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「オウムと北朝鮮」の闇を解いた3

(週刊現代 1999年9月4日号)

金正日総書記直筆の「日本破壊工作」指令書の全貌−一連の「テロ事件」の謎を解くカギはすべてここに隠されていた!

高沢皓司(ノンフィクション作家)

松本サリン事件の被害者の遺族が拉致、脅迫される事件が起きたばかりだが、このサリン事件をはじめとする「オウム・テロ」は、すべて、一通の指令書から始まっていた!?

北朝鮮で「親筆指令」と呼ばれる、この最高機密文書には、日本破壊・攪乱工作の指示が詳細に記されていた。驚情のスクープ第3弾!

'82年のピョンヤンから始まった

1995年3月20日、日本の首都・東京の中枢部で引き起こされた地下鉄サリン事件。刻々と報道される現場からのテレビ中継の映像を見ながら、私は一種、名状しがたい不安と動揺に見舞われていた。いま、目の前に繰り広げられているこの光景は、なんなのか? 誰がなんのために? 私の不安には、ある根拠があった。

そして、次第に事件をめぐる事情が明らかになってくるにつれて、私はその不安がひとつの方向に向かって形を取りはじめてくるのを感じていた。一度は「闇」から「闇」に潰え去った、秘められた幻のクーデター計画(日本破壊・攪乱工作)が、ふたたびはっきりと像を結びはじめるのを感じ取っていたのである。その発見は、私を戦傑させた。

この地下鉄サリン事件をはじめとする一連のオウム真理教テロ事件には、まだ数多くの謎が残されている。いまでもすべての事件が解明されたとは言えず、未解決のままになっているものも多い。

そして、その謎を解く鍵のひとつは、じつは1970年に「よど号」で北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に渡ったハイジャッカーたちが握っていたのである。幻の日本攪乱工作は、じつは1982年の北朝鮮・ピョンヤンから始まっていた。

私は、そのことについてここでようやく、新しい証言をはじめなければならないだろう。

その年、1982年5月6日、「よど号」のハイジャッカーたちは、「親愛なる指導者同志」金正日から、直接に、ある極秘指令をうけていた。その内容は、まさに「日本破壊・攪乱工作」であり、北朝鮮では「親筆指令」と呼ばれる金正日自筆の署名のある、最高機密指令だった。

そして、その内容こそが、いま眼前で繰り広げられているオウム真理教の一連のテロ事件と、そっくりそのまま重なるものだったのである。

私は一連のオウム真理教による事件の報道を聞きながら、「これは、あの対日攪乱工作の形を変えた出現だ」と考えざるを得なかった。すべては、あの「よど号」グループに発せられた「親筆指令」から始まった、と考えられるのである。

オウム真理教による一連の事件が続発していた頃、私はたびたび北朝鮮への渡航をくり返していた。「よど号」グループとピョンヤンで会うために、である。当時の私には、彼ら「よど号」のハイジャッカーたちが、1960年代の学生運動の高揚のなかで、北朝鮮に渡ったまま帰国もままならない政治的遭難者と見えていた。彼らの帰国と、発言の場を国内で持たせるために、私は進んで支援者の一人となった。

しかし、私は彼らの発言と行動に、どこか違和感を感じはじめて、支援者の列から離れた。その、彼らとの出会いと訣別の経緯を含めて、「よど号」グループの工作活動の実態を書いたのが、『宿命−「よど号」亡命者たちの秘密工作』(新潮社)という本だった。私は、彼らの本当の姿がわかってくればくるほど、彼らのなかに不透明で異質なものを感じはじめていたのである。

オウム真理教の一連の事件が引き起こされた1995年春という時期は、まだ彼らとの関係がいまほど決定的な訣別にはいたっておらず、私は事件の直後に、ある重要な内容の会談のためにピョンヤンを訪れた。明かしてしまえば、オウム真理教最高幹部のひとり、早川紀代秀「建設省」長官と、「よど号」グループ、あるいは北朝鮮との関係について、「よど号」グループのリーダー・田宮高麿と話をつめる必要があったからである。早川については、事件直後からなにかと北朝鮮との関係が噂されていた。会談の内容いかんによっては、オウム弁護団の今後の方針にも大きく影響のでる事がらだった。

金正日からの「親筆指令」の内容に入る前に、ここは、まずはその時のことから書きはじめざるをえないだろう。

「尊師」と呼ばれて怒った田宮高麿

会談は、結論を先に書いてしまえば、田宮の、

「早川幹部と『よど号』グループの間に直接的な繋がりは何もない」

という言葉で打ち切られた。

私の『宿命』という本にたいする北朝鮮側からの批判が、パンフレットになって北朝鮮で出されていることは第1回にも述べたが、じつはこのときのピョンヤンでのやりとりの模様が、そのパンフレットの中にも一部、出てくる。例によって嘘に嘘を積み重ねる手法のいつもの書き方だが、この稿をすすめるに当たって重要なことなので、若干の引用をしてみる。

「彼(筆者の私をさす)との交際の最後の時期、彼の。言動には不穏当なものが多かった。食事中、田宮同志に対して『尊師』と呼んで、われわれを不愉快にさせたことがあった。もちろん『客人』と思いがまんし、そのことは顔色にも出さなかった。当時、オウム真理教事件が世間を騒がせていた時期だったが、この時期、なにかと彼は我々とオウムを結びつける発言をくり返していた。……『元統一教会幹部だったオウムの幹部が、ピョンヤンにきた可能性がある。彼と(我々が)会ったのではないか』等々」

「(田宮が)『オウムが起こした一連の事件は、外国勢力やで』と語ったと書きながら、(高沢は)それが、あたかも共和国を指しているかのように書いている……田宮同志は明らかにアメリカのことを指してそう語っていた……」

などなどである。

このパンフレットには、そうした、やっきになってオウムと北朝鮮の関係を否定する言辞が頻出している。その不自然さが、私にこの連載の文章を書かせるきっかけのひとつにもなっているのだが、彼らの書いていることは、もちろん事実と違う。

私は確かに、その訪朝時に、いささかふざけた意味合いと親しみを込めて、田宮のことを「尊師」と呼んだが、それは食事のときなどではなくて、空港に迎えに来てくれた田宮と一緒に、彼らの事務所に向かう車中でのことである。そして、本当のことを言ってしまえば、田宮が露骨に不愉快な顔を見せたのは、他の「よど号」メンバーと「妻」たちが、おもしろがって田宮を「尊師」と仲問うちで呼びはじめたときである。このときの田宮の不愉快そうな表情はいまでも、はっきりとおぼえている。

田宮と私はその時、オウム真理教の事件をめぐって、いくつかのことを話し合った。

その時に、田宮はこの連載第1回目の冒頭にふれたような、衝撃的なひとことを吐いたのである。

「筋がちがう……」と。

「私たちだったらよかった」

彼は、同じときにこんなことも語している。

「早川は、むしろIC関係か何かのことで、来ていたのではないか? 共和国がそれらのものを必要としているのは事実や」

「(サリン事件について)あれは、外勢(外国の勢力の謀略)や。恨みをもってでないと、ああいうやり方はできないのと違うか。日本人なら同じ日本人をあんなふうに無差別に殺すことはできないはずや」

と。

そして、彼ら「よど号」グループが日本向けに発行しているニューズ・レター『お元気ですか』が事件直後にオウムの事件にふれて、「外勢の謀略ではないか」と書こうとした時、朝鮮労働党の指導員から検閲を受け、そこの部分の書き直しを命じられたというようなことも、田宮は語っていた。

これらの証言は、北朝鮮側がオウム真理教の事件にたいして、極めて神経をとがらせていたという証言にもなっているだろう。

そして、さらに衝撃的な言葉を、私はその時、田宮の口からではなく、「妻」たちのひとりから聞いている。

「私たちではないですよ。ほんとうは、私たちだったら(私たちがあそこまでやれたのだったら)よかったのに。でも私たちじゃないんですよ」と。

このひとりの「妻」が発した言葉の意味を、正確に理解するためには、「親筆指令」の内容をここで詳しく復元してみなくてはならないだろう。

ようやく、問題は核心に近づいてきた。

金正日の指令は、「よど号」の伸間うちでは「5・6書簡」の名前をもって呼ばれている。この指令が彼らのもとに届けられたのが、先にも書いたように1982年の5月6日のことだったからである。また、最後に麗々しくしたためられた金正日の署名の日付が、同じ5月6日とされているからでもある。そして1982年というこの年は、ちょうど金日成主席の生誕70周年を記念する年だった。

この金正日じきじきの「親筆指令」は、ほぼA4判に近い上質の用紙に数十ぺージにのぼり、大きなハングル文字で横書きに書かれている。「よど号」グループにあてた「書簡」の形をとり、表題や見出しはない。

最初に「前文」に相当するものがあり、そこにはこの「書簡」を「よど号」グループにあてて書くことの理由が述べられている。つまり、「よど号」のハイジャッカーたちの共和国への入国は、お互いに貴重な出会いをもたらしたという内容である。「諸君は金日成主義に精通した優秀な革命家として育った。諸君はすでに日本人民を指導する党としての役割を担えるように成長した。同志たちの指導のもとに日本革命を準備し達成する時期が、切実に迫ってきている」

さらに、このことは、「朝鮮革命の指導的な党である朝鮮労働党と、日本革命の指導的な党創建準備委員会(よど号グループのこと)の諸君との出会い」である、と。この言葉は、「よど号」グループが金日成に最初に謁見したときの、金日成の言葉に由来している。

以下につづく本文には、

「日本を金日成主義化するためには、どうしなければいけないか」

「金日成主義を日本革命に創造的に適用するためには、日本の状況に合わせた指導思想を、金日成主義思想のもとでつくっていかねばならない」

「日本革命の思想とは金日成主義のことである」

「金日成主義とは、労働考階級を領導階級(指導階級)とした勤労人民大衆の自主性を完全に実現させるための思想、と位置づけられる」

など、金日成主義とチュチェ思想の正当性がマルクス・レーニン主義よりも高位のもとして位置づけられており、あらゆる世界、社会での唯一の指導的思想であることが述べられている。

「自衛隊工作」も指示された

退屈な話になってきたが、ここはもう少しだけ読み進めてもらいたい。

そして、それにつづく戦略・戦術論は、およそ次の三つに要約されている。この戦略・戦術論の展開こそが、ここで問題にすべき内容であるからである。

まず、第一に金正日が述べている最初の課題は、

一、主体的力量の準備

であり、次に述べられている第二の課題こそが、

二、暴力革命の準備

なのである。

これには少しばかりの解説が必要だ。わかりやすい言葉に要約して、解説してみよう。

二の「暴力革命の準備」とは、一言で言ってしまうと、日本国内で軍事クーデターを引き起こせ、という指令である。そのための準備はすぐさまはじめなければならない重要な課題であり、決定的な時期を迎えたときに、その軍事クーデターは引き起こされねばならない、というものである。そのためには、

「軍隊(自衛隊)工作も含め、あらゆる戦線で軍事クーデターを準備せよ! 軍にいる人間を獲得し、さらに、育成して送り込め! そして軍事クーデターに必要な人間をあらゆる要所要所に配置せよ! 革命的大事変を準備し、日本国内に引き起こさなければならない」

というものである。

これは日本の新左翼過激派のスローガンではない。北朝鮮という一国の指導者が、日本に金日成主義で革命を起こすために与えた方法、教示なのである。

話を次に進めよう。

では、そのためには、より広範囲に何が準備されなければならないか。これが第一番目の課題である「主体的力量の準備」の意味である。

「労働者階級を領導階級として結集させ、そのもとにあらゆる階層の勤労人民を結集させねばならない」

小難しい言い方だが、ここで金正日が言っていることは、要するにいつでも決起させることのできる人間を、大衆のなかに準備せよ、ということである。ここから必然的に導き出されるのが、その決起のため、あるいは軍事クーデターのための中核となる人間の育成である。中核層、中核的人間の育成については、金日成主義を受け入れやすい人間であることが望ましく、そのためには他の思想的な影響を受けていない人問ほど望ましく、しかも社会的な関心度の強い人間が歓迎される。

と、ここまで書いてくると、この人材の獲得と養成という方針は、なにやら別の脈絡で理解する読者もおられるのではないだろうか。そう、この「主体的力量の準備」という金正日最高指示こそが、のちのいくつかの「拉致事件」=「よど号」のハイジャッカーたちによる「欧州留学生拉致事件」を生んでいく、もとの発想になっていくのである。

軍事クーデター、日本攪乱工作の内容は、じつは、日本人拉致工作と同根のものとして教示されていたのである。

失敗した「よど号」グループ

三つ目の課題内容は、朝鮮と日本の関係についてである。そこでは日本でこうした工作をし、クーデターと人の育成準備を行わなければならないことの意味付けが述べられていた。日朝の関係史や地理的条件、その近接性が述べられ、「日本帝国主義論」で締めくくられている。

「日帝という敵を倒すことがお互いの革命にとって有利な条件をつくりだす。(日本のクーデターと南朝鮮の金日成革命の)利害関係は密接なつながりがあり、切り離すことのできないものである」

いわば、日本のクーデターと南進(韓国)革命は車の両輪である、という意味である。

では、アメリカについて金正日はどのような見方をしていただろうか?

現在の米朝交渉などの緊張関係のなかにあって、このことを興味深く感じる読者も多いと思うので、そこのところを紹介する。

「米帝は日帝をおさえると、有利な方につく。主体的力量が問われているというのは、こういうことである。日本が金日成主義化されるとアメリカはそのことを無視できない。アメリカは日本を見捨ててわが方につくだろう。敵はあくまで日帝であり日本の独占資本、資本家階級である。アメリカは闘う相手ではない」

あくまで、北朝鮮にとっての敵は日本である、とはっきり宣言されているのである。このことは、これからの日本の対北朝鮮外交においても心しておくべきことであろう。

そして、「よど号」のハイジャッカーたちが、「人道帰国」運動などで国内への帰還を願い、日本に帰国するべき理由もここにあったのである。彼らは、「祖国」という言葉を巧みに使いながら、そのじつ、対日工作の先兵として位置づけられ、活動してきたが、その理由も、すべてはこの金正日指令によっている。

しかし、この「指令」を実現しようとした「よど号」グループの工作活動は、1980 年代の後半に挫折した。国内潜入中だった柴田泰弘が逮捕され、潜入帰国をくり返していた「妻」たちにも、「北朝鮮工作員との接触」を理由に、外務省から旅券返納命令が出された(1988年)。さらに、旅券法違反等で国際指名手配も受けている。

「よど号」の対日工作は挫折し、ヨーロッパで繰り広げていた日本人獲得工作(拉致)も、東欧諸国の崩壊などで前線基地と工作拠点を失い、成績を上げられなくなったのである。

オウム真理教が突然のように「日本転覆計画」を言いはじめ、教団武装化という変質を見せはじめた、ちょうど、その時期のことであった。これまでの連載で指摘したように、工作員Aがオウムに潜入したのも、この頃である。

「よど号」グループが失敗した金正日指令の「日本破壊・攪乱工作」を、ちがう筋で、見事に実行したのが、オウムではなかったのか。「私たちができればよかったのに」という「よど号」の「妻」の、くやしさを込めたつぶやきな、そのことを如実に示していたのではなかっただろうか。

オウム真理教の事件は、それでは北朝鮮にとってどのような意味を持つものだったのか。その意義はあくまで、日本攪乱工作の予行演習的な意味合いが強かったのではないか、と考えることができるだろう。それは日本の首都の中枢部・霞が関をターゲットにしたことでも窺える。日本の危機管理の杜撰さと、どのような動きが取られるのかというシミュレーションのデータを得るためにこそ、攪乱工作の第一歩は必要だった。

しかし、たったひとつオウム真理教の事件には、北朝鮮側から見て金日成主義という「指導思想」が欠けていた。オウム真理教には、チュチェ思想の注入が最初から不足であったからである。

だが、ここにおいて金正日の「野望」は、麻原彰晃の「夢想」とぴったり重なっていたようにも思えるのである。秘められた金正日の「極秘破壊工作」指令は、オウム真理教の一連のテロ事件を解読するうえで、重要なカギである。

(文中敬称略、以下次号)

■取材協力 今若孝夫、時任兼作(ジャーナリスト)

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