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許宗萬朝総聯責任副議長亡命説と所在不明船舶ミステリー 日本はなぜ、金正日の金脈を防ぐのか

(新東亜 2002年2月号)

朝銀事件、許宗萬亡命説、北朝鮮の所在不明船舶撃沈など一連の事件にはすべて、この機会に北朝鮮の金脈を断ってしまおうとする日本当局の意図が隠れている。これら事件はすべて9・11テロ事件以後に行われたものだ。

チェ・ヨンジェ(東亜日報新東亜記者)・Vladimir

cyj@donga.com

昨年12月中旬、日本の東京では衝撃的な情報が出回った。朝総聯責任副議長・許宗萬(71)が駐日米国大使館に亡命したとのことだった。亡命説が飛び交うようになったのは、彼が日本の警視庁公安部外事二課の「行確(行動確認)」対象だったためだ。すなわち日本警察が24時間彼を尾行したが、12月14日に駐日米国大使館がある虎ノ門駅近くで逃してしまったのである。突如として消えたため、近くにある米国大使館に入ったのでは、という噂が立ったのだ。

事実、この亡命説が出るだけの根拠もあった。日本の言論によれば、許宗萬はすでに何回も金正日の召還命令を拒絶し、不敬罪とされた事実があった。2001年11月下旬にも、彼は新潟港に停泊していた「萬景峰92号」へ呼ばれたが、一日後に船から下り、強制召還をかろうじて免じたということだ。

また召還問題をめぐって家族会議が開かれたのだが、家族すべてが「行くならば一人で行ってくれ」と北朝鮮行きを拒否したということだ。1970年代初めに召還された朝総聯副議長・金炳植の事例でも分かるように、召還それ自体が財産没収と同時に、一種の粛清であった。

許宗萬は北朝鮮の召還令以外に、日本当局からも圧迫を受けていた。朝銀東京信用組合の資金有用疑惑事件捜査の最終標的が許宗萬であるという噂が、日本の警視庁から流れていた。北朝鮮に行くこともできず、日本にそのまま座っていることも出来ない進退極まった状態で、彼は米国亡命の道を選ばざるをえないという推測が可能になることだ。

そうした中、12月22日に東中国海上から北朝鮮工作船と推定される所在不明船舶が、日本の海上保安庁の艦艇と銃撃戦を繰り広げ、沈没する事件が発生した。許宗萬の行方不明と所在不明船舶の沈没、この二つの事件をめぐり、あらゆる憶測が踊り始めた。このときソウルにて朝銀東京事件、許宗萬失踪事件、所在不明船舶沈没事件などを一つに結ぶことのできる、意味ある分析が現れた。

前朝鮮労働党連絡部一級工作員出身の金某氏は、北朝鮮が米国に亡命しようという許宗萬を除去するために急いで特攻組を送ったのだが、この船こそが沈没した所在不明船舶だ、と説明した。日本の捜査当局が明らかにした所在不明船舶ルートに沿って、韓国に7回も浸透した経歴がある彼は、所在不明船舶の航路と時間帯別浸透日程、任務などを自分の経験に照らして詳細に分析した。

金某氏の分析はこうだ。▲所在不明船舶が日本の巡視船とぶつかり合った地点が、北朝鮮工作船の通常航路と一致する(1976年巨文島工作当時にも、工作船は南浦基地から出港、中国の揚子江河口の中間基地を経由して、日本の九州近海の公海上で子船を分離した後、工作地点まで子船で浸透する戦術を駆使したことがある)。

▲北朝鮮は2001年7月、日本から中古漁船48隻を密輸入した事実がある。その理由は、工作船を日本の漁船に偽装するためのものだ。▲金氏はこれを根拠として、北朝鮮工作船の動きを次の通り説明した。

12月15日:許宗萬氏行方不明後海州基地出港→16日:大同江岸ポサン基地→18日:揚子江河口の中間基地→日本の九州公海上→19日:特攻隊浸透→20日:エンジン故障で漂流→22日:交戦のうちに沈没。

北朝鮮工作船は、工作員の移送や撤収任務がもっとも多い。この場合は工作母船(約100t級)で日本の領海附近まで接近して、母船に載っている工作子船を分離して領海中へ入っていく。亡命工作員の金某氏は「日本の海岸は韓国の海岸と比べれば無防備状態と違わない。いったん母船から子船を分離して海岸近くに浸透し、海岸まで数百メートルの距離からは潜水して上陸する」と語った。

所在不明船舶の任務がテロ要員の浸透だと主張したこの前職北朝鮮工作員の証言のように、浸透工作員らにとって日本の海岸に浸透するのは朝飯前だという。日本の海岸線が韓国よりはるかに甘いだけでなく、1999年3月以前には発覚しても日本側は発砲したことさえなかった、という。

それゆえ、日本に浸透する北朝鮮工作員たちは絶対に武器を携帯しなかったという。日本には国家保安法もなくスパイ防止法もないために、武器さえ持っていなければ出入国管理法違反の程度で数日拘留されるものの、本国に送還されるということだ。それも天気が悪いので緊急避難したと言えば、すぐに解放されるということである。

許宗萬亡命説と彼のテロ説が事実ならば、黄長●(火へんに華)前労働党秘書の亡命事件を凌駕するメガトン級ニュースであった。許宗萬の職位は黄秘書より低いが、彼は金正日の金脈であるためだ。

許宗萬は朝総聯の対北朝鮮送金の鍵を握っている、朝総聯の最高幹部であった。彼は金正日の側近中の側近として、2001年2月に死亡した韓徳銖・朝総聯議長の時代から、朝総聯の財政担当最高責任者であった。朝総聯をつくりあげている実質的機構である中央常任委員会は、議長と責任副議長、副議長および局長団10余名で構成されている。

許宗萬とは誰か

現在議長は徐萬述、責任副議長は許宗萬、副議長は朴在魯・権淳徽・呉亨鎮・南昇祐・梁守政・李沂碩・曹令鉉ら7名だ、北朝鮮が海外公民組織として主張する朝総聯の役割は、統一運動という対南工作と愛国事業と呼ばれる対北朝鮮経済支援事業とに分れる。ここで

対南工作を総括している人物は、現朝総聯議長の徐萬述であり、愛国事業責任者は許宗萬だ。

慶尚南道古城出身である許宗萬は1959年、朝総聯東京都本部委員長として朝総聯活動をはじめ、1986年9月に中央委員会副議長となり、1993年には責任副議長となった。彼は朝総聯内部で対北朝鮮支援を総指揮し、日本の政界にも深いパイプを持っている。彼は金丸信・前自民党副総裁を北朝鮮へ連れていき、

謝罪と援助の約束を取りつけ、金正日の決定的な信任を受けた。

許宗萬は朝総聯の非公式組織、学習組のボスだ。この学習組は、朝鮮労働党日本支部と理解すればよい。また彼は金炳植前朝総聯第1部議長の人脈を受け継いでいる。早くから韓国へ亡命しようという朝総連系の在日同胞を阻止したのも、彼が組織した「フクロウ部隊」であった。

乗勝長駆した許宗萬が傾きはじめたのは、1993年7月に責任副議長という奇妙な職責を作り、自ら就任してからである。彼は金正日との蜜月を背景として、専横を恣行した。これは裏返せば、無理な送金で朝総聯を無力化したということである。北からは信任を受けるかもしれないが、同胞を搾取したおかげで、朝総聯同胞社会は彼に背を向けはじめた。

したがって、彼は朝総聯のあらゆる資金を弄んだため、朝銀破産の内幕と資金運用をめぐる秘密をすべて握っていると見られる。日本当局が進行している捜査も、彼が証言をするかによる。何より彼は、日本の政治家に資金を提供した内幕を詳細に知っている。もし彼が口を割れば、北日修交で活躍した自民党議員らに火の粉が飛び散るため、彼らが捜査当局に圧力を加えているという噂があるほどだ。

許宗萬亡命説は陰謀説だ

許宗萬亡命説を確認することができる核心となる取材場所は、 まさに東京の地下鉄虎ノ門駅から100m離れた駐日米国大使館であった。しかし1月8日、駐日米国大使館当局者は許宗萬の亡命説を一言で一蹴した。この当局者は「陰謀説に騙されないでほしい。許宗萬氏が米国大使館に亡命を要請したことはない。もし彼が米国大使館に亡命を要請したとしても、われらはそのような情報を日本の警視庁には流さない」と断言した。

ところが2001年12月29日付けで、許宗萬亡命説に比重をおいて扱った週刊文春のある取材記者は、「日本の公安関係者から、許宗萬の行方不明説が流れ出た」とはっきり語った。ならば何故、このような噂が流れ出たのだろうか?

疑問は日本当局の朝総聯への対応の過程を見れば自然に解ける。日本警視庁捜査二課に、総員100人規模の朝銀東京専門担当捜査班が正式に構成されたのは、昨年10月末だ。この部署は日本債権信用銀行、東京相和銀行など金融・経済犯罪捜査を専門担当するプロ集団だが、今回は普段とは雰囲気がすこし違った。

日本の言論報道によれば、警視庁幹部が「朝銀の背後に朝総聯があり、その後には北朝鮮がある。北朝鮮への不正送金疑惑を意識せざるを得ない」と語ったことが伝えられた。日本捜査当局と朝総聯との攻防は、この頃から始まっていた。日本の捜査当局はひどく意気込んで一戦を準備したのである。

日本捜査当局の結果発表によれば、朝銀の資金有用手法はこうだ。在日商工人に融資する際に、必要額より多い金額を貸したこととして書類を作り、実際にはその差額を朝銀の朝総聯架空口座に再び入金して資金を回し、これを流用する方式だ。

日本の公安関係者らは、朝銀の背後に北朝鮮があると見て捜査を続けている。朝銀経営に北朝鮮が関連している、という事実を赤裸々にさらけ出す民事訴訟が、1998年に起きた。ある在日同胞が朝銀愛知を相手に、この支店の副議長が横領した自分の預金、約17億5千万円を返還せよと請求したのである。この裁判過程で原告側は、「学習組」という組織が朝銀愛知の経営に参与しているという事実を暴露した。

この裁判に提出された朝総聯の内部資料によれば、学習組は「偉大な首領、金日成元帥が組織して、親愛する指導者金正日同志が指導した在日朝鮮人金日成主義者の革命組織」であり、活動任務は祖国を保護防衛し、日本で主体革命の偉業をなすために積極的に尽くす、ということだった。

この民事訴訟は預金返済を確定されず原告の敗訴で終わったが、判決文は学習組が存在するという事実を認めた。この判決文を見れば「被告(朝銀愛知)の幹部はすべて、学習組員から登用された。朝銀愛知は金融機関としての本来の業務以外に、朝総聯の活動資金や北朝鮮に送金する特殊任務を行っている」と明記している。

この裁判で、原告である在日同胞企業家は、「私の預金は北朝鮮に対する送金や韓国の留学生組織、日本国内の親北朝鮮系国会議員の政治資金に使われた」と語った。1999年夏、日本の自民党外交部会で公安関係者は学習組に関して「全国に約1000の組織があるものと把握している」と報告した。

また最近、前朝総聯財政副局長ハン・クヮンヒ氏も日本のTV朝日を通じ、「朝銀は朝総聯の金庫だ。幹部人事権を朝総聯中央本部が掌握しているために不回避だ。私自身が許宗萬責任副議長の指示により、康周一(現在の北朝鮮労働党中央委対外連絡部長)とともに萬景峰号に乗って、北朝鮮に送金する手伝いをしたこともある」と暴露した。

このように、初めから日本の警視庁が電撃作戦方式で朝銀事件を捜査したとするなら、許宗萬の行方不明説を流した理由は数種類に推理できる。

まずは、実際に許宗萬側から人づてで米国亡命を打診したのだが、これを無にするために公安当局が情報を流したというものだ。許宗萬が米国大使館へすぐに行かず、代理人を送って意思を打診しとするなら、十分に可能な仮設である。二番目は、確実に北朝鮮が許宗萬を取り締まるように仕向けた作業とみることだ。資金を受け取った政治家リストを持っている許宗萬は、日本当局としても厄介な存在だ。日本当局の手で捕まえれば、捜査過程で溢れでる関連政治家が負担になることがあるため、いっそのこと北朝鮮が取り締まるように仕向けたということだ。最後の推測は、許宗萬を通じて朝総聯を揺さぶるというものである。

日本が朝銀問題を思い立ち、追い詰めているのは、9・11テロ事件以後、テロ資金提供に反対する条約に批准してからだ。米国との調律のもとで、北朝鮮の最も大きな金脈である朝総聯をこの機会に手掛けた、ということだ。もちろんこれは、強硬保守派である小泉総理が執権することで可能になったということだ。

過去、日本は1999年の国連総会でテロ資金提供防止協約が採択された際、G7国家のうち唯一、批准の前段階である署名に参与しなかった。当時、米国は北朝鮮の武器輸出の代金の流れを追跡していたのに、北朝鮮の武器輸出代金の尻尾が日本から消えてしまうということであった。このとき、米国など署名した国家が、参与しない日本をかなり問題視したことが伝えられた。

東京は北朝鮮のマネーローンダリング天国

前日本公安調査庁調査第二部長・菅沼光弘氏は2001年11月15日付けの週刊文春に、北朝鮮がこれまで隠密に第三世界に武器を輸出できたのは、日本というマネーローンダリングの場所があるためだ、と明らかにした。

彼は、「1979年、ソ連がアフガニスタンを侵攻した際、米国はムジャヘディンにスティンガーミサイルを提供しました。その時、中国はスティンガーミサイルを持ちかえり、自国で製造し始めました。中国は米国製の十分の一の価格で作って売ったのですが、今回は北朝鮮が中国製を摸倣してスティンガーミサイルを作り始めたのです。中国製よりもより安い価格でした。

世界のテロ組織は資金の余裕がないために、やや代金の安い北朝鮮製兵器を好みます。イランは北朝鮮製スティンガーミサイルを買うようになったですが、イランはミサイル購入の事実を隠すために、購入代金をいったんロンドンを経由した後、シドニー、スイス、東京に送ったようです。

その金を回収するために来たのが、さる5月1日に日本に不法入国した金正男でした。すなわち北朝鮮は、日本をマネーローンダリングの場所として利用しています。日本の金融関連法律には安全保障という観点がないため、テロ組織やテロ支援国によく利用されるのです」

朝総聯内部事情に精通する日本の統一日報社・朴ドジン顧問は、今回の調査の背景を三つに診断した。

「最初は米国の要請だ。いかな大蔵省でも個人情報をむやみに捜査できない。米国の相当な要求があったがゆえに、朝銀東京問題に強力に対応したのである。二番目は日本が今回、テロ資金提供防止協約に批准したためだ。三番目は日本の政界内部に、朝総聯を庇護してくれる保護傘がなくなった。以前には自民党橋本派の野中幹事長が実権を握っていた。彼は朝総聯の許宗萬とよく通じる間であった。北朝鮮の金容淳、朝総聯の許宗萬、日本政界の野中をつなぐラインは、朝総聯を守る保護傘だった。ところが小泉政権に入り、この傘がなくなった。そこで日本の捜査当局が安心して朝総聯を検索し始めたのである」

朴顧問の話は最近、実際に朝銀事件をめぐって日本政界で行われた攻防を見ればよく理解することができる。12月7日、社民党副総裁である淵上貞雄参議院議員と金子哲夫衆議院議員の二人は、朝総聯幹部など合計8人とともに警視庁を訪問し、警視庁捜査二課警長補佐に「朝総聯中央本部に対する強制捜査は、不当な政治弾圧」という決議文を伝達した。12月18日には、他の社民党衆議院が同じ内容の抗議文を持って、朝総聯幹部と一緒に総理官邸を訪問した。彼らは結局、官邸には入ることができずに、内閣府に抗議文を提出した。

いっぽう12月19日には自民、民主、自由、保守など四党の中堅議員らが、「朝銀問題を考える超党派集会」を結成した。この集まりは、前の議員たちとは正反対の動向を見せた。

彼らは12月21日、金融庁長官を訪問して、「資金有用事件を見守りながら、仮借名口座の実体が明るみにならない限り、公的資金を投入してはならない」という見解を提起した。これに対して金融庁長官は、「現在の預金保険法上、公的資金を投入せざるを得ない」という見解を明らかにした。

この「考える集会」の小池百合子衆議院議員は、「事件は単純な金融事件ではなく、国家の安全保障に関係する問題で、強制捜査は当然だ」としながら、朝銀救済策をもう一度考えなければならない、と主張した。彼女が安保問題だと発言したのは、事件の背後に北朝鮮への不正送金疑惑があるという意味だ。「考える集会」は、日本国民の血税が北朝鮮に不正送金されて、生物化学武器の製造などに流用されているという疑惑がある以上、公的資金を投入する悪循環を断たねばならない、と主張する。「考える集会」は新年から、朝銀への公的資金投入を阻止するための関連法の制定に入る。

1994年にも現在と似た状況が日本で起きたことがある。だがその時は、日本当局は朝総聯を捜査しなかった。当時も、今と同様に米国政府が関連していた。米国政府は、日本から北朝鮮へ送金された600億ウォンに注目し、この金額が当時問題となった、北朝鮮核兵器のプルトニウム開発資金の可能性が高いと見た。

当時の日本の公安当局は、米国政府から捜査依頼が来たがゆえに、朝総聯の主取引銀行である足利銀行に決算状態を公式報告せよ、と要請した。しかし日本の大蔵省が預金者の私生活を保護するべきだという理由でこれを拒否することにより、捜査は中止された。当時の日本の拒否方針に、米国は相当な不快感をあらわしたことが伝えられた。

今回のテロ事件以後にも、米国は日本政府にビン・ラディン関係者らの銀行口座を凍結することを要求し、北朝鮮とアル・カイダの資金の流れを追跡している。しかし少なくとも現在までは、北朝鮮とアル・カイダが資金の側面で公式的に関連したという証拠は明らかになっていないものと見える。

駐日米国大使館当局者は、「われわれは9・11テロ事件が勃発した以後、北朝鮮とアル・カイダの関連可否を綿密に調べた。しかし現在まで、北朝鮮がアル・カイダに直接的に関連しているという事実は発見できなかった」と確認した。

金正日の外交戦略

9・11テロ事件と朝銀事件以後の北朝鮮は現在、資金難と国際的孤立で進退両難に陥っている。北朝鮮の内部事情を知ろうとするなら1994年以後、金正日の対外戦略を見回さなければならない。金正日は2000年12月、クリントン大統領の訪北にあらゆる期待をかけた。クリントン訪北で米国問題だけが解決されれば、他の件は自ずから解決される、と予想した。

これは許宗萬の発言でも確認できる。彼はクリントン大統領訪北の論議が活発だった2000年12月、朝総聯が運営する日本の朝鮮大学教員幹部評議会で「金正日将軍は1994年の核危機以後、さる6年間”苦難の行軍”時期に先軍政治を行い、輝かしい成果を得ている。将軍様のお言葉どおりにすれば、あらゆるものが解決できる。将軍様の外交政策は先米後南、その次が日本、その次が欧州だ。これが金正日将軍の戦略だ」と語った。

このように金正日は、あらゆる対外問題を対米関係改善に集中した。これだけを行えば、自分の主導の下に対南戦略も解決することがができるという計算だった。

そのカードが核とミサイルだった。核とミサイルは、米国も北朝鮮にひたすら開発中止を強要するほかに術のない懸案であった。これは国家の主権事項であるから、これにかこつけて米国が軍事行動を繰り広げるならば、国際社会の反対世論が高まる可能性が大きい。金正日は核とミサイルで米国を交渉に引き込み、経済封鎖を解き、韓国から援助を受ければ、日本もついてこざるを得ないという計算であった。

4月20日の教旨

金正日の自信は、1999年4月20日に朝総聯に下した教旨にも表れる。この日、金正日は徐萬述朝総聯第1部議長を呼んで「外柔内剛方式で朝総聯を再建しなさい」と指示した。これは一言でいえば「赤い旗は中に込めて、外面は柔軟にしなさい」という注文だった。

「外柔」は、朝総聯が右傾化したのではないのかと誤解を買うほどに、就職センターと老人福祉政策など多様な政策を行い、同胞たちから孤立させられるのを防止せよ、とのことだった。「内剛」は、学習組(朝鮮労働党日本組織)で徹底して金正日崇拝思想を鼓吹せよ、とのことだった。一ヶ月後の1999年5月、米国のペリー対北朝鮮政策調整官がペリー報告書を作るために平壌を訪問した。金正日は米国が対北朝鮮政策を変えるはずだ、と確信していた。

金正日はこれらすべての対外日程を、2002年の自分の60回めの誕生日に合せていた。この日は、死亡した金日成主席の90回の誕生日になる年でもある。この時期までに、米国とあらゆる問題を解決するということだった。彼が金大中政府と対話をしながらも軍事問題を論議しないのは、米国のためであった。金正日は、韓半島の軍事問題を解決するためには、米国と問題を解決すべきだということをよく知っていた。

ペリー対北朝鮮政策調整官は平壌からソウルにきた後、日本を訪問する計画だった。彼はペリー報告書を完成し、1999年9月当時、林東源長官と日本側パートナーである加藤審議官にほとんど同時に伝達した。ペリー報告書が現れた後、北朝鮮の対南政策は確かに固まった。金正日は、金大中の対北朝鮮包容政策を米国が共感した、と判断したのである。

南北首脳会談はこういう背景で行われたものとみなされる。1999年4・20の教旨もこのような背景から出てきたものである。以後2000年の一年、終始北朝鮮と朝総聯は対内外的に気勢が良かった。あらゆる面で余裕があり、韓国と在日居留民団との関係でも自信があふれた。

しかし米国に共和党ブッシュ政権が成立すると、計算は狂い始めた。金正日が使えるカードもなくなった。ブッシュ政権は核とミサイル問題に延々とすることもせず、むしろ北朝鮮の在来式兵器、特に生化学武器さえ問題視するとせき立てた。

もし在来式兵器までもが米国との交渉議題に含まれれば、北朝鮮としては武装解除される形と同じだ。この状況で金正日が工夫を凝らしたのが、ロシア訪問と中国訪問だと見ることができる。ロシアと中国は、ともに米国のMDに反対する反MD協約を結び、米国を孤立させる戦略を展開したのである。すこしでも北朝鮮に有利な局面を作ってこそ、対米交渉を有利に率いることができるためだ。

しかしこの戦略は9・11テロという突発事態で水泡に帰した。長距離でも核でも、テロと関連すれば膺懲しても良い、という国際世論が形成された。ロシアのプーチン大統領は積極的に米国を支援し、APEC頂上会談では中国の江沢民国家主席も米国支援の声明を出した。中国はWTO加入と2008年オリンピック留置ゆえに、対米関係の悪化を願わなかったのだ。

日本が北朝鮮の首をより一層締めはじめたのは、その頃からであった。所在不明船舶撃沈事件はこのような脈絡から、朝銀事件と密接に関連している。この事件は発生地点が地点だけに、韓国と日本、米国の情報機関がすべて敏感に反応している。

所在不明船舶に対する韓・米・日情報機関の分析は少しずつ異なるものの、一致する部分がある。沈没された所在不明船舶には麻薬と莫大な現金が積まれていた、という説明だ。現在、北朝鮮は2月16日の金正日60回誕生日、4月15日の金日成90回誕生日、アリラン祝典など引き続く行事で外貨需要がおびただしい。アリラン祝典は、北朝鮮が金日成主席の誕生90周年を迎え、4月29日から6月29日までの二ヶ月間、平壌5・1競技場で開催する「大集団体操(マスゲーム)」および芸術公演行事だ。

ところが北朝鮮はここに費やす外貨を調達する通路が、現在ほとんど詰まっている。金剛山観光もほとんど破綻の境地に至ったがゆえに、南からの支援も期待できない状況だ。しかも朝銀破産事件で、最も重要な金脈である朝総聯ラインが正常に回らずにいる。だから麻薬や偽札のような外貨稼ぎ事業に熱を上げざるを得ないのだ。

所在不明船舶の任務は誕生日資金の調達

海外情報を扱う国内の情報機関関係者によれば、所在不明船舶の任務は金正日誕生日の行事資金の調達であり、麻薬と現金など莫大な規模の現物を積んでいたという。この関係者は「北朝鮮は、2月16日の金正日誕生日の行事資金調達に重大な支障が発生した。そこで麻薬、偽装紙幣などカネになることならば、片っ端から事業を繰り広げている。所在不明船舶の任務は、誕生日資金の調達だった。所在不明船舶は、北朝鮮の海州と南浦港側から出発、中国側へ行き給油したのち、日本の九州近海の海である種の取引を終え、また中国側に帰っていく途中で撃沈されたことがわかっている」と明らかにした。

この関係者はまた、「韓国海軍西海艦隊司令部と日本海艦隊司令部も、北朝鮮の所在不明船舶の存在を把握していた。所在不明船舶の数も1〜2隻でなく、西海の側に4隻、日本海の側に3隻など、全部で7隻だった」と語った。

日本現地の情報関係者らも、沈没した所在不明船舶はヒロポンを密貿易する北朝鮮船舶だった可能性が最も大きい、と語った。12月10日、東京で会った駐日米国大使館当局者もこれを確認した。

この当局者は「米国当局が諜報衛星で船舶の存在を日本に通報してくれた」とした。彼は「特別な軍事目的を帯びた船舶だったならば、米国の諜報衛星が24時間追跡監視するものの、沈没した所在不明船舶はそのような船とは異なる、日常的な密貿易や工作活動をする船であったものと見える。そのため最初は撮影写真を数カットほど、日本側に提供したものと聞いている」と語った。

所在不明船舶は全部で7隻

日本の防衛庁通信室(FI・別班)は通信情報の把握だけを行う機関だ。太平洋戦争を行った国家である日本の盗聴水準は、世界最高であると知られている。第二次世界大戦当時、スターリンがドイツに送った間諜ゾルゲを摘発したのは、ドイツではなくソウル龍山の日本軍駐屯基地であった。

日本が通信情報に有利なのは、別名「象の檻」と呼ばれる巨大なアンテナを、北海道、愛媛、稚内、三沢などに設置しているためだ。このように強大な情報力を持っている日本が、米国に遅れをとる分野は映像(LCD)情報だ。米国はたいていの情報を、宇宙空間の衛星で撮影した写真から得ている。事件発表で明るみになった事実だが、日本の防衛庁は北朝鮮人民軍の周波数まで盗聴する実力があった。

日本の「現代コリア」西岡力編集長も「1998年に覚醒剤(ヒロポン)を積んだ船が北朝鮮の海州から出港し、組織暴力と接触するのを、日本の海上保安庁が逮捕したことがある。当時も、米国の偵察衛星情報でこれを握ったのだが、覚醒剤を積んだ工作船の外観は今回撃沈した船とまったく同じであった」と語った。

彼はまた、「米国衛星はこの船を継続して追跡することはできた。だが別の仕事で忙しい偵察衛星が、その船だけを追いつづけることはできなかった。そこで米国は最初、情報だけを日本側に提供した。また、工作員を日本に浸透させようとしたとするなら、月の見えない新月の前後五日間が適正な時期だ。ところが事件がおきた12月は、12月15日が新月だ。そのため所在不明船舶の任務が工作員の浸透である、という分析とは合わない。最終的な判断は船を拿捕してみてこそわかることだろうが、日本の公安関係者たちの共通した判断は、その船が覚醒剤(ヒロポン)を搭載し船舶だったというものだ」と語った。

この事件と関連して、米国と日本は初期の段階から情報を交換した。事件の初期、米国は諜報衛星から得た情報を日本側に提供しただけでなく、中間過程でも継続情報を共有した。産経新聞2002年1月1日付は次のように報道した。

「鹿児島県奄美大島外側の海である東中国海で発生した所在不明船舶事件で、訪日した米陸軍参謀総長が自衛隊幹部らと秘密裏に情報を交換したことが、12月31日に明るみになった。…」

駐日米軍関係者によれば、訪日した人物は米陸軍の最高責任者である参謀総長エリック・シンセキ(訳注:Gen. Erik Shinseki)陸軍大将であり、12月17日の午後5時すぎに米軍機で厚木に到着、12月19日の午前9時すぎにアラスカへ向かうまで、総合幕僚会議幹部や陸上自衛隊幹部などと極秘裏に会談を持った。所在不明船舶情報は18日から入り、日本防衛庁関係者によると、会談では米軍が軍事諜報衛星でとらえた所在不明船舶に関する情報を交換したという。

この参謀総長の前に、軍事諜報衛星を管理・運営する国家偵察局(NRO)から所在不明船舶の最新情報が入り、この参謀総長サイドからその真相が伝えられたものと見える。自衛隊側も、通信施設で盗聴した所在不明船舶に、北朝鮮との交信に関する情報を米軍と共有した事実などを確認したという。

北朝鮮産の麻薬

このように、所在不明船舶は北朝鮮産の麻薬を一隻の船にぎっしり積み、ある種の取引をしていた船だった可能性が最も大きい。現在、韓国と中国、日本の麻薬常習服用者たちは、北朝鮮産の麻薬を好む。中国産やタイ、および東南アジアで供給される麻薬と、日本のやくざ組織から入る麻薬と比較して、北朝鮮産の麻薬は最高品として通じる。関係者によれば、ヒロポンは投薬した後、薬効が切れる頃になると恐慌障害という現状が生じる。これは投薬後、8時間後に薬効が切れ、手足が痺れて身体に痙攣が起こなど、強迫観念に苦しめられる症状だ。

ところが北朝鮮産ヒロポンは驚くべきことに、このような恐慌障害がなく、人間の超能力を極大化する長所を持っている、ということだ。

この北朝鮮産麻薬は、大部分が中国の三合会出身の朝鮮族を通じて韓国と日本に流入する。国内の場合は中国延辺と吉林省、北京などから、朝鮮族を韓国内に密入国させる業者らと結託した韓国の所在不明船舶が、麻薬流通に直間接的に利用されていることが知られている。

日本に輸出される場合は、元山港を出発して日本の新潟港を定期的に往来する北朝鮮の萬景峰号、そして清津港を出発して日本の新潟港へ向かう各種の船舶が注目対象だ。

また南浦港から仁川と中国の上海で連結する船舶の航路も、国際麻薬組織のルートと推定される。このうち、在日朝総連系企業と北朝鮮の軍部が合弁で運営する臥牛島船舶の冷凍貨物船は、精製された麻薬を密封運搬するのに最適の条件を備えているがゆえに、日本の公安当局が集中的に管理する船舶という。

北朝鮮は、国家安全保衛部から統制区域へ特別管理している咸鏡北道清津、会寧市と咸鏡南道燿徳郡、平安南道北倉郡などに麻薬製造施設を設置し、精製された完成品を鉄道や国道を通じて秘密裏に運送している。いったん恵山市に運搬された麻薬は、中国の麻薬密売組織に渡される。

その後、清津港と元山港に移された麻薬は、船舶を通じて日本の新潟に供給され、平壌近郊の南浦港に運送された麻薬は、東南アジアおよび中国上海、大連にそれぞれ供給されることが判明している。元山港の場合は日本の新潟をはじめとし、下関や大阪、神戸などに供給ルートを拡大していることが知られている。 

北朝鮮軍部が直接管理

また中国とロシアとに接した国境地帯の麻薬密売主要ルートを見れば▲新義州と丹東をつなぐ国境線▲南陽と図們を連結する国境地帯および豆満江駅とロシアのハサンにつながる線など、二つの密売線があることが判明している。

北朝鮮では、軍幹部が直接介入して、後方地域で麻薬を裁培していることが知られている。

延辺と吉林省一帯の麻薬密売業者たちは、中国の三合会とロシアンマフィア、そして日本のやくざ組織員たちの庇護のもと、国境地帯でウォン貨とドルで麻薬を取引する。これを通じて各港に運搬された麻薬は、船舶を通じて韓国および中国の北京、日本に流通する。ところがこの過程で、北朝鮮人民保安省の軍高位級幹部と高位層が介入することが判明している。

北朝鮮麻薬の中心には金ソンジュ中将をはじめとし、党中央委員会秘書局傘下部所長級の金○ナム委員と、国防委員会金○マン委員が含まれている。金ソンジュ中将は萬景台革命学院出身で、現在は人民保安省の高位幹部だ。彼らはすべて、金正日委員長から厚い信任を受けている人物だ。そのうえ、彼らは金正日の長男である金正男の後見人であること知られている。

小泉の野望

朝銀事件、許宗萬亡命説、北朝鮮所在不明船舶撃沈など一連の事件にはすべて、この機会に北朝鮮の金脈を断ってしまおうとする日本当局の意図が隠れている。もちろんこの事件はすべて9・11テロ事件以後に行われたもので、米国との共同作業のもとで行われる作業とみることができる。だが、日本の意図は単純に北朝鮮をねらうところでは終わらない

ここには小泉総理の野望がかくれている。小泉総理は総理になる前から、日本の安保能力を「普通国家」形態に押し上げると公約した。彼は、日本の国内問題のみならず、国際舞台でもこれを実現するために努力している。事実、日本経済は10年以上つづいた不況で難しい時期である。

小泉は、10年以上停滞した日本経済のシステムを革新的に変える改革政策を繰広げなければならない。このためには、過去の慣習に浸かってぴくりとも動かない官僚・政治家・事業家を説得しなければならない。鉄のトライアングルと呼ばれる彼らの抵抗に耐えるためには、高い支持率と人気が必要だ。

「アジアン・ウォールストリート・ジャーナル」のヒューゴ・リストール(訳注:Hugo Restall)論説室長は”小泉総理が日本国民の支持を引き出すために、戦犯の前に参拝して涙を流し、日本人の自負心をそそのかしている”と指摘した。しかし国際社会と日本国内の多数世論が、すべて彼の突出した行動を支持することはなかった。

9・11テロ事件がこのような小泉総理に機会を提供した。日本国内でも進歩性向の議員たちは力を失っている。日本海上の自衛隊の艦艇が、すでにさる12月にインド洋へ出発した。今のところはアフガン戦争の米軍を支援するという名分だが、今後はこの船団がより積極的な役割をするということは、陽を見るより明らかなことだ。

日本が普通国家として、国際社会で強大国の役割を担うのは時間の問題だ。許宗萬と朝銀事件、朝総聯、北朝鮮はその口実であり供え物だ。

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