徴集は、戦時体制のもと、人的動員の実施過程で行われており、民衆は戦時政策の一環として受け止めたのである。このような状況のなか、民衆の生活全般を統制していた警寮や行政の末端組織として役割を担っていた区長、班長の「介入」による軍隊慰安婦の徴集の場台、民衆に対して強制力を存分に発揮しており、被徴集側は消極的抵抗すらできずに、軍隣慰安婦に徴集されざるを得なかったのである。また、戦時体制という時代状況は、徴集業者によって巧みに利用され、人的動員に対する消極的抵抗かかえって裏目に出た形で徴集されることもあったのである。

そして、周旋業や接客業は、植民地期朝鮮民衆の貧困という経済的要因を背景にして、家父長による身売りの温床ともなっていたのである。家父長制の弊害から生じる女性に対する差別的認識は、女性の身売りのほか、教育の機会にも表れ、軍隊慰安婦の徴集につながる結果をもたらし、家父長制のもとでの男子中心主義や家父長の子息の婚姻決定権なども、軍隊慰安婦の被徴集の遠因として、家父長制の弊害を表面化させたのである。

また、植民地期朝鮮に移植された公娼制度から波及した周旋業の存在は、民衆の貧困を背景に、朝鮮国内の接客業に女性を供給していただけでなく、軍隊慰安婦の徴集の担い手となったのである。

以上のように、社会的諸要因は、経済的要因とともに、朝鮮における軍隊慰安婦の徴集に大きく影響を及ほしていたが、経済的要因による徴集が貧困階層を標的にしていたとしたら、社会的要因による徴集は無差別であったといえる。それでもなお、社会的諸要因による徴集の際にも、多くの場合、植民地期朝鮮民衆の貧困が背景になっており、徴集側に巧みに利用されたのである。

第六章では、朝鮮国内の接客業の実態を検討した。朝鮮総督府の接客業に対する政策や朝鮮国内の接客業がおかれた実態を知ることは、どのような接客業の状況が、接客業者や周旋業者に軍隊慰安婦の徴集に加担する動機を与えたのか、接客業の状況は、接客業者が軍隊慰安所の管理者もしくは経営者になることにどのように作用していたか、つまり接客業者の朝鮮国内からのPUSH要因を探るためにも有効であろう。これらのことを踏まえて、本章で明らかにしたことは以下のとおりである。

朝鮮国内の接客業の動態は、1930年代以後、1920年代末から始まった恐慌の影響や日本の侵略戦争の拡大状況と大きく左右されていた。とくに日中戦争勃発後、戦時体制が強化されていくなかで、不況による経営不振に加えて、朝鮮総督府の様々な政策の影響、警察の取締り強化など、朝鮮国内の接客業にとって悪条件が続いた。1930年代の中頃までの朝鮮国内の接客業は、1920年代末から始まった恐慌の影轡で経営不振に陥った。こうした状況下、警察の権限に大いに左右される接客業関連の法律のもと、様々な経営方式を取り入れながら朝鮮国内での生き残り戦略を模索した。また、日中戦争勃発直後から1938年頃までは、料理屋や遊廓を中心に、軍需景気を反映して一時的に繁盛を取り戻したが、一方、カフェーやバー、飲食店など、小規模の接客業は、「非常時局」の銃後民衆の享楽排斥というスローガンのもとに、警察の取締りの標的になっていた。1939年、40年以後には、戦時体制が年々強化されていくことにしたがって、接客業全体に対する朝鮮総督府の税金政策や警察の取締りがいっそう強化されるが、しばらくは警察の取締りの対象が小規模の接客業を中心であったために、一部の料理屋や遊廓の賑わいは維持された。こうした1930年代における接客業一部の盛況は、1941年日中戦争勃発から四年目の夏頃になると、接客業に対する朝鮮総督府や警察の規制が接客業全体に広がるのである。

以上のような状況のもとで、朝鮮国内の接客業者たちは、国内で生き残るため様々な経営戦略を模索したか、経営に行き詰まった業者のうち、廃業や休業を余儀なくされた者も少なくなかった。こうした接客業者のなかから、生活の糧を得るために国外に渡航する業者も出現し、また、とくに「満洲事変」や日中戦争の勃発を契機に、中国での戦争景気を成功できる絶好のチャンスとして受け止め、中国への渡航を選択する業者も多く出てきたと思われる。

日中戦争勃発直後は、日本軍を相手にする商売人や軍隊慰安所の経営者の渡航が優先される時期でもあり、日本軍の中国占領地には軍隊慰安所の経営者や接客業者、雑貨商などを営む朝鮮人が急増していくのである。軍人を相手にする接客業や各種商業、軍隊慰安所の経営は、接客業者を含む多くの人たちに短期間で成功する業種として受け止められたと思われる。なかでも軍隊慰安所の経営者として許可を受けた朝鮮人は、朝鮮国内での接客業者の親日的傾向が強かったのと同様に親日的性格が強かったのではなかろうか。

第七章では、朝鮮国内における徴集の仕組み及び徴集業者の実態を明らかにした。朝鮮国内での軍隊慰安婦の徴集は、接客業者や周旋業者による接客業婦の供給のメカニズムと深く関連しており、なかでも、徴集の仕組みが新聞に「誘拐犯」事件として報道された女街の営利誘拐や身売りと近似していた。また、朝鮮人元軍隊慰安婦43名の証言をもとに、徴集業者及び徴集の仕組みの実態について検証したが、朝鮮国内における徴集が選定業者と下請業者の提携のもとで行われ、また既存の接客業婦の供給及び女性の職業斡旋のメカニズムが利用されていたことのである。本草で明らかにされたことは以下のとおりである。

第一に、1938年3月以前の日本国内での徴集実態は、「略取及び誘拐の罪」の刑法違反または国際法違反になる「誘拐」「略取」「人身売買」のような徴集が多かった。こうした徴集実態に対して、日本国内では内務省と陸軍省の通牒により、遵法な徴集を行う徴集業者に対する取締り強化の方針がとられた。朝鮮においても、この1938年3月以前の日本国内での徴集実態と同様な方法で徴集が行われていたが、日本国内とは異なり、植民地朝鮮では日本国内と同様な方針はとられず、朝鮮では依然としてこうした徴集方法が持続されたのである。そのため、朝鮮における徴集には、女性を誘拐して身売りする刑法の営利誘拐と同様な就業詐欺による徴集が高い比率を占めたのである。また、こうした徴集が高い比率を占めていた理由は、軍人・憲兵・誓寮による徴繁より徴集業者によるものが圧倒的に多かったことである。朝鮮国内での徴集業者には、朝鮮国内居住者のほか、占領地居住者、日本国内居住者が混在していた。こうした徴集業者の割合は不明であるが、主に日本人と朝鮮人であったと思われる。

朝鮮国内での徴集は、日本の日中戦争勃発とその後の拡大により、軍人相手の接客業婦や軍隊慰安婦の需要軍が増加すると、女衒の営利誘拐による接客業婦の供給のメカニズムが軍隊懇安所の徴集に「生かされた」のである。日中戦争以前からすでに朝鮮国内や中国の接客業に朝鮮女性を供給していた紹介業者、接客業者、女衒のうち、その多くが朝鮮国内での下請業者または徴集業者として、選定業者や軍隊慰安所の経営者に軍隊慰安婦を供給する者となったのであろう。

第二に、朝鮮国内での徴集業者は、大きく選定業者、下請業者、女衒に分けられるが、こうした徴集業者のうち、選定業者と下請業者などの割合は不明である。ただし選定業者の場合、徴集の補助者を同伴することも多かったので、こうした補助者を下請業者と同様な役割をした者として考えると、朝鮮国内での徴集は、下請業者による徴集がもっとも多かったと言えよう。

下請業者を必要とした業者は、日本居住の軍隊慰安所の経営予定者や中国における軍隊慰安所の経営者がもっとも多かったが、このほかに、徴集のために朝鮮に渡航していた軍隊慰安所の経営者も含まれていた。また、朝鮮国内での徴集は、徴集業者が女性たちを直接徴集する方法よりは、下請業者を通じることが多かったために、徴集業者は旅館などを根拠地として構えて、下請業者から女性たちを買い受ける場所としていた。この徴集業者の根拠地は、言い換えれば、徴集業者と下請業者を結びつける仲介地でもあった。また、この根拠地または仲介地のほかに、徴集の際、集合地が存在したか、これは軍隊慰安婦の徴集の多くの場合、女工募集を装っており、当時の女工募集方法が利用されていたためである。

しかし、徴集業者の種類とは関係なく、徴集された女性たちは、軍隊慰安所のタイプで言えは、すべてが軍直営、軍専属、軍利用の軍隊慰安所に連行された者である。つまり、選定業者ではない業者に徴集されたとしても、彼女らが連行されたところが軍隊慰安所である以上、徴集された女性が「性奴隷」を強要された軍隊慰安婦であった事実は変わることではない。

最後に、以上のように、朝鮮国内での徴集において、下請業者の存在が加わっていたために、徴集及び徴集業者の様態が複雑な仕組みになったと思われるが、こうした実態は、日本国内とは異なり、朝鮮の植民地警察のあり方にその一因があったと思われる。つまり、朝鮮国内での徴集様態が女衒の営利誘拐と近似しており、この様態が持続されたのは、以下のことを背景にしている。まず、徴集地警察は選定業者の営利誘拐による徴集に対して取締りをしなかった。むしろ、直接徴集することもあり、積極的に協力していた。次に、警察は軍隊慰安婦を徴集していた女衒同然の徴集業者を取締る教務や権力を持っていたが、取り締まることなく、渡航するために必要な身分証明責を発給していた。また、徴集業者は旅館や人事紹介所などに根拠地をおいて、軍隊慰安婦として徴集する女性たちを下請業者から買い受けていたか、こうした下請業者に対する取締りはしなかった。朝鮮国内での徴集に、下請業者による徴集が後を絶たなかった要因には、本章で引用した「誘拐犯」との唯一かつ決定的な相違点であるが、こうした下請業者の営利誘拐がほかでもなく軍隊慰安婦の徴集であったからであろう。このような植民地警察の取締り実態は、同時に朝鮮総督府の方針であったであろう。このようなことは、なぜ朝鮮人軍隊慰安婦問題が日本の植民地支配のあり方をも問われる問題であるかということを提示していると思われる。

これまでみてきたように、軍隊慰安所制度における日本政府・軍の国家責任は明らかであり、朝鮮人軍隊慰安婦の存在は日本の植民地支配を前提にした様々な要因によって形成されたのである。日本社会で問題提起された軍隊慰安婦問題は、被害者への個人補償実現の問題にとどまらず、軍隊慰安婦間題を戦争犯罪として自覚することのないまま戦後60年近く経過した日本社会のあり方、そしてこれからの日本社会のあり方そのものが問われる問題であると言えるのではなかろうか。同時に、次元の異なる問題提起ではあるが、各国の被害者が戦後長い間沈黙させられてきた事実を重く受け止めるべきである。この点に関しては、本論文要旨の最後に言及する。

<今後の研究課題>

以下では、本論の検討と通じて提起された今後の研究課題について、大きく五つに分けて、以下のように整理する。

第一に、軍隊慰安婦の徴集及び移送において、日本国内では内務省、植民地では台湾総督府と朝鮮軍司令部が関与していたことは明らかであった。ただし、朝鮮総督府に関しては資料の制約により不明な部分が多い。そして、軍隊慰安婦の徴集における総督府の関与の仕方は、同じく日本の植民地であった朝鮮と台湾とでは相違点かみられた。元軍隊慰安婦の証言によると、台湾では「役場」の関与かあるが、朝鮮の事例ではみられない。また朝鮮では軍人・憲兵・警察が直接徴集に加担していたが、台湾の事例ではみられない。このような朝鮮と台湾での徴集の相違は、それぞれの総督府の徴集に対する関与の仕方からくるものと思われ、これはまた、それぞれの植民地における総督府の権限の相違から生じたものであると思われるが、朝鮮総督府の関与実態は今後の課題である。

第二に、軍隊慰安所を必要とした根本的要因として、平時期においても軍隊内での性病蔓延や軍人の諸犯罪が発生していたか、こうした状況は絶対服従のもと非人間的な軍隊生活での抑圧状況によるところが大きいが、本論文では具体的な検討が不充分であった。今後補う必要がある。また、日本軍は性病予防のために、各国の軍隊における性病蔓延の実態とその対策などを参考にしていたと思われる。日本軍の性病予防対策の構想を知るために、また軍隊そのものが持つ本質を究明するためにも各国軍隊との比較研究が必要であろう。また、本論で取り上げた軍隊慰安所は陸軍専用のものであったが、陸軍の軍隊慰安所は1932年上海における海軍慰安所を真似たということなので、海軍においても性病予防対策の研究が進められていたと思われる。海軍の性病予防対策の研究が占領地での軍隊慰安所形態を作り上げたかどうかは不明であるが、それについての研究は、日本軍が構想していた性病予防対策の全体像を補うために必要な作業であろう。

第三に、本論文での研究成果を踏まえて、今後軍隊慰安所政策のより具体的な実態を究明するためには、軍隊慰安所制度が実施された地域別研究の進展が必要である。軍隊慰安所のタイフは軍直営のほか、軍専属または軍利用の軍隊慰安所があったが、これら三つのタイプの軍隊慰安所は戦場の戦闘状況によりその分布が異なっていたと思われる。したがって、中国における地域別・時期別の軍隊慰安所開設状況の究明は、日本軍の軍隊慰安所政策の構想をより明らかにするために重要な課題である。1941年日本の侵略戦争が東南アジアにまで拡大し、新たな占領地には、前述の三タイプの軍隊慰安所が次々と開設されていく一方、中国占領地のなかでは軍の直接的な統制監督下にあった軍隊慰安所制度から統制監督の他機関への部分的移管とみられる動きがある。こうした傾向は、中国の占領地域によっては、日本の軍政が該当地域では安定したと判断したことと関連があるのではないかと推測されるが、今後の課題である。このことの究明には、日本軍の軍政に関する研究の進展もあわせて必要であると思われる。

第四に、朝鮮国内における徴集及び徴集業者の実態に関する検討は、資料制約がもっとも大きい部分であり、その分、元軍隊慰安婦の証言が重要な資料となるところである。現在、日本人軍隊慰安婦の証言は皆無に近く、また中国人の軍隊慰安婦の証言もほとんどない。このような状況下、朝鮮人元軍隊慰安婦の証言を通じてみる徴集や徴集業者の実態は軍隊慰安所制度における徴集業者の徴集実懇を知るための貴重な資料である。朝鮮人元軍隊慰安婦の証言に基づいて多くの表を作成してみた結果、軍隊慰安所の実態を究明するための一つの作業として、今後軍隊慰安婦の証言を軍隊慰安所のタイプに分けて体系的に整理する必要があると思われた。これまでの証言の多くがこうした区分をしていないが、資料として扱う場合は必要な作業であると思われる。

第五に、朝鮮国内における徴集人のうち、区長や班長の協力による徴集があったが、これらの徴集が戦時体制期における朝鮮総督府の人的動員政策とどのように関連していたのか、官憲の末端としての区長や班長が軍隊慰安婦の徴集にどのような役割を果たしていたのか、女子勤労挺身隊の動員実態の究明の点からも研究の進展が必要である。

また、朝鮮人徴集業者のなかには、下請業者でもなく、軍隊慰安所の経営者または管理者でもなかった業者が存在したが、本論文では彼らの正体が明確にできなかった。例えば、徴集業者として許可を与えられたのは、主に軍隊慰安所の経営者を兼ねる者に限られたのかどうか、それとも徴集を専門とする徴集業者にも許可を与えていたかどうか。このようなことの究明のためには、軍隊慰安所の開設に直接関係した元将校の証言などの採録が必要である。また、日本国内、朝鮮、台湾におけるそれぞれの個別研究が進むべきである。この課題は、日本と植民地での徴集の相違点、同時に同じく日本の植民地であった朝鮮と台湾での徴集の相違点を明らかにすることによって、軍隊慰安婦の徴集実態の解明とともに、徴集実態を通じて日本の植民地支配のあり方について浮き彫りにできよう。

<朝鮮人軍隊慰安婦の徴集実態からの問題提起>

朝鮮人軍隊慰安婦問題は、元軍隊慰安婦の個人補償問題と絡んで日本の国家責任が問われるという次元だけではなく、韓国社会において次のような問題提起をしたと思われる。朝鮮人軍隊慰安婦の被徴集における社会的要因のうち、徴集の遠因として検討された家父長制による女性差別認識と関連して、家父長制下の女性差別認識は、いまなおその弊害として、女性の社会進出を阻害し、「男子選好思想」による女児の堕胎、戸主相続における女性差別など、さまざまな社会問題として根強く残存していると言える。こうした韓国社会における男性中心主義は、男女平等や人権尊重を志向する未来への障碍である。また、戦後50年もの長い間、朝鮮人元軍隊慰安婦たちの名乗り出を阻害し、彼女らに沈黙を強いられてきた背景には、女性の性的被害を「恥」として認識している性道徳観がある。こうした性暴力被害者に対する「恥」や名誉をキーワードとして考える性道徳観や認識は、暴力行為による性的被害、つまり被害者本人の人権侵害として位置づける新たな認識へと転換することが必要である。女性の性暴力被害は、文字通りの暴力による被害であり、女性が守りまた女性に守らせるべき貞操の喪失という恥では決してない。また、女性にのみ要求される「貞操」や「純潔」思想は、女性を「生娘」と「売春婦」という二分する認識を生み、「売春婦」に対する差別認識につながっていると言えよう。

もう一つ、家父長制の弊害として、経済的要因によって主に父親による娼妓契約(実質的な身売り)と、その受け皿になった接客業や紹介業、女衒の存在について論じた目的は、日本の植民地支配政策によって形成された当時の実状のうえで、家父長制から生じた弊害を指摘するためである。なかでも朝鮮人下請業者や軍隊慰安所の経営者または管理者などの存在のことであるが、彼らの存在は、軍隊慰安婦問題における日本の国家責任を相殺するものでは決してない。同時に、だからといって、彼らが朝鮮人であるということだけで、彼らの行為の犯罪性が相殺されるものでも決してない。それは植民地期朝鮮における朝鮮人親日派が朝鮮人であるだけで許されるものではないことと同じである。軍隊慰安婦問題は、ある特定な時代の特定な手段による戦争犯罪であったが、同時にいつの時代においても起こりうる普遍的な犯罪性を含めているもののであり、我々は軍隊慰安婦問題から「過去の歴史からの教訓」の一つとして、これらの問題提起を今日の問題として受け止めるべきである。

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