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金永煥とは何者か?

(連合ニュース 1999/09/09)

さる86年、大学街に流布された「鋼鉄書信」を通じて韓国に主体思想を「輸入」した金永煥(キムヨンファン・36)氏。

ソウル大公法学部、82学番の金氏は校内サークルの「古典研究会」に加入しながら、80年代には学生運動に投身し、85年8月、ソウル大民主化推進委員会事件に関連し指名手配を受け逃避、除籍された。問題の「鋼鉄書信」が初めて出てきたのは86年初めである。金氏は「鋼鉄」という筆名で「米帝のスパイ朴憲永からわれらは何を学ぶか」という題名の文を配布し、以後シリーズ化し「首相論」、「品性論」など主体思想を大学街と労働界にまき散らした。

金氏が主体思想を「輸入」するようになった経緯については「北朝鮮放送を聞いて感化された」とか「ソウル大校内の政府刊行物で初めて接した」などいろいろな説が交錯しているものの、「鋼鉄書信」は当時、運動圏で多数を占めていた「NL(National Liberation:民族解放派)」の多数が「主体思想派」に転身する契機を与えた。

86年11月「ソウル大救国学生連盟」事件で拘束された金氏は1年後、大法院で国家保安法違反罪により懲役3年6月と、資格停止3年6月という宣告を受けて服役中、88年12月に刑執行停止により出所した。

その後、89年2月から全国民族民主運動連合(全民連)で祖国統一委員会委員をつとめる一方、汎民族大会推進本部の実務委員などで活動したことまでが、金氏に対して公式に確認された履歴である。

国家情報院は、金氏がその後の89年4月、地下組織「反帝青年同盟」に加入したのち、中央委員として活動し、90年4月からはこの組織の総責として活動した。それに先立ち89年7月、北朝鮮の「朝鮮労働党」に入党した後、91年に北朝鮮へ密入国したことを把握している。

91年3月、4学年でソウル大に復学した金氏は、翌年2月学校を卒業した後、95年10月からは「青い人々」という集いの結成に参加して、翌年からはこの団体の2代会長として活動も行った。

彼は95年、月刊「マル(言葉)」誌に載せた「反米、北朝鮮そして90年代に対する私の考え」という題目のインタビュー記事で、階級闘争に立脚した革命煽動を誤りと規定し「植民地論」に立脚した反米自主化闘争ではなく、米国との平等な友好協力関係などを主張し、これについて北朝鮮から釈明を要求されたことが判明している。

その後の97年10月、中国へ出国した金氏は、ドイツ、中国などに滞留しており、自身の「北朝鮮政権批判」に同調する人々とともに雑誌を発刊するかと思えば、最近の「月刊朝鮮」99年6月号を通じて北朝鮮政権を公開批判した後、以前の同僚らから公式に非難を受けた。

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