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民主革命党スパイ事件捜査結果発表文

I.. 捜査の経緯

●国家情報院は98年12月18日、南海で韓国軍の警戒網にかかり、撃沈された半潜水艇が北朝鮮のスパイ用船舶であることを確認して

-半潜水艇で発見された「電話番号を記載した手帳」などの遺留品を端緒として、射殺スパイの行跡と韓国内の連絡網を追跡した結果、
-国内に実在する人物として身分を偽装し、首都圏で暗躍したスパイ、元鎮宇(ウォン・ジンウ、仮名)が復帰中であった事実と
-スパイが所持していた手帳に暗号で記されていた金永煥、曹裕植、沈載春、金京煥など固定容疑者らの電話番号を確認して、決定的な証拠の確保に力を注いできたこと

●そうする折り、夫妻スパイ、チェ・ジョンナム事件(97年10月)に関連する疑惑と、主体思想派の地下組織「反帝青年同盟」関連の容疑で内密に調査してきた金永煥が、中国に長期滞在している途中で、韓国政府当局に入国許容嘆願書を提出したのち、さる7月29日に自主的に帰国することによって、

-8月9日〜8月16日に、4回にわたり本人が希望する時間帯に、自由な雰囲気の中で審査を実施して
-「89年7月、北朝鮮スパイに抱き込まれて北朝鮮へ入国、帰還後に北朝鮮からの指令により地下党を結成した」などと自白したため、自首に準じた善処の方針を検討していていた途中、

●金永煥が8月16日に突然、「マル」誌を訪ね「国家情報院がスパイ集団事件を操作しようとしている」という偽りの内容のインタビューを行い、関連する容疑者たちに対する捜査を妨害し、潜伏した

●これにともない、国家情報院は彼の所在を追跡していた途中、8月18日、18時35分発の大韓航空機を利用し、海外逃避のため香港へ出国しようとしていた金永煥を、金浦空港で緊急逮捕して

-関連者・曹裕植(35才・前「マル」誌記者)、河永沃(36才・無職)、沈載春(29才・大学講師)、金京煥(35才・「マル」誌記者)などを次々に連行、本格的な捜査に着手した

U.捜査結果

1.事件概要

●この事件は北朝鮮が80年代、学院下の親北朝鮮闘争を主導してきた主体思想派核心勢力を抱き込み、朝鮮労働党に加入させたのち、

-北朝鮮の直接指導を受ける「民族民主革命党」を構築し、いわゆる南朝鮮革命運動を推進してきた典型的な地下党事件で

●北朝鮮は韓国内の主体思想派を対南赤化革命の前衛隊とするために

-学生運動圏に影響力と組織的基盤を持っていた金永煥を抱き込み、北朝鮮入国させたのち、韓国内の主体思想を信奉する地下革命指導部を構築するように指令し

●金永煥は北朝鮮の工作指令によって

-親北朝鮮闘争を先導してきた主体思想派の地下組織「反帝青年同盟」の核心勢力を下部網として抱き込み、労働党に現地入党させ「冠岳山」、「冠帽峰」などの暗号名を附与して
-北朝鮮の工作資金により、全国的な組織基盤を揃えた「民族民主革命党」(略称民主革命党)を結成、暗躍してきたのであり

●北朝鮮は総責任者の金永煥が思想的変化を起こし「民族民主革命党」を離脱しようとする兆しを見せると

-さる87年〜92年間、マレーシア人として偽装侵入し、「民族民主革命党」の合法連絡員などとして活動している途中で北朝鮮に復帰した工作員を再度、南へ派遣(南派)させて
-主体思想が徹底している「民主革命党」中央委員、河永沃に接触したのち、彼を通じて「民族民主革命党」を再結束させようとしたことが明るみになる

●今回の事件の捜査を通じて

-主体思想派の勢力が、北朝鮮と直接的な連結の輪を形成して、充実した「革命戦士」として活動してきたことが立証されて
-特に80年代中盤以後、学院騒乱を主導して社会不安を造成した主体思想盲従集団の正体が表れ
-また98年11月19日、江華島の海岸で韓国軍に発覚し、逃走した北朝鮮スパイ用船舶と、98年12月18日、麗水海岸で撃沈された半潜水艇は「民族民主革命党」を指導、検閲するために南へ派遣されたスパイを、北朝鮮へ復帰させるために侵入したことが明るみになる

2.被疑者別犯罪事実

[金永煥(36才)]

●金永煥はソウル大公法学部に在学中、北朝鮮の「救国の声放送」を聴取して、北朝鮮の対南赤化革命路線の「民族解放人民民主主義革命論」(NLPDR)を体系化した「鋼鉄シリーズ」を製作、運動圏に伝播させ、いわゆる「主体思想派の代父」と呼ばれてきた

●87年11月「民族解放労働者党」事件と関連し、国家保安法違反により懲役3年6月を宣告され、服役中に刑執行停止で出所したのち

●89年7月「ハンギョレ社会研究所」(92年4月、韓国社会科学研究所に吸収)研究員「金哲壽(キム・チョルス)」に偽装し、南へ派遣されたスパイ、ユン・テクリム(56才・現北朝鮮対外連絡部5課長)に抱き込まれて、労働党に現地入党したのち

-対北朝鮮無電報告、および北朝鮮指令の受信方法、隠棲作成法など通信連絡の方法に関する教育とともに、工作金900万ウォンと無線機など工作費用を渡されるいっぽう
-「運動圏のなかの核心人物を抱き込み、首都圏と全羅・慶尚圏など、全国的な地下組織を結成せよ」などの任務と「冠岳山1号」という暗号名を与えられて

●当時自身が重責を担って活動した「反帝青年同盟」の組織員、河永沃(36才・無職)、金京煥(35才・「マル」誌記者)朴某(法曹人)などを抱き込んで

-労働党に現地入党させて「冠岳山2号」、「冠岳山3号」「冠帽峰」という暗号名を附与するなど、同調勢力を拡散させていくなか

●91年2月、北朝鮮から「通信連絡を担当する対象者を抱きこみ、同伴しながら北朝鮮入国しなさい」という指令を受けて

-ソウル大で1年後輩であり、主体思想で強固に武装した「反帝青年同盟」組織員、曹裕植(35才・前「マル」誌記者)を北朝鮮入国対象者として抱き込み
-91年5月16日、曹裕植とともに江華島から工作員専用施設の「牡丹招待所」で14日間滞留しながら
-「反帝青年同盟」の組織および影響力、組織員の履歴など、自身の活動事項と国内情勢などを報告して
-「祖国平和統一委員会」副委員長、安炳沫(69才・本名・安景虎)と連邦制統一運動の方向、「汎民連」活動の強化案などを討議するいっぽう
-妙香山にある金日成主席の別荘で、2回にわたり金日成主席と面談しながら「南朝鮮が米国の植民地という事実を集中暴露して、人民を覚醒させなければならない」、「革命を起こそうとするなら思想が重要だ。南朝鮮人民を主体思想で武装させれば、革命は成功したも同然だ」などの指導を受け
-帰還直前、当時の社会文化部長、李昌善(74才)らと、盛大な歓送とともに金日成主席勲章まで授与された後

「南朝鮮革命と祖国統一を成就するため、南半部に党を建設して、主体思想を拡散させるための組織的力量を集中しなさい」、「侵入対象の国内在野団体の現況を把握、報告しなさい」などの指令を受けて

●91年5月30日、曹裕植とともに北朝鮮工作船で南浦を出発、西海公海上を経由して三日後、済州道西歸浦市近隣の海岸に帰還した

●その後の金永煥は91年8月、北朝鮮が埋設しておいた江華郡内可面外浦里にあるドゥボーグから、米貨40万ドル(当時約3億ウォン)と拳銃2丁、無線機3台、乱数表など工作金品を発掘、スパイ活動に使用しながら

●北朝鮮からの指令により、92年3月16日、自身が掌握していた「反帝青年同盟」を基盤として、北朝鮮の直接指導を受ける反国家団体の「民族民主革命党」を結成、総責任者として活動して

●「民族民主革命党」の組織規模、活動事項と「親北朝鮮統一運動強化案」、「政治圏など国内情勢」、「92年の大統領の選挙動向」などを収集して

-無線機、FAX、隠棲手紙、国内に暗躍中の直播スパイ(陳運芳/チン・ウンパン)などを通じたり
-下部網、曹裕植を海外に送り、北朝鮮工作員と接線させるなどの方法により、対北朝鮮報告をおこなった

●北朝鮮から受けた工作金40万ドルは

-「民族民主革命党」結成、および宣伝物の製作など、組織管理と組織員の活動支援費などで2億ウォン以上を使用して
-96年の総選挙時、釜山地域で出馬した組織員、95年の地方自治体選挙時、区庁長などで出馬した金某ら6人に、1人当り500万〜1千万ウォンずつ、合計4,500万ウォンを選挙活動資金として支援し
-残りは自分自身の個人活動費などに使用したことが明るみになること

●金永煥から押収した「私は君にバラの花園を約束しなかった」(91年7月5日、真の光出版社)という題の乱数解読用冊子を利用して

-91.12〜98.6間に通達された北朝鮮指令72件を解読した結果、大部分が
「首領様の教示通り、創党作業を上手に行い、党組織を精鋭幹部らで構成して、外郭団体を組織しなさい」(92.1.4)
「可能ならば、影響力のある進歩的上層人物を抱き込みなさい」(93.6.4)
「韓総連内に核心勢力基盤を構築し、学生運動圏に対する指導力を強化しなさい」(94.3.4)など
「民族民主革命党」創党指針および活動方向を指導する内容だったが
-95年以後、金永煥が主体思想を批判するなど、離脱の兆しを見せると
「95年4月号の「マル」紙の記事を見た。記事に不正あり。総責の真意を報告されん」(95.6.4)
「一度抱いた気持ちの言葉と、革命の一筋で忠誠をみな尽くすことを願う」(98.6.4)など、変節を憂慮し、スパイ活動を続けたことを推奨する指令もあった

[曹裕植(35才)]

●曹裕植は83年3月、ソウル大政治学科に入学直後から、サークルの先輩たちから意識化学習を受けながら主体思想に傾倒し、2回にわたり不穏な問題のある文章の所持など、国家保安法違反で服役したのち、89年9月、「反帝青年同盟」に加入、活動しているなかで

●91年5月、金永煥に抱き込まれ、ともに北朝鮮へ入国したのち

-無線機の使用法、乱数による暗号化と解読方法、拳銃射撃術などスパイ活動に必要となる実務教育を受け、労働党に入党して「カンチョル峰」いう暗号名を与えられ、つぎに
-社会文化部長李昌善から金日成主席の勲章と「金永煥を通じて、対北朝鮮連絡責任者の役割を担当しなさい」という指令を受けて、金永煥とともに済州島・西帰浦海岸へ帰還した

●帰還後、曹裕植は金永煥の資金管理、および対北朝鮮通信連絡責任者として暗躍しながら

-91年8月、北朝鮮が江華島に設置しておいたドゥボーク(秘密連絡ポスト)から無線機、拳銃、工作金などを発掘し、清渓山、クトン山のドゥボークに埋めておいて
-工作金40万ドルは、必要時ごとに南大門一帯の闇ドル取引商で両替して、金永煥に提供し
-北朝鮮の放送がよく聴こえる仁川月尾島などから、金永煥と別途に58回にわたり北朝鮮放送指令を受信して、金永煥が作成した対北朝鮮報告文を20回以上、無線機で送信した

●92.3〜97.10まで月刊「マル」紙記者として活動しながら、国内での活動事項を北朝鮮対南工作組織に直接報告するため、海外取材などを人に頼って4回出国したのち

-93.12〜97.2の間、北京やモスクワの現地北朝鮮大使館と、シンガポール、ハノイ市内の公園などにて、北朝鮮対外連絡部5課長ユン・テクリムなどと接線して「汎民連」、「全国連合」などの動向を報告し
-金永煥の地下党活動内容や、国内情勢などが収録されたノートブックPCとディスケットなどを渡しながら「汎民連」より包括的な統一運動体の結成などの指示を受けたことが明るみになった。

[河永沃(36才)]

●河永沃は82年3月、ソウル大司法学科に入学、同期生の金永煥とともに意識化学習を通じて主体思想を信奉するようになったのち、現在まで一定の職業を持たず、地下組織の活動にだけ専念してきた、いわゆる「職業革命家」で

●89年3月、金永煥、朴某、金某などとともに「反帝青年同盟」を結成、組織を引っ張っている途中で

-90年4月、金永煥が北朝鮮の指示であることを前面に強調しつつ、組織を自分自身に引継ぎすることを要求し、譲り渡して
-90年5月、金永煥の指示により道峰山で労働党の現地入党式を終え、「冠岳山2号」という暗号名を与えられ

●92.3金永煥、朴某などとともに「民族民主革命党」を結成、中央委員として活動しながら

-97年7月まで金永煥から2ケ月ごとに4百万ウォン以上ずつ、総計1億5千万ウォン程度の活動資金を受け、組織管理に使用した。

●その後、自分との思想路線上の対立を見せた金永煥が97年7月、組織を解体しようと「民主革命党」を直接掌握したのち、組織管理資金と伝統性の確保のために北朝鮮との連係を模索している中で

●98年10月、「民族民主革命党」組織検閲、および金永煥の離脱にともなう新しい連係線をさがすため、南へ派遣されたスパイ、元鎮宇(仮名)が「金正日党書記の直接の指示でやってきた」としながら接近してくると

●以後50日間以上、随時会いながら

-自身の下部網、沈載春(29才・大学講師)の江西区登村3洞に所在するアパート、および冠岳区奉天6洞にある高試院を隠れ処として物色・支援して
-南派(南へ派遣された)スパイが身分偽装に活用できるよう、江西区禾谷6洞の事務所で、南派スパイが素地した、偽造住民登録証上の名義人である元鎮宇の住民登録など抄本の発給を受け、提供した。

● またスパイ元鎮宇から金正日党書記が直接下賜したという「光明星」という新しい暗号名を与えられて「民主革命党」総責として追認されたのち

-無線機の使用法、インターネットを利用した指令の送受信方法など、スパイ教育とともに無線機や乱数表の隠し場所を指示され、沈載春とともに冠岳山登山路付近のドゥボークに埋沒し
-工作金として2回にわたり韓貨500万ウォンと日本円50万円(韓貨500万ウォン相当)を受け取り、下部網の沈載春とともに短波ラジオの購入など、組織活動の資金として使用し、
-元鎮宇の復帰時「金正日党書記に捧げる忠誠の手紙」、「民族民主革命党の現況」などが収録されたディスケットを渡した

● 河永沃はスパイ・元鎮宇からの北朝鮮入国の提議を受諾して

-98年11月19日、江華島華道面を下った近隣海岸の接線地点まで行ったものの、接近中だった北朝鮮工作船が韓国軍に発覚し、逃走することによって北朝鮮入国に失敗して
-98年12月17日、元鎮宇の復帰時に再度北朝鮮入国しようとしたが、航海期間が4日以上かかるということにともなう危険の負担と、個人的な事情(司法試験の準備)を理由として、次の機会に北朝鮮入国することにして
-同じ日、沈載春とともに元鎮宇を全南麗水市突山邑近隣の海岸の、接線復帰地点まで案内し
-当時、河永沃は侵入した護送工作員たちに「大変ご苦労をおかけします。元先生をよろしくお願いします」と、いちいち握手を交わすなど、対談の姿勢を見せている。

●河永沃は12月18日、南派スパイが乗船した半潜水艇が韓国軍により撃沈されたあとにも

-インターネットのメールを活用し、北朝鮮と合計11回にわたり、スパイ用船舶の撃沈にともなう対応策、および今後の北朝鮮密入国案などを議論し
-インターネットの使用時、他人が内容を解読できないように暗号化し、圧縮ファイルで電送し、逆追跡を避けるため、市内のさまざまな場所のインターネットカフェを利用するという緻密さを見せた。

[沈載春(29才)]

●沈載春は88年3月、ソウル大体育教育学部に入学後、意識化教育を受けて「サークル連合会」会長などを経て、91年5月に「反帝青年同盟」に加入、活動するなかで

●97年6月から反国家団体「民族民主革命党」学生運動事業部ソウル大担当として活動する途中で

●98年9月「民族民主革命党」総責任者、河永沃と初めて会い、上司の命令に対し服従関係を維持しながら

-98年11月、河永沃の指示を受けて、98年11月中旬頃までの約10日間以上、江西区登村3洞に所在する自宅を、南派スパイ・元鎮宇の隠れ家として提供し
-11月20日の明け方、江華島で北朝鮮工作船との接線に失敗した河永沃の連絡を受けて、自分のエクセル乗用車を駆り立てて、河永沃と元鎮宇をソウルへと逃避するように支援するかと思えば
-98.11.28自分の乗用車で元鎮宇を案内、接線復帰地点の麗水市突山邑附近を事前偵察し、復帰日の12.17にもそこまで元鎮宇を乗せた

● また12.12〜12.15の間、ソウル新林9洞の事務所と奉天7洞の事務所など2ケ所で、国内実存人物、元鎮宇名の住民登録・抄本と戸籍謄本の発給を受けて、スパイ元鎮宇に提供した。

●この過程でスパイ元鎮宇と河永沃からスパイ活動を支援した功労を認められて、労働党に現地入党し「光明星91号」という暗号名を与えられ

-前住所内の旅館等にて、無線機使用法、乱数組立方法、インターネットを通じた送受信方法と身分露出時、臨津江の渡江または海外の北朝鮮大使館から脱出する要領などについて教育を受けた後
-現在まで数回にわたり、無電およびインターネット通信を通じ、北朝鮮と通信連絡してきたのであり
-今回の捜査過程で、冠岳山登山路近隣のドゥボークに隠匿しておいた無線機、人命殺傷用の毒針、乱数表など工作物品が押収された

[金京煥(35才)]

● 金京煥は韓国外国語大龍仁キャンパス「民民闘(民族民主闘争委員会)」委員長などを歴任した後、3回にわたり偽装就職して、労働者の意識化活動をしている途中、94.4から月刊「マル」紙記者として在職中に

● マレーシア人として偽装侵入し、ソウル江南で「サッテリア」というマレーシア式飲食店を経営し暗躍中だったスパイ、陳運芳を89.9中旬、大学の後輩の紹介で知るようになったのち

-90.5月「ともに統一事業をしてみよう」としながら、南派スパイの身分をあらわした陳運芳に抱き込まれて
-金永煥と陳運芳との間の中間連絡責任者として暗躍しながら、91.8月、原州雉岳山で金永煥の主宰する労働党の現地入党式を経て「冠帽峰」という暗号名を与えられたこと

● 98.10末、陳運芳が元鎮宇に偽装して再度侵入

-南派スパイ元鎮宇を河永沃と接線するよう斡旋して
-その後、元鎮宇と何回も接触して、これまでの活動内容と国内情勢などを報告した嫌疑でずっと内密調査中である

3・「民族民主革命党」の実体

● 「民族民主革命党」(略称民主革命党)は、金永煥が北朝鮮の指令によって自生的に、主体思想派地下組織の「反帝青年同盟」の核心人物を糾合して結成した、北朝鮮労働党の韓国内地下前衛党で

● 総責の金永煥は

-89.3.3、河永沃の主導により、主体思想派核心勢力が集まり「金日成主義青年革命組織」であることを標ぼうして結成した「反帝青年同盟」を、ともに引っ張ってきている途中で
-89.7、南派スパイ、ユン・テクリムに抱き込まれて労働党に入党した後、組織員たちに「労働党現地入党権を委任された事実」を前面に押し出し「反帝青年同盟」を掌握して
-続けて91.5、金永煥が北朝鮮密入国。当時社会文化部長李昌善から「南朝鮮革命と祖国統一を成就するために、南半部に党を建設しなさい」という指令を受けて帰ってきて
-92.3.16、「反帝青年同盟」の核心勢力を主軸として「民族民主革命党」を結成した。

●「民族民主革命党」は

-党綱領(3か条)および党憲(6か条)を通じて「金日成主席主体思想を指導理念とする地下革命党」であることを明らかにしており
-当面の闘争目標として、韓国内部に革命情勢が造成され、決定的時期が渡来すれば、北朝鮮の支援を受けて「民族解放民衆民主主義革命」を完遂することを前面に押し出しており
-このために、革命の主力軍人、労働者、農民、青年学生を主体思想で武装させ、反米自主化、反独裁民主化闘争を強化していくことを煽動してきた

[民主革命党の闘争目標および性格]

-当面の目標:民族自主権を勝ち取り、民主主義を発展させ祖国を平和的に統一
-革命の性格:民族解放民衆民主主義革命
-革命動力:労働者、農民、青年学生、インテリ、小資本家、都市小市民
-指導理念:金日成主体思想
-闘争路線:反米自主化・反独裁民主化・民族解放統一
-党の性格:労働者、農民、青年学生の地下前衛党

●「民主革命党」の組織体系は

-党指導部の中央委員会の下に徒党する性格の京畿南部、嶺南、全羅北道委員会と部門別事業指導部をおいて
-地域委員会の傘下には釜山、蔚山、城南など、全国の主要都市別委員会を構成しており
-今回の捜査過程で98.7釜山地方警察庁で捜査、処理した「嶺南委員会」が「民主革命党」の下部組織として明るみになること

● 組織の秘密維持のために

-各級組織を同窓会、事業所、営業所、代理店などに偽装して運営してきたのであり
-党員たちは物色の段階から徹底した身元調査と思想審査を経ており、変節の憂慮がない「主体思想の精鋭分子」たちで構成した。

● また「民族民主革命党」は組織結成以後

-金永煥が受けた米貨40万ドルなど、5回にわたり北朝鮮から流入した工作資金、総額3億2千余万ウォンの豊富な活動資金を土台として
-組織員を学院、労働、言論、在野、法曹界など各分野に侵入させ、労使紛争など部門別闘争を背後から操縦して
-大衆闘争を活発にするため、学院、在野など主要分野に党外郭団体を結成して、連邦制統一、反米、反政府闘争を拡散させる一方
-組織員等と協調者等を制度圏に進入させ、合法闘争の橋頭堡を確保するために、96年の総選挙および95年の地方自治体選挙時、選挙資金として4千5百余万ウォンを支援し、
-機関紙「光」など、不穏刊行物を通じて北朝鮮体制の優越性と金正日党書記の偉大性を伝播するのに力を注いできた。

4・南派スパイ元鎮宇の正体

● 98.12.18半潜水艇で復帰中、わが軍により射殺されたスパイ元鎮宇は、北朝鮮労働党対外連絡責任者(部長カン・ジュイル)所属工作員で

-87.4〜92.8の間、マレーシアの陳運芳として偽装、1次侵入して合法活動の土台を用意して「民族民主革命党」の合法連絡員として暗躍し、復帰し
-98.10下旬頃「民族民主革命党」に対する組織検閲、および新しい連係網の確保のため、元鎮宇に偽装して再度侵入、河永沃、沈載春などを抱き込んだことが確認された。

● 元鎮宇に対しては95.1以後、さまざまな経路を通じて「東南アジア人として偽装した夫妻工作組が80年代後半、国内で暗躍し92年に復帰した」という諜報を入手し、彼らの行跡を追跡してきた中

-金永煥の審査過程で、彼自身が対北朝鮮連絡責任者として利用した下部網の金京煥が、マレーシア人として偽装した南派スパイに抱き込まれた、との陳述を得て

●さまざまな情況を端緒として容疑者の身元を確認した結果

-87.4南派スパイ陳運芳(44)が妻・鍾玉清(チョン・オクチョン。38)とともにマレーシア人として国籍を偽装、入国してソウルで「サッテリア」、「マコ・インターナショナル」というマレーシア式の飲食店を運営するなど、合法活動の土台を用意して
-90.5「サッテリア」従業員の姑母の紹介を受けて、韓国外国語大運動圏出身の金京煥を抱き込んだ後、彼を通じて金永煥の対北朝鮮報告問題の文章を得て、北朝鮮に送るなど暗躍する
-92.8.26「韓国朝鮮労働党」スパイ事件の捜査が始まると、身分の露出を憂慮、家財道具も整理できないまませわしく出国した事実を確認した

● 今回の捜査過程で陳運芳の居住地に対する押収捜索を通じ、写真など遺留品を確保、身元を追跡したなかで

-陳運芳が、河永沃などを抱き込んだスパイ元鎮宇と印象と着衣が似ている点に着眼、陳運芳の写真を河永沃に提示して「南派スパイ元鎮宇」という陳述を得て
-ふたりの写真を専門家に鑑定を依頼し、同一人であることを確認した

●一方、陳運芳が最後に居住した鍾路区東崇洞に所在した借家の主人などを相手に、彼の行跡を調べたところ

-陳運芳夫妻は自ら「マレーシア華僑だが、事実は朝鮮族出身」としながら、韓国語を上手に駆使し
-92.8.26「住宅購入資金を得るため中国に行ってくる」としながら、住宅保証金3千700万ウォンなど、8千万ウォン相当の財産と家財道具をそのまま置いたまま、せわしく出国したのちに
-92.9下旬、借家の主人に手紙を送り「私が残した007かばん、ハンドバッグ、電話手帳、写真、FAX書類などをDHL便で香港に送ってくれ」としたのち
-国際電話で「交通事故に遭い、妻と娘は死んで、私は脚に重傷を負い、韓国に行くことができない」と話したのち、消息が断絶した

●このような事実は92.10、北朝鮮が金永煥に送った指令文のなかにある

-「本部連絡員を撤収すること。現地関係者らには海外旅行中、交通事故で重傷を負い入国できないことに偽装すること」という内容と正確に一致しており

● 99.9.4検挙して捜査中の金京煥(35・「マル」紙記者)もスパイ元鎮宇を「陳運芳」だと陳述していて同一人物であることが明白になった

V.事件の特徴

● 最初に、国内で自生的に胎動した主体思想派組織が、北朝鮮に抱き込まれて北朝鮮労働党の直接指令を受ける革命前衛組織として変革した最初の事例であること

● 二番目に、北朝鮮が80年代の主体思想派胎動期に、主体思想派の核心人物を抱き込むことにたくさん努めてきたことが、初めて確認されたこと

北朝鮮入国当時、学生の身分だった主体思想派の核心人物、金永煥を金日成主席が二度も面談して、工作資金として40万ドルという巨額を提供した事実が、これを端的に証明していること

● 三番目、北朝鮮がこれまで、すぐに利用しやすい既成世代を抱き込んできたのとは異なり、潜在的に成長する可能性をもったエリート学生層を抱き込み、長期的に言論、法曹人ら世論指導層に育成しようとした点である

● 四番目、フィリピンの偽装スパイ「カンス」につづけて、北韓の夫妻工作員が国籍をマレーシア人として偽装したのち、国内に潜入、長期間暗躍しながら工作活動を繰り広げる大胆さを見せたという点である

● 五番目、「民主革命党」は北朝鮮の地下党組織戦術により徹底的に運営、総責や組織責任者でなければ規模がわからず、上司の命令への服従が厳格な集団という点である。沈載春は98.11.20午前2時にスパイ元鎮宇と北朝鮮密入国しようとしたが失敗し、河永沃が江華島へ向かうよう指示されたとき、寝ている途中で理由も聞かないまま応じたことが代表的事例である

● 六番目、最先端インターネット通信網を対北朝鮮連絡手段として活用する、いわゆる「サイバースパイ」が最初に確認されたこと

今回の事件の捜査を通じて、諜報網が既存の無線機によるA-1スパイ通信や隠棲を利用した対北朝鮮連絡の他にも、インターネットというサイバー空間まで活用していることが確認されたこと

W.関連者の処理、および後続捜査計画

● 今回の事件捜査結果

被疑者金永煥、曹裕植は過去の過ちを深く悔いて、すでに北朝鮮との関係を断絶し、調査過程でも「北朝鮮社会の民主化のために率先する」と確かめ合いながら、捜査に自主協調した点を参酌、控訴保留意見として送検した

河永沃、沈載春は検挙直前まで地下党活動を続けながら、南派スパイを庇護するなど、北朝鮮と連係活動をずっと保っているため起訴意見として送検した

●一方、金京煥は現在調査中であるため、捜査が終わってから追加送検する予定

● 国家情報院は、今回の捜査過程で実体が表れた「民族民主革命党」構成員など関連者らに対しては、罪科を悔いて自首してくるならば、許される範囲内で最大限の寛容を施す方針であり、

引き続き反国家活動に加担しようという者は、関連機関と協調して厳正に捜査していく計画である

X.結び

● 今回の事件は北朝鮮がいまだに対南赤化の野欲を捨てないまま、韓国内部に地下党を構築することに血眼になっていることを如実に見せた事件で

● 国家情報院は思想的誤謬に陥った一部エリートらが、すでに廃棄処分になった共産主義幻想に捕らわれている現実を憂慮しながら

スパイを南派して我が国を混乱に陥れようとする北朝鮮の、各種の対南挑発策動を決して容認しないことを厳重に警告するところである

● 今後も関係機関と緊密に協調して、国内暗躍中の定着スパイ網と、自由民主体制を破壊しようという不純勢力を最後まで追跡、厳しく処断すること

● 国民の皆様におかれましても、地球村の唯一の分断国家として残っている私たちの安保の現実を直視して、スパイ申告に協力してくださることを要請する。

おわり 

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