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誕生日の前日(2001年2月15日)、金正日狙撃説

(月刊朝鮮2001年6月号)

禹鍾昌(月刊朝鮮取材2チーム長)・Vladimir

woojc@chosun.com

金正日、脇腹に一発命中?

さる3月中旬、公安機関に勤める、ある職員が急に記者を訪れる。

『北朝鮮の金正日が、側近警護員の銃に撃たれるという諜報をアメリカから入手しました。かろうじて一命はとりとめたものの重態といいます。さる一ケ月間、北朝鮮の放送と新聞に金正日の外部の日程が全く報道されていないことを見るとき、金正日の身上に異常な徴候があったようですが確認は難しいです』。対北朝鮮情報機関のある関係者は『アメリカと中国を通じ、金正日狙撃説が継続的に入手されているが、確認する方法がない』と前提し、『金正日がさる2月14日、平安北道にある亀城工作機械工場と泰川発電所を現地指導した以後、およそ一ケ月のあいだ公式の席上に姿をあらわしていないことは事実』だと語った。2月14日以後、北朝鮮の新聞と放送から足跡が消えた金正日が再び姿をあらわしたのは3月22日。中国共産党中央委員会組織部長の曽慶紅を団長とする、中国代表団の北朝鮮訪問の際であった。翌日の3月23日、労働新聞の1面には中国代表団とともに写る金正日の写真が、何ごともなかったかのように37日ぶりに大きく載った。それから一ヶ月後の4月20日頃、記者はアメリカの情報機関と密接な人物からこのような話を聞いた。 

『北朝鮮の最高統治者、金正日が自分の誕生日の一日前の2月15日、執務室で警護員に撃たれた。警護員は金正日に向け、6発を発射した。この銃声は金正日の執務室の向い側にある、平壌駐在ロシア大使館でも聞こえた、という情報もある。警護員が金正日に向けて銃を発射すると、金正日のそばにいた軍需産業担当高官が、自らの身体で金正日を警護した。彼には五発命中し、金正日は横腹に一発を被弾した。五発を被弾した軍需産業担当は数日後に死亡した。中国は銃で負傷した金正日を治療するため、医療陣を平壌に急派した。アメリカ情報機関はロシアを通じてこのような情報を入手し、アメリカ政府も北朝鮮にて尋常ではない仕事が行われていることを注視中である。金正日のロシア訪問が突然取り消されたことも、このためであることがわかっている』

彼の情報は確認する術はないものの、かなり具体性を帯びていた。金正日狙撃説の実体を確認するため、北朝鮮労働新聞と中央放送の報道から2月15日から3月22日の間における、金正日の動静を追跡した。その結果、狙撃説を決定するのは難しいものの、この期間中に金正日と北朝鮮権力層周辺に、さまざまな種類の異常な徴候があるのを確認することとなった。

●異常な兆候1:軍需工業部1部部長の急死

最も明確な異常兆候は、労働党中央委員会軍需工業部第1部部長、朴松奉が2月20日の午前3時30分に突然死んだという事実だ。彼が死亡した2月20日は、金正日が被弾したという日から5日後であり、金正日の代りに弾丸に当たったという「軍需産業担当」は朴松奉の職責とほとんど一致する。

朴松奉の死亡原因について、北朝鮮の朝鮮中央放送と平壌放送は「急病」と発表した。北朝鮮の労働新聞も「急病により、69歳の日に愛惜するように逝去した」と報道し「金正日が深い哀悼の意を表示し、故人の霊前に花輪を贈った」と発表した。

労働新聞は、朴松奉に対する訃告記事で「日帝植民地統治の時期、革命家の家庭に生まれた朴松奉同志は、才能があり忠実な革命戦士」とし「朴松奉同志は、生命の最後の瞬間までわが党に無限に忠実であり、主体革命偉業の勝利のためにあらゆるものをみな捧げて闘争した」と報道した。労働新聞によれば、朴松奉は金正日が2月14日、亀城工作機械工場と泰川発電所を視察した際、随行員中の一名であった。金国泰(労働党中央委員会秘書)、朴松奉、リ・ヨンチョル、張成沢が金正日に随行した、と労働新聞は報道した。泰川発電所のダムに立ち、ブリーフィングを受けている金正日一行の写真を報道した労働新聞(2月15日付)には、金正日のちょうどそばに朴松奉が立っている。写真の彼は健康な姿だった。「北脱出者同志会」の主張によれば、狙撃された当時、金正日は自分の執務室で朴松奉から業務報告を受けていたという。その場には金正日-朴松奉-警護官の3名だけがいた、ということである。警護官が金正日に向けて最初の弾丸を発射すると、金正日は左側横腹を撃たれて倒れ、このとき金正日を助けようとする朴松奉に向け、ずっと銃を撃ったということだ。

金正日を撃った警護官は、北朝鮮内に存在する「反金正日組織」の一員の朴某氏であり、彼は銃声を聞いて走ってきた他の警護員たちの銃に撃たれ、現場で即死した、と「北脱出者同志会」は主張した。金正日は中国の医師を招請し、極秘裏に治療を受けて完治したが、朴松奉は治療を受けてから数日後に死んだということである。

急死した朴松奉は1996年10月28日、金正日の月飛山発電所(江原道高城郡所在)の視察時に初めて随行したのち、金正日の軍需工業分野の現地指導はもちろん、土地整理事業、軍部隊視察など各種の公式行事に影のように随行した側近だ。金正日が昨年9月30日、鄭夢憲会長の案内で金剛山開発の現場を視察した際も金正日のそばにおり、さる1月に金正日が極秘裏に中国を訪問した時も随行した。1932年、中国の延吉で生まれたことが判明した朴松奉は、革命遺児出身である。彼の父親は、金日成とともに延吉地方でパルチザンとして活動しつつ死んだ。朴松奉は萬景台学院を卒業し、1951年から1957年までルーマニアへ留学し、帰国後はずっと中央党に勤めた。1988年10月に現職責の党中央委員会軍需工業部第1部部長に就任し、軍需工業と原子力関連の業務を掌握してきた。彼は1985年4月と1992年4月の二度、「金日成勲章」を授与された。

●異常な兆候2:南北長官級会談の突然の取り消し

二番目の異常な兆候は、3月13日の午後からソウルで開かれることになっていた第5次南北長官級会談を、北朝鮮がこの日の午前に突然、理由もなく取り消した点である。北朝鮮は全今鎮団長名義の電話通知文を韓国側首席代表の朴在圭・統一部長官に送り、『さまざまなことを考慮し、会談に参加することができなくなった』と、一方的に通報した。

統一部関係者は『不参加の理由について何らの言及もなかった』と明らかにした。政府高位当局者は『全今鎮団長の健康問題など、北側に個人的事情や不回避な内部事情があるのではないか、と考えられる』と語った。

北朝鮮が一方的に南北長官級会談の取り消しを発表したその日、金ハンギル文化観光部長官は平壌にいた。金長官は北朝鮮亜太(アジア太平洋)委員会委員長、金容淳の招請で3月10日に訪北し、北側と文化・観光・体育分野の交流を協議中であった。金長官はソウルから送られたファクシミリを通じ、南北長官級会談の取り消しを知ることとなる。金長官は北朝鮮亜太(アジア太平洋)委員会副委員長の宋ホギョンに『本日予定されていた長官級会談が、理由も明らかでないまま延期になったというのは、いまわれわれが議論している問題と何か関係があるのか』と尋ねた。宋ホギョンは『われわれの会談とは関係がない。それは別のところで起きていることだ、ときっぱり言った』と金長官は伝えた。金容淳の招請で訪北した金ハンギル長官が、金容淳に会っていないというのもおかしなことの一つだ。宋ホギョン・亜太副委員長は、金ハンギル長官に『金容淳委員長は他の日程で地方にいる。会談が終わる前に、可能ならば来て会うことができるだろう』と語ったが、面談は成し遂げられなかった。

金容淳に会うことができずに帰国した金長官は『平壌での最後の日(3月13日)、金容淳が私に電話をしてきたのだが、私が出たり入ったりしていたため電話を受けることができなかった』と伝え、金容淳が次のように伝言した、と明らかにした(月刊朝鮮2001年4月号参照)。

「もちろん、私が会うのが道理であるのは承知しているのだが、不回避な事情ゆえに会うことができず申し訳ない。次回はあらゆる業務を差し置いても金長官に会う」。

金容淳は南北首脳会談時、金正日のそばに同席した北朝鮮権力序列3位だ。彼は韓国の長官を招請しておきながら、「不回避な事情」を理由に4日間、姿をあらわさなかった。彼にとって不回避な事情とは、金正日の身上に関することと推定されている。第5次南北長官級会談が突然取り消しになると、アメリカのブッシュ政権の対北朝鮮強硬路線のため、という分析が政府の一部で提起された。

これに対してリチャード・バウチャー国務省スポークスマンは3月13日の定例記者会見で、『北朝鮮は以前にも会談を取り消した前例がある』としながら、アメリカが北朝鮮を刺激したという主張を一蹴した。3月上旬ごろ、ソウルの外交関係者のあいだに「金正日狙撃説」が大きく広がり始めた。金正日狙撃説は、アメリカ大使館と日本大使館を中心として広まった。平壌駐在のロシア大使館周辺には、武装した軍人たちがものものしい警戒を行っているとの、出所不明の言葉も流れた。平壌に常駐するタス通信記者と通話した朝鮮日報モスクワ特派員は、『ロシア大使館周辺の警戒が突如としてものものしくなったという話を聞いた』とした。平壌市内中心街の中区域新岩洞にあるロシア大使館は、蒼光通りを間において、金正日執務室と向かい合う位置にある。金正日執務室に万一、銃撃が響いたとすれば、十分に聞こえてくる距離だ。

金正日の護衛は多分に神話的なことでよく知られている。現地指導の場所が決まると、最小限一ヶ月半前から、行列が通りすぎる行程と場所には徹底した検索と保護が始まる。金正日が乗る汽車が動き始めれば、その他の路線は完全に停止し、北朝鮮全域が長ければ1週間も汽車の延着に苦しめられなければならないほどに、彼の過剰警護は北朝鮮住民たちにもよく知られている。金正日1人のための護衛司令部が一個軍団の規模に達しており、韓国の首都防衛司令部に該当する平壌防御司令部が、この護衛司令部の管轄下あるという信頼に足る説もある。金正日の狙撃が事実ならば、彼が最後まで信頼する砦にまで、すでに穴が開けられてしまっているということだ。これを実感する人物は、金正日自身であろう。

4月末からまた軍部隊を中心として積極的な現地指導に乗り出している金正日は、豪気良く『私が経済だけを考え、軍事を握らなかったとすれば、我々はすでに亡びている』としたのだが、はたして自分自身の近接警護に穴が開けられたのが確実になったとするなら、これから彼が選択できるカードが多いとは見えない。

●異常な兆候3:最高人民会議、半日で終わり

三番目に異常な兆候は、写真に現れた金正日の姿だ。亀城工作機械工場と泰川発電所を訪問した2月14日、写真に写った金正日の顔には邪悪な妖気がとりついており、笑った表情だった。しかし中国共産党中央委員会組織部長、曽慶紅一行とともに撮った写真は顔がやつれており、表情も硬くなっている。金正日が中国共産党代表団を接見する場面は、北朝鮮の中央放送でも報道された。この場面を北朝鮮中央放送は、以前の報道姿勢とは異なり遠くから捉え、金正日の顔は小さく写って放映された。

中国共産党代表団が平壌入りしたのは3月20日であるが、金正日は二日も過ぎてから彼らと接見し、またこの期間中にも金正日の動静について気がかりなことが起きている。金正日が中国共産党代表らと同行した医師の診療を受けた、という説もある。金大中大統領と南北首脳会談を行ったときの金正日の顔(2000年6月15日撮影)と、スウェーデン総理が北朝鮮を訪問した際に公開された金正日の顔(2001年5月2日撮影)をカラーで拡大解析した写真を対照した、ある写真専門家は『写真がうつす角度と照明によって、顔の明暗が異なるように現れることがある』としながらも、『写真に現れた金正日の顔は、ひと目で見ても1年間でものすごくやつれていた。しわが増え、特に首の周りのしわが増えた』と語った。二つの写真を比較した医療系専門家は『長く横たわっていた場合、顔の脂肪が身体の後ろ側に集まる傾向を見せる。写真を通じてみた金正日の顔がそのような状態と推定される。病気で長期間横たわり、1週間前ぐらいに起きあがった人のように見える』と語った。

金正日の健康に異常があるといううわさは、4月15日に開催された最高人民会議でも強調された。通常では2〜3日にわたって開かれる最高人民会議が、今年には半日で終わり、最高人民会議に参加した金正日の姿は朝鮮中央放送を通じて、わずかのあいだ放映されてしまう。この放送で特に奇妙に見えた点は、代議員たちが金正日を連呼してずっと拍手すると、金正日が怒ったような表情をつくったのである。健康状態の悪い人間が、万事がうるさく感じられるときに見せるような表情ということだ。

金正日の誕生日である2月16日、労働新聞の1面トップ記事は「一致団結の威力で百勝を響かせよう」というタイトルの社説であった。社説の下には民族最大の名節、金正日の誕生日を祝う報告大会が2月15日、平壌4・25文化会館大講堂で開かれたという記事が載っている。労働党中央委員会委員らと候補委員たち、最高人民会議代議員、海外同胞祝賀団などが参加したこの大会で、国防委員会第1部委員長趙明禄が慶祝報告を行った。金正日はこの大会に姿を見せなかった。それ以後、労働新聞の1面トップ記事は、金正日の労作がどこかの国で出版されたなど、ゆったりした記事が掲載された。労働新聞2月23日付には、在日朝総聯議長・韓徳銖の死亡記事が掲載されたが、これと関連した金正日の反応は一切なかった。死亡した韓徳銖が3月15日、平壌愛国烈士陵に安置されるときも、金正日は姿をあらわさなかった。

金正日の行跡が一ケ月以上外部に露出しなかったことは、今回が初めてではなく、狙撃説が説にすぎないという見解もある。金日成死亡以後、北朝鮮最高指導者になった以後だけでみても▲1995年3月18〜4月25日▲1996年4月25日〜6月5日▲1997年5月5日〜6月5日▲1998年8月3日〜9月5日▲1999年12月24日〜2000年1月24日など5回に達する。1年に平均一回という形だ。

金正日警護担当護衛司令部の人事

だが金正日が、自らの誕生日の頃に姿を現さないことは一度もなく、特に2000年1月以後には長期空席の事例がなかったため、通常とは異なって見える。

金正日狙撃説に対して、米軍情報機関のある関係者は『北朝鮮に対する盗聴情報にも、狙撃説と関連した徴候が現れないでいる』と語った。万一、金正日が狙撃されたとすれば、金正日の護衛を受け持っている幹部らに対する人事が断行されなければならないのだが、そのような徴候がないという点で狙撃説は事実でないという立場だ。韓国軍情報機関のある関係者は『金正日の警護を担当する護衛司令部に対する人事が、最近になって断行されたという情報が入手されている』と伝えた。追放された護衛司令部幹部らの家族を通じて、このような情報が出てきている、ということだ。 

この関係者は『金正日の警護の実質的な責任は側近から、近接警護する「責任副官」たちが担当する』とし、『万一、狙撃があったとすれば、彼らが金正日を射ったということだ』と推測した。

ファン・ジャンヨプ秘書とともに亡命した金徳弘氏は、『金正日が狙撃されたことは間違いないことと見えるが、その具体的内容を把握中だ』と語った。

延世大の李基澤教授は『金正日が狙撃されたのではないにせよ、金正日狙撃説が外交関係者に出回るということは、北朝鮮の最高権力層 の内部が動搖していることを反証する徴候』と語った。近い将来に平壌を訪問する、ある北朝鮮専門家は『金正日狙撃説以後、咸境北道に軍の反乱事件がおきたといううわさもある』としながら『これに対応し、中国の瀋陽軍区に総動員令がおりたということも聞いた』と伝えた。今後の金正日にとって最も恐ろしい存在は改革と開放でなく、自らの命を守る側近警護員になるはずだ。

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