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総聯新任議長に徐萬述

(ソウル=連合ニュース 2001/05/26)チョン・ヨンシク記者

在日本朝鮮人総連合会(総聯)にソ・マンソル(77・徐萬述)時代が開いた。

総聯は26日、日本の東京で第19次全体大会を開き、徐萬述第1部議長をさる2月死亡した韓徳洙議長の後任として選出した。

これで徐新任議長の前には、これから強力なカリスマで総聯を約半世紀間引っ張ってきた韓・前議長のイメージを克服し組織を掌握、衰退していく総聯を再建しなければならない当面の課題が進出している。

彼は最近「ポスト韓」以後の総聯を率いる次期議長にふさわしい人物として注目されてきた。許宗萬責任副議長が元老級らの支持を受けることができないでいるのに反し、支持幅が広い彼が次期議長として選出されるはずだ、というのが大半の見解だった。

彼はさる98年5月に開かれた第18次全体大会で、リ・ジンキュ第1部議長(95.9死亡)のポストを引き継いだのち、病状にいた韓議長の代わりに職務を遂行してきたことが伝えられた。

徐議長は第1部議長時期のさる99年4月、金正日労働党総秘書から衰退する組織の維持とともに在日同胞の実情にあう活動を繰り広げるよう指示を受けたことが伝えられ、次期議長として内諾を受けたのではないかとする推測もたっていた。

彼は第1部議長として選出された以後、北朝鮮政権樹立50周年祝賀総聯代表団を引率するなど、北朝鮮への足取りを頻繁にしており、さる99年1月に土井たかこ社民党党首と会見し、国交正常化のために努力するよう要請するなど、活発な動きを見せた。

徐新任議長は地方組織を基盤として中央に進出、「中央」でだけ活動してきた朴在魯副議長などを取り除いて総聯最高の地位に登った。徐新任議長は広島県本部で幹部として活動しているときから、副委員長を経てさる68年、責任者の席に就いた。

彼は広島県本部委員長だったさる73年に中央委員会組織局長に席を移した以後、総聯の心臓部で基盤を拡大した。宣伝と組織分野でおもに仕事をしてきた彼は、これを基盤として中央委員会事務局長を経て、さる83年には副議長に選出された。

彼が副議長を経て第1部議長に昇格したころには、財政分野にパイプの太い許責任副議長に押される様相だった。しかしこれを克服し彼が議長に就任したのは最近、資金の減った信用組合の破産など総聯が逢着した危機を機会として活用し、勢力をひろめたことが大きく作用したものと見なされる。

北朝鮮最高人民会議代議員でもあった徐議長は、祖国統一汎民族連合(汎民連)海外本部副議長としても活躍してきた。彼は汎民連海外本部副議長の資格でさる97年、平壌と北京などで開かれた「汎民族会議」、「汎民連議長団会議」などに参加することもあった。

慶尚北道月城出身の彼は、さる41年に日本に入国したことが伝えられており、以後総聯の活動に参加した。

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