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韓国国宝274号事件

黄某(海戦遺跡発掘団団長)による、遺跡捏造事件

92.9.4に指定された国宝274号は(95.6月)捏造が発覚。その後、彼による遺跡捏造が次々発覚

韓国国宝274号事件は、国宝指定のための鑑定はなんと30分しか行われず、韓国歴史学会を代表する錚々たる学者で構成される文化財委員会において、引き揚げ後わずか4日で国宝指定が議決されていたことが発端。国家ぐるみである。

1992年8月18日、韓国海軍の海戦遺跡発掘団は慶尚道統営郡閉山島沖合の海底から、壬辰倭乱の際に朝鮮水軍の亀甲船に装着されていた小型曲射砲である「別黄字銃筒」を発見し引き揚げた。

砲身には「亀艦」「万暦丙甲」と刻まれ、1598年に鋳造されて亀甲船に装着されていたことが明らかになったという。また「亀甲船が銃筒で敵の船を驚かせ、一発の砲撃で必ずや敵船を水葬する」という意味の銘文が刻まれており、これは当時の朝鮮水軍の決意に満ちた精神を表しているという。

この銃筒の鑑定に参加した趙成都・海軍士官学校教授(海軍士官学校博物館長・文化財専門委員)は「文献上で亀甲船に関する史料は多いが、実証史料の引き揚げは今回が初めてであったため、戦史研究に十分な国宝級遺物である」とコメントし、同年9月、この「別黄字銃筒」は国宝274号に指定された。

ところが、1995年6月になって、この「別黄字銃筒」は真っ赤な贋物であったことが判明した。

この銃筒を引き揚げた海軍の海戦遺跡発掘団の団長である黄大佐が別件の賄賂事件で拘束され、その捜査過程で、 1992年8月10日頃に骨董商・申休哲氏から例の「別黄字銃筒」を500万ウォンで購入したことが判明した。黄大佐はその銃筒を海に沈めた後、あたかも自分が発掘したように引き揚げたのだという。

動機としては「1989年に海戦遺跡発掘団長に任命されたが、何ら実績を上げることが出来ず、悩んだため」と黄大佐は供述した。

骨董商の申氏は文化財管理法違反で逮捕されて取り調べを受け、当初は「銃筒は陸上の陣地跡から発掘されたものであり、趙成都教授の頼みで購入した」と陳述していたが、その後の調べで、実はこれも嘘で、実際には黄大佐に頼まれて自分所有の鋳物工場で銃筒を鋳造したことが判明した。また、申氏の自宅から13点もの贋物の銃筒が発見され、この事件が黄大佐と申氏が以前から用意周到に計画的に行ったものであることが判明した。

また、この銃筒の国宝指定のための鑑定はなんと30分しか行われず、韓国歴史学会を代表する錚々たる学者で構成される文化財委員会において、引き揚げ後わずか4日で国宝指定が議決されていたことも判明した。

審議委員の一人は「海軍の公式機構である遺物調査団が引き揚げ当時の写真まで示し、壬辰倭乱研究の最高権威である趙成都氏の評価もあったので真偽を疑わなかった」と述べている。

さらに、銃筒を偽造していた申氏は1993年に海軍士官学校博物館に「青銅測雨器」という朝鮮時代の雨量測定器を寄贈していたのだが、これも調査の結果贋物と判明した。

また、贋物の銃筒を「発見」した問題の海戦遺跡発掘団は、1994年2月にも全羅道南道麗水市の近海で亀甲船の看板の鋭い突起部分を引き揚げていたのだが、これも調査の結果、贋物という結果が出た。

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