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ペクトラジ(白桔梗)――北朝鮮におけるアヘン栽培の実態1

(『RENK』第17号 1999.3.1)

朴東明(パク・ドンミョン)

1965年、朝鮮民主義人民共和国平安南道に生まれる。大学卒業後、「三大革命小組」への参加を通じて朝鮮労働党に入党。平安南道の企業所で現場技師として働く。北朝鮮では、大卒の労働党員という肩書きは、「中級以上のエリート」を意味する。

1997年2月、食糧買い出しの際に物資を横取りしようとした人民軍兵士とトラブルになり、二ヶ月間留置される。出獄後、飢餓のため両親が死亡、妻子も行方不明と判明し、中国への脱出を決意。同年7月、豆満江を越えて中国吉林省延辺朝鮮族自治州に越境。現在、同地「潜伏」の傍ら、北朝鮮現体制の民主化=打倒を目指してRENKの会員となる。詳しくは「北朝鮮飢餓難民の手記」(『文芸春秋』1998年4月号・『RENK』第15号再録)を参照。

中国では法的には「不法滞在者」となるため、自由に外出もままならない。そこで彼は一日をもっぱら読書と思索、執筆に費やすという。今回紹介する文章も、そうした生活の中で書かれたものである。

はじめに

北朝鮮では、アヘンは《ペクトラジ》(白桔梗)という「隠語」で呼ばれている。

アヘンとペクトラジ。この二つの言葉には、余りにも深い意味が込められている。

ペクトラジが、朝鮮民族があらゆる面で愛する「復活剤」だとすれば、アヘンは汚辱にまみれた「脱落剤」だ。ペクトラジが人にとって精神的にも肉体的にも有益な天然食品なら、アヘンは人にとって精神的・肉体的に有害な麻薬である。しかし、北朝鮮ではいつの頃からか、「黒い麻薬」であるアヘンにペクトラジ(白桔梗)という名が付けられるようになり、海外の朝鮮民族同胞はおろか外国人まで、北朝鮮のペクトラジはアヘンのことだと混同するようになった。

とりわけ中国の同胞は、アヘンとペクトラジの相反する使命を余りにもよく知っているので、常々「北朝鮮ではなぜ、よりによってアヘンにわが民族の象徴である『ペクトラジ』という名を付けているのか? 民族の魂を失いはしないか?」といった疑問を投げ掛ける。筆者には返す言葉もない。

ともあれ、朝鮮民族とペクトラジの深い関係、またアヘンがペクトラジと名付けられるに至った北朝鮮でのアヘン栽培について、筆者の知るところを記してみよう。

1 ペクトラジ(白桔梗)と朝鮮民族

◆トラジ(桔梗)伝説

朝鮮人なら誰でも知っているように、朝鮮には大昔から代々伝えられる「トラジ伝説」がある。

昔むかし、美しい金剛山のとある谷間に、花田農民として立派に暮らしている一人の老人が住んでいた。「ト」という姓を持つこの老人は、「ラジ」という名の心根が優しく容貌の美しい一人娘と一緒に暮らしていた。

老人と娘は、夜昼なく休まず手まめに働いたが、暮らしは日に日に貧しくなって行くばかりだった。

その上、三年前に娘の母親が亡くなった時、葬儀を執り行おうと峠の向こうの村に住んでいる金持ちから借りた金が日ごとに利息を生んで、途方もない額に膨れ上がってしまったのだ。元来、金しか知らない金持ちは、ト家の事情はともかく、娘の美しい容貌に二心を抱きながら、あたかも気前よく物を施すかのごとき振りをして、金を貸してやったのである。

村人たちは、老人の境遇を余りにも気の毒に思った。その中でも、裏の家に住む木こりのチョンガ(独身男)の思いは格別だった。彼は、幼い頃からラジと共に育った幼ななじみであり、大きくなるにつれて互いに激しく愛し合うようになっていたのである。

そうしたある日、金持ちは老人を呼んで、ラジの母の三周忌までに借金を返せないならラジを後妻によこせと迫り、契約書に拇印まで押させた。老人は、愛する娘を悪党に奪われてしまうのだと思うと、胸が塞がり言葉も出なかった。老人はその日から寝込んでしまった。ひたすら父親一人だけを支えに生きてきたラジは、自分のために父が寝込んでしまったと思うと、胸が張り裂けるようだった。 父のためにできることは、果たして何だろうか?

ついに、彼女は父のために金持ちの家に入ることを決心した。

あくる日、老人の家の庭に一丁の大きな駕篭が騒々しく到着した。ラジは、金持ちの家の召使いたちが着せるままに着飾った後、父の前に深くお辞儀をし、駕篭に乗った。泣き声と涙、涙と泣き声で父と娘の離別はしばし遅れるようであったが、無慈悲な駕篭かきたちの罵詈雑言と袋叩きによって、駕篭はついに庭を出立した。

ラジを乗せた駕篭がいつの間にか母の墓がある峠の尾根にさしかかった時、ラジは駕篭を止めて外に出た。

外に出たラジは、すでに晴れ着を脱いでおり、かわりに白装束を纏っていた。

ラジは、父のいる家の方に向かって再び深々とお辞儀を捧げた後、道端にある母の墓の前につつましくお辞儀をした。

やがて、彼女は断固たる決心とともに決然と立ち上がり、天を仰いで「お母さん!」と血を吐くように叫ぶと、墓の傍らの断崖絶壁から身を投げたのであった。

しばらくして、村人たちは娘の遺体を捜し、母の墓の脇に並べて埋めてやった。

この事実を知った木こりのチョンガが駆けつけた時、ラジの墓の上には純白の締麗な一輪の花が美しく咲き出て、つつましくしとやかに頭を垂れていた。あたかも、あの世に旅立った娘が愛するチョンガに顔を見せたかのようであった。

チョンガは両膝を屈めてその花を大切に捧げ、涙ぐんで座り、「トラジ……、トラジ!」とラジの名を叫んだ。

この時から、村人は名もないその花を「トラジ」と呼ぶようになり、それから長い歳月を経て、真っ白に咲くトラジを「ペクトラジ」と呼び改めるようになった。

◆朝鮮民族のトラジ自慢

朝鮮民族はトラジと切り離すことのできない民族なので、トラジという言葉をいろいろな形で使っている。

北朝鮮では、祖国の奥床しい郷土愛を主題にした朝鮮芸術映画「トラジ」が製作され、人民から愛好されている。何より、北と南、全朝鮮民族が共に歌う伝統民謡こそ「トラジ」に他ならない。

朝鮮西道民謡の一つである「トラジ」は、山菜を掘る農村の娘らの生活感情や勤労を愛する庶民生活の姿を反映したもので、柔らかな美しい旋律で一貫しており、生気溌刺たる情緒と多情多感な感情に満ち溢れた民謡である。

実際、この唄はとても軽快で歌いやすく、また耳にも心地よい。朝鮮人なら誰でも知っている唄の一つである。この唄を聴くと、筆者は今でもときおり、1970年代の中頃に見た映像を思い出すことがある。それは、平壌市学生少年芸術団が日本を訪問した際、朝鮮の愛らしい少女チョン・フェョンが歌う「トラジ」に合わせて、在日同胞と日本人たちが合唱し、軽やかに踊っている姿を映したものだ。

「トラジ」に寄せる思いは在外同胞も同じである。1992年8月、中国の延辺朝鮮族自治州では「中国朝鮮族民族節」が開催されたが、その際、北朝鮮、韓国をはじめ、日本、米国、カナダ、ロシアなど10余ヶ国の朝鮮民族人士が一堂に会し、ともに朝鮮民族の伝統民謡「アリラン」と「トラジ」を歌って民族の同一性と共感を示したと聞く。中国では、吉林省全域で「トラジ」という月刊誌がも出版され、中国朝鮮族同胞に愛読されており、優秀作品に対しては「トラジ文学賞」が授けられている。

しばらく前にも、中国を訪問した南朝鮮の金大中大統領が、江沢民主席との懇談の席で「トラジ」の唄を歌って楽しんだとのニュースを聞き、北と南は互いに思想と理念は違っていても、トラジという単語を介して一つの民族であり、統一は達成されるのだ、と今更のように感じたりもした。

しかし、トラジはただ文化的な意味で朝鮮民族の誇りであるだけでなく、実際にも人々の役に立っている「天然食品」でもある。北朝鮮には、深山にぺクトラジを堀りに行く時に歌うもう一つの唄がある。

深山に美しく咲くペクトラジだよ

薬草にしてもいいが食べてもいい 

山人参になろうとしてなれなかったけれど親等を調べれば八親等だろう

この唄に見られるとおり、ペクトラジは薬草として人々に広く利用されている。トラジは東洋医学では、鎮痰薬、気管支喘息薬として利用される。

人々はトラジの薬理効果を得るために、トラジナムル、トラジ飯、トラジ生莱、トラジ醤油・味噌、トラジ潰、塩トラジ、トラジ菓子、トラジ煎餅といった、独特で多様な食べ物を作って食す。

また、トラジは食品のほかにも、その花の言い尽くせない美しさによって、公園や庭の花畑に山のように植えて楽しむ観賞用の花として、広く利用されている。

北朝鮮では、金日成・金正日の銅像の周辺、史跡地の建物の周辺などに、美しく真っ白に咲き誇るペクトラジの花をたやすく見出すことができる。山里の村人たちは山中でペクトラジを採ってきては、白く美しく咲いた花を花瓶に挿して香気を味わったり、女の子の髪飾りにするなど、さまざまな工夫を通じて楽しんでいる。

このように、朝鮮民族の民族性を刺激して各方面から愛されるペクトラジだが、1990年代に入るといつの間にか、北朝鮮に限っては、アヘンを意味する「隠語」として使われ始めたのである。

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