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元海上自衛隊員衝撃の告白「私は日本人拉致ビデオを見た!」

(週刊文春 2002年12月12日号)

なぜこの映像を公開しないのか

不審船上に人間代のズダ袋が二体。「現行法では拉致に手が出せない!」対潜哨戒機が日本海で不審船を追跡、ビデオ撮影をした。映像を見た隊員の痛恨の告白。

水しぶきを上げ、夜の日本海を猛スピードで疾走する北朝鮮の工作船と、それを延々と追跡するカメラ。船上には人間大のズダ袋が二体転がり、工作船からは時折、威曙射撃とみられる閃光が光る……その衝撃的な映像に、隊員たちは思わず凍りついたという。

一九九九年三月、能登半島沖の不審船事件で、自衛隊史上初の海上警備行動をとった海上自衛隊。しかし、実は、海自は二十年以上も前から、北朝鮮の工作船に対する警戒監視活動を粛々と進め、それらの工作船の姿を、スチール写真やビデオで撮影し続けていたという。現在もそうしたデータを集積した”資料”は、防衛庁のある部局に厳重に保管されているのだが、その中には明らかに「拉致工作船」とみられる画像も含まれているというのだ。

”極秘”ビデオを実際に目の当たりにした元海上自衛隊員の衝撃の告白を紹介する。

元海上自衛隊員、中村貴雄氏(仮名)。現在三十一歳の中村氏は、高校卒業後の平成元年四月に二等海士として海上自衛隊に入隊。その後、護衛艦勤務などを経て、数年前に除隊し、現在は都内で自営業を営んでいる。中村氏が語る。

「私がそのビデオを見たのは、入隊してから数力月後、まだ横須賀の教育隊に所属していた時代です。 教育隊とは文字通り、海自に入隊した者が、一人前の海自隊員になるために様々な基礎教育を受ける場で、四ヶ月間の訓練を経て、艦船や基地に配置されるのです。

教育隊では、実際に隊の規律を学び、体力をつける訓練の授業と、船の操縦や銃の分解などを学ぶ座学の授業が組まれていたのですが、この座学の時に様々なビデオを見て学習する時間があったんです。通常、我々を指導してくれるのは、先輩に当たる分隊士だったのですが、そのビデオ学習の時の講師は、分隊士の上官、分隊長でした。

初めはロシアの艦船がウラジオストックに潜水艦を運ぶ映像や、中国の情報船やベトナムの難民船などを撮影していたビデオを見ていたのですが、三十分程度のビデオが終わった後、分隊長が「今回は特別に」と”極秘”扱いのビデオを見せてくれたのです。

水しぶきを上げ、夜の日本海を猛スピードで疾走する北朝鮮の工作船と、それを延々と追跡するカメラ。船上には人間大のズダ袋が二体転がり、工作船からは時折、威嚇射撃とみられる閃光が光る……その衝撃的な映像に、隊員たちは思わず凍りついたという。

ビデオはタ方か夜に撮影されたものらしく、画像は昼間のものほど鮮明ではありませんでした。一隻の漁船が、暗い日本海をしぶきを上げながら逃走する様子が映っていました。

漁船はかなりの高速で疾走しており、それをカメラが延々と追い続けるのです。時折、威嚇のためか、カメラを搭載した機が、その工作船ギリギリの高さを飛んでいる様子も分かりました。

そして徐々にカメラが船体をズームアップしていくと、船上に人間大のズダ袋のようなものが二体、転がっているのが、はっきりと見えました。

そして分隊長はビデオを流しながらこう語ったのです。

『これは北朝鮮の工作船が逃走する模様を、鹿屋基地から出動したP3Cが撮影したものだ。海上保安庁の巡視船艇が追いかけたが、振り切られ、P3Cが追跡を継続した。船の上に袋のようなものがあるのが見えるだろう。この中には人が入っていた可能性があったんだ……』

その瞬間、それまでざわついていた教室が静まり返りました。ビデオには時折、工作船の上で閃光が光る様子が映っていたのですが、分隊長は『工作船がP3Cに威嚇射撃しているんだ』と説明してくれました」

対潜哨戒機P3C。八一年に初めて導入され、現在八十機が鹿屋、八戸、厚木、那覇等に配備されている。海上自衛隊幕僚監部によると、P3Cは一年三百六十五日欠かさず毎日一回、北海道の周辺海域、日本海、東シナ海上を飛び、警戒監視活動を行うとともに、突発的な事案の発生に備え、常時もう一機が基地に待機しているという。

最近も二〇〇一年十二月に発生した奄美大島沖不審船銃撃事件、今年九月の能登半島沖不審船事件などに出動しているが、いずれの事件でも、P3Cが撮影した画像が不審船を「北朝鮮の工作船」と断定する決め手となった。防衛庁関係者が解説する。

「これまでの不審船事件の際に、防衛庁は毎回、『警戒監視活動中のP3Cが発見した』と、P3Cが、監視中に偶然発見したように発表しているが、実際は違う。

まず北の対日、対南(韓国)工作の拠点となっている清津や南浦を監視している米国家偵察局(NRO)の偵察衛星から、工作船の出航情報が、米太平洋艦隊司令部や在日米軍を通じて、海幕(海上自衛隊幕僚監部)にもたらされる。防衛庁は、それをもとに喜界島(鹿児島県)の通信傍受施設などで、工作船と北朝鮮との通信を掌握するとともに、日本各地にあるレーダー施設で、工作船が存在しているエリアを絞り込む。

その後、海幕から各航空群の司令部に『P3Cを出動させよ』との命令が下って、P3Cが飛ぶ。その際、パイロットには工作船が存在するとみられるエリアの指定と撮影の要請がなされ、『工作船の疑いあり』と伝えられる。つまりパイロットは出動時から目標が北の工作船であることを知っているんだ」

P3Cは、対潜戦を迅速に行うためにソノブイ(対潜捜索兵器の一つ)などの様々な探知機器からの情報を、コンピューター処理する総合情報処理能力を持っているハイテク機だ。

乗組員は「メンパイ」と呼ぱれる主操縦士や「コパイ」と呼ばれる副操縦士、FE(フライトエンジニア)やAO(武器員)に加え、レーダーやスクリーンの情報をチェックし、その情報をコンピューター処理するTACCO(戦術航海士)らで構成され、TACCOが司令塔となっている。海自関係者が語る。

「P3Cはまず目標をレーダーで捕捉し、目標に近づいたら、AOが目視で確認。その際、機体の左側にある撮影用の窓から目標をカメラやビデオで撮影するんです。ゆえにP3Cは常に目標を機の左側に据えるように飛行します。通常は二百ノット(時速三七十キロ)のスピードで、二百フィート(約六十メートル)の高さから監視活動を行うのですが、目標発見後は海上百フィート(約三十メートル)の高さ、つまり目標ギリギリに接近することもあります。

そして当然のことながら、暗視装置も搭載しており、夜間でも鮮明な画像の撮影が可能なんです」

中村氏が再び語る。

「ビデオはほんの数分の短いものでした。ただ、最後に分隊長が悔しそうにこう語ったのが強く印象に残っています。

『結局、この工作船はEEZ外に出たため、停船命令を出せず、最終的にはADIZを越え、追跡を打ち切らざるを得なかった。もし、あの袋の中に人が入っていたらと思うと……。自国民が拉致されている可能性があっても、今の法律では、自衛隊は手が出せない。自衛官として、こんな歯がゆいことはない……』」

EEZとは、沿岸国の領域として主権の及ぶ「領海」とは違い、一九八二年に採択された国連海洋法条約で定められた「排他的経済水域」である。

同水域内で法令違反した外国船籍の船に対しては、中断なく追跡すれぱ、公海上に逃げられても傘捕できる「追跡権」が認められているのだが、「実際、海保や海自の巡視船艇や護衛艦、そしてPC3が追跡できるのはADIZ(防空識別圏)まで」(前出・防衛庁関係者)とされている。

元海上自衛隊幹部が語る。

ビデオを見せた分隊長を直撃

「しかも当時は、海自に対し、海上警備行動が発令される政治状況では、到底ありませんでした。

昨年十二月の奄美大島沖の不審船銃撃事件をきっかけに政府は、工作船の可能性が高い場合は、不測の事態に備え、自衛隊法に基づく海上警備行動の『準備行動』という新たな枠組みをようやく定めました。

しかし、政府の方針ではいまだに不審船対応は一義的に海上保安庁にあるとされています。北の工作船が高度に武装されていることが判明した今なお、です。

だから警戒監視中に明らかに不審な行動をしている船を発見しても、我々は海保に通報するだけで、手出しはできず、ただ見ているだけでした。北朝鮮や中国も、我々が何もできないことを熟知していて、日本の領海内で大胆に行動する。実に悔しいことです……」

しかし、この元海自幹部は同時に、中村氏の証言にこんな疑問も呈した。

「防衛上の秘密は、『部内限』、『秘』、『極秘』、『機密』の順で、その保持のレベルが上がるのですが、教育隊といえば、これから自衛官になろうという若者たちが文字通り教育を受ける部隊。そんな若者たちが、知りえるのはせいぜい『部内限』か『秘』止まりで、その分隊長が特別の計らいをしたとしても『極秘』のビデオを、彼らに見せるとは考えにくいのですが……」

だが、この指摘に対し、中村氏はこう答えるのだ。

「もちろん、私も数年前まで隊に身を置いていた人間ですから、教育隊の練習員に『秘』以上のビデオを見せることは通常ありえないことは十二分に知っています。

では、なぜ、当時の分隊長は私たちに『極秘』扱いのビデオを見せてくれた、いや、見せることができたのか……。

実は分隊長自身が、その拉致工作船の様子を撮影したP3Cを操縦していたパイロットだったんです。だからこそ、分隊長は当時の様子を詳細に語ってくれたんです。私には今でもあの分隊長の悔しそうな表情が忘れられません……」

そこで小誌は「極秘」のビデオを撮影したP3Cのパイロットで、横須賀教育隊の分隊長を務めていたA氏を直撃した。A氏も中村氏同様、数年前に除隊し、現在は民間会社に勤務している。

A氏は分隊長時代に、中村氏ら練習生に、ビデオを見せた事実は認めたものの、その内容については「既に除隊した身ですので、基本的にお話しする立場にありません……」

と多くを語らなかった。

中村氏は「分隊長としては、そう答える以外にないでしょうね」と語ったうえで、こう証言した。

「ただ幕(海上自衛隊幕僚監部)や内局(防衛庁内部部局)は、私が見たようなビデオ以外にも、多数のビデオテープやスチール写真を保管しているという話です。

その中でも通常は特定の幹部しか見ることのできない『機密』とされているビデオやスチールにはさらに驚くべき内容の映像が映っているはずなんです。

そして海自は軍事機密上の理由から、これらの資料を公表していないことはもちろんのこと、警察など捜査機関にも提供していません」

海上自衛隊幕僚監部は小誌の取材に対し、「現時点でそのようなビデオは存在しない」と否定した。

しかし「スチール写真を含め工作船、情報船等についてのデータをまとめた資料」の存在については「『ある』とも『ない』ともお答えできない」と明言を避けたのだった。

現在、日本政府が「拉致」と認定している十件十五人のうち、日本の沿岸から拉致されたケースのほとんどが、七〇年代の後半に集中している。

もしビデオに映っていた不審船が、分隊長が当時言っていたように、北朝鮮の「拉致工作船」で、ズダ袋の中に拉致された日本人が入っていたとしたら、少なくともP3Cが導入された八一年末から八九年初めまでの間に確実に二人が拉致されていたということになる。

北朝鮮が拉致を認めた今こそ、海自や海保、そして警察など関係機関が、過去にそれぞれが蓄積しているデータをお互いに公表し、情報を照合することこそが、新たな拉致被害者の認定に繋がるのではないか。

そしてそのすべてを政府が毅然とした態度で北朝鮮に突きつけ、拉致という国際犯罪、国家主権侵害の全容を解明することが、国交正常化交渉の大前提ではないか。

この中村氏の告発に対し、拉致被害者、増元るみ子さんの弟、照明さんはこう語る。

「防衛庁は即刻、情報公開すべき」

「防衛庁だけでなく、警察庁や海上保安庁、あらゆる役所に言いたいのは、何のための情報収集なのか、ということです。国民の生命を守るために、情報を生かさなくては意味がないと思います。

もっと早くお互いに情報を交換し、共有していてくれれば、拉致事件はもっと早くに解決していたと思います。

ただ、今さら彼らを責めてもどうしようもない。今からでも遅くない。行動してもらって、一刻も早い解決のために力を合わせて欲しい。それだけです」

防衛政務官の経験もあり、拉致議連の副会長を務める米田建三氏も、こう指摘する。

「この話が事実ならば、防衛庁は即刻、その情報を公開すべきです。情報ルートの秘匿も重要で、限界があるかもしれませんが、北が拉致を認めている今こそ警察、海自、海保などの関係機関は、極力情報を擦り合せ、連携して北に突き付けるべきだと思います」

だが、前出の防衛庁関係者はこう指摘する。

「旧ソ連の崩壊後も、海自の警戒監視活動の主対象は、ロシアや中国の軍艦や潜水艦で、北朝鮮の工作船などは、はっきり言って重要視していなかった。実際、不審船問題が世論の注目を集めたのも、九九年の能登半島沖の不審船事件以降だからね。

自衛隊はいまだに『正規戦』の概念が強く、その抑止が主たるミッションだと考えている。テロやゲリラ、工作といういわば『低強度戦争』への関心は低かったということだ。ゆえに不審船対策も海保、警察のミッションと考えていた。

そして警察は警察で『海保に通報すれば、不審船を追い払うだけで、スパイ捜査に支障をきたす』と考えていたし、海保は完全に、情報の蚊帳の外に置かれていた。

まさに縦割り行政の弊害で、そんな三者に過去の情報の擦り合わせなどできるわけがない。第一、現在の不審船対策ですら、満足に連携できていないんだから……」

一九八三年、旧ソ連戦闘機が大韓航空機を撃墜し、日本人を含む多数の乗客が死亡した事件では、撃墜を否定する旧ソ連政府に対し、当時の中曽根内閣は、日本の通信傍受施設が傍受した旧ソ連戦闘機と地下指揮所との交信記録を公表した。証拠をつきつけられた旧ソ連は、撃墜の事実を認めた。

この決断には当然、防衛機密を諸外国に知られるというデメリットがあったが、当時の政府は敢えて「自国民の生命を守る」という外交上の目的を優先させたのである。

今回の北朝鮮による拉致事件の全容解明にも、当時と同様、いやそれ以上の政治決断が求められている。

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