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平壌まであと一歩!

(宝島30 1994年9月号)

ぼくの中の「金日成」に落とし前をつける日。大学時代の留学同活動と「洗脳合宿」を通じて、「金日成」はぼくの心の中にしっかりと地歩を築いていった。ぼくたち在日コリアンは、誰もが「金日成」の甘い嘘に騙されていたかったのだ!

金武義(きむ・むい)

ここ数年来、ぼくの中で、日を追うごとに平壌へ行きたいとの思いが募ってきている。

朝鮮民主主義人民共和国(以下、便宜上"北朝鮮"と表記する)。在日三世であるぼくの、まだ見たことのない祖国である。

しかし、行きたいとは思うが、現実にはまず行けることはないだろうとも思っていた。韓国ならば、現在、在日コリアンが訪問することはさして難しくはなくなった。しかし北朝鮮の場合、日本との国交がないこともあり、条件は格段に厳しくなる。

北朝鮮訪問のためには、大使館の代わりとなる朝鮮総聯(在日本朝鮮人総聯合会)を窓口にさまざまな手続きを踏まねばならず、また踏んだところで、許可されるかどうかはまったくの別問題である。とくに九一年以降、北朝鮮政府・朝鮮総聯に対して批判的な文章を雑誌や新聞に書くようになってからは、申請自体が受け付けられないだろうと思い、ほとんどあきらめていた。

さて、金日成(キム・イルソン)が死んだ。平壌では、三十年の歳月をかけて進められてきた「金正日(キム・ジョンイル)後継」が、いよいよ名実ともに完成しようとしている。

現在、ぼくは何の根拠もないのだが、

「今こそ北朝鮮を訪問できそうだ」

との予感がしている。もちろん、金正日政権に期待しているわけではない。それどころか、これで祖国の食糧事情や人権状況その他はますます悪化するだろうと思っているくらいである。

だが、"行くなら今だ"との感覚がしきりに感じられるのだ。非科学的と言われようと、内から強くわきあがってくるのだ。この眼で平壌を見て、ぼくの中の『金日成』に、落とし前をつけたいのだ。

“金日成”との出会い

伊豆半島の田舎で高校卒業まで過ごしたぼくは、自分が在日コリアンであることはわかっていたものの、およそ民族に関することはほとんど何も知らないで育った。ぼくの身辺にあった民族的なものと言えば、盆や正月に行なわれるチェサ(朝鮮の伝統的な法事)だけである。あとは、文化というにはあまりに日常的で、あまりに土俗的な、一世たちの立居振る舞いがあるだけだった。

ぼくの生活は、級友たち−−つまり、日本人の少年たちとともにあった。彼らと同じような通名(日本名)を名乗り、文部省のカリキュラムに沿って学校教育を受けた。だが、今にして思うと、すでに金日成の影は、のんきな田舎の男の子の毎日にも出没していた。

ぼくの母方の叔父・叔母は、全員、北朝鮮に帰国している。数カ月に一度、母宛に、親族からの手紙が届く。母はさして嬉しそうな表情も見せず、いやむしろ憂鬱そうな顔色になって眼を通し、何も言わずに片付けてしまう。

たまに内容を読ませてもらうと、細々した記述の後に、決まって、金品を乞う数行が書かれてあった。

「○○くんは病気がひどくなって、困っています。姉さんが、たとえ五万円でも送ってくれればいいクスリも買えるのですが、どうにかしてもらうことはできないでしょうか……」

一方、定期的に『朝鮮画報』というグラフ誌が、地域の朝鮮総聯支部から送られてきていた。それを見ると、毎号毎号、「教育も医療も一切無料の、人類の史上初めて搾取のない社会を実現した」という触れ込みで、「北朝鮮の幸福な市民生活」が紹介されている。

両者のギャップには、子供ながら苦しんだ。まったくの無知とは言いながら、朝鮮人であることは恥ずかしいことではないという程度の認識は当時のぼくにもあって、できることなら、祖国の実情が『朝鮮画報』の記事のようであってほしいと願っていたのだろう。

だが、そう思うぼくの前で、母は、苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。大げさな言い方だが、そこに一種の不条理を感じざるを得なかった。いわばそれが、"金日成的なるもの"との最初の出会いだった。

留学に参加して

大学に入ってからは、朝鮮総聯の傘下団体である「在日本朝鮮留学生同盟」(略称・留学同)の活動家として過ごした。

そこは、不思議な団体だった。

母国語学習、朝鮮歴史学習、同胞学生との出会いの場など、留学同は少しでも祖国に近づきたいという気持ちを持つ学生が必要とするもの一切合財を次から次へと無償で提供してくれ、希望すれば償還義務のない奨学金まで支給してくれる。専従活動家(チョニム・イルクンと呼ばれた)たちは、なぜこんなに優しくしてくれるのだろうと戸惑ってしまうくらいに、献身的だった。

もちろんそうした活動は、どれも「金日成」の名と結びついている。愛情も知識も金銭も、「民族の偉大な首領様」からの恩寵として与えられる。在日コリアンとして生まれ、いくらかでも留学同に参加する意義を認めていたなら、少なくとも組織内での金日成批判などできはしない。

とどまるか、出て行くか、二つに一つだ。スパッと出て行って、二度と姿を見せないヤツもいた。逆にとどまると決めた以上、本人の意思にかかわらず、金日成の神格化に積極的に関わるようになってゆく。ぼくはその時、とどまることを決意した。

概して、日校出身者(ぼくのような、普通の日本の学校の卒業者)のほうが、いざ活動に参加しだしたら、朝鮮学校出身者よりも熱心だったと記憶している。言い換えれば、朝校OBたちは、若くしてこの世界での"処世術"を身につけていたのだ。

活動に参加して最初の二、三カ月は、思想的な内容にはあまりタッチしない。初級朝鮮語教室、レクリェーションなどで、まず相互の親睦を深めながら、ゆっくりと民族的・思想的な内容に入ってゆく。ぼくはもともと、権威の押しつけは生理的に肌にあわないほうである。

「なんかこう、全部が全部、金日成元帥様(ウォンスニム)ばかりで、ひっかかるものがありますね。これって、個人崇拝じゃないんですか?」

「個人崇拝って言うんは、言わば宗教的な、何の科学的な根拠もないものを一言うんやろ?同務(トンム)らが今、勉強していることはどうや?日本に侵略されていた祖国を解放したのは誰やった?」

「元帥様の、抗日パルチザン部隊だって習いましたけれど」

「そうやろ。チョソン・サラム(朝鮮人)ならばよく理解できる歴史的な根拠があるんや。尊敬するのも当然やろ?」そんな間答が何回も繰り返された(実はすでに周知のと渚り、抗日パルチザンでの金日成の活動についてはかなり疑わしい部分があるのだが、それについては、ここではとりあえず置いておく)。

朝鮮人なら……。祖国の統一を目ざすなら……。まったく、何と逆らい難い、魅惑的な言葉であったことだろう。

朝鮮人であることにコンプレックスはないと言いながら、一人で勝手にそう思っているのと、多くの仲間と共に行動し、成果があがってゆくのとでは、得られる喜びに格段の違いがあった。

そうしていつの間にか、金日成は、ぼくの心の中にもしっかりと地歩を築きあげつつあった。組織の内部では抵抗しても、外の日本人社会で語す時には、知らず知らずのうちに、金日成擁護を始めてしまう。組織のプロパガンダを一〇〇パーセント信用していたわけではないが、"日本人であるお前らに言われたくない!"との思いがかきたてられてしまうのだ。

金日成は、ぼくたちに日本人への、"逆差別"を教えてくれた。だからこそ金日成は、在日のぼくたちにとっても"カリスマ"であり得たのだ。

「洗脳」合宿

ともあれ、留学同・盟員時代のぼくは、さまざまな矛盾に悩みながらも、それでも充実していた。何よりそこには、似たような体験と立場を共有できる同胞たちがいた。

留学同活動の白眉は、同盟員になって二年目以上の者が参加する「一カ月間講習会」である。

これは夏休みの一カ月を丸々使って合宿生活を送り、その過程で徹底的な思想教育を受けるという、一種の「洗脳」合宿だった。

朝六時に起床、朝礼、日中の「授業」、そして夕刻からは金日成を誉め讃えた映画の鑑賞、班にわかれての「討論」……。毎日、睡眠時間は二、三時間しかとれない。

体のキツサは何とかなる。だが、精神的なつらさはその比ではない。ぼくがいちばん耐えられなかったのは、討論の時間だった。

それは「認識討論」と呼ばれ、その日の講義や映画を「いかに正しく認織したか」のみが問われる。それまで優しかったチョニム・イルクンたちも、この合宿では容赦しない。ガンガンと責め立ててくる。

見せられた金日成礼賛映画があまりに馬鹿馬鹿しかったので、オズオズとそう申し上げる。すると、まず、

「金武義(きむ・むい)同務は、民族虚無的だ!」と一喝される。続いて、女同務(ヨドンム 女性メンバーのこと)が、

「疑おう、疑おうとする神経がわからへんなあ。祖国を統一するのには、金日成元帥様の主体(チュチェ)思想しかないと思うけどなあ」

と追い討ちをかける。

合宿の最初の頃は、まだこちらにもガッツが残っていたから、

「でも、嘘は嘘だ。ぼくたちは正しいことをやっているのだから、疑問にだって正直であるべきだと思う」

と、さらなる抵抗を試みる。

「ならば、同務、批判ばかりしていないで対案を出してくれ。批判するだけならどんなヤッでもできる。いいか、政治に中立などというものはないのだ。主体的な立場を持たねばならない。元帥様の教示よりも素晴らしい対案が出せるなら、ぜひ出してくれ」

これで、勝負は決まりである。この状況下で、そんな立派なものが出せるものか。これが、北朝鮮的な尺度で言う"言論の自由"の正体だった。

建物の部屋という部屋のすべてに金日成の肖像画が掲げられ、組織のお偉いさんたちは発言する前に必ずその肖像画に最敬礼し、それは自然にぼくたちへの強制にもなり、窒息しそうになった。ぼくと考え方が似ていて、"民族虚無主義者コンビ"と言われていた友人は、

「これが社会主義だとしたら、在日でこんなに息苦しいんだもん、ワタシとっても祖国では暮らせましぇーん!」

と悲嶋をあげた。組織にとっては皮肉なことに、この合宿への参加が、ぼくの金日成体制への不信を決定づけるきっかけとなった。

だが、やはりスパッと割り切れるようなことではなかったことも事実である。

留学同の盟員であれば同胞学生とつながっていられるし、在日社会でのネットワークも広がる。ぼくは不勉強な学生だったからカタコト程度しかマスターできなかったが、朝鮮語を学ぶこともできる。

留学同がぼくに与えてくれるものは、確かにあった。だがその核には、いつも金日成がいる。

結局ぼくは、三回生から四回生まで自分の大学の支部長をつとめることになり、そのために気持ちはいつも混乱していた。

三年間、留学同に在籍して、ぼくは通名を捨て本名を用いるようになり、田舎ののんきな男の子から、多少なりとも民族的な自覚と知識を持つ人間へと変わった。

その意味では、留学同経験は、ぼくにとって間違いなく大切な体験だった。だが問題なのは、そこでぼくが知った朝鮮が、実は金日成の恣意でつくられた人工的な朝鮮であったことである。そして金日成の名は、ぼくの心の中にまだ、確実に刻印されている。

今、そのことに決着をつけなくてはならない。

平壌市民の“悔し泣き”

金日成。

朝鮮民主主義人民共和国国家主席、朝鮮労働党中央常任委員会総書記、元・朝鮮人民軍最高司令官、国家の三権を一手に掌握していた男。

「民族の指導者」を自称し、自らと、その血族の荒唐無稽な神格化・偶像化に血道を挙げて来た人物。

無数の政敵・庶民を粛清し、祖国の北半部に四十六年の長きにわたって君臨してきた政治家。

死去から数日して、テレビは、平壌の金日成広場で号泣する何万という市民の姿を映しだしていた。アナウンサーにマイクを向けられると、彼ら彼女らは、異口同音に語る。

「信じられません。いったい、この世にこんなことがあっていいのでしょうか」

「夢であってほしい。首領様のいない世界なんて考えられない……。首領様、眼を開けて下さい!起き上がって下さい!」

日本人たちは、あの映像をどのように見ていたのだろう。理解できないと思ったのか、それとも"こいつらアホか"と思いつつ、あたかも新種のホラー映画でも見るように、いつもどおりのお茶の間のショーとして楽しんでいたのか。

ぼくには、平壌市民の心情が理解できるような気がする。もちろん平壌市民に代表される北朝鮮国民には、金日成の死に対して内心ざまあみやがれと思っていても、表面上は懸命に嘆き哀しんで見せないと、反動分子と規定され、その場で逮捕されてしまうという事情がある。この国の政治警察は、反政府的意見のみならず、国民の感情までも取締りの対象としているのだ。」

生き延びたければ、泣くしかない−−。そういう国家であることは、いくらでも強調しておきたい。日本の尺度で、気軽に考えてほしくない。

だが、それだけではないだろうとも思う。あれは(本人たちは自覚していないだろうが)、一種のくやし泣きなのではないか。

彼ら北の同胞たちは、すべてが金日成の名を通じて語られる社会で育った。在日の留学同出身者などは足元にも及ばないくらいに、産まれた時から、徹底的に金日成漬けにされてきた。より正確に言うならば、あの国にはそれ以外に何もないのだ。

国民一人一人の喜びも憎しみも、すべての人間的な感情が金日成に骨がらみにされてしまっている。彼に抱いている感情が、敬愛だろうが憎悪だろうが、各人の骨の髄まで入りこんでいる。いわば、マインド・コントロール国家である。

そのマインド・コントロールを施していた張本人が、何の責任もとらないまま勝手に死にやがったのである。貴重な人生を金日成に強制的に付き合わされてきた国民としては、「いったいどうしてくれるんだ!」と、涙の一つも流すしかないじゃないか。

ぼくたちは騙されていたかった

カリスマは、それをカリスマと認め、讃える人間がいて、初めてカリスマになれる。言い換えれば、金日成をあのような怪物たらしめてしまったのは、在日コリアンである我々をも含む、朝鮮民族一人一人であったはずだ。とくに、ぼくたち在日コリアンの責任は重い。

祖国・北朝鮮の同胞たちは、金日成に対して少しでも批判めいたことを口にすれば、強制収容所行きの運命に見舞われる。だから、彼らは従順を装うしかない。だが、在日コリアンは違う。少なくとも、直接、命の危機に見舞われることはない(と思う、たぶん)。

朝鮮総聯の組織から離れたら食っていけない、帰国者の親族を人質にとられている、不満な点は多々あるが在日同胞に貢献したいから、いや私は熱烈な金日成主義者だ、いやいや俺はそこまでは思わないけれどこれはこれで大切だと思うから……。朝鮮総聯の活動に(消極的にであれ)参加する理由は、人それぞれだろう。しかし祖国の大衆とは異なり、在日コリアンは基本的には、「自発的に」金日成の言いなりになってきた。

ぼくだって、留学同をやめようと思えば、やめるチャンスはいくらでもあった。自らのミステークは棚にあげて、

「金日成が悪いんです。全部アイツが悪いんです。そして金正日が、今、どんどん祖国を悪くしているんです」

と、被害者面ばかりをするのなら、それは再び、また別の真実を隠蔽することになりはしまいか。

懺悔しろと言っているのではない。なぜ金日成に騙されたのかを、彼が死んだ今こそ、冷静に問い直そうと言っているのだ。

朝日新聞七月十八日付け朝刊によると、十七日、朝鮮総聯中央委員会主催の金日成追悼式が挙行され、そこで李珍珪(リチンギュ)第一副議長が、次のような弔辞を読んだという。

「主席がおられたからこそ、在日同胞は植民地亡国の民から、誇りある祖国の海外公民としての栄誉を担うことができた」

この発言は、在日に対する金日成の影響力の秘密を解くうえで、あるヒントにはなると思う。

ぼくたち在日三世・四世にはピンとこない話だが、祖国との結びつきが強かった一世・二世たちには、過剰なまでの民族心があった。下手をしたら、本国の人間より強く意識していたのかもしれない。そんな彼らにとって、金日成が唱える各種のテーゼやスローガン・活動内容は、実に魅力的だっただろう。

祖国と在日の一体化を謳い、常に統一を最大の目標と言い続け、民族性がいかに重要であるかを訴える。韓国の歴代指導者が自分たちから在日を切り離そうとする政策を取ってきたのと、それは好一対をなしていた。

情報社会・日本で暮らしていれば、金日成が塗り重ねてきた嘘は、やがては見抜かざるを得なくなる。だが一方でその嘘は、在日側が「かくあってほしい」と願う点を巧妙に突いてくる、いわば甘い嘘なのだ。

「祖国は地上の楽園である」

「祖国はますます発展し、社全主義の主導による統一は近い」

「祖国の全人民は、何不自由することなく幸福に暮らしている」

いっそ思考停止して、騙され続けたほうがどれだけ気が楽だろう。

語らぬ人と語る人

もちろん、金日成の嘘に対して、さすがにイヤになる人も増えてくる。だがそういう人たちは、組織を離脱し、概ね沈黙してしまうことになる。正直な感想を口にして、不要のトラブルが身辺に生じるのを避けたいからである。実際、批判を開始した人間への攻撃や嫌がらせには眼に余るものがある。

親族に会うための祖国訪問が許可されなくなる。朝鮮信用組合など民族金融機関の融資が受けにくくなる。多少なりとも目立つ人間はすぐ機関紙で"韓国のスパイ"と書き立てられる……。これらの行為は、狭い在日社会では、見せしめとして充分に機能する。

こうして、「韓国の批判はできるけれど、北朝鮮の批判はできない」という奇妙な構図が、いつの間にかできあがってしまったのだ。この原稿を書くために、何人かの同胞に取材を申し込んでみたのだが、一人を除いてのきなみ断わられた。誰もが、

「個人的に話すんだったらいいけれど、雑誌に出るのはちょっと……」

と、口を濁す。そのうえで、朝鮮総聯系の人を含め、

「金日成の功罪で言えば、罪のほうが圧倒的に多かった」

と断言するのである。

みんなわかっているけど、公には発言したくない−−ぼく自身、留学同を離脱後十年たって、ようやく冷静に自己と金日成の関係を捉え直そうと考え姶めたのだから、そうしたメンタリティはとてもよく理解できる。

また逆に、朝鮮総聯を離脱したものの、感情的なだけで説得力に乏しいことばかりを書いたり話したりしている人も珍しくない。ご本人は「憂国の士」を気取っているつもりらしいのだが、おそらく自分の中の"金日成"をちゃんと総括していないのだ。

どちらにしろ、哀しいほどに不毛だ。

金日成個人は死んだ。

だが、白を黒と言いくるめ、白は白であると当たり前のこと言うには唇寒い"金日成的な風土"は、まだまだ健在であるらしい。

闘いは、これからなのかもしれない。

*

平壌に行きたい。

もしぼくの書いている内容が北朝鮮政府や朝鮮総聯のお気に召さないのだったら、なおのこと、取材訪問を受け入れるべきだ。

見せてくれたらいい。今さら何を隠そうと言うのか。それでこちらの考えが改まるのなら、その時は素直に改めよう。だいたい、誰が好き好んで祖国の批判など書きたいものか。

ぼく個人の中にも、在日社全にも、金日成が残した心理的な呪縛は、意識していた以上に大きい。ならば、北朝鮮の同胞たちはどうなのだろう。

仮に訪問が実現したところで、自由な会話など望むべくもないだろう。それでもぼくは、彼ら彼女らに会ってみたいと思う。公式見解しか聞けなくてもいい。彼ら自身に会って、顔を突きあわせて、彼らの口からじかに聞きたいのだ。

よりよき将来のため、互いの中の「金日成」像を検証するため、今、ぼくは平壌に行きたいのだ。

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