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対北「裏パイプ」の男

(AERA 02.12.30-03.1.6)

北朝鮮取材班

日本と北朝鮮。国交のない二つの国を結ぶ外交の糸はあまりに細い。両政府が頼る一人の在日朝鮮人の存在が浮かんだ。謎の多い人物である。

柔らかそうな服地で仕立てられたスリーピースのスーツに身を包み、彼(63)は首都圏にある自宅の玄関を出てきた。在日朝鮮人の彼を仮にA氏としよう。午後3時。日陰には2日前に降った雪が、強い北風に吹かれて固まっていた。しかし、A氏はコートも持たずに「出勤」しようとしていた。

A氏こそ、公安当局が「大物工作員」と注目する人物である。

公安当局にとって、A氏はかなり高度なマーク対象らしい。監視をさらに強めたのは2001年1月だった。当局者はこう話す。

「Aはこの9月の日朝首脳会談をセッティングするために、水面下で両政府間を行き来した人物だ。それだけ北朝鮮政府と深くつながっている」

01年1月27日、シンガポールで森喜朗首相(当時)の腹心である中川秀直衆院議員が、対日交渉の事務責任者である姜錫柱第一外務次官と秘密裏に会った。この秘密会談が日朝間の交渉チャンネルを開き、02年9月の首脳会談につながったと言われている。

「表の顔」は商社経営

その秘密会談が実現する経緯について、森氏は同月、朝日新聞のインタビューにこう答えている。

「北朝鮮との交渉を在日朝鮮人のある人物に頼ったのは事実です」

公安筋はこの「ある人物」をA氏だと見ている。

A氏は貿易商社を経営する経済人という「表の顔」がある。

1999年2月、日本貿易振興会(JETRO)で講演会があった。題名は「経済復興への転換を目指す北朝鮮」。講師はA氏だった。2時間半にわたり、北朝鮮経済の苦しい状況を説明し、日本は対北朝鮮政策を転換する必要があると訴えた。関係者によると、講師選びは難航した。在日経済人たちが「表には出たくない」と断ってきたからだ。そんな中、A氏は快諾した。講師を辞退した人は、どう話せば本国の意向に沿うのか迷ったに違いない。しかし、A氏にとって、そんなことは関係なかったようだ。

A氏が経営する貿易商社は、東京都内の古びたマンションの一室にある。登記簿によると、会社の目的欄には日用雑貨から鉄鋼製品、電気・電子機器の輸出入などと幅広い項目が並ぶ。自動車や航空機、それらの部品の輸出入も手掛けている、とある。

日本の漁船を、北へ

民間の信用調査会社によれば、この貿易商社は平壌市内に「海外連絡所」がある。業務内容はシンガポールなど東南アジアで仕入れた日本製品を北朝鮮や中国へ輸出する「三角貿易」が中心で、扱っている品物は電気製品、工作機械、船舶エンジン類が多いらしい。売上高はここ5年間、年10億円程度で安定しているようだが、利益はわずかしかない。ただ、03年は「北朝鮮で大規模プロジェクトがある」として、売上高は14億円を見込んでいるという。

このプロジェクトが日朝国交正常化を見越したものなのか、内容はわからない。

公安筋はこう解説する。

「小さい商社の場合、売上高が年ごとにかなり上下するのが普通なのに、一定している点だけみても、何か裏があると疑いたくなる」

A氏は在日朝鮮人2世。中央大学法学部を卒業後、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の経済局にいた時期もある。日朝間の裏事情に詳しい関係者はこう話す。

「北朝鮮の『工作員』は世襲のケースが多いのに、彼の親は『工作員』じゃなかった。珍しい存在だ」

A氏の過去に、「裏の顔」を示す痕跡があった。

84年、A氏は船舶法違反などの疑いで逮捕された。株式会社が日本船籍の船を所有するには、会社の役員全員が日本人でなければならないのに、A氏は日本人社員の個人所有だと装って漁船を買い取った。A氏はこの漁船を冷凍加工船に改造し、北朝鮮に貸与していたことも判明した。

公安筋の解説はこうだ。

「日本漁船なら日本近海を航行しても目立たないし、検査も緩い。日本からあらゆる物を運び出したい北朝鮮は欲しいだろう」

だが、祖国に経済的な支援をする商工人は他にもいる。A氏はどうして、金正日総書記の信頼を得なければ任されない日朝のパイプ役を務めることができるのか。

本人「裏方」否定せず

かつてA氏は金日成総合大学で金総書記と同時期を過ごしたという未確認情報もある。いま金総書記の側近と伝えられる北朝鮮高官の中にも金総書記の「ご学友」は多いという。

公安当局が彼に注目するもう一つの理由は、別の逮捕歴にある。

容疑は外国人登録証の不携帯。逮捕場所は新潟県佐渡島だが、逮捕したのは警視庁。時期は72年3月だった。佐渡島で曽我ひとみさんが拉致された6年前のことだ。

北朝鮮から亡命した複数の元工作員は「北朝鮮による拉致が本格化する70年代後半の数年前から、日本海沿岸で工作船の船着き場を探していた」と証言している。A氏が佐渡島で逮捕されたのは、その時期と重なる。

原敕晁さん拉致の主犯とされる辛光沫容疑者をはじめ、拉致にかかわった人物は北朝鮮に戻ると、英雄扱いを受ける。A氏の場合も同様だったのだろうか。

自宅前でA氏を待っていると、妻が昼ごろに出てきて言った。

「普段ならもう出掛ける時間なのに、今日は急に自分の部屋で書類を読み始めてしまったんです」

ちょうどこの日午前、「北朝鮮のミサイル運搬船がイエメンに向かっている」というニュースが世界を駆けめぐっていた。

取材班を見るなりA氏は言った。

「誰に私のことを聞いてきたんだ。紹介者は誰だ」

日朝首脳会談の裏方として奔走したことを確かめると、否定はしなかった。なおも質問をすると、「新聞社なら社長など上の人としか話さない」

A氏はそう言って、愛車のセルシオに乗り込み、狭い路地を猛スピードで走り抜けていった。

今のところめどの立たない日朝交渉再開に向け、平壌から彼に託される次の任務は何なのか。

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