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北朝鮮の日本人拉致行為とその理由

(北脱出者同志会機関誌「望郷」8月号)

キム・キルソン著・Vladimir

今日北朝鮮は国際社会で「テロ国家」、「犯罪集団」という烙印を押され、多くの国から後ろ指を差されている。

半世紀が過ぎて、住民たちの最も一次的かつ基本的な「食べる問題」さえ解決できないながらも、「主体思想の終局的勝利」という「金日成主義の完成」のために、対南赤化統一の野心と、このための犯罪活動を行っているということはかねてから広く知らされた事実である。

はなはだしきは麻薬取引と偽造貨幣の流通というチンピラが行うような犯罪も、国家的、党籍レベルで組織的に行うことによって、北朝鮮当局は既に国家としての存在価値を放擲した。各種の犯罪活動が国際舞台で首根っこを捕えられる都度、居直り反駁のように逃げ腰と責任転嫁だけを恣行しているため、北朝鮮を国家的、人倫的、道徳的価値観を基準として評価するということ、すでに無意味なことと見なされている。

北朝鮮当局がかなり以前から対南赤化統一の野心実現のために、対南敵対活動とはなはだしきは韓国住民たちを拉致して各種のテロ活動を敢行してきたということは既に広く知られている。

北朝鮮当局は、彼らの実現不可能な汚い野心のためにわれわれ民族のみだけでなく、周辺国らにも深刻な被害をおよぼし、最近は日本の再武装、日本の自衛的軍事活動の口実を一層高めている。

筆者は北朝鮮が行う数多くの犯罪事実の中できわめて一部分の、日本に対する侵入と日本人拉致、そしてその理由に対して語ろうと思う。

私が北朝鮮の対南及び国際犯罪事実を知るようになったのは、1987年3月当時、朝鮮労働党中央委員会直属の政治学校に入学するようになったときからであった。

朝鮮労働党中央委員会直属政治学校(現・金正日党書記政治軍事大学対南スパイ総合養成所)は北朝鮮の対南部署の3号庁舎作戦部所属で、一年に60人ないし80名以上のスパイを養成、卒業させて各種のスパイ行為を行っている。

今日、北朝鮮では対南スパイらに最上の待遇を与えることを条件に、彼らを各種の犯罪行為とスパイ活動、そして死へと追いやっている。

この学校を卒業した人ならば誰でもみな全く同じことながら、はじめからスパイ学校ということを知って入学する人はただ一人もいないであろう。

入学する2〜3年前から、北朝鮮で最も良い大学、最も良い地位に就けるという美辞麗句にだまされ、熾烈な競争を経て入学する。入学して感じ、体験してはじめて、そんな話は嘘であることを知るのである。

当時、朝鮮労働党3号庁舎所属「朝鮮労働党中央委員会直属政治学校」に入学するようになった私は、いわゆる「南朝鮮革命家」として、想像さえできなかった接待を受けることになり、これまでまったく知らなかったさまざまの驚くべき事実にも接するようになった。

1987年11月のある日だったと思う。

当時、韓国での88オリンピックを阻止しろとの金正日党書記の指示により、対南スパイの総本山の3号庁舎(対外情報調査部、作戦部、社会文化部、統一戦線部)が韓国のみだけでなく、世界の随所で各種の対南敵対活動を試みていた時であった。

そのようなある日、韓国の大韓航空機が東南アジアで空中爆破され、そのうわさは北朝鮮に広まった。もちろん北朝鮮の一般社会ではまったくこの事実を知らなかった。

逮捕された金賢姫さんはわが校 (当時は朝鮮労働党中央委員会直属政治学校。,1992年1月25日、金正日党書記政治軍事大学でに改名)の分校である牡丹峰地区の卒業生で、対外情報調査部の工作員であったという事実、また韓国では北朝鮮工作員というよりも、まるで本物の日本人のようだと思う人が以外に多いという事実など、さまざまな話が出てきた。また私たち学生は、金賢姫さんが逮捕された後であっても、なお本物の日本人だと信じる韓国人が多いほどのレベルならば、日本人化教育がものすごくうまくいったのではなかろうか、なとどいう話をいろいろしていたものだ。

こうして学校にある日本人教官たちに対する話題が自然と出てくるようになり、金賢姫さんの日本人化教育の教官、李恩恵に対する話も頻繁にされるようになった。しかし金賢姫さんが日本人教官、李恩恵から日本語を学んだという事実、李恩恵さんが拉致された日本人であるという事実は、北朝鮮当局に致命的な打撃となり、あげくの果てに工作員たちと外国人教官たちが一日中ともに生活するのは、色々な側面で不利である、と北朝鮮当局では判断したようだった。

なぜなら、工作員と教官が一つの釜のご飯をともに食べ、ともに生活すれば、工作員が教官に関するあまりにも多くの事実を知るようになり、万が一、工作員が逮捕される事態にでもなれば、いろいろな問題が発生する可能性がある、というのがその理由であった。

こうして日本人教官たちの事務室は分校、われわれは本校に出てくるようになり、毎朝の教育時間だけ小型バスに日本人教官らが分乗し、牡丹峰地区、金剛山地区、七宝山地区などへ行って教育するようになった。

そのような1988年の夏、革命を終わりまで自分で遂行しようとするなら政治思想的、技術的水準が高くなければならない、という金正日党書記の指示により、各戦闘連絡所で10期、11期生たち80名以上が再教育を受けるため、わが校に入学してきた。

世の中は広くて狭いのか?

対日工作連絡所の清津連絡所で戦闘員であった鄭某は、意外にも学校で自分が1970年度序盤に日本に侵入し、拉致してきた日本女性と、学生と教官という身分で会うようになった。

原則的には詳細な話をすることは許されなかったが、この事実を知るようになった私たちの絶え間ない質問に鄭某は、彼女が自分が日本海の半島海岸側から侵入し拉致した女性であるが、当時は処女であると知りながら拉致した。しかし拉致し船に乗せてから学生であることがわかった。今でも彼女を思うと申し訳ない気持ちになる、と話すのであった。

その時以降、彼女たちを拉致された日本人だと漠然と見てきたわれわれは、いまあの日本女性の心情はどうだろうか、あの日本人の友人は何故あのように頻繁に笑うのだろうか、など彼らをなにげなく見ることができなくなった。

率直にいって、当時、私は日本人拉致を反人倫的な罪悪とは微塵も考えたことはなかった。取りあえずわれわれの祖国が分裂になるようになった最も大きい理由のひとつが、日本が韓国を植民地占領したためであり、朝鮮祖国の統一のために日本人の犠牲はあまりにも当然のものである、とだけ考えていた。もちろんこの期におよんでは、このようにしか考えることのできなかった自分自身が恥ずかしいだけだ。私が日本人を拉致したことがどれくらい卑劣で反人倫的行為かを心より感じるようになったことは、拉致された日本人たちの両親に会い、彼らの痛みを感じるようになったときからだった。

北朝鮮当局はなぜ日本人を拉致し、またどのように拉致するのか?

北朝鮮3号庁舎で日本人を拉致する理由は、もちろん対南赤化統一野心の実現のためにである。北朝鮮は日本を対南スパイ活動のための中間基地と見做し、日本を通じた対南侵入、日本を通じた対南スパイらとの接触、日本を通じた対南情報および諜報収集などを絶えず行っている。

ところが、日本に侵入して活動をしようとするならば、日本語が必須であり、日本人とまったく同じスパイの養成をやり遂げなければならない。結局、彼らはいろいろな階層の日本人を拉致し、彼らをスパイの日本人化教育に利用するようになったのである。

事実、北朝鮮スパイの対日侵入は、対南侵入に比べて相対的にものすごくやさしかった。なぜなら終わりのない対南挑発に比べて、日本側では相対的に北朝鮮の威嚇をあまり感じておらず、以前までは日本は国際法上、武装して海岸警戒行為をすることができなかったためだ。

したがって、北朝鮮の清津連絡所のスパイ船は日本をうろつくようになった。うろつくようになって、日本の警備艇や巡視船に発見されても逃亡しさえすればよかったのだ。

清津連絡所のスパイ船は、日本領海をうろつき侵入しながら、2〜3名のスパイを日本海岸に上陸させ、すでに潜入しているスパイと接触したり、日本人をむやみに拉致してきた。どれくらい日本侵入が頻繁であったかは、例えば1991年には波が高く暴風が吹き荒れる日にも日本侵入をあきらめず、日本領海に侵入したが、小型船は波に押され暗礁に乗り上げ、金正日党書記政治軍事大学19期生の彼ら3名中2人はその場で亡くなり、1人だけやっと一命をとりとめた。助かったこのスパイも、ほとんど1ケ月のあいだ日本に隠れており、身を隠している途中で北朝鮮とやっと連絡がついて帰国した。

知る人はみな知る事実だが、北朝鮮スパイ船はきわめて高速である。世界最高の経済大国という日本が、いまだに北朝鮮スパイ船を追いかけることのできる警備艇も巡視船も保有していていない事実だけを見てもわかる。表向き50トン程度の漁船に偽装している北朝鮮スパイ船は、実際には70トンないし80トン (100トン級もある) で、最大速力は50ノット以上である。船尾には、他の船とは異なり、4台のOMC高速エンジンを持っている。平時には一台のエンジンだけを低速で稼動させ、あたかも漁船のように装っているものの、いったんスパイ船を相手側が捕捉すれば、4台の高速エンジンをすべて稼動させ、40ノットから50ノットの速力で逃亡する。

したがって、日本巡視船らは北朝鮮スパイ線を発見しながらも、結局取り逃がしてしまうのである。実際にこのような実例は何度もあった。今年初めにも、やはり日本領海に2隻の北朝鮮スパイ船が同時に侵入したが、日本の警察による海上および空中追跡と、予想しなかった威嚇射撃を受けて尻ごみした事実がある。恐らく北朝鮮スパイ船の頻繁な日本領海侵犯で、日本が国際法を破ってまでも武装し、攻撃するようになったようだ。

実際に金正日党書記政治軍事大学在学期間のあいだ、われわれはこのようなスパイ船に乗船し、数カ月間、海上訓練をするようになった。大部分の船舶とは異なり、北朝鮮のスパイ船には何の識別もない。敵地に侵入する時だけ、それぞれが勝手に船の名前を貼り付けながら、自分たちの身分を隠している。

外見だけでは日本の漁船と違わないこの北朝鮮スパイ船は実際、内部の施設などを見ても、あたかも日本の船舶と錯覚してしまうかのようである。なぜなら大部分の乗船人員などはある程度の日本語の実力を揃えており、彼らが着る服も食べ物までみな日本製であり、はなはだしきは侵入用潜水服も「アクアルイング」日本製であり、レーダーもやはり日本のフルノサで作った50マイル、200マイルレーダであるためだ。それだけでなく、これらはローラン受信機を船に装着し、日本から送られる電波で公海上でも日本の領海でも自分の位置を判定し、豊かなスパイ行為を行っている。

こういうスパイ船は数十隻保有されており、侵入スパイだけで400余名程度になる。

清津連絡所は3号庁舎所属であり、元山(いまは古城)連絡所、南浦連絡所、海州連絡所、開城連絡所、沙里院連絡所などとは異なり、対日工作機関である。

10年以上スパイ訓練を受けたスパイは、対南侵入と比べて日本侵入を「朝飯前」と感じており、日本侵入は数十回成功しても英雄称号を一度受けるのさえ大変むずかしい。それほど日本への侵入が多いということだ。

もちろん対南連絡所に所属するスパイも、韓国に何回も侵入し任務を遂行したとしても英雄称号が容易に受けられるというわけではなく、死の危機をくぐりぬけ、あるいは重要度の高い任務を成功裡に完遂した時、もしくは戦闘の果て、死亡した後にようやく英雄称号というものを受けることができるのだ。

北朝鮮から脱出してきた人ならば誰でも知っている事実だが、今日まで北朝鮮には三重英雄がいない。英雄称号を勝手に持つことができる金日成主席でも金正日党書記でも、さすがに恥ずかしいのか、まだ三重英雄までは欲張ることができずにいる。

金日成主席、金正日党書記も持っていない三重英雄称号を、3号庁舎南浦連絡所のスパイだったナム・チャングンという人が持つようになる。

1980年のある日、数十回の対南侵入を成功的に完遂した二重英雄のナム・チャングンは最後に韓国に侵入したが、大韓民国警備艦と遭遇して深刻な打撃を受け、最終的に侵入したスパイ全員が自爆し、彼は三重英雄となったのである。

金日成銅像のほかには、金正日党書記の銅像さえもむやみに立てることができない北朝鮮で、たとえ南浦連絡所の構内といえども、彼の前身銅像まで作られたという事実は、北朝鮮が対南侵入行為にどれくらい高い重要度をおいていているかをよく知ることができる一つの実例である。日本人拉致のみだけでなく休戦以後、北朝鮮スパイが数千名の韓国住民たちを拉致したことは、すでに大韓民国も認めた事実だ。その他にも北朝鮮3号庁舎では国際社会に麻薬販売、武器販売、偽造貨幣の流通など各種の犯罪行為を遂行している事実を、われわれは看過してはならない。

平和を愛し、自由と経済的豊饒を貴重と考える人ならば誰でも、北朝鮮当局が対南赤化統一の野心のためにどれくらい卑劣で反人倫的な犯罪も遠慮なく行うか、ということについて鋭く警戒すべきである。

準備してはじめて対決に勝つことができるのだ。

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