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「オウムと北朝鮮」の闇を解いた4

(週刊現代 1999年9月11日号)

故金日成の「毒ガス兵器」研究と麻原彰晃のテロ実行−韓国の情報機関は事件に「北」の影を察知していた!

高沢皓司(ノンフィクション作家)

一連のオウム事件が起こった直後から、韓国が事件と北朝鮮の関係に注目していたことはよく知られている。その根拠には、先週号で指摘した、金正日総書記の「日本破壊・掻乱工作」の存在があったことはいうまでもない。そしてもう一つの根拠が、故・金日成主席が指示した「毒ガス兵器」研究だった。

オウム事件は「第2次クーデター」

「私たちだったら、よかったのに。でも、私たちじゃないですよ。私たちには、あそこまでの力量がなかった」

サリン事件をはじめとする一連の才ウム真理教テロ事件のあと、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の首都・ピョンヤンを訪れた私の前で、「よど号」ハイジャック・グループの「妻」たちのひとりがそうつぶやいた。東ピョンヤンの、グループの事務所の一室、鞄の中身を整理しはじめていた私は、その言葉に思わず振り返った。

オウムのテロ事件が引き起こされたとき、その事件の性格と、北朝鮮工作組織のやり方との類似性に、どこかで「よど号」グループも関与していたのではないか、という漠然とした倶(おそ)れを私はいだいていた。そのことを彼らだけでなく、「妻」たちにも問い質した直後のことである。

「よど号」グループは公的には関与を否定したが、その動揺は隠せないものだった。もっともこの動揺は、関与の事実というよりも、どこかで思い当たることがあるという、不安を表現した動揺であったのだろう。その背後には、1982年5月6日、金正日がピョンヤンの「よど号」、のハイジャッカーたち(現在の彼らの組織は「自主革命党」という党組織になっている)に与えた、「日本破壊・掻乱工作」の「親筆指令」があった。この「親筆指令」のなかに書かれていた日本攪乱工作の内容が、サリン事件につづく一連のオウム真理教のテロ事件と、写し絵のように重なっていたのである。

金正日の幻の「日本クーデター計画」と、オウム真理教のテロ事件のあまりもの類似に、私は戦慄したが、それは私だけでなく、当の「よど号」のハイジャッカーたちにも大きな動揺を与えていた。

しかし、この対日工作を担った「よど号」グループは、日本国内への潜入帰国や「妻」たちのたびたびにわたる北朝鮮と日本国内の往来にもかかわらず、「指令」の内容を具体化させ、実行に移すことに失敗した。この幻の攪乱工作(クーデター工作)を仮に第1次クーデター工作と呼ぶことができるとすれば、オウムの一連のテロ事件は、まさに第2次クーデター工作と呼ばれるべきものではなかったのか。

韓国政府関係者も「北が関わっている」

オウム真理教の一連の事件の背後には、はっきりと、北朝鮮工作組織の深い闇と影がある。この疑惑は、事件直後から何度も浮上していた。『週刊現代』誌上でも、「闇の組織しとして当時も何度か取り上げられている。しかし、その実態はいまだに解明されたとは言えないままである。しかし事件当時から、いちはやくサリン事件をはじめとする一連のテロ事件に、北朝鮮の影を読み取っていた国や機関は数多くあった。地下鉄サリン事件の直後、ニューヨークや香港では、毒ガスを使ったテロ事件を想定して緊急の対応策が検討されているし、防護・避難訓練が行われている。

このうちもっとも反応が早かったのは、もちろんというべきだろうが、韓国だった。

東京の地下鉄サリン事件が起こったのは1995年3月20日。その翌日の3月21日にはソウルを中心に全国の地下鉄、鉄道、空港、デパートでの検問を強化、緊急の対策に乗り出している。

さらに、ソウルだけではなく釜山などの主要都市を含めて、地下鉄駅に毒ガス用の防護マスクと解毒剤を配備した。国民への対処要領の配布や、広報、呼びかけ、訓練なども実施された。

「毒ガスから逃げるときは防護マスクや濡れタオル、ビニールなどのありあわせのもので呼吸器を保護し、皮膚の露出を避ける」よう呼びかけてもいる。

これらの韓国の対応は、一般的なテロ対策だけだとは、とうてい思われない迅速な処置である。明らかに北朝鮮のテロ活動を意識していた。

さらに、韓国の新聞『東亜日報』や『朝鮮日報』は、「北朝鮮が毒ガスを使ったテロ行為に出るおそれがある」ことをはっきりと、紙面で警告していた。

韓国の政府と情報機関は、一連のオウムの事件とサリンという毒ガス兵器に、北朝鮮の影をはっきりと読み取っていたのである。北朝鮮が大量の毒ガス、サリンを保有していることを報道した新聞もあった。

「明らかに北朝鮮のやり方だと想定されました。東京で事件が起こったなら、ほぼ同時にソウルでも同じような毒ガスを使った事件が引き起こされるのではないか、ということがいちばん心配されたことです。(韓国)国内では、これまでに北朝鮮の工作組織によるテロ事件が頻発しているという事情がありましたから」(韓国政府関係者)という証言もある。この韓国政府関係者は、また、「オウム事件の背後に、直接ではなくとも何らかの形で、北朝鮮の工作組織が関わっているのは、ほぼ間違いのないこと」

とも、語っている。

まさに金正日の極秘「破壊・撹乱工作」の内容を、筋の違うものではあっても、韓国の情報機関は明確に察知していたことになる。

最大の狙いは「自衛隊工作」

では日本の政府、公安当局ではどうだったのか?

一連のオウムの事件のその後の捜査の状況を追いかけてみると、はなはだ不思議な事実にいきあたる。事件の背後に北朝鮮の影が落ちはじめると、なぜか、捜査はそこで行き詰まり、突然、方針が転換されているとしか思えないような事態が頻出する。

国松警察庁長官狙撃事件しかり、村井幹部刺殺事件しかり、オウム幹部の北朝鮮渡航疑惑しかり、覚醒剤疑惑しかり……である。

取材を進めるなかで、どうやら、この事情は、あくまで一連の事件を一般的な刑事犯罪の枠のなかに閉じ込め、真相の隠蔽(いんぺい)を意図しているのではないか、と思われるような事態にも遭遇した。

もっとも、自衛隊のみは事件の直後から、情報部門の組織改変をすすめ、「アジア地域の情報収集と分析の強化」を主眼に、「防衛庁情報本部」を設置した。では、なぜ自衛隊だけが、このように北朝鮮に関する情報収集の強化を図ったのか。それは、北朝鮮がいろいろな形で対自衛隊工作を仕掛けてきていることを、自衛隊自身が察知していたからに他ならない。

ここで私は、驚くべき事実を初めて証言しようと思う。実は、「よど号」ハィジャッカーたちの対日工作の中で、最大の狙いは、他ならぬ「自衛隊工作」だったのである。

「よど号」グループに下された金正日の「親筆指令」のなかには、次のようなことが述べられている。

「軍隊(自衛隊)工作も含め、あらゆる戦線で軍事クーデターを準備せよ! 軍にいる人間を獲得し、さらに、育成して送り込め! そして軍事クーデターに必要な人間をあらゆる要所要所に配置せよ!」

ここで重要なのは「育成して送り込め!」という部分である。実際、「よど号」グループが注目し、実践に移そうとしたのもこの部分だった。メンバーの一人、柴田泰弘が国内に潜入した任務も、ここの部分の比重が大きかった。

彼らが考えたことは、国内で年若い青少年を選び、出身や身元の調査(北朝鮮の工作用語で「人定了解活動」という)を終えたのちに、身元(北朝鮮の用語で「出身成分」という)が問題なければ北朝鮮に送り込む。北朝鮮で思想教育を受けさせたのち、日本に帰国させる。この段階で問題を生じたケースでは、そのまま「拉致事件」になるケースもあった。日本国内から10代の青少年がそのまま消息を絶つことになる。

思想教育あるいはブレーン・ウオッシング(洗脳)がうまくいった場合には、若者は日本に帰国させられ、指示に従って防衛大学校を受験させられる。仮面の下に金日成思想を隠した将来の幹部候補生がひとり誕生する。防衛庁および自衛隊に潜入工作員が送り込まれたことになるのである。

この潜入工作員は、普段は普通の隊員として目常生活を送り、自ら金日成主義の思想を語ることもなければ、それらしいそぶりを見せることもない。金日成主義の工作活動員にとって、自らの思想信条を明かさないことは工作活動上の鉄則である。ひそやかに、ゆっくりと工作員は培養される。そして、ある決定的な事態が引き起こされたとき、この工作員は、はじめて自分の任務を果たすことを要求される。

実際、そのような形で「よど号」グループの手によって北朝鮮に送り込まれた人間は多数にのぼる。彼らの日本人獲得工作の秘められた、もうひとつの真の意図は、そこにこそあった。これは、彼らの政治組織拡大のため、「中堅幹部養成」要員としてヨーロッパ留学生を「拉致」していた事件とは、はなはだしく事情の異なる工作の一面だった。

国内に潜入していた柴田泰弘が、「現役会」と称する高校生対象の進路指導の会に指導員として潜り込んでいたのも、じつは、そこに狙いがあったようである。

この工作活動は、'80年代の前半に、主として北朝鮮と日本を往来していた「よど号」の「妻」たちによって担われていた。当時の獲得者の何人かは、すでに自衛隊内部で幹部の地位にいてもおかしくはない。

もっとも、この工作活動は'80年代の後半には、より細分化され、工作活動の幅も広がり、実際には彼女たちがどの.ような工作任務に位置づけられているのか、自分でもわかっていた人間は少ないはずである。後年の横須賀のカフェ・バー「夢見波」の事件では、北朝鮮の「工作員」として店のママが逮捕されたことがあったが、彼女の場合のように、まったくのダミー要員であった例もある。

これらの例からもわかるように、北朝鮮の工作組織の活動実態は、極めて巧妙で長期間のタイム・スパンのもとに計画実行されている。そして、複雑怪奇なのである。

『金日成著作集』に躍る「毒ガス」の文字

さて、この工作例と極めて類似した事件が、オウム真理教の周辺でも起こっていたことを記憶されているだろうか?

千葉県習志野市の陸上自衛隊第一空挺団が、サリン事件直後に実施した出動準備態勢の内容が、オウム真理敦の雑誌『ヴァジラヤーナ・サッチャ』に詳細に報じられていたという事件である。公表されていない内容も含めて、オウム真理教側は詳細に把握していた。これレの情報は、自衛隊内部からの漏洩と見られ、一躍、ニュースとなった。これらの事件の背景にも、対自衛隊工作と表裏一体となった、ある種の工作活動の影がかいま見えている。そして、これもまた、かつて「よど号」のハイジャッカーたちが、国内で企てていた(そして失敗した)工作活動の実態と、極めて類似したものとして重なってくるのである。

教団武装化を唱えはじめたオウム真理教が、武器の製造と兵器の開発に活動の重点をおいていったことは、すでによく知られている事実だが、しかし、ではなぜ、サリンであり、毒ガス、あるいは細菌兵器であったのか。これは、兵器の種類としても一種、異様なものに見える。オウム真理教はこれちの兵器製造をどこから発想したのだろうか。またサリン事件のあと、韓国政府が、なぜ、あまりにも用意周到に北朝鮮を想定した防護訓練を実施していたのか。

これまでにも指摘したように、これらの兵器と武器開発こそは、北朝鮮という全体主義国家を読み解く、ひとつの重要なキー・ワードそのものであったのである。

ここに金日成の毒ガス、あるいは細菌兵器についての大量の論文・教示がある。その中の一つ、『金日成著作集』に書かれた記述をここに紹介しよう。私の手元にあるのはピョンヤン版である。

「アメリカ帝国主義者が細菌兵器を使用しているからといって狼狽したり恐怖をいだく必要はなく、また、だからといって警戒心を高めず、細菌兵器にたいする対策をおろそかにしてもなりません。細菌兵器にたいする戦いは、ねばり強く行うべきです」

「アメリカ帝国主義が朝鮮人民にたいし細菌兵器を用いているのは世人のよく知るところです」

「細菌兵器の使用に効果的に対処するため、……各種の予防薬を量産しうるよう科学研究活動を行うべきです」

「アメリカ帝国主義者は……朝鮮戦争で毒ガスや細菌弾までためらうことなく使っています」

「16力国の武カ侵略者は朝鮮民主主義人民共和国にたいし各種の現代兵器と細菌兵器、毒ガスやナパーム弾を使用しています」

「朝鮮人民に……殺人用細菌兵器、毒ガス、ナパーム弾を使用……アメリカ空軍は細菌弾と殺人用微生物の入った各種物体を投下しました」

これなどは、まるでオウム真理教が最初に主張していた「サティアンを狙って、米軍がサリンを散布している」という主張とそっくりである。

誰が麻原に吹き込んだのか

また『金日成著作集』には「敵の細菌兵器にたいする闘争対策について」と題した一文もおさめられている。

もちろん、ここで述べられているほとんどの教示、内容は1950年当時の朝鮮戦争時のものである。しかし、これらの金日成教示は、毒ガス、細菌兵器という単語のオンパレードでもあった。

そして金日成はそれらの細菌兵器や毒ガスの研究を、ここに見るようにたびたび呼びかけていた。でも、ここで金日成が呼びかけているのは防護策と解毒剤の研究ではないか、と思われるかもしれない。しかし、防護策と解毒剤の研究こそは、それらの製造研究を呼びかけていることと同義なのである。その物が製造できなければ、その防護策と解毒剤の研究もできない。防護策を研究するためには、まずそれを製造する技術を手に入れなければならない。

金日成がそれらの研究を呼びかけているというこの事実だけが、この場合、極めて重要な意味を持っている。

このことは、かつて「反核」運動を背後で操りながら、実際には「核」開発の研究を推進した例でも明らかであろう。朝鮮戦争以降、北朝鮮では毒ガス、細菌兵器の研究が、国家的課題として進められたことは、いまでは疑う余地のないことになっている。

そして、金日成の著作、教示に親しめば親しむほど、これらの「言葉」と兵器としての重要度は、金日成主義考の頭脳に強烈にインプットされることになる。

オウム真理教が毒ガスや細菌兵器の開発に手を染めはじめていたのは、そこに北朝鮮工作組織の浸透があったとすれば、けっして偶然ではないのである。

では、誰が、これらの知識を、麻原彰晃をはじめとするオウム真理教の幹部に吹き込んだのであろうか?

あるいは誰が、どのようにオウム真理教を「反米帝」テロ組織、北朝鮮型の組織体系として育成し、誘導していったのだろうか。

私たちはオウム真理教に潜入したAというチュチェ思想国際研究所(尾上健一事務局長)の元局員を追いつづけた。しかし、これだけのことをAひとりがやったのだとは、とうてい思えない。

私たちはさらに、教団内部の北朝鮮コネクションを追いつづけた。そして、そこに「工作員」Aに連なる「工作員」B、「工作員」C、D、E、F……という、北朝鮮工作組織につながる者たちの隠された姿を捉えることになったのである。

(文中敬称略、以下次号)

■取材協力 時任兼作、今若孝夫(ジャーナリスト)

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